同じ地球のよその国で(5)

同じ地球のよその国で(5)

─からだの不自由な人のための雑誌から─

石坂直行 *

◇ 宇宙飛行技術応用で開発

 腕と脚の働きを失った四肢まひ者でも、まもなく自分の部屋の環境のすべてを自分でコントロールできるようになる。そのために必要な多数の器具が、宇宙飛行技術の応用で開発される。

 アラバマ州ハンツビルの米国航空宇宙局マーシャル宇宙飛行センターで、肢体不自由者が部屋の環境をコントロールできるシステムに必要な各種のスイッチ、制御装置、モニターなどを完備した部屋を作りあげて、土地の病院に納入する契約が締結された。

 この部屋の中では、航空宇宙局の開発した多数の技術を、肢体不自由者援助に応用する実験ができるように設計され、目で操作するスイッチ、息でコントロールできる機器および超感圧機器を使用し、各種の特別装置を動かせるようになる。

 この部屋が完成すれば、動くことのできない人が、窓とドアの開閉、電話のダイヤル、テレビとラジオのコントロール、ベッドの姿勢変更、本のページめくりなどが可能となり、その他生活を安らかで便利なものとするのに必要な無数の仕事を自分でやれるようになる。

 最も注目されるもののひとつは、視線スイッチで、諸設備の操作に主要な役割を果たすが、それは単に特別のメガネをかけて、特定の機器を見るだけで、その機器を作動させられる。

 別の同じく興味ある装置は、息スイッチで、小さなヘラの形をしたものを口で吹くだけで作動する。

 開発中のものにはパネル・スイッチがある。これは2枚の小さなパネルを、1枚ずつ人の頭の両横に着け、頭をわずかに左右に動かすだけで作動する。パネル・スイッチの変型は空気スイッチで、2個の小さな空気袋を1個ずつ耳のうしろに着け、寝たまま頭を左右に回すだけで作動する。

 予備的実験のあと、手や足の使えない人を実際に使ってテストを進める。この計画は、マーシャル・センターの技術応用部門で担当し、完成してニュース・メディアに公開されるのは1972年9月の予定。

(Paraplegia News,July 1972から)

◇ 実例によるリハビリ

 新しくハンディキャップを負った人の意気消沈を解消し、より早くリハビリテーション効果をあげるためには、ハンディキャップを持ちながらよく順応してリハビリテートした人に訪問させるのが非常に効果があることを、リハビリテーション専門家が発見している。最新のメディカル・ワールド・ニューズ誌によれば、ジョージタウン大学のマーガレット・ケニック博士は次のように述べている。

 「新しい患者は、自分がハンディキャップに適応することができるかどうかの疑いと不安を抱いている。こんなときは、だれかそれをやり遂げた人、再びよい職を得た人、自分で生計をたてている人、家庭と社会の一員としての地位を確保している人に会うと力づけられる。そうすることにより、不可避的に起こる意気消沈から救い出し、カラに閉じこもるのを防ぎ、自分自身のリハビリテーションに努力するようにさせることができる。」

(Paraplegia News,October 1972から)

◇ 利口なビジネスマン注目

 トロント空港ヒルトン・ホテルは、ハンディキャップをもつ客のための特別の設備をした客室を2室設置した。

 アリゾナ州フェニックス市のシビック・プラザ・ホテルは、ハンディキャップをもつ客が不自由しないよう、入口を無段にし、特別のエレベーター、トイレ、幅広駐車場を設置し、補聴器を貸し出している。

 コネクチカット州ウォーリンフォード市のヤンキー・シルバースミス・インは、点字のメニューを用意し、盲導犬の同伴を認めている。

 カリフォルニア州のフルフィ・コーヒー・ショップ・チェーンも、点字メニューを用意し、幅広駐車場、特別トイレなどを完備している。

(Accent On Living,Winter 1972から)

◇ニューヨークAB法

 ニューヨーク州のアーキテクチャラル・バリヤーズ法(階段など、からだの不自由な人の利用を閉め出している建物の防柵を解消させる法律)は、1972年9月1日に発効、施行された。

 これにより、一部分といえども税金を使って建てた公共建造物はすべて、車いすの人がひとりで自由にはいれるようにすることを強制される。ニューヨーク州は、米国内でA/B法を施行した第47番目の州となった。未施行なのは、ネバタ、ミシシッピー、ノース・カロライナの各州とコロンビア区だけとなった。

◇ 建築家の車いす体験

 米国政府のジェネラル・サービス・アドミニストレーション(GSA)当局は、所属の建築学トレイニー全員に対し、年間に全1日24時間を車いすで過ごすことを、必修課目とした。

 GSAは1968年以来、381 の政府建物を、ハンディキャップのある人に利用可能なように建築または改築したが、今後は1010万ドル(約27億円)の予算で、残りの1,338 の政府建物を改造することになっている。

(以上Muscular Dystrophy News,Feb,/March,1973から)

◇ ナースの車いす体験

 ユタ州ブリンガム・ヤング大学では、看護科学生に対し、ハンディキャップのある人の問題と感情の一部を、直接的個人的に体験させるため、学科の一部として、半日間車いすで過ごすことを強制している。学生たちの大部分は、このことをきらっているが、看護教官のラナ・ブラウン女史は、以前多発性硬化症で車いす生活をした人で、学生が車いすの体験をすることは、ハンディキャップのある人に対応する方法を習得するのに必要な感情を認識するために、建設的効果があると説明している。

(Paraplegia News,October 1972 から)

◇ 自宅でコンピューター

 ロスアンジェルスのH&Wコンピューター・サービス会社とセリトス大学とは、1969年以来共同してハンディキャップ学生にコンピューターの訓練を行なったあと、同社の取引先のプログラミングの仕事を、学生の自宅でやらせている。同社ではこの計画は、在宅で仕事する人にも、同社にとっても有益であると言っている。

(Paraplegia News,October 1972 から)

◇ 車いすボウリング大会

 全米16州から参加した100 人の車いすボウリング選手が、1972年6月24~25の両日、アラバマ州モービル市で開催されたアメリカ車いすボウリング協会第11回全国トーナメント大会で腕を競った。以下入賞者の説明省略。

(Paraplegia News,September 1972から)

◇ 自動車ナンバープレート

 歩くには車いすに頼る人の運転する自動車であることを標示する、車いすのシンボルのついた特別のナンバー・プレートが、フロリダ州で制定された。

 このプレートは、州内にしだいに増加しつつある車いす使用のドライバー専用駐車場、すなわち自動車から車いすを自分で降ろせるように、通常よりも幅の広い特別の駐車場を利用する資格を与えるものである。

 駐車の特権のほか、このナンバープレートは、非常にはっきりと区別してわかりやすいので、身体障害者の車であることが他のドライバーからもすぐわかり、自分の車を停めて何か手を貸そうという人のためにも便利である。

◇ 車いす飛行大会

 リビエラ水陸両用機からコマンチ400 型機までにわたるさまざまな飛行機に乗った11人の車いすパイロットと22人のゲストが、南カリフォルニア海岸に近いカタリナ島のフライ・イン飛行大会に参集して、技を競った。

 カタリナ・フライ・イン飛行大会は、南カリフォルニア車いす飛行家協会の月例行事のひとつとして開催されたものである。

 同協会のエド・ヘイス会長の発表によれば、次回のフライ・イン飛行大会は、来月はポータービルで、再来月は再びカタリナ島で開催される。大会には、車いすのパイロットならだれでも参加できる。詳細問合せは同協会へ。(以下略)

◇ 時は流れる

 車いすで社会的に活躍した最初の人はだれか?記録に残るものとして、それはスペイン王フィリップ2世で、1595年(訳注、378 年昔、後陽成天皇の文禄4年)だった。

◇ アフリカからのお客

 アフリカ、ザンビアの首都ルサクスのチルワ市長が、米国務省の招待で、シアトル身体障害者クラブを訪問した。同市長は同国の身体障害者問題審議会の議長である。

◇ 日本でリハ誌発行開始

 日本障害者リハビリテーション協会は、外国の卓越した記事とニューズを翻訳した「リハビリテーション研究」という季刊誌の発行を開始した。その情報源のひとつはパラプレジア・ニューズである。

(以上Paraplegia News,November 1972 から)

*「ヨーロッパ車いすひとり旅」著者


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1973年7月(第11号)36頁~37頁

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