職業リハビリテーションの実際

職業リハビリテーションの実際

―行動分析について―

Vocational Rehabilitation Practices
A Behavioral Analysis

Orv C.Karan and William I.Gardner,Ph.D.

大木 勉

 著者について…

 Mr.KaranはMadisonにあるUniversity of Wisconsinの行動障害研究学科の博士課程に在籍中であり、行動変容と精神薄弱者について専攻している。彼は目下精神薄弱者についての自己マネジメント技法についても興味をもっている。大学院に戻る前には、Wisconsin州のリハビリテーション・カウンセラーとして、2年半にわたり勤務した。
 Dr.GardnerはMadisonにあるUniversity of Wisconsinの行動障害研究学科の教授である。彼はthe Laboratory of Applied Behavior Analysis and Modificationの所長であり、the Research and Training Center in Mental Retardationの調査担当スタッフでもある。彼には専門的著作として40余の論文や著書があり、最近のものとしては、Behavior Modification in Mental Retardation:The Education and Rehabilitation of the Mentally Retarded Adolescent and Adultがある。Dr.GardnerはまたMilwaukeeにあるthe Easter Seal Society for the Crippled Children and Adultsのプログラムコンサルタントの役割も果たしている。

 McGowanは、職業リハビリテーション・カウンセリングの定義を、「職業的な潜在可能性を最大限に引き出すために、リハビリテーション・カウンセラーが面接をとおして障害者に働きかける過程である」と引用した。この面接をとおしてという規定が、本論文に展開されるアプローチにとって非常に限定的であるけれども、この定義そのものは、職業リハビリテーション過程が個人の行動可能性を最大限のレベルにまで引き上げるように編成された諸経験のダイナミックに進行する一連のシリーズであるという概念を意味している限りにおいて、参考となる適切な枠組ではある。

職業リハビリテーション過程

職業リハビリテーション過程

 この過程は7ページの図のように、人間が障害受傷から、その軽減状態へ移行する一連の連続段階として図式化されている。この図が示すように、移行段階のそれぞれの間において、カウンセラーはそのクライエントによって行われる行動のコースを決定しなければならない。可能性はほとんど無限にあるけれども、その決定は大きく二つのカテゴリーに区分されよう。つまり、プログラムにかかわるものは一般的か個別的かであり、処遇にかかわるものは一般的か個別的かというようになろう。これらの決定区分とそれぞれの例をあげれば、次のとおりとなる。

1.一般的なプログラムの決定:個々の障害者をリハビリテーション・クライエントとして受容すること、経済的なニードを充足させること。

2.個別的なプログラムの決定:保護授産所に入所させること、職場適応訓練を適用すること。

3.一般的な処遇の決定:十分整備された環境を提供すること、同僚との社会関係を促進すること。

4.個別的な処遇の決定:クライエントが自己主張したときは、いつでも賞賛及び興味を示すこと、クライエントが作業時間中に不適当な行動を起こしたときは25セントの罰金を課すこと。

 この決定は、クライエントが次に行われるプログラムや処遇に関して用意された環境に適応するか、あるいはそれらから何か利益を得るものだという基本的な前提に立って行われている。

 明らかなことであるが、すべてのクライエントが全システムを通過するのではないので、このことはかならずしも妥当な前提ではない。全く無期限に一つのレベルにとどまっている人もあろうし、別のルートに迷い込む人もあろうし、他方システムそのものから除外される人もあるかも知れない。こういった人たちにとっては、さきに定義されている職業リハビリテーション過程は、無用の長物かあるいはせいぜい不完全なものかどちらかである。

 無用の長物で終わってしまったこと、あるいは不完全にしか貢献しなかったことは、もちろん無数の要因の結果であろう。このうち大きく影響している要因は二つある。つまり、クライエントの可能性についてのカウンセラーの見通しと、リハビリテーションの成功というものについての彼のとらえ方であって、これらは改善可能である。

 前者についていえば、クライエントが可能性をもっている職業的な究極のレベルについてのカウンセラーの最初の見通しが誤まっていたのかも知れないということである。リハビリテーション過程を通して、クライエントが大きな行動能力を身につけられるようになってはじめて成功したといえるのに、彼は足踏みし、道を誤まり、あるいは除外されているのかも知れない。

 後者についていえば、リハビリテーション・カウンセラーとそのスーパーバイザーの多くは、最大限の職業的可能性を、単に自主性あるいはまた雇用可能性と同等のものとみているということである。成功したかどうかをこの基準だけに絞ることで、カウンセラーはさきの定義の示しているより広い意味を見失う傾向にある。

 職業リハビリテーションが成功したかどうかは、自立した雇用可能性という面からでなく、成人の行動発達と機能を最大限に高めたかどうかという面から明らかにされるべきではないか、ということが提唱されている。この機能の最大化は即雇用可能性や自立性であるかも知れないし、ないかも知れない。クライエントとして適当かどうかを判断する(決定点第1)根拠は、発達あるいは機能のレベルを、現在よりも高くできる可能性をもっているだろうかということであるべきである。もっていなければ、彼は適当ではない。もっていれば、樹立された職業的目標を実現するためには、リハビリテーション活動のどの分野が適切であり、学習環境(learning environments)のどのタイプが有効であるかを決定することが次の課題になってくる。

 身体的リハビリテーションの領域では、この点が的確に示されている。例えば、視力障害を伴う人には眼鏡が支給されるであろうし、四肢を欠く人には義肢が装着されるであろう。この両ケースでは、そのほか無数のケースと同じように、補装具が障害者にその職業的可能性を最大限に発揮するために提供される。何人かの人は、その可能性を最大限に発揮してゆくために、<生活上又は作業上の特別な準備>、つまり補装具で補充される環境を常に必要としているかも知れない。このことによって機能が最大限のレベルに達し成功を意味するとしたら、一人の成人が職業リハビリテーション・クライエントとして除外されたり、あるいは不成功に終わったとみられたりするのは何故なのだろうか?

 精神薄弱者の多くにとって特別な準備が必要であるということが、カリフォルニア州立の大きな精神薄弱者施設を退所した51例の詳細な追跡調査を実施したEdgertonによって、適切に確認されてきた。精神薄弱者の社会的、職業的、経済的等の能力レベルが、Edgertonが「保護者(benefactor)」と名づけた重要な他人の存在と深く関連していると、彼は結論した。

「一般的に退所者は、保護者を定め接触を保つことに成功する場合にのみ、地域社会において生活を営む努力に成功すると結論することは、決して誇張ではないだろう。」

 いくつかのケースでは、保護者は日常接する配偶者か親類縁者であったし、他のケースではそれほど密接な接触はない隣人、友人又は雇用主であった。しかしながら、精神薄弱者に対する保護者の関係が重要なのは、十分な行動を奨励し維持するに必要欠くべからざる環境を彼らが促進していたからである。

 職業リハビリテーションの対象者について、直接的に、密接な関連をもつこの研究から学ぶべき教訓がある。伝統的には、クライエントは自身のリハビリテーションの建設者であるべきだと期待されてきた。この枠組のなかでは、カウンセラーの期待どおりにゆかなかった失敗例は、しばしば対象者の人間性に原因があるとされる。いわく、彼は興味を示さない又は怠け者である。動機づけがなされていない、あるいは情緒障害だというように。これら不適応行動の背景にある環境上の事象についてのより深い考察は、あったにしてもほとんど無に等しかった。

 しかし、Edgertonの研究によれば、人はその環境がより適切で、より有用な行動を支えきれないために不適当な職業的行動を起こしているのだと結論しうる。そこで、リハビリテーション・カウンセラーにとっての究極のゴールは、おそらく次の二つから成り立っているとみるべきである。つまり、<一つはクライエントの職業的可能性を最大限にすること、二つはこれらの行動をその人が最も能力と自立性を発揮しうる環境にマッチさせることである。>この枠組を実施することは、クライエントを成功させるも失敗させるも、その責任をリハビリテーション・カウンセラーに負わせることになる。クライエントが建設者であるよりも、彼が建設者なのである。

 この観点からすれば、リハビリテーション・クライエントもリハビリテーション過程も、行動的な表現で定義される。基本的な前提は、ほとんどすべての行動は適当なものであろうとなかろうと、学習されるということである。この方法でみると、障害者に対するリハビリテーション計画には、新しい行動の獲得、適当な行動の持続、不適当な行動の消去に配慮がなされることが必要とされる。

 この方法についての理論的・概念的枠組は、学習理論の広い分野と行動変容として知られるその応用技法に基づいている。行動変容の基本原理は、簡単にいえば、行動の強さ弱さが、その結果に関連しているということである。行動は、それに続く事象が慎重に確認され提供されることによって、影響を受けるということである。つまり、これらの事象は、行動を増強させたり、減少させたり、抑制させたりするという意味で影響を与えているのである。これらの考え方は、新しいものでも格別深遠なものでもないけれども、精神薄弱者についての研究や、刑務所や留置場、精神病院、シェルタード・ワークショップ、施設以外の場、家庭、公立学校、において採用され成功している。これらの研究は正に、行動変容理論の数百の応用ということである。

 この理論を職業リハビリテーション過程に応用する前に、その使用法についていくつかの注意がある。第1に、行動は学習されるという前提は、もちろん関連する知覚ないし器質的な因子が明らかにされていなければ成立しないだろうということである。このため、完全な医学的評価あるいは関連した治療が、常にいかなる行動変容プログラムにも先行あるいは並行するということである。

 第2には、表面的には最適の環境的学習の下においてさえ、その職業的可能性を最大限になし得ないままにいる人が多くいるだろうということである。しかし、だからといって単純に、これらの人が適当な行動を身につける能力に欠けていると考えてはならない。

 クライエントの行動をコントロールする上で、カウンセラーの準備したものよりも更に有効な偶発的な環境状況(environmental contingency)の確認にカウンセラーが失敗したために、限界があったのかも知れないのである。だから、クライエントは、彼の行動範囲を増幅するために作られた周到なリハビリテーション・プログラムに実際に組み込まれる後までは、現在のよりも更に高いレベルを、学習したり行動したりすることができないのだと考えられてはならない。

 どのクライエントの行動範囲から現に起こる行動も、その時点までの成功の可能性を最も高くもってきたものである。これらの行動のいくつかは適当であろうけれども、それと同数あるいはそれ以上が(社会一般からみて)適当ではないだろうし、あるいはリハビリテーション・プログラムのゴールに対してあってはならないものでさえあるだろう。このような行動は強力な環境的コントロールの下にあるのであって、この点の認識をもたずにリハビリテーション・プログラムを作成することによって、リハビリテーション・カウンセラーはクライエントの時間ともども彼の時間を空費してゆくだろう。                      

 行動というものは多分、学校ではそのケンカのうまさが級友によって高く評価されているけれども、その他の強化因子はほとんどもっていない非行生徒のように、逸脱した行動を強化する環境によって維持されているものである。カウンセラーが、級友のもたらす強力な強化因子と対抗できる偶発的な環境状況の準備に成功しなければ、その非行生徒はリハビリテーションからも脱落してしまうだろう。重度障害者の場合には、多分新しくまた異なった経験を得ることが限られてきたので、彼の行動に影響を与える強化因子は非常に数少ないのかも知れない。このようなケースの場合には、金銭とか賞賛の言葉といった、ほかの人にはときに有効な動機もほとんど効果を及ぼさないだろうし、「動機づけ不足」として除外されてしまうだろう。

 おそらくある行動は、かっちりとした強化スケジュールに立って行われており、強化がそれほどしばしば行われない状況では、より好ましい別のパターンを、人は決して学習しないものである。例えば、かんしゃくもちのような高度の情緒的行動は、その人が嫌悪を感ずる状況からその人を引きはなすことによって効果がはっきりする。その結果、新しい状況ではかんしゃくを爆発させないですむようになる。

 リハビリテーション・カウンセラーが情緒的行動の機能的価値を認識し、これを除去するための偶発的事象を再準備するのでなければ、クライエントはすぐにリハビリテーション・プログラムから脱落してしまうだろう。現在の行動を引き起こしているこれらの環境的事象を見きわめることに失敗し、理想的な環境的条件の下で何が獲得されるかを測定することにも失敗したカウンセラーは、多くの欠陥を伴う過程をそのまま持続させてしまうばかりでなく、適切なリハビリテーション・サービスを受けることからクライエントを遠ざけてしまうだろう。

 このことによって、我々は第3の考察を行わなければならない。行動変容理論というものが、しばしば直観的には簡単なもののようにみえるので、利用する人はしばしば、結果として起こる事象とそれに影響される行動との間に存在する重大な関係に何の配慮もせずに、技術のみに傾注してしまうことになる。強化因子は人間の行動に及ぼす影響によってのみ確定されるのであって、その仮定された価値によってではないのである。例えば、BrowningとStoverは、望ましい行動に対しての社会的承認が、期待したことと正に正反対の効果をもっていることを発見した。彼らは、一般的には処罰と思われる結果(鋭い「だめ」とか「やめなさい」)によって維持される行動並びに通常強化すると思われる結果(「大変良い」とか「それは正しい」)によって抑制される行動とを説明するのに<裏返しの反対>(reversed polarity)という術語を使用した。

 多くのリハビリテーション・カウンセラーは、Meyersonらによって解明された仮説をおそらく受け入れるである。つまり<行動>(Behavior)は<環境>(Environment)と<人間>(Person)との相互作用の<関数>(Function)である、B=F(P,E)。

 この三つの語(F,PとE)が重要であるが、リハビリテーション関係職員の間には、P以外の二者を見逃しながらという語にのみ傾注する傾向が続いている。例えば、Ryanは、1964年に職業リハビリテーション・サービスを受けられなかったすべてのクライエントのうち約40%の者が、動機づけの欠如という理由で除外されていたと報告した。彼は、このような理由づけをすることは、人間のニードや特性が、状況の変化とは無関係に常に一定の反応を示すものだという静的な見方にしたがっていると信じた。欠陥というものが人間の内部に存在しているのだと受けとめられている。結論をこのように下すことは、おそらくカウンセラーの多い担当ケース数を順次減らしてゆく以外の何ものももたらさない。カウンセラー自身は、その強化因子(例えば、金銭・承認・業績)がなくなるならば、その業務を行わないだろう。がなお、クライエントの行動が彼自身の行動を律する原理とは全く異なった原理によってコントロールされているかのように振る舞っている。

 カウンセラーは、そのクライエントのリハビリテーション過程へのかかわりを評価する際、人間は働くことに感謝し、喜び、同調すべきなのだときめつけるのではなく、常に一つの基本的な質問を心に留めておかなければならない―リハビリテーション過程から彼は何を避けているのか?このようにみてくると、うまくゆかなかったとしたら、その理由はクライエントに動機づけをし、強化させる事象の確認と準備をなしえなかったカウンセラーの無能力以外の何ものでもないことになる。しかし、環境のなかの強化因子と人間が行う特別な反応との間に存在する関係を操作することによって、カウンセラーはそのクライエントがリハビリテーション過程に参加しうる可能性を増大させてゆくことができるのである。

 職業リハビリテーションのクライエントの行動的観察

 一般的にいえば、リハビリテーション・カウンセラーは、次の大別して2種類のクライエントを対象とする。実質的な就労経験を得る前に既に障害をもっている人、並びに最近受けた障害のために現職に復帰できない人である。

 前者のようなクライエントは、我々多数にはなじみの深い強化因子の多くにしばしば無関係である。新しい状況で経験を積むことにはもともと限界があるので、なじめない環境の下に置かれるとついてゆけない。他人から劣っているとみられたり、拒絶されたり、普通の教育経験や社会的接触や励みとなる人間的友情を与えられなかった人は、だれでも傷つきやすいという点は、はっきり認識されるべきである。更にまた、その限界のために、多くの不適当な行動がむしろ周囲の人から大目にみられることがあったり、十分な仕事ぶりではないのに承認や賞賛が行われてしまうことは異例ではない。

 このようにして、彼は個人的、社会的、教育的、職業的等といった分野で、障害を理由として何もしないか、何かをして失敗したとしても障害を弁解の理由としたりすることになる。このようにみると、障害は武器又は障壁として働く、と同時に強化因子は、依存したり参加しなかったり、更には持続性の乏しいだけの行動に対して作用することになる。

 かつては環境との相互作用をうまく処理してきたところの最近障害者となった人あるいは重症になった人は、偶発的事象の作用する新しい場に気づく。例えば、彼は多くの注意と同情を受ける人となるだろうが、それは彼の不幸・苦痛・怒りを示す行動に対してだけである。だから、彼の行動範囲は、その自主的自発的な行動が消去してしまうか、罰せられてしまうか、更には受身の依存的なパターンが促進される程度にまで、変化させられるであろう。このように変化した効果によって、行動結果は全く異なったものとなり、堕落ともいえる始末になってしまうかも知れない。クライエントは、障害に基づく限界のために、かつての効果的なレベルでは仕事ができなくなるだろうし、表面的には単純な問題でさえも処理できなくなるだろう。家庭や職場や地域社会における彼の役割は縮小してゆくだろうし、拡大してゆくことはリハビリテーション・カウンセラーの援助なしには達成できない課題となるだろう。

 治療上の環境

 クライエントとカウンセラーとの最初の接触をはじめ、それに続くすべての活動は、しばしば職業リハビリテーション事務所内で行われる。その人の関連する行動が現に起こっている本来の環境とはおそらく異なっているので、これは人工的な環境といえる。更に、クライエントとカウンセラーとの相互作用が主として言語的に行われるので、プログラムの計画と作成は、しばしば会話内容に基づいて行われる。本論文でとられている論拠によれば、人間の話すことは実際に行っていることと関連するかも知れないし、しないかも知れないということである。

 こう疑うのは次の事実によっている。つまり、クライエントは多くの積極的な発言を求められ、それらがしばしば「後の積極的な態度」を示すものとして受けとられるけれども、言葉で表現した意図を、彼はかならずしもはっきりとした行動に反映しないからである。このことはまた、実験室的ななかでやりますといったクライエントの会話に基づく評価データ結果は、十分注意して受けとめなければならないことも意味する。

 人間の言葉の上だけの行動で観察された変化が、毎日の人間相互間の交流にかなり影響を与えるという証拠はほとんどない。カウンセラーは多忙だから、家庭や学校や職場等本来の環境のなかでクライエントに面接することはなかなか難しいだろう。だから現在では、カウンセラーはその事務所内という場が治療上の環境となるのかどうかに関心をもつべきである。リハビリテーション局そのものの物理的環境が、身体的及び社会的リハビリテーションにとってプラスともマイナスともなりうるのである。

 クライエントが、はじめてリハビリテーション事務所に足を入れたとき何を見るだろうか。だれが彼にあいさつし、どんな会話が通常行われるのか。その内容が「事務所の連中は相変わらずおれを下積みの仕事につこうとする者と思っているのだ」と受けとられやすいものでないかどうか。彼が持たなければならないとしたら、職業リハビリテーションの内容等が示されている参考図書類が、手の届くところに置いてあるか。いろいろな職業に関する情報が提供されているか。どんなタイプの印象をカウンセラーは与えようとするか。クライエントがカウンセラーの部屋に入ったとき何が行われるか。クライエントはカウンセラーに対してどこに座るのか。カウンセラーの机上はきれいかだらしないか。

 これらは、場が積極的か消極的かそのどちらでもないかを判断する際、慎重に考慮されなければならぬ設問のほんの少しの例である。リハビリテーション・カウンセラーは、環境の本質とそれがクライエントに及ぼす効果を配慮すべきであるし、クライエントのために現在よりも更に一般的で親しみやすい効果的な場を設定すべきである。

 環境のプログラミング

 最初の面接の際、カウンセラーは、評価の情報が何故必要であるか、どのような種類の情報が必要とされるか、どのようにして得られるか、確認するにはどのくらいかかるか、どのように活用されるかについて、明確に説明すべきである。その説明を終え、クライエントのいかなる質問にも答えた後に、カウンセラーは彼にリハビリテーション過程や必要とされる資格要件や利用しうるサービスがのべられている参考図書類を提示しつつ、話し合いを十分行うべきである。

 カウンセラーの責任というものは、単に話すことだけで終わるものではない。参考図書類を与え、それによって適当な結果を伴う行動を起こしてゆくことを求めるような方法により、クライエントの教育的環境のプログラムを立てることをはじめるべきである。

 Michaelは、リハビリテーション過程に参加させ、更には完全に消化させることによって、その望ましい徴候が生じうるような方向で、環境は準備されなければならないと主張し続けている。参考図書類の適切な選択、提供や要求される行動の明確化や偶発的事象の説明をとおして、カウンセラーはクライエントの「リハビリテーション・レパートリー」の最初の段階がはじまる可能性を最大限にするのである。

 リハビリテーション・プログラミングを通じてはもちろん、このときでもカウンセラーが有効と悟るアプローチは、偶発的事象を選定するということとして知られている。これは、関係当事者のそれぞれに対して、期待される行動を明らかにするための戦略である。このことは、望ましい行動がはっきりと確定され、これらの行動に必要な強化条件が、カウンセラーとクライエント(のみならず配偶者や両親、兄弟姉妹、友人、雇用主等の環境上重要な因子となっている人たち)との間の相互の合意の上に成り立っていることを意味している。コピーは一部クライエントに渡され、他のコピーがリハビリテーション・ケースファイルに綴じられて、クライエントやカウンセラーが自由に見られるようにされる。

 このような合意は個別化の手段であり、それはまた公約でもある。文書として、最初の合意のなかでだれが何を言っていたかを確認するために、何回も持ち出されるようになるだろう。

 このような方法によって、クライエントは何が彼から期待されあるいはされていないかを知ることになる。更に、恣意的に課せられるある種の動機づけテストにしたがって、彼自身で変化してゆくことは期待されないだろう。

 リハビリテーションの全過程をとおして、さきにのべた選定は、クライエントの進歩に応じ何回も修正されなければならないだろう。しかしながら、はっきりと規定された観察可能な行動に焦点を絞りつつ、行動上の変化が起こり得るようになるまで、カウンセラーとクライエントとの間のコミュニケーションはひんぱんに行われる。更に加えて、期待される行動が起こった場合にのみ強化因子が導入されるので、不断のフィードバックが自動的にシステムに組み込まれている。

 評価データの目的

 現行の多くの評価法は、リハビリテーション過程にほとんど有効ではないために、実際には限られた価値しかもっていない。このことは、カウンセラーの限界、社会資源機関の貧弱、あるいは両者の組み合わせによるのであろう。例えば、カウンセラーはシェルタード・ワークショップにおける職能評価をうのみにして正当と認めるだろう。「このクライエントの作業可能性を評価してほしい」といった依頼からは、有効な情報はさし得られないのである。Bijouによれば、そのような評価の結果は、クライエントを分類する場合だけに役立つようなものであることが多い。社会資源機関の職員は、カウンセラーの決定行為に最も有効なデータのタイプを知らないかも知れないので、何を評価すべきかを判断する責任まで与えて依頼するようなことがあってはならない。理論的又は概念的なシステムや仮説や用語や推察といった面で、リハビリテーション・カウンセラーと社会資源機関との間にゆきちがいがしばしばみられるので、両者間のコミュニケーションは、効果的なリハビリテーション計画作成の上で好ましいものでは決してないだろう。

 いかなる評価法といえども、その基本的な目的は、クライエントにとって最も有益な決定を行うに際して有効な情報を提供することにあるので、伝統的な診断的な方法が、特にそれがリハビリテーションの課題に関係のない情報をもたらすようなものならば、尊重されないことももっともなことである。診断的な方法というものは、リハビリテーション過程の特殊な面の促進にヒントや示唆や指標となるデータであると思われる場合にのみ、求められるべきものである。

 リハビリテーション・カウンセラーは、評価から得られたデータが彼の決定行為にプラスになるのかどうか、と同様にその情報が特に異なった方向を示唆するのかどうか、といった点を考慮しなければならない。この二重の必要をみたす理想的な診断的テストは、特定の環境の場で人は何ができるかについて情報提供するものであるだろう。

 このような評価を求める場合とは、個々の場面でクライエントが現にどんな行動を行っているかとか、どんな環境的事象に最も良く反応するかとか、個別化された処遇プログラムが終わった段階でどんな行動が期待されるべきかとかを決定する場合であろう。これらの質問に対する回答は、カウンセラーがコントロールできない仮定の不明確な指標についてでなく、観察しうる行動に焦点を絞ってゆくだろう。

 観察しうる行動に焦点を絞れば、処遇の戦略が開始された後、変化が起こっているかどうかを判断することが容易となる。クライエントが進歩しているかどうかの評価はすべて、あまりにしばしば処遇にたずさわる機関の主観的な判断に任され、またそのことに関する意見は行動の因果関係(しかも彼らはこれを変化しえないものと感じている)についてのそれら機関の仮説に基づく期待の低さと不断のフラストレーションによって、一方に偏しているかも知れない。

 このようにして、重要な変化が起こっているかも知れない場合でさえ、彼らは気づかないまま見逃し、強化もしないだろう。行動は強化されなければ持続されないものであり、クライエントの行動についての組織的客観的な評価が行われるようになるまで、リハビリテーション・カウンセラーは、初期評価からプログラムの全過程を通じて、きまりきったものの見方にしばられながら、さもなくば成功したかも知れぬクライエントを必要もなく除外し続けるであろう。

 職業リハビリテーション・カウンセラーの役割

 診断的データの使用法を変えることは、カウンセラーの役割も変化させることになる。伝統的な職業リハビリテーションのモデルからみれば、カウンセラーのイメージは「感情の熟考者(reflector)、あるいは社会資源の開拓者、あるいは習慣の転換者、自己概念や価値の矯正者、あるいは抑圧の解放者」である。本論文でとられている見解によれば、カウンセラーの役割は行動のマネージャーのそれで、その機能はクライエントの環境の組織的整備・再整備によって行動の望ましい変化をもたらすことであるということになる。

 以下本論文においても、<カウンセラー>という語と<マネージャー>という語が相互に置換可能に使われることになろう。このことは、行動主義カウンセリングというものが、行動変容技法を面と向かっての関係のなかで応用するというもの以上であるという考えをすすめるために、意図的になされている。カウンセラーとクライエントとの間のコントロールされた組織的な言語使用の相互作用は、行動主義カウンセリングの一つの面ではあるだろうけれども、カウンセリング関係の脈絡のなかで思慮深い話し合いが非常に有意義かつ満足すべきものになりえたとしても、それらは通例、人間の特定の行動上の問題解決にはほとんど影響を及ぼさないということを認識すべきである。行動主義カウンセリングは、職業的に望ましい行動が出現する可能性を最大化する環境を整備するに要するあらゆる要素を織り込んだものである。

 観察されうる行動というものは、正確に確定され客観的に測定されうるものであり、システムにおける最も重要な変数であるばかりでなく、行動主義カウンセリングの際立った特色ともなっている。不適応行動のかくされた原因を探究することはさして重要ではない。なぜなら、既にのべたように、多くの行動は学習されたのであり、だからそれはそのパターンに関連する全く何千というそれまでの学習経験の集積であると仮定されているからである。

 重要なことは、コントロールされた環境の下で行動が、ほかの人間との個々の相互作用によって変容されるだろうということである。

 行動主義アプローチの論理は、何が行動の決定因子なのかについての説明を求める。つまり、行動と環境的事象との間の機能的関係からみて、行動を起こし、方向づけ、持続させ、コントロールすることに影響を与えるものは何かについてである。

 このようなアプローチでは、問題行動並びにそれをコントロールしうると知られている要因の正確な解明によって、行動を説明しようとする。仮定の機能的関係が適切かどうかを判断するためには、継続的な評価が必要である。要因が無効であることが判明すると変更が行われ、その効果も評価される。このようにして、行動主義カウンセリングにおいては、最大の行動変容がどのようなものであるかという最終結果を得るまで、評価と処遇の戦略との間に継続的な相互作用が行われる。

 行動主義アプローチでは、カウンセラーの積極的・能動的な役割が大いに求められることが明らかにされるべきである。既にのべたように、行動のマネージャーはリハビリテーション計画の建設者である。計画が実施に移される基盤としての理論的枠組ばかりでなく、処遇上の多くの判断を説明するのも彼の責任である。このアプローチによるリハビリテーション・プログラムが成功するかどうかは、カウンセラーが望ましいまたは予想される最終ゴールと目的を明確に把握できる人であるかどうかばかりでなく、更に加えて、このゴールに必要な適当な技能または中心となる行動を解明できる人であるかどうかによるのである。

 カウンセラーは、不適当な行動を改善したり減少させたりすると同時に、リハビリテーション過程を通じての作用と一致した行動パターンで、それらを置きかえてゆくためのマネージメント技法を更に磨いてゆかなければならない。ここで彼は、次のような変数・強化因子のタイプ、強化スケジュール、不十分な行動と十分な行動とを判断する基準、処遇にたずさわる機関について考慮しなければならない。

 このシステムにおいては、変化を効果あらしめる要素は、内観の慎重な検討や歴史的データによるケース分析よりも、むしろコントロールされプログラム化された環境から(結果として)得られるのである。リハビリテーション・カウンセラーの役割は、そこで行動マネージメントにおけるスペシャリストであることを要求される。そのスペシャリストとは、明白で個別化され難解でなく、しかも非主観的な方法によって人間行動を変えうる人、そのことにより障害者の機能改善により十分に貢献しうる人のことである。

 効果的な強化因子の決定

 効果的な結果や強化因子を決定することは容易な作業ではない。なぜなら、一人のクライエントに強化しえたものが、他には逆になるかも知れないからである。更に、自らにとっての強化的事象が、そのクライエントにも同じ働きをすると仮定するカウンセラーは、クライエントが依然として「動機づけされていない」と知ったとき、伝統的なアプローチに再び戻っている自分に気づくであろう。幸運にも、利用できる可能性のある強化因子は多種多様なものがあるのである。

 例えば、金銭、カウンセラーの注意、社会的承認、休憩時間、友人との共同作業、特定の活動に使われる時間の増加、設備、支給品、特別な恩典、技能上達の徴候等々。

 現行の強化因子は行動変容にはあまり効果的ではないようである。なぜなら、偶発的ではない基盤に基づいて導入されているからである。

 例えば、リハビリテーション計画の多くは、クライエントが訓練を受けている間、毎月そのために必要な費用を支給するといった方法で作成されている。多くの計画が時間的単位、例えば、学期、年度、訓練終了時点といった単位で作成されているので、クライエントが訓練中多くの不適当な行動を起こしていて、しかも月々の必要な費用を受給するということが全く可能なのである。金銭が偶発的ではない基盤によって提供され、あるいは他の方法に用いられているので、クライエントはその不適当な行動に強化されて、それが今後も起こり続ける可能性を増大させるのみということになっている。

 行動中心主義のリハビリテーション・カウンセラーにとって最も困難な問題は、一般的に自由で偶発的ではない環境が続いている過程から、すべての強化因子がリハビリテーションの努力に偶発的になっている過程への移行の問題であろう。しかしながら、ひとたび「動機づけされたクライエントに対してリハビリテーション関係職員が責任をとるならば、過去の行動はクライエントの将来の行動にさほど厳密な影響を及ぼすことはないだろう。」

 行動主義アプローチは、その結果に関連しての正確な行動の分析を意味する。もしも行動が支持していた強化因子がなくなった後でさえもしばしば起こり続けたり、「強化」された後でさえも規則的に起こることがなかったりしたら、そのときは機能的な関係があると考えてはならない。リハビリテーション過程を通じてカウンセラーは、適応行動を促進するために、偶発的事象が変えられるかも知れぬ方法ばかりでなく、不適応行動を続けさせている強化的偶発的事象も、常に確認しようと努めなければならない。新しい行動を促進させる方法を同時に探求せずに、過度の行動パターンを消去または減少させることにのみ集中する行動変容プログラムは、失敗するかあるいはせいぜい部分的に成功するだけだろう。行動主義カウンセラーは、効果的なプログラムに対するこの二重の責任を常に認識していなければならないのである。

 強化因子として役立つ事象を決定するのに用いられる一般的な戦略は、興味階層表に配列できるように、まずクライエントの活動のすべてを調査することである。ときには、クライエントに何をするのが好きかときくことだけで、カウンセラーはいくつかの潜在的な強い強化因子を知るであろう。もちろん、一つの事象が本当に強化に有効であるかどうかを決定する唯一の方法は、特定の行動がそれに伴うかどうか試してみることである。出現回数が増加したら、機能的関係の存在は証明される。一般的には、強化因子はクライエントが価値づけている何か、それを得るために働くであろう何かであるにちがいない。しかし、クライエントに価値づけられているとされていない事象であっても、影響を与えるという事実を見逃してはならない。

 例えば、一つの事象が強化因子として作用する以前に、個人がその強化的性質に既になじんでいるにちがいないということを知るのは異例ではない。ほかの場合には、クライエントが間違った理由であったとしても、ある事象が強化をしてゆくと信ずるかも知れない。例えば、職業界における経験が非常に少ないクライエントは、職業というものを、求められる特別な技能という面からでなく、むしろそのあらわす栄誉とか社会的地位という面から考えるだろう。このことは、職業興味テストというものが、非常に興味を示す分野とか特定職種についてのかかわりが乏しかったクライエントにとっては、限られた効用しかないだろうということを意味するように思える。

 この問題に対する一つの最もユニークで解決の可能性をもつ方法は、特別な模擬作業キットの発達を利用するということである。これらのキットは、多種多様な作業から抜き出した作業標本によって、実際の職場で出会うのと同じような問題を解決する機会をクライエントに与える。模擬キットの標本は、ある一つの職業が強化になりうるかどうかを約束するものではないが、しかし職務に固有な強化因子的特性のいずれかがクライエントに明らかにされるということにはなる。

 彼がキットをやり終えて、その職業についてそれ以上何も調べたいと思わないならば、職務の重要な要素のいくつかになじめないという理由で、それは少なくとも彼にむかないだろう。結果のわかる積極的な経験としてキットの利用をプログラム化することによって、新しい興味を引き出したりまたは浅い興味を深めることができるのだということが、もちろん認識されるべきである。

 職業選択に自信がもてないクライエントは、多種多様なキットを試行して後に、カウンセラーとどの経験が強く印象に残ったかを話し合うことができる。他方、職業選択に自信をもつクライエントは、関連のキットを試行して、その自信を確実にしたり、または挑戦してみたりすることができる。現在利用しうるキットは、自身で操作が可能であり、いちいちカウンセラーの手をわずらわさないですむ。キットはまだ若干実験段階にあり、すべてのクライエントと多くの職種に完全に適用することはできないけれども、正しい方向に向かって着実な一段階であり、実際のリハビリテーション計画を決定する際の非常に有用な道具にまもなくなるだろう。

 実行への勧告

 伝統的な職業リハビリテーション・カウンセリングのアプローチを、はじめから身につけたカウンセラーは、行動主義アプローチに必要な訓練を受けるのが苦手と思うかも知れない。彼ら自身が測定して問題を明らかにしたり、効果的な強化因子を決定したりする必要性があるからである。行動変容と行動目標の計画立案についての原理原則並びに概念についての現任訓練プログラムによって、この問題の多くは解決されるであろう。行動マネージメントの戦略と兵法についてのセミナー及び実演教育を行うコンサルタントがこのことに有益であろうし、またその方が望ましい。セミナーは、その機関が最も関心を示す行動やクライエントケースや行動変容に最も効果的と思われる強化因子のタイプに、論議を集中しうるのである。

 カウンセラーは、ひとたびこれらの技法を効果的に活用するための臨床的眼識と経験を身につければ、公立私立をとわずおよそリハビリテーション・クライエントにサービスする各種社会資源機関に対して、コンサルタントとなりうるのである。このことによって両者のコミュニケーションは改善されて非常に豊かになり、更には各種のスタッフが現在のようにときどきカウンセラーの補助をするというだけでなく、十分活躍してカウンセラーの役割をより完全に増強させるようになってゆくだろう。

 リハビリテーション・サービスのニードに対して、これらの必要性が大きくなりつつあるのにつれて、行動変容の有用性と効果の必要もまた増加してゆくにちがいない。さいわいにも、これらの必要をみたす技法と理論は現在利用可能であり、リハビリテーション・カウンセラーによって活用されるのを待っているのである。

(Rehabilitation Literature,October 1973 から) 

参考文献 略

神奈川県総合リハビリテーションセンター職業前指導科長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1974年7月(第14号)6頁~17頁

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