James A.Walker*
中西正司**訳
われわれは米国のリハビリテーション事業に力をつくしてきたのだが、もし違った手段を講じれば救うことのできた重要な一グループを長い間無視してきた。
それは在宅の障害者である。それはどんな人たちなのか。なぜ彼らは家にとじ込められているのか。技術的な側面からいうと在宅の障害者とは身体的、知的または情緒的に障害の程度が重いために、通常の交通手段を使っては定期的にリハビリテーションを受けたり、職業につくことができない人のことをいう。
カリフォルニア州2,000万の人口中20万人の在宅障害者がいると推定され、毎年およそ2,500人がこのリストに追加されている。
数年前HEW(米国保健教育福祉省)のHELPキャンペーン広報室から送られてきた文書をみると、この人たちのことがもっとよくわかる。そのなかには地域社会における建築上の障害によって家にとじ込められている身体障害者、心臓疾患者、精神薄弱者、動きのとれない盲人、老齢者、情緒障害者、不安感と身体的条件からとじこもっているアルコール中毒患者などがいる。それに、その他種々の原因から自らを在宅の障害者と思い込んでいる人びともいる。
全国的に行われた調査によると、ほとんどの在宅者はリハビリテート可能であり、職業リハビリテーション・プログラムを受けるにたる能力を持っている。
ところがカリフォルニア州での最近の調査では、リハビリテーションのケース中1パーセント弱が在宅者であり、国の調査によると在宅者のうちリハビリテーション・サービスを受けているのは5パーセント弱にしかすぎない。
ほとんどの在宅者は国中のどのほかのグループよりも不利な立場にあり、貧困状態に置かれている。在宅者を主にあつかっているカリフォルニア州のカウンセラーたちによると、現在クライエントのほとんどは社会保障給付、AIDなどのような、なんらかの形の扶助を受けている。適切なリハビリテーション・サービスが受けられれば、これらの人びとは、この種の長期にわたる高価な扶助を必要とはしないであろう。
行動上の障害が障害者のリハビリテーションにおける最大の問題の一つであり、それが家にとじこもる主要因となっている。障害物の中には階段、狭いドア、壮健でなく動きのにぶい人たちにも敬遠される回転ドアがあり、高い縁石、狭苦しい便所、口がとどかない水飲み場、手のとどかない公衆電話、エレベーターのボタンや電気のスイッチがある。なぜ在宅者が単なる不安感から家にとじこもっているかはわかりやすいことで、見知らぬ地域社会に飛び出していくには非常に現実的な不安が伴うのである。
この人たちを家から引き出そうと頭を悩ますよりは、この問題の解決に力を傾けるべきである。
いくつかの州ではこの方向にそって法制的に大きく歩を進めている。しかし法律の問題点は、関係者であるわれわれでさえ、その法律が強制力をもっているということに留意しないことである。われわれは州法と自分の地域社会の建築物をチェックしてみるべきである。それもしばしば影響力のある人々の関心をそむかせることにしかならぬのではあるが。
山脈、天候、距離などを含む地理的問題は一体となって隔離の原因をつくりだす。農村地帯は広大であり、都市地域においてさえも、われわれは問題をかかえている。何年にもわたってゲットーは残されている。多くの地域では公共交通機関がまだ問題とはなっていない。交通機関が全然ないことも、その他の原因と相まって障害者は家にとじ込められてしまう。
各地域社会で外出できる在宅者の動きを確保するため、われわれができるかぎりのことをしたあとでも、ある人たちは地理的やその他の理由から根本的に孤立したままで残されることは確かである。
在宅者のリハビリテーションに従事している者についての一つの問題点は、カウンセラーが机に座ったままでカウンセルするよう大学で教育されているように思われることである。この問題に関してわれわれができることといえば、カウンセラーが机を離れて仕事ができるようにさせることである。われわれは仕事に十分成果をあげられるスタッフを育てなければならない。
今ここに意欲をもった家庭訪問担当員がいたとして、カリフォルニア州の在宅者の10パーセントにあたる2万人に奉仕をするとすれば、現行のプログラムの実例からみると800人のカウンセラーが必要となる。
カリフォルニア州のほとんどの職業リハビリテーション機関では、一人のリハビリテーション職員が通常100ケースを受け持っている。在宅者を対象に仕事をするカウンセラーは、クライエントの家庭に通って個別的なサービスを行わなければならないので、カウンセラー一人にクライエント25人から50人が現実的な数だとわれわれは考えている。
人員の点だけでも大問題だが、それに加えて問題なのは、在宅者のカウンセラーとして要求される専門能力は超人的な資質である、ということである。現状では在宅者のカウンセラーは、会計、販売技術、建築、室内装飾、機械・電気の技術、ビジネス・アドミニストレーションなどの知識を時を選ばず要求されかねない。
明らかにわれわれは、2万人のクライエントをカウンセルする全能のカウンセラー部隊を持てるようには、まずならないだろう。
そこで恐らく、われわれはこの問題に対し新たな方向からとり組むべきで、それにはこれら各分野の専門家の複合体を求めるべきなのだろう。こうすれば、カウンセラーはこれまで訓練を受けてやらされていた各種の作業から解放されるだろう。
テクノロジーが進歩し、産業が拡大するにつれて、在宅者のする部品修理のような古めかしい作業は無用のものとなってしまう。われわれは彼らが時代遅れにならないような方策をくふうしてやらなくてはならない。もしテクノロジーが人間の肉体的、精神的能力を伸ばせるなら、テクノロジーは障害者たちへの鍵を握るはずである。そのとき、われわれには手を貸してくれる近代テクノロジーの専門家と技術が必要になるだろう。
“Future Shock”という本には、各家庭にある小型コンピューターの話が出てくる。これは時期尚早としても閉鎖回路テレビは利用可能となるだろう。家庭にいながら指示する商取引、家から指令する工業作業はこの方法で開発できる。こうすれば何千という人を使う巨大な工場やプラントは必ずしも必要ではなくなる。
未来を真に受け入れる気持ちを持つならば、閉鎖回路テレビを中央コンピューターと連係させた適切な設備を各家庭に設置し、同種の作業をさせることにより、何千という人を雇用することができる。
われわれの考え方や現在のアプローチは時代遅れで古くさいかもしれない。しかしわれわれは創造的な人間であり目覚めるだけの能力は失っている。
在宅の障害者事業に技術知識と設備をもっと導入するアイディアは、経済的見地からわれわれには無理である。だれでもが閉鎖回路テレビやコンピューターを買えるだけの金を持っているわけではない。しかしもし、今失業中の宇宙工学者の創造的な想像力とエネルギーを、テクノロジーを使って在宅者の制約を克服するという課題に取り組ませるならどういうことになるか考えてみよ。緊急雇用促進法やみなが公衆雇用プログラムと呼んでいるもので障害者が職を得られるようにし、それに宇宙工学者を活用させればどうなるか。そしてもし民間企業の最新の装置と資材へ積極的な資金投入をし、在宅者の就職場所を増やすならどういうことになるか。われわれはこれまで民間企業に対して、このような努力を本当に集中的にしたことがあったろうか。
障害者としての彼らにわれわれ専従員はどんな寄与ができるか。民間企業がこの事業になんの役割も果たしていないことに気づいていながら、なぜわれわれは遠慮などしているのか。今やパートナーシップを求めるべき時である。障害者は、在宅者か否かを問わず、売りものになる作業能力を持ち、雇用者にとって価値のあることに、われわれは自信をもつべきである。製造技術の進歩によりこれからは何千人という被雇用者を持つ大工場だけが仕事のとれる唯一の道ではない、という時点にまで達している。
しかしわれわれは民間企業、リハビリテーション職員の技術の粋、在宅者の潜在能力以上の何かを必要としている。それは組織である。われわれにはプランを立てたり、材料や製品を被雇用者と雇用者の間で受け渡しする媒介者として働く組織が必要である。必要とする組織は、在宅者に手をさし伸べ、クライエントの持つ能力と限界を評価する能力を持つべきだろう。
この組織には、在宅者の粘り強い持続的な努力をかきたて、動機づける方法を見い出せるリハビリテーション職員が必要になろう。われわれが議論しているこの種のサービスは、プログラムが立てられた時点で停止されるべきではない。ケースを投げ出すことはできない。在宅者と地域社会に散在する仕事仲間の間には、持続的な関係が保たれなければならない。規則的な労働への意欲を持続させるのは、この種のコンタクトである。われわれが必要とする組織は在宅の障害者がいる所ならどこへでも手をさし伸べ、農村や都市の地域社会で彼らを隔離している障害を克服させる能力を持つべきだろう。
私が考えている組織には単なるリハビリテーションの専門家以外の人物が必要で、需要予測、テクノロジー、流通システムや、生産性をあげるに必要なあらゆる種類の総合的な知能を持った人たちが雇われることになろう。
われわれは、これまでほとんどのリハビリテーション職員が持ったことのない膨大な専門知識を必要としている。この新しい組織は媒介者であるべきで、民間企業がそれ自身では経済的にみて用意しそうもないサービスを供給しなければならない。
媒介者の組織がするサービスのあるものには、公共資金の補助がどうしても必要になろう。全計画中でも最も費用のかさむと思われる設備の主要部分、工業技術、販売技術は民間企業に頼ることになろう。
在宅者の助けになるもう一つのアイデアは“在宅者ホットライン”(Homebound Hot Line)をつくることである。このホットラインの運営には重度障害者があたり、地域社会で利用可能なサービスに関する知恵袋となり、創造的な聴取ができるようにすべきである。もしこのホットラインが広く大衆に利用可能になれば、恐らくは最近のHELPキャンペーンよりはずっと効果のあるものになり、ひいてはリハビリテーション・サービスから利益が得られる在宅者を明確化することへまでいたるであろう。
この計画の中のあるものは、絵に描いた餅に見えるかも知れない。しかし各人がその地域社会に強い関心を持ち、それを在宅者にとってもっと住みよいところにするための方法と手段を決めることは、絵に描いた餅ではない。その技術が極端に複雑なこの問題に役立つなら、商・工業界に協力を求めることから始めることは絵に描いた餅ではない。
在宅者には、あらゆるタイプのリハビリテーション・サービスの実質的な増加が不可欠であるという事実を認め、この事業を前進させるため十分なスタッフを養成し、資金を生み出すため欠かせない教育的、政治的な圧力をかけることは決して絵に描いた餅ではないのだ。
(Journal of Rehabilitation,March-April 1973 から)
注:日本においては、この「在宅者」ということばには、「施設に入れないで家庭にとり残されている不幸な立場に置かれている障害児・者」というイメージがあるようである。これは、障害児・者は施設に収容されることが最大の幸福であり、家庭に取り残されることが最大の不幸である、というような考え方が従来なされてきたからである。しかし欧米における「在宅者(the homebound)」という概念は決して、施設入所児・者に対応したものではなく、本稿を読まれてもおわかりの通り、在宅者とは、障害が重度のために、家庭を出て社会活動に参加することが困難か、不可能で、家にとじこもりがちな障害児・者というほどの意味である。施設入所を拒否された、などということとは無関係の概念であることを、ここに申し添えたい。(「リハビリテーション研究」編集係) |
*カリフォルニア州保健省保健管理システム責任者
**日本障害者リハビリテーション協会研究会会員
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1974年7月(第14号)25頁~28頁