学習障害児の指導計画―Grace Fernald

学習障害児の指導計画―Grace Fernald

武田 洋*

 これまで、本誌上で、いろいろな代表的学習障害児の指導法の提案者を紹介してきたが、今回は読みの治療あるいは指導で原典ともいえるGrace Fernaldの指導計画を紹介することとした。これをもって学習障害の紹介はいったんうちきりたい。

 

 Fernaldの事例研究では、学習問題をもつ大部分の子どもが、入学前は情緒的な問題を有していないことを示している。学校は常に子どもにとって第一の集団生活の経験の場であり、くり返し失敗するかもしれない場、読みや書写が恐怖や激怒の爆発に導くかもしれない場、あるいは不きげんな拒否的反応をひき起こすかもしれない場である。そういう場における子どもは、集団への恐怖に満ちた、敵対的態度をよそおうか、おどしたりみせびらかしたりして恐怖を補償したりして集団に直面することを避けるであろう。Fernaldの事例研究は「孤独な子ども」と「大言壮語的な子ども」を多く説明している。

 情緒的な不適応の事例の処置に一般的な方法としてFernaldが考えているものに、分析法(Analytic Method)と再条件づけ法(Reconditioning Method)という2つの方法がある。分析法とは個人の情緒的問題の改善に役立つすべての要因を求め、次の患者の特定の考えに含まれている要因にその注意を向けさせる。その考えを表現させることが防害をとり除くと想像され、その人にフラストレーションを減少させる積極的で自発的な行動を開始する機会を与える。

 再条件づけ法とは分析法の反対である。それは情緒面に問題をひき起こすような、修正されるべき刺激が避けられる環境を用意することを第一とする。次に肯定的な情緒に関連する代わりの刺激が与えられる。この方式が確立したら再条件づけを必要とする出来事が導入される。それが成功すれば完全となる。再条件づけは望ましくない情緒的反応に子どもの注意を向けないようにする。事例研究から得られた情報が、望ましくない反応を起こすのを避けるために利用される。

 治療学校の方法は、子どもが満足な学習に導かれるような学習活動を最初にとり扱う。子どもの知らないことに注意を向けたりしない。そういうことから、子どもは学習したいと思うことは複雑さに関係なく学習できることがわかる。学習過程がひとたび確立すると、情緒的変化が起こる。子どもの表情、態度、行動が治療過程の進行につれて改善される。

 子どもたちは情緒的に負荷状態におかれているので、それをとり除くために次のことについて配慮される。

1.家族を喜ばせるために子どもが学習するようにおしつけられること。

2.子どもを学級に戻すのが早すぎて、否定的な情緒障害を再発させるような機制が起こること。

3.子どもを学級に戻し、学習手続きが他の子どもと異なるため困らせたり、目立たせたりすることが考えられること。

 学習の初期の段階で、子どもを否定的な情緒的反応を起こさせるような場にさらすことは、前よりもっとひどい情緒的な問題をひき起こしてしまうと思われる。そういう場にさらすことは、新しい技術によって上塗りされたこととなり、回復がより一層むずかしくなる。子どもの自己防衛ということも考えれば、自分と同年齢同知能の子どもと競争することができるぐらいに学習能力が高まるまで、もとの学級へ戻すことはできない。

 Fernaldは、極端な読みの困難を有する者を指導するために立案された、筋肉運動的な治療読みの方法を発達させた。ふつう又はそれ以上の知能をもつ者でも、この計画に受け入れることは可能で、たいてい2か月から2年間読みの学習を行った。この方法は批判や懐疑もひき起こしたが、Fernaldは仕事を継続し、論争を残した。彼女の経験によると、読みの障害をもつ子どもは、極端に全く読みができない者から、部分的にはできる者まで、この方法で成功できるという。読みの障害を改善するにとどまらず、つづりや作文能力まで高めることが分かったという。

 Fernaldの意見によると、読みの障害の事例は2つに分けられるという。それは、(1)部分的な障害と、(2)全体的、あるいは極端な障害である。彼女は、学校に出席していて、身体的、精神的問題を起こしたことのない者で、読みができないことについて解釈可能な極端な事例に彼女の透写法を用いてみた。後に彼女は部分的な読みの障害をもつ者もとりあげ、この透写法により指導が効果的であることを発見した。部分的障害を有する者は、その学習過程を妨げる傾向のある悪い習慣のため、極端な障害をもつ者よりも、より妨げられることが多いことが分かった。

 この治療学校での仕事により、Fernaldは、透写法が部分的な読みの障害をもつ者と全体的な者の両方に好結果をもたらすことを発見した。技術に対し、一般的な方法としては子どもの発達段階を知能テスト、学力テスト、読みの診断テストを用いて決定するということがある。

 子どもの知能の程度と期待される学力にふさわしい程度まで、読みの能力を高めるために計画された治療的とり扱いによって、追跡評価される。部分的な読みの障害の場合、3つの問題の形が発見された。それらは、

1.ふつう用いられている単語を認知することができない。

2.たどたどしい逐語読み。

3.内容を理解して読むことの失敗。

 ありふれた単語を見落としてしまうのは見知らぬ単語に注意がひきつけられ、閉じこもったりおろおろしたりする状態が起こる傾向があるからである。印刷されたページへのくり返された否定的条件づけは、否定的な情緒的反応をひき起こす。のろくたどたどしい逐語読みは、読み手にまとまりのある連続を全体としてとらえることをできなくさせ、印刷されたページの内容を理解することをむずかしくする。

 治療法は、各々の子どもにその子に最もふさわしいやり方で学ぶことを可能にする。感覚に損傷のある子どもでさえ、視覚的方法で学ぶ者と同様、治療計画の条件に受け入れられる。手―筋肉運動の治療法の段階は次のとおりである。

1.子どもの正しく書くことを学習できる方法の発見。

2.そういう書き方への動機づけ。

3.印刷物を子どもに読ませる。

4.他の文章の多読。

第一段階

 第一段階では長さによらず学びたい一つの単語を子どもに選ばせる。その単語は子どもにわかりやすく、板書の大きさで手書きか印刷されたものである。子どもは指でその語をなぞり、なぞっている語の文字を言う。その過程は子どもが語の写しを見ないで書けるようになるまでくり返される。子どもたちに必要とする時間が十分費やされる。

 単語が一片の紙に書かれると、子どもの作る物語にそれが含められる。物語がタイプされ、子どもは教師に向かってその印刷された自分の物語を読みあげる。子どもは学んだ一つまたは数個の単語を自分の単語ファイルに収める。このファイルはアルファベット順になっている。そして子どもは副産物としてアルファベットを学ぶ。この活動はアルファベット文字を学ぶのと同じく、学習の遅れている者に辞書の用い方を練習させるすぐれたやり方である。極端な読みの障害のある者の場合、最初の作文に用いられる各々の語がなぞり書きで学んでいなければならない。たいてい子どもは、まもなく十分な技能を習得し第二段階に進む。

 第一の段階に関して言える評価できる点は、

1.なぞり書きで直接指でさわること。Fernaldは子どもがなぞるとき1本か2本の指を用いるようにと記している。彼女は、子どもが鉛筆や鉄筆を用いるより、直接指でさわってなぞったときの方が、急速に学習が起こることを発見した。

2.記憶によってなぞり書きすること。Fernaldは、子どもが自分でなぞった語を決して模写させないよう強調している。コピーと書いている文字をふり返ったり見渡したりすることは、語を断片的で意味のないものに破壊してしまう傾向がある。模写の場合は、書いている手の流れがさえぎり、目が書かれている語の上に注がれるべきなのに前後に動いてしまうと彼女は感じている。また彼女は語を模写するという習慣は正しく書いたりつづったりすることをひどく妨げ、書かれている語の認知を妨げさえすると論じている。

3.まとまりとしての単語書き。単語は音やシラブルとしてよりも全体として学ばれ書かれなければならない。もし子どもがなぞり書きの後に単語を書くのに失敗するときは、誤った形を見ることから入ってきているのである。子どもは新たになぞり書きから開始し、次にその語を全体として書くよう試みる。単一の語、文字、シラブルを削除したり修正したりすることは許容されない。したがってFernaldはそういうやり方はその語を語の正しい形を表さない寄せ集めの無意味な方法だと強く感じている。

4.流れの中で語を用いること。文脈の中で自分の語をいつも用いることによって、子どもはそれを意味のあるグループとして経験し、単語のすべてに正確な意味を付与することに役立つ。子どもはたいてい自分に関係する事柄を表現するのに十分な量の会話の語いをもっている。ある子どもが語いが限定している場合、すでに会話で習得している語から読み書きを学ばねばならない。

第二段階

 なぞり書きは第二段階では不必要である。子どもは手書きの語を見てその語を学ぶ技能が発達させられ、見えたとおりくり返し自分で言ってみて、それから模写でなくその語を書く。子どもは自由に書き、書いたものを読むのを続ける。書くことが容易になってくると、彼の物語は長く、より意味深いものとなる。そうなると自分に興味のある課題で書くのを許される。

 第一段階と第二段階の重要なつながりは、子どもが学んでいる語を声に出して言い続けることである。各々の子どもが語の音と形の間の関係を確立すれば、視覚刺激はそのまま発声への刺激となる。単語を声に出して言うことは自然になされるべきで、文字やシラブルが大げさにゆがめられたりしてはならない。それが全体として語をとらえることをできなくするからである。個々の文字の音は分離されたり、強調されすぎたりしてはならない。importantというような長い語の場合、子どもは最初のシラブルをなぞりながらimと言い、第二シラブルでporと言い、最後をなぞりながらtantと言う。語を書くとき、各シラブルを書きながら再び発音する。このわずかな活動の後に、二つの活動、つまり書くことと話すことの両方が努力なしに同時に起こるようである。

 Fernaldは、なぞりの期間の長さの制限には断定的なことは言っていない。というのは子どもはたいてい終局的になぞりをやめて言っており、一つずつの新しい単語を学ぶのに要するなぞり書きの減少が最初に観察され、次に短いわずかの単語がなぞりなしで学ばれているのである。たまたまなぞり書きがいらなくなったという感じである。平均的ななぞり書きの期間は2~8か月である。

 教材は語いの範囲とか課題の複雑さのいずれについても、子どもの知能の段階を下まわって単純化されてはならない。Fernaldによれば、子どもは自分の知能を下まわる教材と直面するときより、自分で理解できる範囲のやや困難な教材の読み書きの方が高度に動機づけられる。長くてむずかしい語も学べることを子どもがひとたび発見すると、学習に喜びをもつ。実際、より長くむずかしい語の方が後の提示の場合は認知しやすい。なぞりが不要になるころは、教師は小さいファイル箱を大きいものにとりかえることができる。語はもうふつうの大きさの物に書かれている。

第三段階

 第三段階では子どもは直接印刷物から学習する。彼は単語を見ると、発音しないで模写もなしに書ける。この段階では本が与えられる。子どもは本を読むことが許され、知らない単語が教えられる。文章の通し読みをして、新しい単語が復習され、思い出して書く。その語が保持されているかどうか決めるのに後にチェックされる。

第四段階

 第四段階は、学習者が新しい語を知っている語との相似性から一般化したり発見したりするときに開始する。子どもの読みの興味は読みの技能の向上とともに増す。Fernaldは、子どもが正常な読みの技能を習得するまで、家庭でも学校でも決して読ませられてはならないと述べている。しかし、彼女は子どもが正常な読みの技能を身につけた後は読むことに反対しない。というのはこのときまでに子どもは独力で読むのが好きになるからである。たいてい、子どもは自分で読むのがより速く容易で、楽しくなっているのに気がつくのである。

 科学的な文章とか、難解な教材を読む場合、子どもは自分の知らない語を探して段落ごとにざっと目を通すように促される。その知らない語は読み始める前に調べさせられる。というのは段落をまとまりとして読む必要があるからである。最初に、新しい語は書きながら発音すればよりよく記憶され続けることになる、彼は語をくり返し言い、ページをくり、語をくり返し書くことになる。語が識別されるようになると、ついに子どもは語とその意味を保持する十分な技能を得たことになる。教師は後の再考察のためその新しい語を記録する。そうすれば教師は保持されている語がこの方法で学習されたものかどうか決定することができる。

 

 以上が、Fernaldの考案した部分的と全体的な読みの障害を有する者への4段階の指導法である。4段階ともに期間中子どもの学んだ語を保持しているかどうか発見するため、継続的に評価される。もし保持率が低くなれば、教師は前の段階に子どもを戻して指導する。

 年少児の場合、その子どもの原学級の読みの到達段階に達すれば、原学級に復帰する準備ができたことになる。年長児の場合には、その子どもが新しい語を認知できるようになり、適切な読みの語いを確立し、不可欠の概念的な背景を発達させるまで、治療グループに留まることになる。子ども自身が知的で速い読みに必要な読みの経験を豊富にもっていないと、多くの失敗が起こる。学習者が年齢と知能にふさわしい教材を速く読め、理解できるようになる前に十分な技能が習得されていなければならない。

 他の技能に加えて身体的な適応も必要である。それは読みの過程を特徴づける特定の協応が必要とされるからである。Fernaldは、遠視、近視、乱視、不等像視症、眼筋の不均衡、視覚の鋭敏さの欠如など、読みに影響する問題のいくつかについて論じている。彼女によれば目の協応が十分でないことは読みの学習に失敗する理由にならない。片方しか視力のない場合、眼振症の場合、脳性マヒで平衡に欠ける場合なども、幾人かは網膜に鮮明な映像が映ると仮定できれば、かなりの速さと理解力をもって読みの学習ができる。しかし、たいていよい読み手は印刷物の行を速やかに変えて読んでいく力を発達させているし、速い読み手はほとんど目を固定せず、まれに後戻りするだけである。遅い読み手は後戻りや立ちどまりが多い。

要約

 Fernaldの治療読みの方法(remedial reading method)は読みの指導、とくにアメリカにおける教科書的なものにはたいてい収録されているほど有名なものである。SmithとCarrigan(1959)によれば、その「手の筋肉運動的」技術は学習に不可欠だとされているすべての条件を備えているということである。その骨子は、子どもが物語を言うこと(動機づけと最大の意味を保証し、)教師が学習されるべき各々の語を書く。子どもはそれを指でなぞり、発音する(最大の注意を要求し、多くの感覚的入力を与える)。子どもはその語を独力で書き、正しいかどうかを確かめる。このように報酬はすぐ行われる(その子どもの期待を充足するという意味で)。

 Johnson(1963)は、Fernaldが視覚と聴覚の刺激を筋肉運動的な刺激で補い、手による作業を相対的に強調し、心理学的な強化の原理を応用していると指摘している。つまり、積極的注意、通常の連続的教材提示、強化、再指導、語が確立するまでの復習を備えている。

 Fernaldの方法はRood(1962)、Ayres(1964)によって神経生理学的概念として、引用、支持されている。Roodによれば、最少の運動によって活動する末梢神経系の刺激は脳における受感のまたは感覚刺激の様式を創り出す。こういう方法で身体像や精神的鋭敏さは自己刺激に感応することに依存している。受感の刺激は高閾(識別度が低い)か低閾(より特殊)のどちらかであるが、活動する繊維質の型に依存する。高閾の繊維質は原初的で、ミエリン的でなく、中脳の細綱形成で終止する。低閾の繊維質はミエリン的で、速く、選択的で細綱構造に副行する。したがってRoodによれば、最初に低閾の刺激径路が用いられれば、同じ径路にそってただちに後続のより速い移送のために用意されることになる。このように、語を指でなぞる行為をくり返すのは重要な通信のために精神的な協調が用意され、出入の選択的な通路を追っていくことになる。つまり、聴覚と視覚径路は子どもが指でなぞるのと同じく見たり聞いたりすることで活動するのである。

 Ayres(1964)の場合は人間内部で働く二つの皮膚系統の展開に立脚する。保護的と脊髄視床路系がより原初的で、中枢神経系をゆり動かすのに役立っているという。保護系は、ミエリン的でないもので構成され、高閾繊維質で、軽い接触や痛みで活動する。この系の上に識別や判別の系があり、いろいろな触感覚を識別している。それはミエリン的で低閾の選択的な繊維で構成されているので、圧力によって活動する。保護系の抑制は識別の系の刺激によってなされる。Ayresは触覚の識別は保護系の興奮によって起こると信じられている過活動にある程度まで中和すると示唆している。これは過活動や衝動的行動を示す子どもへのFernaldの成功とみなされよう。子どもが指で語をなぞるとき、なぞる圧力で保護系を抑えていることになる。保護系が抑制されると、周囲の触覚的影響に感覚過剰にならないので、手近な仕事に着手できる。

 Fernaldの方法は聴知覚よりも視知覚問題をもつ子どもの方に役に立つ。事実、いく人かはこの方法が、なぞったり見たりして語を言うことにより聴覚にフィードバックされる点をあげている。結論的には指でなぞる方法は多くの子どもたちに十分役立っているが、他の初歩的な類の技術以上にとくにすぐれてもいないようだ。というのは技能習得を制限する条件が学習者内にあって、方法の中にあるのではないように思われるからである。

(出典:Patricia I. Myers & Donald D. Hammil, Method for Learning Disorders, Cap. X)

参考文献 略

*秋田大学教育学部講師


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1976年1月(第20号)8頁~12頁

menu