有能な身体障害者

有能な身体障害者

The able disabled

James H. Sears*

池田 勗**

 障害者の雇用に関する大統領委員会の10周年記念の年に当たる1958年に、我々は、身体障害者はその身体的制約があるため仕事から仕事へ転換する能力に欠けるのではないかという考えに立って、身体障害を持つ社員のすべてを対象とした調査を行った。

 その調査の結果、我が社には1000人以上の障害者社員がおり、その34%は<障害者>として採用されたものであった。また、その調査結果に示された、彼らの出勤状況、職務遂行状況、安全状況は大統領委員会の25周年記念に当たる1973年に行った今回の調査結果と一致するものであった。

 15年の間隔をおいて行われたこれら二つの調査は、いずれも第一線スーパーバイザーが評定者となっているが、そのほとんどの人は入れかわっており、別な人が評定に当たったことになる。それにもかかわらず、障害者の職務遂行、出勤状況、安全状況と、彼らの損傷の重度さとは同じであり、彼らはトップ社員の中にいることが示されている。

 身体障害を持つ社員、とりわけ傷痍軍人社員は、職務遂行能力にもとづいて配置されれば、一様に大変忠実な、頼りになる、有能な労働者であると確信する。

James H. Sears

地域事業特別補佐役

 

 私がここでしたいことは、障害のある人たちの雇用問題をとりまいている神話のいくつかを取り除くこと、また、どうすれば彼らを探し出し雇用し得るかを展望することである(私は特に傷痍軍人の問題に関心を持っている)。そのために、デュポン社での数年にわたる実際の経験を図解しながら説明しようと思う。

 この調査において身体障害社員とは、平均的な障害のない労働者が行える職務を遂行するのを妨害するような条件を持った者、と定義づけている。我々の調査対象は1,452人の障害を持った社員で構成されている。その32%は「障害者」として採用されたものであった。68%は採用後に受傷し障害者となったもので、そのうち9%は仕事中に、また91%の1,000人近い人は仕事外の受傷によるものであった。

 障害者で応募してくるもののうちの多数のものは、責任遂行、主導性、適性、適切な訓練といったものをきちんと備えているようである。しかし一方、彼らは、盲人、部分的なマヒを持ったもの、腕や足を欠損したもの、あるいはその他の身体的な損傷を持った人たちである。この場合我々の前に登場する疑問は、「これらの応募者は、細心に、公正に、客観的に考慮されるだろうか」である。

1452人の障害者社員の成績評定 採用前からの障害者と採用後の障害者の対比

1452人の障害者社員の成績評定 採用前からの障害者、採用後に仕事外で受傷したもの、採用後に仕事上受傷したもの、3者の対比

1452人の障害者の出勤状況 障害の性質による

1452人の障害者社員の職務遂行 職業分類による

1452人の障害者社員の安全記録 職業分類による

1452人の障害者社員の出勤状況 職業分類による

1452人の障害者社員の職務遂行記録 障害者の性質による分類

1452人の障害者社員の安全記録 障害者の性質による分類

1452人の障害者社員の職務遂行、出勤状況、安全についての評定

神話のかずかず

 一般に雇用主は、なぜ障害者雇用を考慮しないかについて多くの理由をかかげている。しかし、これらは、保険料率が急上昇するだろう、とか、仕事場を彼らに合わせて変更しなければならないし、かなりの費用がかかるだろう、安全記録があぶなくなるだろう、あるいは、彼らに対し特典を与えるなど普通と違った扱いをしなければならないだろう、現在いる社員は彼らを受け入れないだろう、といったような神話にもとづいたものなのである。

 これらの神話をひとつずつ検討してみよう。

保険

 デュポン社では、障害者を雇用した結果補償費用が増大するということはなかった。また、障害者が時間の徒費になるようなけがをしたという経験もなかった。多数の障害者を雇用している242企業についてのConference Boardの調査でも、補償費用の増大はなかったと報告している。また米国商工会議所が行った調査でも、調査した279社の90%は保険費用に影響がなかったと報告している。であるから、この神話はきっぱりこれ限り放棄しよう。

仕事場での変更

 ほとんどの会社が仕事場の変更は最小限であったと報告している。その変更というものも、作業台の高さを下げること、特殊な机、入口の手すりを用意するといった簡単なものであった。事実、障害を持った社員のほとんどは特別な仕事場の設定は必要としていない。

安全

 デュポン社の経験は、障害者労働者は安全な労働者であることを証明している。会社の、1,400人の障害者社員の調査の結果、96%は平均あるいは平均以上の安全記録を<仕事上>も<仕事外>にも示している。そしてまた、障害者は平均的社員よりも<安全観念が高い>ことがわかった。

特典

 障害者は通常の社員として遇されることを<欲して>いる。彼らは何らかの特典を受けることによって孤立することを欲していない。また、同僚社員の方も、パラプレジアの人に対して工場や事務所の入口近くに駐車位置を設定することを、特典の一種とは考えていない。

受容

 現在いる社員は、会社が傷痍軍人やその他の障害者に社員の仲間入りする機会を与えていることを誇りとするであろう。まわりを見まわしてごらんなさい、社員が障害者社員に対して示す関心と、熱烈な受容態度が見られるでしょう。

 このように、先程検討を始めた、障害者雇用について考慮しない理由というものは、経験を通してみて、神話であるということがわかっただけでなく、事実らしささえ持っていないということが再三証明されている。これらが実際に演じている役割は、ちょっと余計な仕事をしなければならないということにわずらわされたくない気持ちの、いいわけや合理化なのである。傷痍軍人を採用するという問題を初めて考慮した雇用主の多くは、損傷を持った労働者が来てからの方がそれ以前よりも組織がよく機能するようになったことを発見している。30年以上にわたる調査の積み重ねから、障害者は、生産性、出勤状況、定着性、安全、人件費のいずれにおいても非障害者労働者と競争できることを示している。このような業績は偶然起こるものではない。

 デュポンの社長を勤めた人たちのうちのある人は、「障害者を雇うということは、個人の能力を職務の所要資格とマッチさせるということだけである。我々の経験によれば、それをすることに余分な仕事を要するとしても、雇用主にとっても被用者にとっても同様に正当化できる」と述べている。雇用主は、傷痍軍人を有効に活用する際に重要ないくつかの要因を見い出している。

(1) 経営管理は、傷痍軍人が持つ、正当な賃金をもらいたいという願いをかなえるように行うべきであり、それができるものである。

(2) 障害者はよい仕事をしたいという希望を自ら表現すべきである。彼らのために仕事を作るとか、ポジションを作るためにだれかを異動させるというのは企業側の任務ではない。

(3) 職業的なハンディキャップを生じさせない仕事に配置することが必須である。米国Employment Service, Veterans Administration, Rehabilitation Association, Veterans Employment Service等は雇用主と被用者と双方の相互利益のために援助してくれるところである。

(4) 効果的な安全確保プログラムがなければならない。

(5) 労働者側(と組合と)の協力が確認されていなければならない。

 我々の社内調査では、障害者労働者の91%は平均あるいは平均以上の職務遂行成績を示した。79%は出勤状況で平均以上であり、93%は配置転換においても平均以上であった。社内の障害者労働者のうち、身体的障害があって<採用>されたもの(調査対象の32%)は、安全、出勤状況、職務遂行の各面において、採用後に受傷したものよりも動機づけが高いことは興味深い。障害の性質というものが、満足できる安全性、出勤状況、職務遂行を得るのに妨げとなるということは示されなかった。事実、この調査の対象となった人のうちの最高の成績を示したもののうちの何人かは、最重度の障害、すなわち、切断、盲、パラプレジア、てんかんを持ったものであった。

 我々は、身体的障害というものは、適切な態度を身につけていて能力に見合った職に配置されれば、個人が生産的で幸福な人生を送る尊厳を妨げるに足るほどに大きなものではないと考えている。

DICKの例

 適切な態度というものについて述べると、両足と右腕の三肢を切断していたDickの例が思い出される。彼は朝鮮動乱の際の傷痍軍人である。工場長の面接過程で彼は、球技をするか、水球をするか、ダンスをするか、そのほかにも我々のようないわゆる健常者がやるようないろいろの活動に参加するか、と質問されたが、Dickは全部やると答えた。実際彼は、若い女性とダンスをすることになったときうまくやってのけたのである。すなわち、女性が彼の足を踏んでしまっても彼は手をのばして自分の足をまわしてしまうことができたのである。その瞬間工場長は立ち上がって手をさしのべ、「Dick、あなたを採用しよう。月曜の朝から仕事を始めて下さい」と言ったのである。最初Dickは倉庫係であった。次に自動車部品の発送係になり、その後工場の全自動車部品部門の長に昇進した。約6年前、彼はバイヤー部門の訓練を受け、今日では彼がいる工場で使う全機械部品の購入担当となっている。言うまでもなく、彼は障害よりも彼自身を追いかけているのである。

再訓練

 我々の経験によれば、<第一に>すすめることは、仕事上あるいは仕事外であっても、社員で受傷したものに対するリハビリテーション・再訓練である。<第二に>は、その他の障害者で、放置されていて資格のあるものを採用することである。我々は、障害者の能力を活用することは実業的に見ても有効であると信じている。我々の経験はこの信念を支持しているのである。

 我々は、130以上の自習コースを開発している。これらはきちんと行えば、病院その他の場所で寝ている間にマスターできるものである。これらは多数の会社、州立や連邦立の刑務所、職業学校で用いられ効果をあげている。コースは、基礎数学、工業機器の維持管理から始まり、15以上の訓練科目におよんでいる。これらのプログラムはVeterans Administration, その他連邦立、州立の機関で求めがあれば安価で提供できる(各3ドルから26.75ドル)。

障害者をどう探し出すか

 障害者を雇用しない最も単純ないいわけは、「仕事を求めてやって来るとか、紹介されて来る人がいない」である。ここは雇用サービス機関が活動しなければならないところである。傷痍軍人が認定され、カウンセリングを受け、検査を受け、雇用主へと導かれなければならない。しかし、カウンセラーは雇用主の方を知ることも必要である。これは、電話や手紙ではできない-顔をつき合わせてでなければならない。傷痍軍人の雇用サービスの代表者たちは、ファーストネームで呼びあえる程に雇用担当責任者と知り合いにならなければならない。傷痍軍人が受け入れられたら、定期的に追跡調査をしなければならない。もし受け入れられなかったら、どうしてかをよく明確にしなければならない。

 一人でもあるいは少数でも、地域の雇用主がひとたび傷痍軍人を採用し始めると、他の雇用主もそれを知るようになる。激励や希望を与えれば、我が障害者は我々の広大な国土の上で有用な場を競争して手に入れることができるのである。彼らは勇気と訓練と能力を持っている。-彼らに必要なものは機会である。

訳注

 本稿はJounal of Rehabilitationの1975年第2号(3~4月号)に掲載されたものであるが、その脚注によれば、1973年11月に開催された米国労働省の傷痍軍人雇用サービスの全国会議での講演をもとにして、American Chemical SocietyのCHEM TECH, 1974年12月号に発表したものの全文であるという。1973年といえば経済情勢も現在ほどに深刻でなかったかとも思われ、当今における我が国の障害者雇用問題が置かれている基盤とは異なった背景を持った発表ではある。しかし、身体障害を持ちながら大きな企業の中で平均以上の成績と認められている人たちが多数ある、というこの経験の紹介は、明るく勇気づける話題を提供してくれている。

*米国実業家同盟の第三地区実行委員。この同盟は、社会的不利益を受けている人、ベトナムの退役軍人、傷痍軍人、刑余者の雇用に関して大統領から協力を要請されている団体である。過去30年間、Sears氏はデュポン社の訓練、人事および地域連絡の仕事-大卒者の採用、経験者あるいは未経験者の社内配置と社内の人事異動、および、障害者やマイノリティグループの雇用、という仕事範囲に責任を持っている。
**東京都心身障害者福祉センター職能科主任


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1976年1月(第20号)13頁~17頁

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