医療  ソ連の小児保健と小児科学

<医療>

ソ連の小児保健と小児科学

Child Health and Paediatrics in the U.S.S.R.

F.N.Bamford R.G.Mitchell *

西口和実 **

序文

 1975年の3週間、我々は文化交流協定によりソ連政府に招かれ、ソ連の小児保健サービスの組織と小児科学の実際を研究するために、モスクワ、レニングラード、キエフ、タシケントの病院、クリニック、寄宿舎、そのほかの小児科学機関を訪問した。この論文では、我々が観察してきたこととそれについての結論を紹介することにする。

 我々がこれから述べることは、小児保健サービスに従事する医師や他の人々との討議に基づくものであり、この国の多方面で強調されていることなので、正確であり、真の姿を伝えるものと確信している。ソ連邦は16の共和国から成り、広大な国土を占め、2億4千万人の人口を有し、そのうち8千万人が児童である。医療業務は政治的政策として50年以上前から存在し、広範囲にわたって普及統一されてきた。その期間に確立された小児保健も、革命直後は千人当たり280人であった死亡率が現在では25人、そして大都市ではそれ以下にさえなっているということから、大規模に改善されてきているということがわかる。

組織

 ソ連の厚生省は、その構成要素である各共和国の厚生省を通じて、国内の保健サービスに直接関与しているか、モスクワの中央小児科学研究所から小児保健について助言を受けている。ここはソ連の医学アカデミーの研究機関であり、かつ大学卒業後の訓練機関である。当初同研究所は母親の保健と児童の保健の両方を扱っていたが、1940年に二つが分離された。ここには広範囲にわたる研究所と臨床研究のための施設があり、10の専門部門に500床のベッドが備えられ、ある部門は正常児の発達に功績をあげている。予防的治療が強調され、これは国内での実践で顕著に反映されている。

 中央研究所のほかにも、小児科学の実践を指導し、大学卒業後の訓練を行う機関が各共和国にある。これらの機関はその共和国から財源を得ているが、モスクワの中央研究所が研究プログラムについて助言し、ある程度までは直接関与している。各共和国内の独自の厚生省がその国のサービスを管理し、小児科学の責任者が小児科学業務の責任を負う。

 ソ連では小児保健サービスと、それと類似のサービスを分離することが進められており、地区単位で組織されている。各地区ごとに小児科学の責任者がいる児童保健センターがあり、このセンターが、児童のための全病院(hospitals)、総合病院(polyclinics)、診療所(dispensaries)、その他の児童施設を管理している。この地区ごとの実際の実践単位は小地区(microdistricts)であり、1単位ごとにおよそ900人の児童がおり、小児科医1名、助手1名及び看護婦1名がスタッフとなっている。

総合病院(polyclinics)

 それぞれの地区に児童のための総合病院がある。我々が訪問した病院は約3万5千人の児童を対象にしており、この病院を基盤として、小地区ごとの小児科医が活動し、相談業務のためにこの病院を利用できる。さらに他の地域の児童研究所から医師がやってきて講演をするのもこのセンターである。医学的記録や設備が保たれ、その地域の小児科医とともに、出産をひかえた婦人や健康な婦人の保健サービスをするクリニックとしても利用されている。クリニックの設備やスタッフの規模はその目的にかなったものである。自動車はここの病院のスタッフには利用されていないが、遠方に住む患者を往診する医師には支給される。

診療所(Dispensaries)

 診療所には外来患者の治療をする専門家がいる。各都市ごとにこのような専門家が数名いて、病院や地区の総合病院と連絡をもっている。診療所ではアレルギー疾患、脳性マヒ、心臓病などの疾病を持つ子供に総合的な、予防、治療、アフターケアサービスを実施している。患者は総合病院の医師により、病院や診療所で診断を受け、慢性疾患を持つ子供はその後診療所で継続して治療を受ける。イギリスと同様、けいれんなどの緊急の問題を持つ子供は、地方の医師ではなく病院に直接連れてこられる。

病院(Hospitals)

 児童用の病院のベッド数は豊富で、1万人の地域人口に対して約12から13もの数となる。ソ連全体では45万4千の児童用のベッドがあり、そのうち16万床は回復期の子供のための療養所(sanatoria)にある。都市では普通、児童の病院が独立しているが、成人用の一般病院と同じ敷地内に小児科の医療施設が併設されているところもある。地方によりその設備の程度はまちまちで、多くの病院が古い建物だったが、階段は新しくされているのを何度も見かけた。我々が訪問した機関にはかなりの設備が整えられ、医師によって建物よりもっと重要なものに費用がかけられていることがうかがわれた。

 病院の業務の三つの側面が特に我々の関心を集めた。第一に非常に高度な専門化がなされているということである。すなわち我々が訪問した病院では、イギリスで一般に見かけるような小児病棟が全く見られなかった。さらに病院全体が特殊な1分野に集中し、たくさんの人々の治療に携わることが多く、その結果、医療スタッフの経験はイギリスの場合とは全く違ったものとなっている。例えばモスクワの小児神経学研究所は、1億人以上の人口を持つソ連邦全体の出産時の仮死、てんかん、などによる脳損傷のケース及び顔面神経マヒに関するセンターであり、ソ連のすべての地区からそのような患者を受け入れるセンターである。頭部傷害、変性による障害や他の多くの神経学的な疾患に対しても同様の専門的病院がある。すなわちレニングラード近くのプシュキンにある整形外科研究所が、ソ連全体のある種の複雑な整形外科的障害を扱っている。

 第二に理学療法や理学的な訓練が非常に強調されている。前者にはリハビリテーションや治療を必要とする児童のための治療的体操があるが、後者は病院内にいるすべての子供の要求に答えうるものである。両部門は理学療法士ではなくむしろ外科の専門家の指導下にあり、両者は多くの器具や方法、たとえば訓練、マッサージ、紫外線、治療用の超音・水治療法などを利用する。

 第三に、特殊な治療を要する新生児の施設は出産の場所と同じ所にあるとは限らず、生後3日目に特別な装備のある車で専門施設に移される。これは、呼吸器疾患や過ビリルビン血症のような異常もまず産科の病院で扱われ、そこで生き残った者だけが特殊な設備を持った病院に移されるということを意味する。

療養所(Sanatoria)

 厚生省には療養所治療の部局があり、療養所に関する広範な組織網がある。これら療養所の多くは、以前結核にかかっている児童に必要とされていたが、今では長期治療を要する者や、回復期にある者、健康の全体的改善をめざす者などに利用されている。我々が訪問した療養所はレニングラード近くの田園地帯にあり、2歳から7歳までの児童のために900ものベッドがある大規模なものであった。ここはソ連最大の療養所であり、700人のスタッフの中には230人の医療助手、200人以上の看護婦、75人の遊戯指導員がいる。どこの療養所も専門化され、個々に疾患別のグループを扱う部局がある。ある療養所は嚢胞性線維症の治療を専門的に行っている。研究もいくつかの療養所で着手され、大学生の教育にも利用されている。

 児童は一般に病院から療養所に移され、まず3か月は滞在するが、必要に応じてこの期間は延長される。しかしこのような両親や家庭からの分離は、小さな子供には逆効果ともなりうるということが認識されてきている。つまり問題となるのは、多くの幼い子供たちの幼稚園への親しみや、いつも同じ看護婦と一緒にいるという小さな「家庭」に起因しているのである。一般に療養所には母親と子供という単位があり、レニングラードには幼い子供を持つ母親の特殊な療養所もある。療養所の多くは田舎や保養地にあるので、両親が定期的に子供を訪ね、子供の療養期間中は一緒に休日を過ごそうとする。

薬剤

 薬剤は病院や共和国の薬局から与えられる。共和国の薬局にはかなり多くの薬剤師がおり、彼らはその地区で必要とされる薬剤の80%を調合している。残りの20%は他の共和国の薬局から運ばれるか、または特許薬品として西欧諸国で生産されたものを輸入する。ソ連の薬剤治療は無償で、多くの患者は金を払わなくても薬を手にいれられるが、ビタミンやアミノ酸のような物質には費用がかかる。

栄養と食事

 大多数の乳児は母乳で育てられ、その割合は共和国によって異なるが72%から92%である。旧ロシア帝国領の共和国ではおよそ1年間母乳が与えられるが、アジア地方の共和国ではもっと長期にわたって授乳が続けられる。母乳は母親から非常に価値あるものとみなされ、自分の子供に十分でないと考えられると、1リットル3ルーブル(約1200円)以上であっても喜んで購入しようとする。人工乳が必要とされる場合には、牛乳に乳酸を加えたものが広く利用されている。固形食は5か月半で与えられ始め、離乳食としては西欧諸国と同じようなものが用いられている。くる病は1年に2度、幼児に30万個のビタミンDを与えることによって予防しようとしている。過カルシウム血症ははっきりとした問題とはなっていないが、この予防法は我々には危険であると思われる。年長児の栄養は一般に良好であり、学童の15%が肥満しているという報告さえある。

学校保健

 義務教育で学校へは7歳で入学し、最も早い場合は15歳で卒業するが、大多数は17歳か18歳まで在学している。生徒の中には早い段階で特別の学校や語学、科学などのコースを選ぶ者もいる。ほとんどすべての親が働きに出ているので、たいていの子供は午前8時30分から午後6時まで学校にいる。食事の費用は両親の収入に従って割り当てられる。食事の費用や中味はイギリスの学校と同じようである。子供は3歳から幼稚園に行き、3か月から3歳までの間は両親が望むならば保育所に入れられる。多くの子供は学校入学まで幼稚園に通うが、約半数の子供は保育所に通い、これは田園地帯より都市部で多い。

 学校や幼稚園、保育所での子供に対する保健サービスは総合病院のサービスとは違った、付加的なものであり、学校独自の小児科のスタッフが働いている。我々は学校保健サービスを見学する機会は得られなかったが、養護施設を訪ねることはできた。我々が観察したことやその施設で働いている人と話したことから、そのスタッフや施設は他の保健サービス部門と同じように独立していると結論できる。学校保健は学習障害や他の教育、医学的問題よりも、予防小児医学や健康の維持という方向づけがなされているようであった。

 日常の健康診断は定期的に行われ、これはイギリスの基準よりはるかに頻繁に実施され、すべての子供に均等に行われる。生後1年以内の乳児は毎月診断を受け、幼稚園児は3か月ごとに検診を受けるというのが政策となっている。学童は少なくとも3年ごとに検査を受ける。子供の歯科検診は同様に総合的であり、口腔外科学の設備が整えられた学校もある。1500人以上の児童がいる学校では、それぞれの子供が少なくとも毎年2回歯科検診を受けられるように歯科の専門医を雇おうという計画もある。

障害児

 心身障害を持つ4歳以下の児童はそれぞれの家庭で生活しているが、収容して世話をする必要のある子供は厚生省が管理している特殊児童のための施設で受け入れられる。

 非常に重度な知的障害を持つ4歳から18歳までの子供は社会保障省下の寄宿舎に収容される。ここには150から400のベッドがあり、普通医学上の責任者がおり、小児精神科医であることが多い。旧ロシア帝国領の共和国にはこのような寄宿舎が16あるが、このような宿泊施設の要求はすべての地域で同じではない。たとえばコーカサスやアジアの共和国では、このサービスの利用はソ連西部の半分ほどである。

 それほど重度ではない障害児は、通学制か寄宿制の特殊学校に通う。これらの学校は文部省の管轄下にあり(文部省はレニングラードの障害研究所から助言を得ている)、これらの学校の責任者は教育的素地よりも医学的訓練を受けてきている者が多い。この学校の主な目的は子供の実際的な志望を具体化したり、社会的自立を達成するよう子供を援助することである。

 特殊学校の職業指導員は年長の生徒をよく理解しており、彼らに職業を見つけるために働いている。特別の委員会が職業指導員を助け、障害児の雇用の可能性を広げようとしている。さらに障害を持つ卒業生がいろいろな職業に就くことを援助する機関もある。イギリスと同じように、工場や他の団体が障害者を雇用することを義務づける法律があるが、彼らのために特別指定されているような作業は全くない。

 軽度障害児は一般に家庭で生活しており、普通学校に通い、近くの診療所の専門家から助言を受ける。

養護施設の児童

 3歳までの児童養護施設は厚生省が管理し、年長の児童施設の場合は文部省の管轄である。我々が見た養護施設では衛生面や身体発達に力が入れられていた。毎年3か月間、子供とそのスタッフとは都会を離れ田舎へ行く。これはこのような環境の中ならもっと伸び伸びと生活できるからだと思われる。

 こういった養護施設に収容される児童というのはイギリスの場合と同じ理由によるのであって、家庭が無いという場合だけではない。つまりソ連でも子供を無視したり虐待したりすることが起こっており、施設に入っている子供のおよそ5%がこのような理由による。しかし「赤ん坊の虐待」は西欧諸国で見られるようなものではないと思われる。すなわち両親のアルコール中毒が子供の虐待の最も多い、一般的な原因であると言われている。

 公的機関によって組織された養子縁組の制度はないが、時には私的な取り決めが結ばれる。望まれないで誕生した子供は養子とされ、養子縁組が可能な子供は養子が欲しいと思っている夫婦以上にたくさんいる。1年以上もだれも訪ねてこないような施設の子供を養子にすることは、子供の権利に関心を持っている人々に歓迎されている措置である。その法的手続きはイギリスの場合と同じようであるが、ソ連の養子を持つ親は、その後彼らが養子を持ったということを秘密にしたがるという点でイギリスとは異なっている。

小児科学の医療スタッフ

 ソ連には専門的に子供の治療に当たる医師が9万5千人もいる。その4分の3が婦人で、産科医1人に対して2人の小児科医がいる。子供のための機関にはすべて、医療に携わる人々がたくさんいる。例えば我々が訪問した900人の子供を収容している療養所には63人の医師がおり、100人の健康な児童施設にさえ3人の専任の小児科医がいる。

スタッフの教育と訓練

 医学校は大学とは区別され、三つのカテゴリーに分類される。小児科医とそれに類似した専門家の教育を扱う学校が全部で75校ある。学生はたいてい義務教育終了者から選抜されるが、前もって2年間の訓練を受けたり、医療助手として働いたことのある者もいる。医師のいる地区1か所ごとに約3人の応募者があるという点で、医師は人気のある職業である。学生はその訓練に6年間を要し、小児科医になろうとする者は3年目から、一般的な医師の課程と似てはいるが小児科学を主体にした別の課程を修める。普通の医師の資格を持つ者が小児科医として働くことは妨げられはしないし、小児科の卒業者が成人を扱うことも認められる。

 以下のような資格と1年間の研修の後、専門家として認められる前に少なくとも3年間、若い小児科医は児童の総合病院や病院で一般的な仕事を行う。選択の際最も人気が高いのは小地区で働くことであり、多くの者がこの専門的生活を行い続ける。

 病院勤務の小児科医という特殊な部門の訓練を受けようとする者は、病院や研究所に配属され、さらに2年間仕事を行った後、医学候補生(Candidate of Medical Sciences)となる。これは専門分野と語学、哲学の試験と論文とにパスするとなれる。最もアカデミックな資格は「医学博士」であり、これは学位論文と試験によって得られる。5人の候補生の訓練に責任を持つ医学博士は「教授(Professor)」という称号を与えられる。このProfessorというのは必ずしも小児科部長と同義ではなく、部長とは一般にある講座の指導職にある者を言う。研究職に就く者としての訓練を受ける者には別の課程が続き、彼らは中央の研究所や卒業生の訓練機関に就職するようである。

サービスの状態

 小児科のスタッフの給料は資格や経験によって非常にまちまちである。大部分の医療業務に対する報酬は西欧諸国に比べると割合低い。新しい資格の小児科医は月に120ルーブル(約5万円)が支払われるが、大学卒業後に以下のような研修課程を受けることによって増額される。4か月の課程が5年ごとに課せられるが、時にはその定員以上の申し込みがあることもある。10年後には小地区の小児科医は、1月に180ルーブル(約7万5千円)の収入を得るようになるし、委員会の審査によりさらに1月30ルーブル(約1万2千円)が与えられることもある。辺地で働くと給料はさらに増額される。55歳で小地区の小児科医は年金をもらって退職するが、希望するなら続けて働いてもかまわない。その医師が望むなら年金と給料の両方をもらうことができ、それらを合わせると1月に300ルーブル(約12万円)となる。

 小児科医が働いている地区では、適当な住居が月20ルーブル(約8千円)の家賃を払えば借りられる。別の観点からすれば、この生活費はイギリスの場合と同じようであるが彼らには税が課せられない。医学校卒業生の多くの者は給料は工場労働者とほぼ同じくらいであるが、高度の資格と経験が1月に500ルーブル(約20万円)、あるいはそれ以上の収入を生み出す場合もある。

 医師が働く場所は限定されることもある。たとえばウズペックの医学校で資格を取った者はその共和国で働かなくてはならない。小児科医がその故郷で働くということは一般に可能であるが、医師を必要とする地区へ派遣されることもある。私的に医療業務を行うことはモスクワでは普通禁じられているが、実際に医師がいない所では禁じられてはいない。

論考

 ソ連の多数の子供は健康なようである。親たちは子供たちの面倒をよくみる。確かに親というのは世界中どこの親も子供に対して同じ感情を持っている。都会の家庭には普通1人か2人の子供しかいないが、これは多分アパートが限られた広さしかないためであろう。主な都市以外では大家族が普通で、ウズペックのように10人から12人もの子供を持つ家庭もある。

 国家を源泉とする子供への医学的配慮は、その基準や地区によってさまざまであるが、ソ連の予防的サービスは世界中で最も総合的なものである。患者と個人的な交際をし、その人をよく知り尽くし、最初の診察の時から継続して治療を行う小地区の小児科医に、我々は最も感銘を受けた。我々が話した医師たちは有能で、自分の仕事に常に関心を持っているようであった。我々はそれらの小児科医が上役から過少評価されていると考えた。確かにそれらの小児科医は、直接管理される官僚的組織をもとにして働いている。実際この組織は子供の親が医師を選択することを排除してはいるが、これは不満の原因ともなりうるであろう。

 業務時間外診察はなくなり、これはイギリスの多くの場合と同じである。緊急の治療は、病院や小地区の小児科医の仕事を補う常設の救急団体によって行われる。これは非常にすばらしい組織であり、賞賛すべき点が多い。

 小地区の小児科医がそのすばらしい治療を地域の学校や保育所にまで拡大しないのは残念なことであると思えた。予防に携わる小児科医は、多分診療所以外ではセラピストと一緒に仕事をすることはなく、イギリスと同様の不都合な面があるという印象を受けた。普通児が受ける多くの検査の内容に関し、詳細な情報は得られなかったが、このような日常の仕事にたくさんの医師が従事するということに、いったい意義があるのだろうかと我々は非常に疑問に思った。

 我々が訪問したセンターでは、病院の小児科医は一連の明確に区別された専門性を持っている。このような高度な専門化の是非について論ずるのは我々の目的ではなかったが、その専門化が特に利益をもたらしているということを納得させられるようなことも全く見られなかった。賞賛に値すると思われる点も多くあったが、反面ソ連の病院の小児科医の医療実践は、諸外国の小児科医と交渉が無いために不利なところが多いという印象を受けた。

理学療法や理学的訓練における理学療法士の役割に代わり、非常に多くの専門家を用いていることも私には浪費としか考えられなかった。治療的体操や回復期の治療に非常に多くの財源を当てているということも同様である。しかしながら我々が訪問した療養所はすばらしい所であり、子供たちは明らかにそこでの生活を楽しみ、利益を受けている。これらのあまりなじみのない小児科学の実態についての表面的な知識からは、その科学の大部分が実験科学的基礎よりも、経験的立場に立っているという見解が生まれてこよう。

 特別な配慮を必要とする新生児へのサービス組織は非常に不十分なものであると思われる。というのはこのような組織が産科と同じ敷地内にあるとは限らないので、出産後数日内に危険な状態に陥った場合には、その子供はこの組織を利用できないことになるからである。人工呼吸が、仮死の時間や先天性異常が存在することなどにかかわりなく、すべての子供に試みられる。しかしながら新生児の治療に関する一般的基準は高い。

 出生前の医療についての配慮は卓越したものがある。婦人は妊娠初期に地域や工場のクリニックで診察を受け、その後も何度も診てもらい、すべての人がクリニックに出産の予約をする。妊娠はその小地区の小児科医に連絡され、その医師が出産前に家庭を訪問し、将来母親となる者に必要な生活や仕事について助言する。

 出産前後の2か月間有給休暇を取ることは、すべての婦人に与えられた権利である。また必要とされるなら、妊娠期間中長期間にわたって、給料の全額支給を受けながら入院を続けることも、数例ではあるが認められている。こういった母親の職場では出産後1年間、彼女たちのためにその仕事を保持している。

要約

 本論文はソ連を3週間訪問したとき、ソ連の小児保健と小児科学について観察したことを記録したものである。児童のために専門化された保健サービスがあり、そこで働いている何千人もの小児科医の訓練やその組織の構造などについて概略を述べたものである。障害児のための設備についても簡単に述べられ、児童の医療の社会的側面に関して批評もなされている。
 (Develop.Med.Child Neurol.,1976から)

*Dundee大学の小児保健学部教授
**東京教育大学大学院



(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1977年1月(第24号)2頁~7頁

menu