社会  合衆国の障害者の正常化への障壁

<社会>

合衆国の障害者の正常化への障壁

Barriers to Normality for the Handicapped Adult in the United States

Leslie D.Park *

山澤清**

 マサチューセッツ州のブランダイス大学精神発達学科教授であるGunnar Dybwad は、1973年秋の国際会議に一篇の卓越した論文を発表したが、その論文の中で、普通「正常化」と称しているものについていくつかの示唆を示した。Dybwadは「世間でいう正常とは、争いある苦難であり、試練ある試みである。障害者はそれを受容する権利がある。それ故、正常化は冒険を大切にすることを含んでいる」。さらに「正常化というものを導入しようとするその源は実現化であり、そのためには、過去75年間にわたって社会が障害者一人ひとりをいかに取り扱ってきたかということと深く結びついている。非正常化の過程というものを打ちやぶっていくようにすべきである。」と述べている。

 言いかえると、正常化とは、偏見を深めたり強めたり、また重度障害者を社会の他の人たちから分離させようとする実態を取り扱う合理的な試みである。

 これらの見解から、正常化の諸要素を考えると、

 1) 過去の誤りをただすこと

 2) 障害者を社会の主流につれもどすこと

 3)「偽善の人生」を取り除き、冒険の過程として「正常」を発展させること、および報酬や失敗をより多く経験させることである。

 人生、人間、神と人間との関係について私自身が信ずることは、人生が「冒険と新奇性」であるか、またはそうであるはずだということである。このことはつまり、精神力、生命力、およびわれわれがもとめている満足などについて語るという人生の側面なのである。これは、最も輝かしい意味で「正常」である。

正常化への障壁

 合衆国において、障害者の正常化過程を妨げる障壁と考えられるものについて論述していこう。初めに青年について述べるが、それはその時期が成人期の初期にあたるからであり、その時期の問題点と障壁とか成人期のそれと同じであるからである。

 第1の障壁:混迷した政治による混迷した価値体系が障害者の正常化を事実上不可能にする

 合衆国が偏狭な個人主義をはりめぐらしているのは周知の通りである。合衆国には、多年にわたって物理的な境界があったが、それらは今日に至ってなくなりつつある。アメリカ西部を旅行する人が気づくことは、冒険好きの開拓者の心をゆり動かす未開拓な土地が、何千平方マイルも実在するということである。しかしながら、それへの挑戦は100 年前のこととなり、今日ではもうなくなってしまった。国民はますます都市や振興地に住むようになり、「偏狭な個人主義」の理念がずっと以前から一般的な現実的なものにとって代わっている。それにもかかわらず、合衆国の社会体系は、偏狭な個人主義から社会的相互依存へと精神の変化をなしえていない。

 このことは、合衆国が世界のうちでただ技術的に進歩した国であるということによって、最もよく説明されよう。つまり、この国には、国民に対する保健体系がなく、刑法の改革も非常に遅れているし、2~3年前になって障害者のための「教育法の権利」を打ちたてたにすぎない。現在になって、わが国の障害者に対して生活水準以下の社会保障と年金給付とを行っている国だといえよう。

 金持ちであることと金をかせぐ能力は、今日でも合衆国における歴然とした成功の規範である。われわれが障害者を「社会の成員」とならせるという場合、その意味することはほとんど常に経済的に寄与する成員ということである。わが国ではなお、「貧乏な」障害者よりも、金をかせぐ「金持ち」の障害者をよりたやすく見つけうる。これは大抵の工業国において見られることであるけれども、合衆国においてはその度合いがより強いのである。これは以下の事実によって説明される。

 1) 障害者の目標点は、ほとんど常に職業につくか仕事をするかに関連している。

 2) 合衆国には、広く公示されている「障害者雇用週間」がある。これは全国的に「雇用」を促進するよう呼びかける期間である。

 ある有能な障害を持つ若い女流画家が個展を開いた。その展覧会は大成功し、彼女の芸術的才能は十分に称賛を拍したけれども、大抵の人は彼女の作品が売れるまでは芸術家として高い価値があるとは思わなかった。彼女の労働の価値はその作品が売買の対象となった場合に、初めて認められるようになったのである。こういうことは、現在の合衆国において一般的に見られることである。障害者が経済的報酬を伴わずに満足のいく諸活動を行うことは、事実上不可能である。

 われわれは最近立法府の一機関に以下のことを提出する機会を得た。すなわち、仮りに紙の中央に線を引き、一方の側を「非就労」とし、他方を「就労」と分類するならば、政府が施設に入所している障害者のケアや各種のコミュニティ・サービスに対して、ばく大な経費を投入していることがわかる。つまり、政府が障害者に行っているばく大な経済投資は「非就労」の側に対してなのである。精神薄弱者を施設から外界に出し、より効果的なコミュニティに根ざした計画の中に組み入れることにより、こういった人々のケアのために政府が投入しているばく大な経費を節減することができるのである「ニューヨークの施設に入所している精神薄弱児1人に対する1974年度の年間経費は2万ドルであった)。「就労」の側の職業をもっている人は、ほとんど限られた職業についている。彼が払う税金は、「非就労」の側に政府が実施している援助と比較して非常に少額である(1200ドル以下)。最近になってこのことが合衆国議会のために明らかにされたし、われわれは障害者がコミュニティで生活でき、「支払いのための労働」以外でも、障害者が有益な活動を行えるよう援助をするため法律を改正するよう運動を開始し始めた。

 おそらくわが国の社会史において最近完結された「貧困に対する戦争」ほど、十分に明らかにされたものはない。これはJohnson 元大統領が公表した国家計画であることに思いつくはずである。それはノルマンディ海岸侵入作戦のすべてであり、それに費されたものは膨大な費用、短期決戦を期した「破壊」計画および貧困者の改善計画を監督するために貧困者自身を使役することであった。

 この悲惨な戦争による破壊は全土に及んだ。しかし計画が十分に成功しなかっただけでなく、極端な浪費であり、必要な社会改革を生じさせえなかったことは、納税者に苦い経験をさせた。多方面にわたって常時存在する「緊急な」問題および緩慢な処理の仕方に、アメリカ人生来の気みじかさが存在している。われわれは突然起こる国際的災害に対して気前よく援助する。例えば、ニカラグアの地震、アフリカ北部の飢饉、中国の洪水に対してみられるように、それらはアメリカドルの流出であろう。しかし、障害者の問題は絶えずわれわれたちのまわりに存在するが、われわれの関心はその問題から離れている。

 価値体系の混迷をさらに示すものとして、変化しつつある家族の役割について言及しなければならない。「家族」について論じる場合には、1人の母親と1人の父親(普通、白人の母親と父親)、それに2~3人の健全な子どもを思い浮かべる。これは今日のアメリカ社会における家族形態としては典型的だと言えない。われわれが今日みるものは、異人種間の結婚の図であり、父親のない子どもを養育することを選ぶ私生児の母親たちである。そして同性愛の女性と男性とに養育させるべく、法令の改正を現在検討中であり、これらは家族を構成する普通のパターンを全く変える種々のパターンである。

 ニューヨーク市脳性マヒ連合が主催して成功を博した家族会議において、われわれは障害児をもつ家族単位に対して週間カウンセリングおよびレクリエーション計画とを提示した。しかしこれらの会議で明らかにされた「完全な」家族を全くみることができない。われわれが全く普通にみられる家族構成は、母親、2~3人の子ども、年長の精神薄弱の娘、祖母または「家族単位」として会議に参加する隣人である。社会秩序と国民の価値体系に関する混迷が、障害者の複雑な諸問題に対処するのに最大の障壁であろう。

 第2の障壁:可動性のディレンマ

 青年の正常な諸パターンの発達とそれらが障害青年にいかに関連しているかについては、多くの文献がある。何回となく述べられてきた主題の一つには、普通の家族の結びつきを離れ独立感を発達させることは、青年本来の欲望と健全な性質であるということである。これは、ほとんどの場合家族から物質的に離れる能力を意味する。合衆国においては今日たくさんの住宅区が作られているが、これは必然的に車を運転し、家庭から車で通うことを意味する。

 私が初めて出会った脳性マヒ者の1人はシカゴに住む少年であった。彼は子どもたちが使うような軽自動車(Coster Wagon)で近所を行き来していた。彼は片足でペダルを踏み、片手で操縦することができた。彼は近所の人たちに売る鉛筆、靴ひも、チューインガムなどの入った箱を常にもっていた。彼の唯一の移動方法は軽自動車であった。

 私は大小32の異なった社会について社会研究を実施した経験がある。そしてこれらすべての社会において、輸送が障害者にとって重要な問題であることを見いだした。ほとんどの場合、効果的な輸送システムが開発されうるならば、社会資源の恩典を受けられる人の数は2倍になるだろうと思われる。

 それ故、われわれが強調すべきことは、輸送と可動性の問題が世界各国と同様に、合衆国においても正常への一つの障壁であるということである。

 第3の障壁:青年に対する労働界における登録制度の欠落

 青年が学業をおえる時期から、家庭をもち社会の責任あるしっかりした成員として自分をあらわせる年齢になる時期までは、大きな動揺の期間である。これは、青年であれば健常者にも障害者にも言えることである。非常に偶然に差別的に職に就く以外には、労働界への準備と登録の制度がないのである。これは、多くの労働組合が黒人労働者と少数グループとを公然と差別しているという事実によっても明らかである。そしてさらにそれは合衆国の高い教育費でも明らかである。そのため大学を有産者、知的優秀者および将来を期待されているスポーツ選手にのみ入学を可能にしている。従って、労働界への有効な手段として考えられてきた大学教育が崩れつつあるという事実によって、さらに複雑化している。

 この問題は、例えば精神薄弱者や脳性マヒ者といった年長の障害者を訓練する時に何をすべきか、という混乱によって明らかになっている。必然的に合衆国の学校制度においては、精神薄弱児や脳性マヒ児のような年長の障害児を、かなり以前から「職業計画」に組み入れている。もちろんこのためにはこれらの子どもたちが障害児であるために、早期に労働界で何をしたいか自分たち自身が認識すべき必要がある。

 私は保護工場の概念の限界について、非常に厳しく考えている。というのは私にとって多くの理解できない点がある。それは障害者を集団として、作業台にすわらせて〈一堂に〉集め、手作業をやらせている。しかも最初から彼らがその手の機能にきびしい制限をもっていることは、明白なのである。世界各国の保護工場は不思議に類似している。そしてわれわれは、普通の保護工場で行われている作業の下請けや産業の形態が、世界の労働傾向に逆行していることがわかる。

 現在、前例のないほどの率で成長しつつある労働の領域は、販売およびサービスである。しかし重度障害者が販売業やサービス業に従事できるようには、何の対策も講じられていない。われわれは今でも保護工場を職業サービスの本筋に位置させようとしている。重度障害者に対する労働のパターンの選択を開発させるために、幅広い実験が次の10年間に必要とされる。

 同様に、労働システムにおける選択は見習いや実習訓練の復活といったことが必要とされる。すべての作業において障害者と健常者が共に働くオーストラリア計画(シドニーのセンター・インダストリーズにおいて、非常に好結果を生んでいる)のような、新たなパターンが必要とされる。そして障害者に適するホワイトカラーとサービス業、そして彼らにとって有益な収入をもたらす販売職種計画が必要とされる。私はめったに世界の大都市に出かけることはないが、各地の繁華街の新聞売場、タバコ売場や菓子店で働いている脳性マヒ者に出会うことは、ほとんどなかった。

 さらにこの障壁と関連する事項は、今では実在しない多くの職業の訓練と関係している。今日でもわれわれは藤いす作りや壺たて台作りで訓練されている障害者たちをみる。私はこれらの作業が意味がないと言うつもりはないが、それらは、世界各国で障害者に行われている多くの作業訓練の現実的な職業目標ではないという、実例である。

 第4の障壁:必要に応じた技術、生工学の不足

 第4の障壁を述べる前に、「応用技術によって機能的に改善されえない障害者はいない」ということを明らかにしておきたい。

 リハビリテーション運動は同じ方針におけるチーム・アクティビィティの一環としては生工学を含まないが、物理療法、言語療法および医療サービスを含んでいる。今日、障害者がよりよく生活できるように、食事や移動の際に使用したりする多くの有益な自助具があるにもかかわらず、「用をなさない技術」がある。われわれがこれらの技術進歩を日々のリハビリテーション計画に導入しないのは、リハビリテーション・コミュニティとして非常に怠慢である。それはわれわれの活動において重大な欠陥である。

 合衆国における技術は、もしわれわれが障害者に効果的なサービスを実施しようとするならば、多くの有益な技術進歩を「からまわり」させていることに気づく。われわれは今日に至って実施しようとしているが、これを効果的に行うように組織化していないと思う。

障壁に対するいくつかの提案

 今まで述べてきた障壁を排除するために有益であると思われる方法を述べてみたい。

 価値体系

 単なる一組織団体が秩序の価値のとらえ方を政府に提言することは、確かに出過ぎたことだろう。しかし、今こそ民間団体が非常に特別な役割を演じる必要のある歴史的一時期であると思う。私はこの10年間のわれわれの役割を、「モデルづくり」の一環であると考えている。状況を変えうる計画の、現実を直視し、生きた労働モデルほど政治に影響を及ぼすものはない。われわれにとって今こそ機能する計画、節約的である計画、責任のとれる計画、適切な建物に効果的に収容させる計画を立案する時期なのである。〈われわれは明確なリハビリテーションの目標を確立し(これは非常にまれにしかなされない)、これらの目標に至るべき方策を開発しなければならないし、われわれの結果を評価する手段を開発しなければならない〉。もしわれわれが知っていることすべてを効果的に利用することによって、障害者のために一つか二つの労働モデルを開発するならば、われわれは政府に対してその最上の運用方法を実際に示しうるだろう。リハビリテーションが単に人道的になすべきことだけでなく、経済的になすべきことであるという事実に政府が目ざめる時が急速に到来してきている。モデルは職業を効果的にすることが必要とされる。政府が何百万ドルも金を使う前に、非政府団体としてわれわれはその最上の運用方法を学ぶために、何百ドルも金を使わなければならない。

 リハビリテーションにおける一つの価値としての宗教

 われわれが生きているこの時代で驚くべきことの一つは、われわれの価値体系が現実にいかに混乱しているかである。今日、成人の間で非常にあからさまな性行為の話をしたり、そのフィルムを見たりすることは決してタブーではない(それが男性と女性であってもよいのだ)。しかしながら、満ちたりた生活を送るのにぜひとも必要な、宗教や神と人との関係についての話をすることは非常にタブーである(確かにこれはリハビリテーションの一つの目的ではない)! 私は、障害者にその生活に大いに貢献するものとして提示されなければならないものから宗教を取り除くという考え方を完全に拒否する。私は宗教的訓練の公共的計画がリハビリテーション事業に加えられるべきだと考えないが、世界中の人々の生活における重要な内発的要因としての宗教を無視すべきでないと考えている。私は伝統的教会派による組織的宗教を必ずしも述べようとしていないが、私が言及しようとしているのは神と人との基本的な関係(人と人の関係でなく)である。

 明快な哲学

 われわれが実際に参画しているリハビリテーション運動は大いに混乱している。われわれが科学を実践していると考える故に、かなり厳密な科学的方則を実行しなければならないと考える人たちがいる。もし諸君が腕Aを引けば、諸君は反応Bを期待しうる。他の人たちはリハビリテーションは単なる一つの芸術であり、実際の技術は芸術家の知識や技術の中にあると述べる。私はわれわれが行っているものが芸術であり科学であると、諸君に述べる。われわれは自分たちの努力の科学的なのもと芸術的なものとを混乱してはならない。

 私はわれわれが特殊教育、心理カウンセリング、職業訓練、医療管理などに携わっている労働を種々の機械がなしうるだろうとは予測しない。同時に、人間的リハビリテーションの最も効果のある型がわれわれの知る学問、医学、人間行動の科学的原理の適用なしでなされうると、述べようとしているのではない。〈つまり、私が述べようとしていることは、われわれはその専門技術についてより多くのことを知らなければならないということである。〉

 現在、ニューヨークにおけるわれわれの活動は、脳性マヒ者の効果的な労働の一つのパターンとしての「標準を模倣する」哲学を認めている。子どもにとって18歳まで学校に行くことが正常であるとすれば、われわれはその標準を模倣しようとする。成人にとって結婚し、家庭をつくり、家族をもつことが正常だとすれば、われわれは人々にその標準を模倣させようとする。これは本当に合理的な目的であるが、非常に難しいものである。

 障害者が次の世代に対する鍵を握っている

 私は障害者の人にその演ずべき役割の大きさを示したいと思う。世界の障害者団体が十分に認識していないことは、この役割というものだろう。今の世代の障害者自身がいかにふるまうかによって、次の世代の生活をよくも悪くもすると信じている。障害者のうちの気難しい人、偏屈な人、貧乏な人その他だらしない人等が、疑いもなく次の世代の障害者たちを受容されにくくしている。

 援助者の成長

 多分われわれの時代のリハビリテーションの高度の目標点の一つは、現実に障害者に対してサービスを行うことにあるというよりも、自分たちや健常者の世界に対してもサービスを行っているかということにある。

 Edwin Markham は以下のように、あらゆる論点に最も効果的に述べている:

われわれは人道的計画において次のことを理解しない限り、愚かであるといえよう。それは人間が形成されないならば、物を作ることに価値はない。人間が建設的でないならば、各都市はなぜすばらしく建設されているか。建設者が成長しないならば、私たちはむなしい世界を建設するだけである。

 もしわれわれが将来のリハビリテーション界の建設者として、現在直面している正常化への障壁を取り除く必要があるならば、われわれ自身を成長させる責任がある。

Rehabilitaiton Literature,April.1975から)

*ニューヨーク市脳性マヒ連合(United Cerebral Palsy of New York City)会長。本論文は1974年4月18日、イギリスのオックスフォード大学で開催された第9回国際脳性マヒ学会で発表したものに、加筆したものである。
**東京教育大学大学院


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」1977年4月(第25号)29頁~33頁

menu