教育 静かなる革命の目的

教育

静かなる革命の目的*

―1975年全障害児教育法―

The End of the Quiet Revolution :

The Education for All Handicapped Children Act of 1975

Alan Abeson** & Jeffrey Zettel***

小鴨英夫****細村[迪]夫****共訳

はじめに

 1975年全障害児教育法、公法94-142において要求していることは革命的なものではなく、また連邦政府の役割から見ても革命的なものではない。条文が示しているように、公法94-142は、過去8年にわたって、この国の裁判所、立法部、他の政策団体によって示されてきた基準である。また、それは障害児の教育における連邦政府の役割の進展を絶えず提示しているものである。例えば、この公法94-142に示されているものは、すでに,1974年の教育修正法である公法93-380の中に明文化されている。

 最も重要なことは、公法94-142は障害を有する子どもたちの教育に関して、特殊教育者と他の関係者の夢を反映しているということである。それはわれわれの希望とするところであった。すなわち、特殊教育者としてわれわれは、いつの日か障害を有するすべての子どもたちに教育を受ける機会が保障されるであろうということ、われわれは障害児に対する適切な教育サービスを進んで擁護するであろうということ、われわれは不適当な行政的拘束から開放されること、社会の資源を不適切に使用することでは子どもたちが生活していく上での危機的な問題を和らげることはできないであろうことそれがわれわれの立場であった。この意味で、公法94-142は国家的な歯車となりうるもので、それによってわれわれが長い間耳にしてきた州および市町村での政策の約束や、われわれが長い間望んできた夢は現実的なものとなり得るのである。

 しかしながら、公法94-142はあまり意味のない約束ごとになるかも知れない。われわれは、特殊教育において、州法、裁判所の判例によってその十分な内容が決して到達されなかったという印象を幾度となく持っているからである。公法94-142は、われわれが法の中に提示されている手続きを用いて、その法を運用せしめる時にのみ効力を発することになろう。そこで公法94-142で要求しているもの、要求していないもの、われわれの責任の存するところのもの、他人の責任の存するところのもの、その法の手続きが十分に遂行されることを願っているところの人々に提示するものそれらをすべて知らなければならない。

 次の論説は、その施行に際し、公法94-142とわれわれの役割とについて、われわれによりよき理解を与えるためCEC(The Council for Exceptional Children)による努力の一部である。この論説は知る必要のあるすべてのことを書きとめたものではなく、むしろこの法が因ってきたところの背景の意味を与えようとするものである。今後、問題点を取り上げる論文やCEC出版物の中にあらわれる論文は、その経過を十分に物語るものとなろう。

 われわれは、あなた方がこの法を知ること、この法の意味を正確に学びとることをあえて勧める。

 この公的政策の知識こそ教育推進者のための兵器庫であり、その教育への非難者に対するための兵器庫である。われわれは美辞に左右されてはならないし、実際に必要とされている事柄に注目しなければならない。CECおよびその連合は政治的なつながりを通してその法を理解させるように働きかけている。もしあなた方がさらに問題や関心をもち、われわれに接触したいと思うならば、われわれはあなた方に回答を準備し、その方向を示すよう努力しよう。

子どもの教育とその関係法

 1978年9月、学校が開校された日をもって「静かなる革命」は終わる。その終結は静かに、いともやさしく、落ち着きのうちに終わるものではないであろう。その革命を導き、その革命を戦いとった官吏や兵士は決して消え失せるものではない。というのは、彼らはこの革命の終結は次の革命の始まりのきざしであろうということを認識しているからである。しかしこれは祝うべきことである──障害を有する子どもたちにとっては祝福すべきことである。つまり米国の公教育が始まって以来、しばしば学校教育を受けることを阻止されてきた差別の犠牲であったこの子どもたちにとって一つの祝福なのである。1978年のその日にあたって、適切な教育プログラムを必要とする子どもたちに対して教育を拒否するということは、いかなる公教育期間といえども結局、連邦法を犯すものとなる。「障害者教育問題全米諮問委員会(1976)」(the National Advisory Committee on Education of the Handicapped)によって述べられているように、「法律においても、また国家の政策としても、教育は今日、障害者にとってその権利として認められているものである。」

 障害を有するすべての子どもたちの教育を受ける権利を確立するという公政策を達成する革命的な締めくくりは、1975年11月29日であった。そのとき、Gerald Ford大統領が公法94-142に署名して「1975年全障害児教育法」とし、それは1978年9月に完全に効力を発するものとなるのである。すなわち、1970年に始まった政策革命の結果であったこの法律は、その時以来、連邦裁判所、州立法部において、勝ちとられた政策の勝利の上にしっかりと確立されたものである。加うるに、この法律は障害をもつすべての子どもたちに適用できるが、特殊教育者によって先鞭をつけられ、明確にされた健全な教育実践の原理によるものである。

 公法94-142の制定以来、この法は事実上、米国のすべての教育団体の論議の的となったのである。

 その議論は連邦議会から広がり、すなわち米国教育局から州立法部、州および市町村の教育委員会、教育機関に至るまで広がりをみせた。

 しかしながら論議にのぼらなかったような問題がしばしば遂行されたし、全学齢期児童を対象にして1978年9月に行われるものが、1977年10月に一部の児童に対して実施されていた。その上、あまりにもしばしば公法94-142の論議が誤った知識情報、誤った解釈のもとに基づいてなされてきた。この論議がさかんな間中、その歴史がしばしば忘れ去られ、行政が最上のものであるという考え方が支配し、この法が広範囲な一連の口先だけの約束事に終わってしまうという危険性が浮き出ていた。今後十分、論議がつくされるはずなので、今後の進め方は政策確立において革命的ではないが適切な実践を確立するということであろう。

 大部分において、この法の効果的な監督の責任は少なくとも特殊教育者側にかかっている。教師、行政官、心理判定者、治療士および父母はその遂行実施団体のメンバーなのである。このすべてのメンバーは自分たちが障害を有している子どもたちに対する責任をもつものであるという認識をしていないかも知れない。この法律の効果はすべての教育者の団結を引きおこすもので、すべての子どもたちが適切な教育を受けることが望ましいとするものである。静かなるこの革命の目的は、その精神において、教育の関心を前向きにすすめるものである。ここに最近の歴史を、この論説が書かれた「1975年全障害児教育法」に含まれている主たる政策に関連づけて述べてみる。

公政策と子どもの教育

 公教育政策は、連邦、州、市町村レベルでの政治と関連して、委員会、立法部、裁判所、行政部によって確立され、それらはしばしば教育の場の内部や外部において、またその責任を有するものである。その政策はアメリカの教育制度の全体的な運用のための基礎を与えるものである。

 公法94-142は、連邦議会によって通過した法令で、障害をもつ子どもたちの教育に関する公政策のあらわれである。同じような政策は州立法部において通過する法令によって示されている。公政策については、規則、規定、準則、付則の中に見い出される。それは州と連邦レベルで展開されたものであり、州や市町村レベルでの教育機関に対して、教育と指導を与えるものである。

 公政策の意義が子どもの教育に関連して強調される必要がある。実際に、公立学校の措置についてなされるすべての決定は、公政策によってコントロールされる。例えば、政策は指導プログラムに参加するにあたって子どもの的確な判定とその措置を明らかにし、また子どもに対する的確なサービスを考えるにあたって得られる特性と本質を明らかにするものである。最後に、政策は資源の利用を与えるものである。公政策もまた、個個の機関を通してプログラム運用の安定性と一貫性と継続性を与えるのに役立つものである。「静かなる革命」が行われている間、市町村レベルでの個個の学校の中で用いられた実践は、法廷では恣意的なものとしてあらわされた。それはその基準や手続きが学校ごとに大きく異なっていたからである。

 市町村レベルでの政策は、ほとんど個個の学校の教師や行政者の行動を導くのに役立つものでもなく、強制力のあるものでもなかった。

 すべての教育制度に相通ずるような政策が明白に存することは、公立学校に関係しているすべての人々にとって、もっとも興味関心をおこさせるものであろう。

障害児教育の背景

 わずかの例外をもつ障害児に対しての人々の態度というものは、圧倒的な偏見によって特徴づけられている。社会の主流から〔障害児は計画的に孤立させられている〕、古代から現代に至るまで身体的、精神的もしくは情緒的な障害をもつものは、社会から追い出されるべき厄介者として、社会の足手まといになる重荷として、絶対的多数者によって二者択一的に考えられてきたのである……社会の伝統から結果的に考えられた取り扱いは常に不平等なものであったし、また少数グループとして障害者の興味関心は偏見をもって取り扱われてきたのである〔Lori Case v. State of California, 1973, p.2a〕。

 障害をもつ子どもたちを学校教育から除外するという点において、また不正確、不適切な判定やレッテルをはり、措置をなし、さらに不適切な教育プログラムの規定を含め、同時に恣意的な気まぐれの教育の中にあらわれたのである。この事実は完全なものとはいえないが、「静かなる革命」の開始以前には、実践上の実例として最たるものである。

 大部分において、連邦議会は、公法94-142に署名し、違法および不適切な実践に対して、こたえるものである。

 (1)免除、猶予および教育を受ける権利

 公法94-142(1975)の決定とその目的の叙述の中で、連邦議会は次のことを指摘している。すなわち「合衆国の中で100万にも及ぶ障害児は、公立学校から全く除外されているし、そして教育の過程をその仲間とともに受けていないということである。」Children's Defense Fund(1970)は、1970年の人口調査の分析によって、すなわち「学校の外では子どもたちが人種、収入、身体的、精神的、情緒的な障害およびその年齢によって差別されているという共通の特性をもっている」とその分析によって結論づけたのである。

 この実際的な進行の責任の一端は、障害児に対する偏見を永続させた教育者にあったといえる。多くの権限の範囲内で、今日の政策が──たとえ是認されるにしても──公立学校から障害児を締め出しているということを認識しなければならない。

 州の義務教育就学条例にはこのようなことが、しばしばあった。

 1970年の初めから今日に至るまで障害をもつ子どもたちが公教育を受ける権利は、州や連邦の裁判制度の中で要求されてきたものである。それはこのような権利訴訟に対する法的根拠が、主として、合衆国憲法第14条修正法案に関する平等な保護条項から除外されてきたことによるのである。

 州は国民にある利益を与えることを意図した場合、これらの利益は公教育と同じく人々のすべてに与えられなければならないものである。もっとも教育におけるこの概念をあらわすために、しばしば用いられてきた表現は,1954年のBrown対教育委員会の最高裁判決にみられる。それは次のようにはっきりと述べている。

 「今日までにおいて、いかなる子どもといえども、人生において成功することが期待されるのは当然である。もしも子どもが教育に対する期待を否定されるならば、人生において成功することが考えられないのは当然である。このような機会は、州が教育の機会を与えようとしてきたところでは、対等の条件で、すべての子どもに有益となるような権利である。」

 教育の訴訟のなかで前例となる事柄は、1970年の初期にペンシルバニア州とワシントンD.C.にみられる。事実、この事例は「静かなる革命」の始まりのあらわれである。1971年1月においてペンシルバニア遅滞児協会(Pennsylvania Association for Retarded Children〔PARC〕は、無償公共学校に入学できない学齢遅滞児童のために教育を与えていないペンシルバニア州に対して訴訟をおこしたのである。裁判所は次のような同意を示した。すなわち、州は公教育を受けるのに知的に遅れをもっている子どもたちを猶予し、制限し、拒否するというような政策をとることはできないとしたのである。そして6歳から21歳にわたるペンシルバニア州におけるすべての遅滞児は,1972年9月には公教育が与えられるべきであると述べた。

 PARCの決定に続いて、同じく第二の連邦条項は1972年にみられた。Mills対ワシントンD.C.教育委員会の訴訟の中で(1972)、その地区の両親と保護者は、学齢期にある障害児にかわって訴訟を提供したのである。Mills裁定のその成果は、すべての学齢児が、その障害の重軽度にかかわらず、適切で無償の公教育を受けるに値するということであった。

 PARCとMillsの事例において、判別、評価、措置の方法とその決定は、障害をもつ子どもたちの教育に関連して与えられるということになった。結果的に、PARCの合意とMillsの条項によって障害をもつ子どもたちが障害をもたない子どもたちの中に措置されるべきであるとする問題が、その事例の中において主張されたのである。

 上述の二つの事例によって確立された判例に続き、教育を受ける権利は、多くの州の条例や規定の通過によって、より一層確定的なものとなった。かくて革命の推進およびその政策の幅が広がったのである。1972年には、州のほぼ70パーセントの州がそれぞれの州の政策の中で明確にするようになり、障害をもつすべての子どもたちの教育を必要とする立法を採択したのである〔Abeson, 1972 ; p.63〕。1975年までに二州を除くすべての州立法議会は障害児の大多数の教育を要求する立法を何らかの形で採択したのである。〔US Congress, Senate, 1975)。今日では一つの州を除くすべての州が上述のような立法を制定しているのである。さらに1974年の教育修正法案、公法93-380は、州に対して、州はすべての障害児に十分な教育の機会を与えるような目的を確立すべきであるということを要求したのである。

 (2)不適切あるいは不正確な判定

 「静かなる革命」の主たる要因、すなわち、障害児にレッテルをはるということと、子どもを判定するということのジレンマは訴訟の一つの問題となったのである。Dunnは、1968年にその問題を叙述した歴史的な論文を出し、その分野に注目をあびたのである。学校は、あまりにもしばしば子どもにレッテルをはりつけ、子どもを個々の心理的評価に従わせ、子どもに対して両親が全く知らないうちに適切な支持すべきデータもなしに子どもの教育的な立場を変えてしまうような要求のあったことを思い出したのである。

 こうしてレッテルをはりつけることによって障害児を判定するということが大きな問題を生み出すようになったのである〔Abeson, Bolick, & Hass, 1975, p.5〕。適切ならざるレッテルをはりつけるということは逆効果をもたらすからである。

 ・レッテルをはられた子どもたちは、レッテルをはられたが故にそのレッテルとともに汚名が結びつけられ、悩まされることがしばしばである。このことは通常の学校教育から孤立させることになり、また子どもたちや学校職員によってあざけり笑われ、拒否されるということになる。

 ・子どもにレッテルをはりつけるということは、子どもの行動というものはレッテルと結びつけられた意味での型にはめられた行動が期待されるということ、その行動に従うべきだということを示唆するものである。このことは、またしばしば子どもが一度レッテルをはられると、そのレッテルと結びついた型にはめられた行動に従うこと、究極においては、そうあるべきだという点において予測するということになる。子どもはレッテルがはられると教育措置がレッテルという土台の上でなされ、そのレッテルから逃れる機会はないのである。

 ・子どもが身体的に障害のあるという事実は、必ずしも特殊教育を必要とするものであるということを意味しないのである。

 他の研究者たちは、特殊教育のクラスの中において見い出される少数のグループの子どもたちについて、その問題点を指摘した。カリフォルニア教育庁による調査研究は例えば、スペイン人とよばれる子どもは全学童のわずか13パーセントであるが、教育可能な精神薄弱児のクラスの中では26パーセント以上にもわたることを見い出した〔Weintraub, 1972, p.4〕。

 1970年1月においてDiana対州教育委員会の訴訟がカリフォルニア北部の地区裁判所で提起された。その訴訟は8歳から13歳までの9人のメキシコ系アメリカ人である児童生徒によってもたらされたもので、彼らは不正確なテストをもとにして、精神薄弱児の中に位置づけられていたということを提起したものである。スペイン語がその主たる言葉であるような国からやってきた時、彼らは、スタンフォード・ビネーもしくはウエクスラーの知能検査から得られるIQの得点結果で教育可能な精神薄弱児のクラスに措置されていたということである。この9人の子どもたちがスペイン語で再テストされるならば,7人は教育可能な精神薄弱児のクラスに措置されるような子どもではなかったということである。

 このデータをもとにして原告者は次のことを訴えた。初めにテストは英語の能力に依存したテストであり、スペイン語による学習能力は無視され、しかもそのテストは土着のアメリカ白人によって標準化されたもので、さらに教材においては、中流階級の文化である白人にのみ優位なものであったと述べた〔Ross, De Young & Cohen, 1971, p.7〕。

 児童生徒のテストや判定による同じような境界標の決定は、サンフランシスコの統合学区の黒人の子どもたち6人について,1971年の暮れの記録にもみられる。LarryP.V.Rilesの訴訟によって(1972)知られるように、子どもたちは白人の中流階級の文化には精通していないが、そのことを認めないようなテストによって、自国でなら持っていたかも知れないような学習経験を無視してしまうようなテストによって、教育可能な精神薄弱児として不適切に判定されたことを訴えたのである。この訴えを解決するために次のような実践を用いることを必要ならしめた。

 ・子どもは生まれながらに有している言葉で子どもたちはテストされるべきであった。テスト通訳者は二か国語併用の検定者が得られなかった場合に雇用されるべきであった。

 ・メキシコ系アメリカ人、黒人系アメリカ人、中国系アメリカ人の子どもたちは、精神薄弱児のクラスの中で再テストされ、それで評価されるべきであった。

 ・州は直接の責任を引き受けるべきであった。すなわち適切な知能テストを用い、標準化するための直接的な努力をすべきであった。

 教育の権利と関連してこれらの事例は差別のない教育の概念へと導いた。この概念もまた、多くの州の中では州法に付加されたのである。子どもの判定とその措置をなすに先んじて、専門家の団結によって多くの資料データが分析され、考慮されるようになったのである。加うるに障害をもっていると考えられる子どもたちの親の意見が注目されるようになったのである。

 この原則もまた公法93-138の中に明文化されたのである。とくに障害児を判定し、措置をするために用いられたそのテスト・データや手続きというものが、人種的に文化的に差別されないようになされるべきことを州から求められたのである。

 (3)不適切な教育プログラム規定

 しばしば「静かなる革命」が主たる権利の問題に焦点をあわせ始めるように思われたとき、単に学校教育を受けるというよりは一層多くの注目が公立学校に向けられた。子どもの判定と措置の効果を実証するという過程の中においてみられた事例は、次のことを示唆しているように思われた。すなわち多くの子どもの割り当てが子どもについて一人一人のニードを知ることよりもむしろ行政的便利さの故になされたということ、結果的に教育を受けるという意味での目的は変えられた。教育を受ける権利と子どもの判定という両者からあらわれたこの訴訟は裁判判例の中に見い出される。障害をもつ子どもに対して与えられるべき教育の特性を定めている条例は、「適切な」(suitable)、「適当な」(appropriate)という言葉、「特別な教育指導」(specialized instruction)、「子どもの能力に適応した」(appropriate to the child's capacity)および「すべての障害者について最大限の能力を発展させるように企図された」(designed to develop the maximum potential of every handicapped person)という語句で満たされたものである。

 これらの限定語はさらに州の条例や規定の中に取り入れられ、主として意図的に配慮されるプログラム展開のための必要条件とされた。イリノイ州の事例は特徴的なもので、一人一人の子どもによって到達される特殊の目標を含めた教育計画が展開されるべきだとする規定を採択したのである〔State of Illinois, 1974, p.6〕。

 このような方向性は多数の専門家を利用するという点と結びつけられた。上述のようなねらいがなかったならば、子ども一人一人について習得された価値あるそれぞれの知識情報の多くは失われ、個々の子どものユニークなニードと関連して教育は決して考えられなかったであろう。

 Reynolds(1962)はもっとも障害の軽いもの(普通クラスに措置されている)から、もっとも障害の重いもの(特殊学校もしくは私立の施設に措置されている)に至るまで、障害児に関して継続的な措置のあり方を考えた。この教育措置はすべての障害児は普通クラスに措置されるべきであるということを必ずしも意図したものではない。そのように解釈されるべきではない。何が意図されているかというと、一人一人の子どもがそれぞれのニードをもっていて、そのニードを土台としてその限度内で措置されるべきだということである。これは六つの州が法律によって定め,11の州が障害を考慮して措置されるべきだとする原則を設けた。しかしながら1975年10月に全米教育協会(National Education Association)が次のごとく報告を出した。すなわち、22州もしくは半分の州が障害児をある期間、普通クラスに措置されるべきであるとする条例もしくは規定をもっていることを報告したのである。

 恐らく障害をもつ子どもたちにあてはまるものとして、最も明白な、最も総合的な条例の一つは1972年のテネシー州条例の中に見い出される。それは本質的に、公法94-142の中にうつし出されたものである。:

 実践しうる最大限の範囲において、障害児は障害をもっていない子どもたちとともに教育されるべきで、また普通クラスに出席すべきものである……特殊学級、普通の教育環境から分離した学校教育、もしくは普通学校の教育環境から障害児を排除するような特殊学級は、障害の特性もしくは障害の重度なるが故に普通学級における教育が補助具や特別なサービスをもってさえ満足に十分に完成され得ないという場合においてのみおこり得ることなのである〔Tennessee Code Annotated, Sec. 23, Chap. 839, 1972〕。

1975年全障害児教育法 公法94-142

 「特定の教育に関する小委員会」(the Subcommittee on Select Education)と「障害者に関する小委員会」(the Subcommittee on the Handicapped)とか、「1974年障害者教育修正法(公法93-380)」の拡大と修正のために、ワシントンD.C.や国内各地で立法に関する聴聞会を開始した1975年4月までに、すべての障害児のために適切な教育を勝ちとるための「静かなる革命」は次第に強まりをみせていた。この時点までに、過半の州においては、訴訟が終わっていたかまたはその最中であった。障害児の親や関係専門家は、訴訟をおこしそれを維持するために、州や地方の政策を推進させるために、また新たに勝ちとった政策命令を実施させるために、州全体にわたる連携をますます深めつつあった。

 だが、このような運動の高まりにもかかわらず、上記の議会小委員会は、以下のことを知ったのである。

 ・合衆国における175万人以上の障害児が、障害があるという理由だけで、公教育を受けることから全く除外されていた。

 ・この国の推定800万人の障害児の過半数は、彼らが必要とし、彼らが受ける権利のある適切な教育的サービスを受けていなかった。

 ・他の障害児の多くが、その障害が発見されなかったために、または彼らの個人的権利の侵害のために、不適切な教育の場にいぜんとして措置されていた。

 連邦政府及び州の司法、立法の動きは、1970年以降、障害児に対して適切な教育的サービスを与える方向へと進んできたが、なお大いなる努力が必要なことが明らかとなった。この努力とは、後に「障害児の権利宣言」(the Bill of Rights for Handicapped Children)と呼ばれるような立法形式をとることであると議会は決定した。1975年6月18日に上院で83対10で、続いて7月29日に下院で375対44でそれぞれ可決され、Gerald Ford大統領は、同年11月29日に、この歴史的法案に署名した。ここに、「全障害児教育法、公法94-142」(the Education for All Handicapped Children Act, Public Law 94-142)は法律として生まれ、すべての障害児の基本的な教育権を勝ちとるための「静かなる革命」が終結し始めたのである。

 この包括的な法律について説明する場合、記述の仕方はいろいろ考えられる。一つの方法は、この法律についてこれまで論述された事柄の沿革を全体的に把握する方法である。この方法は、この論文においては効果的と考えられるが、この法律は、この論文ではほんの限られた形でしか述べられない広範な管理運営や財政面を包含していることを初めに断っておきたい。

 (1)教育を受ける権利

 この法律がすべての障害児の教育を用意することを保障するという議会の意図は、この法律の目的の叙述に反映されている。すなわち「この法律の目的は、すべての障害児が、指定された期限内に、彼ら独自のニードを満たすために計画された特殊教育及び関連サービスに重点を置く無償で適切な公教育を受けられることを保障することである。」〔公法94-142 、1975、第3条のC〕

 ここで、「指定された期限」とは,1978年9月に始まり、3歳~18歳のすべての障害児に無償で適切な公教育を受けさせるということである。さらに同法は,1980年9月1日までに、3歳~21歳のすべての障害児(3歳~5歳及び18~21歳の範囲の教育が、州法または慣例または裁判所の命令と一致しない場合を除く)に、そのような教育を受けさせることを命じている。

 公法94-142の中にこの権利を包含したことは、国家諮問委員会(the National Advisory Committee)が述べているように、それが国家政策であることを十分に明らかにしている。指定された日付以降は、障害があるために、特殊教育を必要とする独自の学習ニードをもっている障害児を拒むいかなる理由もないであろう。障害児が学習することができないとか、障害があまりに重度であるとか、プログラムがないとか等々の理由で、学校関係者が障害児の教育を排除したり、延期したりすることは、もはや許されないであろう。

 この公民権の原理は、公法94-142が制定される以前に、国の裁判所や立法者によって実際に認められた教育上の用語によっても明確にあらわされることができる。まずそれは、いかなる子どもも教育不可能ではない、言いかえれば、すべての子どもは学習可能であるということを意味する。教育とは伝統的に定義されてはならず、むしろ個人が、いかなる環境であれ、彼らの環境の中で対処し、機能する継続的過程と考えられなければならないということは、上述のことと密接に関連している。PARCから、特にIgnacy Goldberg博士により述べられた証言から生まれたのは、まさにこの定義であった。

 次に、カリキュラム立案という観点から解すれば、それは、盲児に移動訓練を、身体障害児に障害に適合した体育を、精神遅滞児に身体機能の訓練を行うことは、健常児に対して自動車運転指導、体育、保健衛生の指導を行うことと何ら異なるものではないことを意味する。

 教育を受ける権利は、さらに、障害児が学校によって用意され、または後援されるすべてのプログラムや活動への参加資格を健常児と同様に有することを意味する。障害があるということは、もはやそれだけで、音楽、運動競技、応援団の指揮、他の教科外活動に不適格であることを意味しない。また、障害児は、障害があるからといって、すべての過程から、特に職業教育から除外されると考えられてはならない。同様に、障害及び関連した特別の学習ニードがあるために特殊教育を受ける場合、それによって、子どもがほかの特別のサービスを受ける資格を失うものではない。

 すべての障害児が教育を受ける権利の要求の中には、授業料を徴収して経営する公私立の通学制または寄宿制の学校のプログラムを必要とする子どもたちが含まれている。以前は、様々な州法の定めによって、これらの経費の一部または全費目について、家族が一部または全額を負担することとされていた。TrudeauとNye(1973)は、このような状況にある子どもたちに対して、授業料の一部または全額を補償する政策が40州にみられると指摘した。これらの経費の支出に耐えられない家庭が多かった。

 こうした事態を改善するために、議会は公法94-142において、すべての障害児が、親や後見人に対する付加費用なしに無償で適切な公教育を受けられることを要求している。さらに、子どもの適切な教育が授業料を要する学校で与えられるべきであると決定されたときには、授業料、送迎、寄宿舎などを含むサービスを受ける費用も、自動的に親に課されてはならないとしている。この命令の誤解が生じてはならない。授業料を要する学校への公費での措置は、親の選択に基づいて行われるものではない。親が費用負担を要しないのは、公立学校の勧告によってまたは正当な手続きの結果として、授業料を要する学校が子供に適切な教育を与えるのに必要とされると決定された場合のみである。

 (2)差別のない評価を受ける権利

 公法94-142は、その前法である公法93-380と同様に、十分に文書で証明され、調査された差別的評価活動の問題に立ち向かっている。公法94-142に含まれる政策命令は、少数社会集団の子どものみならず、障害児に対しても衝撃を与えてきたこのようなマイナスの実践を改善する意図が明白である。

 本質的に、同法は、障害児の評価のために用いる検査・評価の用具及び方法は文化的に差別しないように選定され、実施されることを要求する。さらに同法は、そのような用具や方法が子どもの母国語またはコミュニケーションの方法で用意されるべきことを明記している。最後に、単一の方法や検査はどんなものであれ、それだけで子どものための適切な教育プログラムを決定する基準となり得ないことである。この最後の要件は、検査を含む標準化された方法はそれ自体悪ではないが、不適切に使用されれば悪となるという格言をつくっている。

 公法93-380の可決後、障害者教育局(the Bureau of Education for the Handicapped)〔1974〕は、同法を理解し、施行する一助として作成された解説書である「勧告書」(advisories)を公布した。十分に認識された問題であるにもかかわらず、その容易な解決法のない「差別なき評価」の分野全体を通じて、勧告書は教育機関に対し、以下のように勧告している。

 「言語の違いや不足、不適応行動、極度の文化的差異のために、子どもが検査用具で評価されることができない場合には、一つの手続きが、診断─処方技術の開発のための手段という観点から含まれるべきである。そのような手続きは、文化的にまた言語的に適切な尺度が有資格者によって実施されないかぎり言語または文化の違いのために子供が検査によって要求される課題や行動に反応することができない場合、いかなる評価も試みられないことを保障するべきである。適切な尺度及び有資格者が得られない場合には、より公式の評価のため子供が学校の言語や文化に十分習熟するまで、診断─処方的教育プログラムが用いられるべきである。これらの評価手続きは、評価情報を解釈し、教育決定をする者が、様々な尺度を実施する資格を有し、また、家庭と学校の両者からの多くのデータの意味を解釈するのに文化的差異を考慮する資格を有することも保障すべきである。」(p.29)。

 公法94-142に含まれている「コミュニケーションの方法」は、差別撤廃政策命令への重要な付加要件である。文化的、言語的に差別する傾向が認められていた間は、障害の現れの故に評価、特に検査を受ける障害児の問題になんら注目の目が向けられなかった。したがって、彼らは差別の犠牲者でもあった。評価活動において、何が評価されるよう意図されているかが問題なのである。腕や手に運動障害を有し、運動機能を測定するよう意図されていない多くの種類の標準検査に共通な様様な動作課題を十分に遂行できない子どもは、こうした問題の例として挙げられる。子どもがを積み木を重ねたり、再配列したりすることができないからといって、それは、何が要求されているか、どうしたらよいかを子どもが知らないということを意味するものではない。したがって、公法94-142の下に、評価する者は子どものコミュニケーションの方法を考慮しなければならないのである。

(3)適切な教育を受ける権利

 障害児にこれまで与えられてきた不適切な教育的サービスの問題を処理するために、議会は公法94-142の主な内容として、各々の子どもは,IEPとして知られる、文書形式の「個別教育プログラム」(individualized education program)を用意されるべきであるという要件を含めた。各々の障害児に必要とされるIEPは、同法を理解し、同法に効果的に従うための中心的構成要素である。IEPを理解するためには,Weintraub(1977)によって述べられているように、以下の進行を理解することが重要である。

 「障害児は、同法によって、『精神遅滞、難聴、聾、整形外科的障害、他の健康障害、言語障害、視覚障害、重い情緒障害、学習障害を有する子どもであって、その障害のために、特殊教育及び関連サービスを必要とするもの』と定義」されている(第4条(a)(1))。この定義は、同法の下における子どもの適格性を決定するための二つの基準を定めている。第1の基準は、子どもが定義に掲げられた一つないし二つ以上の障害をもっているかどうかということであり、第2は、子どもが特殊教育及び関連サービスを必要とするかどうかである。障害をもつ子どもがすべて特殊教育を必要とするわけではなく、プログラムの修正なしに学校に出席して、授業を受けることができるし、またそうすべきである子どもも多い。

 特殊教育は、公法94-142に、「……親または後見人に何らの費用負担をかけずに、障害児の独自のニードを満たすために特別に設計された教育であって、学級での指導、体育の指導、家庭訪問指導、病院や施設における指導を含む」(第4条(16))と定義されている。

 IEPに影響を与える上記特殊教育の定義の主要な言葉は、「障害児の独自のニードを満たすために特別に設計された教育」である。そこで、この定義によって、特殊教育とは特別なものであり、障害児の独自のニードを満たすために特別に設計され、運営される教育のみを包含することになる。だから、多くの子どもにとって特殊教育は、彼らの教育の全体ではないであろう。さらにこの定義は、基本的目標から得られる特別の成果と一般教育から得られる成果とをはっきりと意味している。したがって、ある子どもとのかかわりは、彼が精神遅滞であるから生じるのではなく、彼が特別に設計された教育を必要とする独自の教育的ニードをもっているから生じるのである。

 同法に定義されている「関連サービス」の概念も理解するのに重要である。すなわち「輸送、そして障害児が特殊教育から利益を得るのを援助するために必要とされる発達的、矯正的及び他の援助サービス(言語病理学、聴能学、心理学的サービス、理学療法及び作業療法、レクリエーション、医学的及びカウンセリング・サービス〈診断と評価の目的のみの医学的サービスを除く〉)で、子どもの障害の状態の早期確認と評価を含む。」〔第4条(a)(17)〕。

 ここでの主要な語句は、「障害児が特殊教育から利益を得るのを援助するために必要とされる」である。このことは、明らかに次のようなことに進んでいく。すなわち、子どもは特殊教育及び関連サービスを必要とするから障害があるのである。特殊教育とは、子どもの独自のニードを満たすために特別に設計された教育である。関連サービスとは、子どもが特別の教育的指導から利益を得るために必要な付加的サービスである、と。「個別教育プログラム」という用語は、それ自身詳細に述べる必要のある重要な概念を含んでいる。第1に、「個別」とはIEPが学級やグループの子どもよりも、むしろ一人の子どもの教育的ニードに向けられなければならないことを意味する。第2に、「教育」とはIEPが同法によって定義された特殊教育及び関連サービスであるところの子どもの教育の諸要素に限定されることを意味する。第3に、「プログラム」とは、IEPが、後に計画が作成されるための指標を与えるようなものではなく、子どもに実際に何が与えられるかを書きあらわしたものであることを意味する(p.27)。

 最後にIEPの構成要素を述べた明確な定義が同法に含まれている。すなわち、「地方教育機関までは中間教育機関(障害児の独自のニードを満たすために特別に設計された教育を用意し、またはその用意を監督する資格を与えられねばならない)の代表者、教師、親または後見人、適切な場合には当該児による話し合いにおいて作成された各障害児のための文書で、この文書は、(A)当該児の現在の教育到達レベルの記述、(B)短期間の指導目標を含む年間の目標の記述、(C)当該児に与えられる特殊な教育的サービス及び当該児が普通教育プログラムに参加できる程度の記述、(D)そのようなサービスの開始時期と予想継続期間及び指導目標が達成されているかどうか、少なくとも年一回決定するための適切な客観的基準、評価手続き、スケジュールを含まなければならない〔公法94-142 、1975、第4条a.19〕」。

 公法94-142のIEP要件は、すべての障害児に適切な教育を行うという同法の目標を達成するための潜在力によって多くの注目を浴びた。例えば、IEPの作成に教師を含めたことは、現実的な教師の関心やニードがIEP作成過程の一部と考えられることを保障するためである。教師はプログラムの用意に主たる責任を有するので、教師がプログラム立案に主たる発言権を有することは適切である。同様に、親の参加は、自分の子どもについてもっている多くの情報と必要とされる教育プログラムに関する親の判断が考慮されることを保障するためである。利害関係のある関係者すべてに知られている個々の子どものために、目標・目的という形で共同して決定される将来の見込みを設定することは、不適切なプログラムが継続しないで、必要なプログラム修正が行われるように子どもの進歩を評価するはっきりした基礎となるので、極めて注目される。

 完全なIEPを用意することの重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないし、また、誤って解釈されてはならない。IEPは関係者全員の間の合意の産物であること、また、IEPは契約書ではないが、それは明らかに子どもに何が与えられるかを述べている文書であることが強調されるべきである。しかしながら、学校体系はIEPに述べられている「特殊な教育的サービス」の用意の法的義務がある。つぎに、IEPは管理運営計画であって、教師と子どもの日常の活動を明細に記述した指導計画ではない。最後に、IEPは特殊教育サービスを必要とする各障害児のために、その子どもに何が適切なのかを決定するのに役立つ。

 障害児に対する適切な教育のいかなる議論も、限定的教育措置を最小にする原理の考慮なしには完全とはいえない。すでに述べたように、IEPそれ自身の法的定義は、「当該児が普通教育プログラムに参加することができる程度」の考慮を要求している。加えて、各州は以下のような手続きを確立しなければならない。すなわち、「障害児は、公、私立の施設または他の保護施設にいる子どもを含めて、適切な最大限の範囲で、健常児と共に教育されること、及び特殊学級、分離した学校または普通教育の場から障害児を移すなどの教育措置は、障害の性質や重さが普通学級における教育が補助的手段やサービスを用いても十分に達成されないほどである場合にのみ行われることを保障する手続き」〔公法94-142, 1975, 612条, 5. B〕である。

 この部分の適切な要件の履行は、ある人によっては、すべての障害児がその障害の軽重にかかわらず、普通学級プログラムに措置されるべきだと解釈されてきている。またある人にとっては、これらの命令は、すべての障害児が固定式特殊学級に措置されるべきことを意味している。これらのどれも正しくない。存在しなくてはならないものは、個々の子どもに適切なプログラムを、できる限り分離されない場で用意する学校体系の能力である。この要件をこのように概念化することは、措置決定は子どものIEPに示されなければならないが、IEPは子どもの学習ニードとプログラムの決定に従わねばならないことを示す。利用できる措置選択の自由は、もはや個々の子どもの措置決定を命ずることはできないのである。

(4)法の適正手続きへの権利

 「静かなる革命」を通して、障害児の確認、評価、教育措置の決定の方法は、全米を通じ実質的に再検討された。これらの問題を解決するために、裁判所は手続き上の正当な手順を堅守することを命じた。公法94-142の一部として議会によって選定されたのもこの解決策であった。この法律の多くの要素と同様に、適正手続きは広範な注目と議論を受けた。同法によって創造された権利のすべてが、障害児、その家族、公立学校に実際に行使されることを保障するために、それは同法に含まれているのである。この意図を表現する一つの方法は、適切手続きが障害児の教育に関係する者すべて──子ども、家族、学校──の利害を等しく考慮するために定められたということを述べることである。

 議会が同法に含めた適正手続きの細かな要素は次のとおりである。

1.評価の前の文書による通知。更に、家族の母国語が英語でない場合、通訳者または翻訳者を用意される権利(そうすることが明らかに実行不可能である場合を除く)。

2.教育措置の変更を始めるときまたは措置変更開始を拒否するとき、文書による通知。

3.確認、評価、措置、無償で適切な教育の用意に関する不服を申し立てる機会。

4.子どもの教育的評価を単独に得る機会。

5.すべての関連ある記録へのアクセス。

6.以下の諸権利を含む公平な適正手続き聴聞会の機会。

a.時機を得た、明確な聴聞会の通知を受ける。

b.弁護士及び障害児の問題に関して特別の知識や訓練を積んだ個人に同伴され、助言される。

c.対決し、反対尋問し、証人を出席させる。

d.現在の証拠

(1)聴聞会の書かれたまたは電子機器による遂語記録。

(2)事実及び決定の文書による判定。

7.聴聞会の判定及び決定に意義申し立てする権利。

 同法の手続き上の保護条項は、特に重要な二つの規定を含んでいる。第一の要件は次のとおりである。すなわち、親または後見人が「不明で、利用できないかまたは子どもが州の被後見者であり」、同法の下にサービスを考慮されている子どもについては、当該児の教育・福祉関係者の中から、親または後見人の代理人(州の教育機関、地方教育機関、中間教育機関の被雇用者であってはならない)を選定する手続きが確立されなければならないことである。この要件なしには、親または後見人のいない子どもたちは、本質的に彼らの適正手続きへの権利を奪われてしまうであろう。

 公法94-142が制定されるまでは、適正手続きの権利が行使され得る状況は、確認、評価、教育措置に限られていた。しかしながら、同法の下で、議会は「子どもの確認、評価、教育措置または無償で適切な公教育の用意に関するあらゆる事項について現在の不服を申し立てる機会」(第615条、b.1.E)を与えることによって、適正手続きの機会を拡大した。意図されていることは、先に指摘したように、不適切な実践の再検討と是正の機構を用意することである。

 十分に確立され、理解された適正手続き体系の下に動いている多くの学校体系は、それが障害児の家族とのコミュニケーションを導く効果的な手段を与え得ることを見いだしている。それは、障害児の教育的状態について、すべての関係者に情報を提供する一連のコミュニケーション手続きを示している。極めて多くの場面において、失われてきたもの、求められているものはコミュニケーションである。しかし、子どもの状態または子どもの適切な権益には何があるかについて見解の不一致がある場合には、より徹底した手続きが利用され得る。親のみならず学校職員も、要求されていること──子どもの適切な教育──が達成されることを保障するために、これらの手続きを利用することができる。

(5)将来

 この論文を通じて、「静かなる革命」の終結への言及がなされてきた。1970年に始まり、1978年9月の新しい教育の出発まで続いた「静かなる革命」は、すべての障害児の教育権を政策の中に効果的に確立した。この革命の、少なくともその一側面の終結とともに、すべての教育者、特に、これらの権利を確立するために長い間働いてきた特殊教育者の努力は、これらの権利行使の達成に向けられなければならない。公法94-142は国家政策である。それは、何が行われるべきかについて明確に示しており、また、それは、各州内に居住するすべての子どもの教育を用意するという州の義務を履行する州の、中間の及び地方の教育機関を援助する資金を充当する。この命令はいまや明らかに、障害児を等しく適用される。

 個々の州の、そこに居住する子どもを教育する義務への言及は適切である。あまりにも長い間、多くの州において、障害児を教育するための州自体の命令要件は不十分にしか実施されなかった。公法94-142は、州がそれ自体の命令を実施し、すべての障害児の教育を用意するように、ある程度力を与えることができる。公法94-142は、実際、完全なサービス目標を達成するために、地方、州及び連邦政府の資源を効果的に結びつけることを意図している。

 法の施行に当たって最も重要なことは、同法及び同法制定の理由を正しく理解することである。誤った解釈の誤った知識は極めて危険である。有権者市民、立法者、教育委員会職員、行政者、教師、支援者、障害児の親らは、だれかが法律が述べていると思っていることではなく、法律自身が述べていることを知らなければならない。学校内でおこるであろう出来事は、主として、このような人々のうち、障害児についてほとんどまたは全く知らない人々によるものであろう。特に、全学校地域社会は、障害児はまず子どもであり、次に特別の学習ニードをもった子どもであるという事実に敏感になることが必要である。大ていの場合、正しい知識情報をもたらす責任は、知っている人々、すなわち特殊教育者にある。

 障害をもち、独自の学習ニードをもっていると十分に認められる子どもたちにとってさえ、法の施行が困難であるという事態は、将来は極めて一部になろう。例外的な環境に置かれている、何人いるか分からないこのような子どもたちも、法の恩恵を受けることを保障するために、特別の注意が向けられなければならない。これらの子どもたちの中には、通常の教育的地域社会にいるものはもちろん、国を横ぎっているインディアン保留地にまたはその近くに住んでいるアメリカン・インディアンの障害児、誤った取り扱いのために、特殊教育を必要とする独自の学習ニードをもつ障害児になってしまった虐待され、おろそかにされた子どもたち、国の養育保護プログラムや少年矯正プログラムにおいて長い間、おろそかに扱われてきた障害児などが含まれる。同様に忘れられてならないのは、障害を確認されてはいるものの、施設の中で不適切に処遇されている障害児や極めて教育困難な内陸都市または過そ地域に住んでいる障害児である。

 すべてが語られ、すべてがなされたとき、そして歴史家が「静かなる革命」を検討するとき、彼らは、公法94-142は第一級の障害者教育政策を達成したものではあるが、最も注目に値する総合的な障害者政策は1973年の職業リハビリテーション法(公法93-112)の第504条であるとたぶん決めるであろう。この法律のわずかな条項は以下のことを規定している。すなわち 「合衆国の有資格障害者は、単に障害があるという理由だけで、連邦財政援助を受けて行われるいかなるプログラムまたは活動への参加から除外され、それから得られる恩恵を拒否され、または差別を受けることがあっはならない。」

 この法律が実際に、社会全体が障害者に等しい権利を与えねばならないことを要求する限り、それは公法94-142の施行に特別に重要な意味をもつものである。第504条の施行規則は、就学前、初等、中等及び中等後の教育について規定した部分を含んでいる。これらの諸規定は、全般的には公法94-142の多くの規定に一致しているが、あらゆる教育機関が実際に連邦財政援助を受けるので、その施行過程を促進するであろう。公法94-142に違反することは、たいていの場合、第504条の違反を意味し、最終的にはすべての連邦資金の保留を意味するといってよい。このことは、障害児の基本的な教育権に関して特に疑いないところである。公法94-142と提携した第504条は、法施行の実体であるといえよう。その努力がどの程度十分に行われるかが、もう一つの革命が必要かどうかを、また必要ならば、その革命の大きさを決定するであろう。

参考文献 略

*障害児(者)に関する訴訟と教育について書かれた初期の論文の一つに「静かなる革命」とよばれる教育運動がみられた。
**教育行政官補佐
***政府関係教育政策担当専門官
****文部省初等中等教育局特殊教育課教科調査官


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1978年3月(第27号)2頁~15頁

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