〈教育〉 重度・最重度障害者のための教育

〈教育〉

重度・最重度障害者のための教育

Educational Services for the Severely and Profoundly Handicapped

Norris G.Haring,*Ed.D

久芳美恵子**

問題提起

 Burton Blatt(1966)の「Christmas in Purgatory(煉獄のクリスマス)」と Geraldo Rivera(1972)の「Willowbrook(柳の小川)」の二つの著作により、重度障害者の州立施設のかくされた奥の病棟の状態が広く世に知らされ、新聞にも大々的にとりあげられた。Blattは、世間に忘れられた子供や若者たちの州立施設での悲惨な生活の状態を、さし絵入りの随筆に書き、施設保護を告発した。人々は、悲惨な状態を知り憤慨した。Blattは、人手不足であるとか、定員過剰の施設であるとか、悲惨な状態を生ぜしめている理由をあげ、もっと容認しうる基準を規定する公約をするよう求めた。彼の見解は、宇宙探険がたけなわなこの20世紀半ばにおいて、このような比較的簡単な問題が解決されないままにおかれていることは、明らかに不合理だということのようである。

 一方では、Geraldo Riveraによって一見状態は良いと思われるニューヨークの州立施設が調査された。子供たちも部屋も清潔に保たれてはいたが、ここもまぎれもない陰気な雰囲気に包まれていた。さらに詳しい調査で、奥の病棟、施錠されたドア、世に忘れられた人々という現実が暴露された。その光景は、19世紀初頭、いや18世紀の初めさえも思い出させるものであった。

 「なぜ、こうなのか」と多くの人々は問うが、返ってくる答えはただ一つ、「別の途がありますか」であった。このような人々にとって、病院入院や施設収容に代わる途がなかったのであろうか。

 Rivera(1972)による悲惨な状態の暴露は、重度障害者の教育的・社会的発達を図るという一般に広く知れわたっている公約が、いまだなされていないという確かな証拠であった。提案されていた有効な情報、特に行動技法(behavioral technology)から派生した情報は、排泄であるとか、食事の自立とかの基本的技能を教えることにさえ使われていなかった。子供や若者たちはひとりひとり残され、その結果、彼らは「施設特有の(institutional)」行動を示し始めた。そうすると、彼らを社会の中に入れることは、不可能ではないにしても、なお一層おぼつかない目標となる。

 ある意味では、「社会への移行(transition into society)」について言及することは、常に問題を多く含んでいる。障害者が社会に参加するための最低の参加資格としてどのような技能が必要かは、現代の社会を調査し、ある程度まで知ることができる。しかし、現在、社会は迅速に動いていて、たった2年前の音楽とか、出来事とか、習慣とかをなつかしく思うような社会の構造が、20年のうちにどうなるか、その予測は、占星家か予言者か経済学者に任せた方が良いだろう。これらの人々は、同じような率で大当たりしているようだから…。20年後の社会で一定の成果をあげるために、重度障害者にはどんな特殊技能が必要とされるかの予測などは、我々の手に負えないもので、神の配慮と保護に任せた方が良いだろう。

 しかし、重度・最重度障害者の教育や、生活の質の将来における改善について話そうとすると、我々は二つの不定要素に直面せざるをえない。そのどちらもが予測不可能であり、しかも相互に関連しあっているので、一方の変化がもう一方の変化と複雑にからみあっている。すなわち、重度障害者にその地域社会で自立または半自立して生活できることを可能にするアカデミックな、また職業的・技術的技能を供給するための教育体系を開発する以前に、その障害者個人に地域社会が何を要求しているかを知る必要がある。また、障害者個人が何ができるのか、どのくらいの試練に耐えうるのか、どんな技能を習得しうるのか、またどんな責任を負いうるのかということについても知っておかねばならない。現在の時点では、この社会と重度障害者の可能性とは、どんな返事がかえってくるか予測できない問いである。現在早期教育プログラムに在籍している何人かの重度障害幼児は、個々の必要に応じたプログラムを通して青少年期へと成長しているので、我々は、このような個人が市民として為しうることについてはより自信をもって言うことができる。

 もちろん、現在ある個別プログラムのどれからもまだ卒業生は出ていないし、大体20年間位は出ないだろうが、卒業生が出る時までには道路を横断するのに必要な技能は変わってしまっているだろう。そうではあろうが、J.F.Kennedyが好んで引用した中国の格言をくり返すと、『千里の道も一歩から』なのである。事実、重度・最重度障害児の教育に向けて協力して活動を始めるための技法を我々は現在手にしているのである。

 この25年間に発達した行動技法はこれら障害児が新しい行動を開発し、維持し、強め、また不適切行動を修正したり消去したりできるようにするはずである(Krumbaltz and Krumbaltz,1972)。この技法は、現在連邦政府の資金援助を受けているデモンストレーションセンターで重度障害児に用いられている。しかし、我々が直面する挑戦は、すべての障害児のためのより広範囲なプログラムの開発に有効な技法を完成することである。

挑戦

 この挑戦は、ペンシルバニア遅滞者協会(Pennsylvania Association of Retarded Citizens)によって提起された1971年の訴訟中に、ペンシルバニア法廷で言明され、無償の公教育が精神薄弱者にほどこされるべきことが判決書の中で明らかに示された。次いで1972年、Mills対ワシントンD.C.教育委員会の訴訟で、「判決は…ペンシルバニア権利の含みを、単に精神薄弱児だけでなくすべての障害児が公教育を受ける権利をもつという教育状況へと拡大した。それに加えてMills訴訟は『原告の憲法上の権利の最終的決定』とみなされている。〔Friedman, 1972〕…」(Sontag, Burke and York, 1973)。

 これらの連邦裁判所の命令はすべての障害児に教育の機会均等を保障するための重点目標を制定するよう連邦教育局(United States Office of Education)に促した。これに関しては障害者教育局(the Bureau of Education for handicapped)によって6項目の目標の構想から施行まで調整されている。

 1.すべての障害児に適切な教育を保障する。

 2.適切な教育サービスを障害児に供給することにおいて各州を援助する。

 3.障害児は学校を卒業してからも、労働市場に関連があり、障害児の職業希望にとって意味があり、また、彼のもてる可能性とてらしあわせて現実性のある教育的職業訓練を受け続けることができることを保障する。

 4.学校教育を受けている全障害児に障害児がもてる可能性を最大限に発揮する介助となる必要な技能についてよく心得ている資格ある教師やリソースパースン***(resource person)を保障する。

 5.学齢前障害児については、連邦政府、州そして地域の教育的デイケアプログラムへの参加を保障する。

 6.障害児に自己啓発の機会を与え、それによって施設保護の必要が減じ、できるかぎり自立可能となるような重度障害児のための様々な教育プログラムの作成を奨励する。

 これらの目標を達成するために、連邦政府の資金援助を受けた研究やデモンストレーション、職員養成プログラムなどが全国的に創設された。技術の進歩や重度障害児への教育サービスを提供しているデモンストレーションセンターと共に、現在学校区では、公立学校体系の中で適切な教育を供給する機会と責任の両方を備えている。

 要するに障害のあるなしにかかわらずすべての子供に教育を施す責任について我々の姿勢が変わったのである。以前には施設収容が唯一の措置であった子供たちのためのプログラムが実施されている。姿勢や方針のこういった変化は、親や多くの専門分野における専門家、助手たちの協力に負うものである。彼らは、重度障害児教育を幅広い制限のないものにしようと、またこれらの子供の行動様式や可能性に限界があるのだという前提をなくそうと共に努力したのである。

 しかしなお、重度・最重度障害児の成長には限界があるという観念を変革する必要が急務である。というのは、最近まで効果的なプログラムが存在していなかったので、障害児たちの可能性については実際には知られていないのである。だから「生まれつきの可能性」に関するすべての意見は一時棚上げされるべきである。

 重度障害者のもつ可能性をよりよく知るために我々が最初にやるべきことの一つは、障害児たちをできるだけ早期に判定できるような診断、評価の技能を明確にすることである。これらの子供たちを誕生時または幼児期の早いうちに判定できれば、我々は子供たちがもてる可能性を十分に発達できるように体系的な教育方法ですぐに対処できる。早期に対処することは、子供の障害が及ぼす悪い影響を防ぐことと、第一次障害を軽視したために起きてくる二次障害の発現を避けることの双方にとって非常に重要である。我々の診断技能は普通幼児の発達をもとにしたチェックリストのような簡単なもので明確にしうるだろう。そのチェックリストでは、障害存在の可能性を示す正常からの逸脱を警告しうる反応のあるなしがチェックできる。チェックリストは普通児を観察する中から見い出され、誕生からの発達の基準を確立するようなものであるべきである。胎児の発達は通常産科医によって観察されるが、妊婦が障害児を産むと思われる理由がある場合は、産科医による観察は特に重要である。

対象人口の増加

 特殊教育に携わる職員は、急速に変化する環境や技術の発達を具体化するばかりでなく、教育が必要な障害児の数や障害の型、年齢の範囲の急激な拡大をも取り扱わねばならない(ウィスコンシン、ペンシルバニア、ミズーリー、ワシントンなど)。重度障害児の就学前教育を法によって義務づけている州が増加してきている。先例にならう州が増加するに伴って、特殊教育に携わる教師は、従来とは別の役割を自分が果たしていることに気づく;つまり教師は、従来やってきたような読み方の矯正よりもむしろ、食事の自立や排泄や着衣、そして歩行のようなことさえも指導しているのである。

 我々は顕著な行動変容をもたらすために行動技法を用いているが、重度障害者にこのような基本的な生活技能を教えることを目的として開発され、標準化されたカリキュラムは現在までほとんどない。

 現在重度障害児に提供されている就学前教育に加えて、「(障害をもつ)危険率の高い」幼児の早期発見と対処の技法の研究も、連邦政府の資金援助を受けて34の大学付属病院や診療所でなされている。これらのプログラムは、障害の治療と将来起こりうる障害の予防のために、できるだけ早期に幼児に対処するように計画されている。診断技法が絶えず改良され、潜伏期間の長いウィルスが原因の病気(例えば多発性硬化症のようなもの)を除いて、最重度の障害状態は生後2~3か月のうちに診断可能となるべきである。

挑戦に応ずる

 重度障害児の教育に質の高いプログラムを用意するという挑戦に答えるために初めに手をつけるべきことは、教師の力量を啓発することである。我々は、包括的なカリキュラムであるとか、行動技法の体系的な適用とか、体系的なプログラミングといった的確な教育方法を実行しなければならない。普通児のクラスでは効果のある従来の方法も特別クラスでは十分ではない。このような能力はどうしたら現実のものとされうるのか。重度障害児を指導するのにどのような技能が必要なのか。これらの疑問に答えるために指針をいくつか示そう。

 重度障害児の指導をうまくやろうと思うならば、教師は少なくとも次にあげる基本的技能と能力(力量)を身につけるべきである。

 1.教育カリキュラムを順を追って行い、カリキュラムの目標に関係する課題の分析を遂行する。教授順序には、明確に定められた一連の欠くべからざる行動が含まれていなければならない。正しい行動の例を含めた最終的な目的となる行動の叙述と、最終的な行動目標に到達するために必要な途中の行動を初めから終わりまで記述したリストが含まれるべきである。

 2.その日ごとに子供の行動にみられた変化を評価する。これには、子供の進歩を示すための毎日の行動の比較の基となる直接的・連続的な測定が必要である。子供が反応を習得するに応じて、詳述されている学習課題は「達している(go)」か「達していない(no go)」と記録する。また1分間に1回またはそれ以上の率で起きるといった反応の頻度も記録すべきである。

 3.子供たちに必要な課題の技能、事柄を教えるための適切な教材を選び、求め、作り上げまた工夫する。多くの場合、教師は子供の課題達成の手助けとなる特製の補助装置を考案し、創りあげることができるだろう。

 4.教授の過程に親をまきこむ。この関係は、親が子供たちと効果的にかかわれるような知識やデモンストレーションが親に与えられると最も効果的であることがわかる。教師は親と一緒に教育目標や使用する方法を決めるべきであり、行動についての原則の上手な応用の仕方について親に知識を与えられるべきである。親は教師の教え方を実際に観察することで、自分たちの教え方を向上させる。その次に、教師の監督と助言のもとに教える機会が親に与えられるべきである。親は通常大変良い教師になるし、そうなると自分の子供の取り扱いに際立って好ましい影響を及ぼす。

 5.個別学習がグループ学習の場面で、課題に取り組むより子供を促す際によくつかわれる強化計画を立て、うまく利用する。6人~8人のグループに子供を出席させ、効果的に反応させるには、教える事柄と強化する事柄を巧妙に取り合わせる必要がある。

 6.チームワーク、重度障害児のためのいかなる包括的な教育プログラムにもチームワークは必要である。教師以外のチームの他のメンバー、例えば、コミュニケーション障害の専門家、作業療法士、理学療法士なども同一の場で共に、彼らのもてる技法を用いるべきである。というのは、それぞれの専門家は互いに学びあうので、チームの同僚がそのもてる技能と能力を駆使しているのを見る機会が与えられると、全体の処置計画を効果的にする。これは尊敬と協力体制も築き上げる(Haring,1975)。

職員養成プログラム

 重度・最重度障害者教育にとって職員養成プログラムの創設は、公立学校という環境の中で前述の考慮すべき点を実行する決定的な要因となるであろう。障害者教育局(BEH)ガイドラインでは、以下の4項目を職員養成プログラムの基本的要素としてあげている。

 a.研究計画

 b.質の高いサービスとデモンストレーション

 c.専門的・準専門的訓練

 d.効果的な教育方法と教材教具の普及

 障害者教育局の支持を受けて、連邦政府の資金は全国的にこれら職員養成プログラムの創設に使われている。第一優先権が重度・最重度障害者教育に携わるための訓練を受けている人々に与えられている。デモンストレーションセンターには行動技法を基にしたプログラムがある。それには、幼児学習プログラム、両親教育プログラム、系統学習(academic)及び系統学習前プログラム、応用学習プログラム、職業訓練及び職業前訓練、青年のための地域社会での職業紹介や、余暇利用及び娯楽活動技能の開発プログラムなどが含まれている。

 以下にあげる学校や機関ではすでに教育モデルを提供している―カンザス大学、ケンタッキー大学、メリーランド州特殊教育局、マイアミ大学(フロリダ)、ニューメキシコ大学、オレゴン州高等教育制度、オレゴン大学、ペンシルバニア州特殊教育局、バーモント大学、ウィスコンシン大学(マディソン)。上記すべての機関がとりわけ判定と診断/処方、フォローアップサービスに関与している。その目的は、障害児を彼が属する地域社会に統合することを目指して、可能なかぎり多くの地域社会の要素をプログラムに導入することである。統制された場面ではあるが、教育方法が試みられ評価され、特定の技能が教授され、地域社会での利用のための教材教具が準備されている。

 治療的なまた娯楽的・教育的・社会的な必要はすべて、デモンストレーションセンター内で満たされている。しかしこれらが重度障害者の避難場所としての単なる独立した世界ではないということが強調されねばならない。むしろこれらのセンターでは、障害児が一般社会に再び参加することを第一の関心事としているのである。それ故、センターでは障害児には再参加に必要な技能を与え、そして一般社会の人々には障害児の統合を促進する方法を提供することを最も重要であると考えている。

両親教育

 職員養成には、両親の訓練をも含めることが強調されねばならない。両親がデモンストレーションセンターにいる間に、どのようにしたらできるだけ多くの教育活動に両親を参加させることができるかを我々は討議してきている。両親訓練プログラムでは、完全で適切な両親教育を開発するために、重度・最重度障害児の家庭及び地域社会での取り扱い上重要な不定要素を調査し続ける必要がある。準専門家訓練のように、両親訓練は特別課程としてすべての地域社会に確立されるべきである。

 両親訓練プログラムでは、重度・最重度障害児の世話の仕方について訓練を行うだけではなく、自分の子供の必要に応ずる親の能力の発揮を妨げている主な原因にも対処できるべきである。親に定職がなく、数人の子供をかかえ、その中のひとりが重度障害児で特別の教育が必要である場合の家庭の苦境を考慮してごらんなさい。財政的基盤がなく、家族は文字通り飢えている。それ故、まず初めにとるべきことは、彼らの最も基本的な必要を満たすために、フードスタンプ****や健康管理などの援助を得られるよう家族を助けることである。これらの基本的必要が満たされた後、はじめて両親訓練プログラムでは、個別的な両親教育が開始できる。

 両親訓練プログラムの適用範囲は我々の社会の伝統的な「核家族」から共同の家(communal home)、―例えば里親プログラムまたは、数名の親と数名の子供が生活するグループホームのような―までのバリエーションを含め、拡大して考えるべきであろう。重度・最重度障害児や障害をもつ青年の養子縁組の手続きの評価の可能な改正もまた考慮されるべきである。加うるに両親訓練は児童虐待状態にある両親のリハビリテーションの手段として法廷の指示によってもなされうる。障害児のために働く専門家の介入を必要とする児童虐待には、通常二つの形態がよくみられる。重度・最重度障害児の虐待と、前者よりもより一般的に起こる子供を重度・最重度障害者にしてしまうような極端な虐待である。最終的には両親訓練プログラムを実施する行政官は、障害をもつ両親を取り扱える適切な施設設備をも考慮すべきなのである。例えば、ろうまたは重度精神薄弱の子をもち、自分たちもろう者である両親との連絡は、電話で都合よく済ますわけにはいかない。効果的で迅速なコミュニケーションの方法が設けられねばならない。

地域社会の基本的な援助の必要性

 重度障害者がこの社会で機能しうると楽観できるような教育体系をかりに完成したとしても、もしまわりの人々からの援助が得られなければ、障害者は半自立もできないだろう。例えば、両親が死んだら在宅の重度障害者に何が起こるか。仮りに彼に仕事があったとしても、単に「家賃を払えない」ために施設に入るよう強制されるのであろうか。重度障害児をもつ親が息抜きできるようなどんなサービスが現在あるだろうか。重度障害者のための生命保険や歯科治療、医療看護を容易に得られないのはどうしてなのか。これらは提起されねばならない問題である。

 必要なことは優先権の割当であり、このような援助体制に向けての社会の顕著な反応に対して適用される包括的な「課題分析(task analysis)」のようなものであることは明らかである。イリノイ大学(アーバナ平野に所在)のMarc Gold博士(1974)は、「力(power)」の概念を討議している。「力」とは、与えられた課題を完成するために費すものすべても意味している。この場合社会が、重度障害者へ包括的なサービスを届ける有効な体系を確保するために費さねばならない多くのエネルギーや創造性、金、時間、難解な思考、仕事のことである。重度障害者に有効かつ現実的な法律を、地方・州そして連邦政府の立法機関を通過させるには、どの位のどのような「力」が必要なのか見積ることが必要である。

 不安定な経済状態、食糧供給の減少、失業率の上昇、環境汚染の影響といったものを仮定すると、一定な状態で継続されるものがあまりにもわずかなので、重度障害者の生活の質の向上を目指すために個人技能や社会的な援助体制がどうあるべきかを分析する課題はできそうもないようだ。しかしながら、チェス界では、ゲームが複雑になりすぎた時とか、あまりにも変数が多すぎて処置できない時には、プレーヤーによって守られる規則がある。つまり基本的には作戦を「縮小し、簡素化する」ということである。ゲームが複雑になりすぎると、動きがより簡単に予測しうる点に盤が縮小されるまで駒を交換するという方法である。

 同じように、下記にあげる技能だけを正しく描くことで、教える事柄を決定するという我々に課せられた仕事を始められる。その技能とは、教えられねばならない技能であり、さまざまな状況に適用しうる技能であり、自立または半自立を基本として社会の中で十分とは言えないまでも、かろうじて機能するために絶対必要な技能である。同様のことが、重度障害者に与えてほしいと広く社会一般に期待したり要求したりする援助の真の姿でもある。重度障害者は、幼児期の早いうちから児童期そして成年まで、一貫した個人指導プログラムを通じて成長してゆき、社会に正当な位置を得たいと願っているのである。言い換えれば、我々は個人的な技能について言っているだけでなく、その援助がないと、重度障害者たちを施設収容に追い込む結果となる地域社会の援助サービスについても論じているのである。

情報の全国的普及

 重度障害者に包括的なサービスを供給するという挑戦に答える活動をささえるためには、この集団と直接に日常かかわっている人々に臨機に現在の技術を伝える国家規模の努力をしなければならない。文書の発行には時間がかかるというのが一般常識である。通常18か月遅れる。即時サービスの要求を考えると、問題はさらにはっきりする。情報は今必要とされ、職員養成は今必要とされている。我々は時間のむだ使いをあえてしたくない。この問題に対する一つの答えは(特に多方面にわたる専門分野を基本とした)情報を共有するということである。この共有は、我々の技法の発展に役立つ。

 つい最近まで障害者とかかわりをもつすべての人々、教育者、両親、健康に関連した職員、そして地域社会を基にしたサービスを提供している人々など、に支持された重度・最重度障害者へのサービスの質を主張する正式の機関はなかった。

 重度・最重度障害者教育に携わる職員の養成にかかわっているあるグループが、1974年11月の非公式な情報交換会に出席した。2日間にわたるセミナーが続く中で、障害者教育局の代表、大学に籍を置く教育者、小児科医、ビジネスマン、両親、心理学者、公立学校の教師や行政官、特殊教育の州の指導者、大学院生などがかかわりあってきた。この極めて多種多様なグループが一般的関心を示し、全米重度・最重度障害者教育協会(the American Association for the Education of the Severely/Profoundly Handicapped)の結成を決定した。第1回会議以来、協会は法律的に営利を目的としない法人組織となっている。重度・最重度障害者に関する最新の研究、技法、プログラムなどについての情報提供のために毎月回報が発行されている。また年5回、現在使われているプログラムや、入手可能な資料、他の出版物の注釈著書目録に関する最新の情報についての資料を会員に頒布している。

 この協会が、重度・最重度障害者のために以前に組織化されたすべてを拡大し、コミュニケーションと普及を全国的規模に発展させることを含めて、将来の活動に大いに貢献することを願っている。本論文は、シリーズの第1集であり、全国的規模の情報伝達を支える一活動である。シリーズは前述の協会や、重度・最重度障害者へのサービスの先鋒に立つ他の機関や個人の仕事を概観してゆく予定である。

まとめ

 特殊教育に携わる教育者たちは、重度・最重度障害者にサービスを提供することにいどんできた。我々には、それぞれの発達段階に応じたプログラムを継続させねばならない責任がある。幼児学習プログラムに加えて、年齢の高い重度障害児のための職業訓練や職業訓練に先立つ訓練と同様に自立のための技能を教える強力なプログラムが必要である。年齢的に成人に達したからといって21歳限りで見捨てることはできないのである。我々が現代社会の現実に立ち向かう時と同様にすべての学問間サービスが協力し合い、継続されねばならない。重度・最重度障害者のだれもが、その生涯のいかなる時期においてもサービスを受けそこなうことがないように、体系的なフォローアップの方法を開発しなければならない。質の高いサービスを全米のどこにおいても受けることができるように資料を全国的に伝播することなしには、この挑戦には応じられない。

 これが我々が採るべき方向である。基礎は固められた:すなわち、早期判別や早期教育、就学前及び学齢期プログラム、職業訓練、職員養成、両親の参加、学問間がかかわりあい、全国的普及に関して何がなされるべきか我々は承知している。我々に未知なることは、社会の方向変換に関係するようなプログラムの将来のかかわりあいである。今から20年後に必要とされる技能を予測することは難しい。それ故に、我々の研究方法に柔軟性を残し、障害者と社会との関係の変化に敏感であり続けることが大変重要なこととなるのである。

参考文献 略

*ワシントン大学
**東京都立調布養護学校教諭
***resource person(特別指導教師)は多くの普通学校、特殊学校にresource room(特別指導室)が設置されていて、そこに所属している教師を言う。多くは一般クラスを担当せず、resource roomに個別のニードにあった様々な教材教具を用意していて、そこで児童に合った個別指導を計画し実行する。時には学校での教育計画全般にわたってクラス担当者とともに計画し、アドバイスを与えたりする。
****低所得者に対しフードスタンプと呼ばれる切符を支給し、買物の際にそのスタンプで代金を支払う。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1979年1月(第29号)2頁~9頁

menu