第6回汎太平洋リハビリテーション会議に参加して

第6回汎太平洋リハビリテーション会議に参加して

神谷[あきら]*

 第6回汎太平洋リハビリテーション会議(The Sixth Pan Pacific Conference of Rehabilitation International)は4月22日から27日まで6日間、韓国のソウルで開催された。筆者はこれまで日本文化の源流である隣りの国を訪ねていないことが、ここ数年来心の負担となっていたので、この会議への参加は非常によい機会であった。

 ソウルの会議場は郊外のウォーカーヒルホテルで同時にわれわれの宿舎でもあった。幅広くゆったりと流れている漢江を眺める見晴しのよい丘の中腹にあった。

 会議には海外より327名、韓国内からの参加者を合わせて668名のリハビリテーション関係者が集まったとのことである。

 会議の主題は、(1)障害の予防、(2)リハビリテーション・サービス提供の改善、(3)障害者の地域社会への統合、の三本が柱となっており、各主題ごとに(ア)医学、(イ)社会、(ウ)教育、(エ)職業の4部門の討論会があり、脳性マヒ、精神薄弱、言語聴力障害、らい、薬物中毒、産業リハビリテーション、視覚障害、二分脊椎、脊損、義肢装具等の分科会があって、多数の論文の発表と映画の上映があった。

 筆者は柱のひとつであるリハビリテーション・サービス提供の改善に関心を持ち、その社会部門の討論会と脳性マヒの分科会に顔を出した。

 リハビリテーション・サービス提供の改善を主題とする総会には、小島蓉子教授が「政策の改善」と題して講演された。先生は達者な英語で冒頭からユーモアで笑わせながら話をすすめた。まず国のレベルでは施設収容から地域ケアへ、障害の評価基準、環境、リハビリテーション・システムの統合とコーディネーション、専門職の教育システム等について述べた。次いで神奈川県の住民参加による再編成、ともしび運動について話され、武蔵野市の地域サービスの例をあげた。そして制度の刷新にあたっては、直接障害者の考えを求め専門家の意見をいれるべきだとされた。

 脳性マヒの分科会では、五味重春先生が座長となり、小池文英先生が重度脳性マヒのリハビリテーションについて講演され、わが国の歴史と現状について述べられた後、むすびとして(1)脳性マヒの早期診断と早期治療、(2)重度脳性マヒ児・者の生きがい対策の2点を問題として出された。この分科会では五味重春先生と寺沢幸一先生のほか韓国の医師の発表と質疑が行われた。

 汎太平洋というと先進国あり途上国ありで、社会福祉分野においてもその発展の内容は多様である。この会議では各国の社会福祉の沿革、現状、将来等が報告されて興味深いものがあった。その若干を思いつくまま拾ってみる。

 オーストラリア

(1)教育、雇用、社会生活において統合を通じてライフスタイルに進展がある。

(2)教育の統合は進められたが、非常に重度の障害児に対しては特別教育が続けられた。

(3)生活自立センター。

 香港

(1)リハビリテーション・サービスのコーディネーション。

(2)アクセスおよび輸送の改善。

 インドネシア

(1)農村地域における通所リハビリテーション施設の開設。

 韓国

(1)この15年間に国の経済は驚異的な成長を遂げているが、リハビリテーションなどの社会福祉部門でも近年の施策の充実は目覚ましい。

 マレーシア

(1)障害者の直面している問題。

 (ア)総合訓練施設が欠如している。

 (イ)訓練された障害者でもいまだ健常者より劣っていると思われている。

 (ウ)交通機関が障害者に対して特別な便宜をはかっていない。

 (エ)雇用その他の場で障害者に利用の便宜が払われていない。

 ニュージーランド

(1)障害児の親を年に数週間介護の責任から解放させること。

(2)障害者の環境の障壁を除去する運動。

 フィリピン

(1)将来の建築に障壁を除去する計画。

 タイ

(1)輸送問題の解決に三輪車の改造をした。

(2)1981年の国際障害者年にはバンコクとその他の地域で3日間にわたる記念行事を実施する。

 各国の発表の中で気のついたことは、農村における障害の予防、過疎地でのリハビリテーションなど、農村におけるリハビリテーションについて言及されていることである。インドネシアから、「従来のリハビリテーションは都市に集中していた。農村のリハビリテーション対策を考える必要がある。Volunteer Village Workersが成功している」と発表された。

 障害者の輸送問題について「香港のリハバス」の発表は、従来筆者がわが国において障害児・者の輸送問題で困難性を痛感していたので最大の収穫であった。そこの特にその要旨を紹介する。

 香港のリハバス制度は「リハビリテーションの最終目的は障害者が人生のすべての点で最高度に機能を発揮し維持することである。障害者に助力するリハビリテーション・サービスの目的は障害者を社会から隔離することではなく、独立し生産的な社会の一員として、社会に統合されるようにすることである。」「ところが障害者が医学的、教育的、職業的に十分リハビリテートされているにもかかわらず、適当な輸送手段が無いために、家から出ることができないという理由だけで、仕事に従事することができないでいる。」「輸送問題は障害者が社会に統合されていくためには是非とも解決されねばならない問題である」として、(1)公的輸送機関利用可能の者、(2)不可能ではないが困難を伴う者、(3)全然利用不可能の者に分けて、(2)の大部分と(3)の全部を対象とし、ドアからドアまでの輸送サービスがなされる必要があるとし、その対策を計画した。

 この輸送サービス計画は、ミニバスを利用することとして1977年に実験が実施された。その結果香港リハビリテーション協会が運営を担当することとなり、7台のミニバスを使用して1978年より輸送が開始された。この事業はリハバス(REHABUS)「復康巴士」と名づけられた。このリハバスは移動困難な障害者を対象として、利用目的を就業、医療、教育、訓練、レクリエーションとした。料金は1人1回約200円である。

 当初のバス購入費はチャリティ団体と関係業者の寄付により、管理運営費は共同募金によった。1978~1981年の3年間実施後は政府の助成による運営が予定されている。

 リハバス実施後は、これまで雇用されなかった障害者が常勤かつかなりの賃金の仕事に従事し安定してきた。精神的にも自分たちは地域社会から離れた依存的階層では無いのだという自覚を持ってきた。リハバスの成果は大なるものがあり、更に拡大すべきであると政府およびリハビリテーション団体の見解は一致している。

*大阪府肢体不自児協会常務理事


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1979年7月(第31号)26頁~27頁

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