特集/第14回世界リハビリテーション会議 社会セミナー

特集/第14回世界リハビリテーション会議

専門別セミナー

社会セミナー

桑田富士子*

 社会セミナーは、6月17~18日ウィニペッグ市で開催され、120人程の参加者(名簿には96人21か国の記載しかなかった)があった。

 発題演説は、「障害者に対する建設的態度を育成するには」と題して、米国Kansas大学Beatrice Wright教授。学童に、障害者に対する理解を試みたいくつかの実験が報告され、良い結果を得た試みとしては、(1)障害者同士のパネルディスカッションにより、人間としての希望、失敗、能力、できないこと等々語って聞かせたところ、目ざましい態度改善が生じた。(2)8歳児のための4週間スタディで、米国史上のクリエイティブピープルの中にも、トーマス・ジェファソン大統領ほか幾多の障害者がいたことをとりあげた。(3)ろう児の親が直接、理解と接し方を語った。(4)てんかんの若者が、自分のボランティア活動について話した。…要は、障害を克服している生活を伝えることが大切であり、障害者との出会いを、自発的で楽しいものにする配慮が必要である。専門家たちは障害者の問題を強調する時、受身的で悪い面だけ書いている例が多いが、障害者のタレント(できること)について、表現すべきである。

 二番目に、オーストラリアのJoan Tuxen女史が、教育、住宅計画、職場等で、障害者の社会への統合を押し進めることを強調する演説をした。建築障害等を除去し、障害者が一緒に働くことができるならば、その中で、人間関係を作っていくことができる。インテグレーションが実現すればソーシャリゼーションは、結果として生ずるという。

 これに対し、ホンコンのDavid Low博士は、ソーシャリゼーションが、まず先行しなければ、一般人の態度の変容は生じない。週末キャンプ、ピクニック、スポーツ、レクリエーション、募金運動等々、まず、健常者と障害者が出会って話し合う場を、日常的に作ることから始まるのだと主張。

 オランダのPoortman氏は、法改正だけでは不十分であり、運用上のソーシャリゼーションも大事であると発言した。

 英国で精神障害者にかかわっているWilder John氏は、(1)障害者自身が自信をもつことが最も大切である。(2)社会教育において人格的成長がとげられた実例を報告。(3)成功例をマスメディアを通して流すことにより、政治家の態度改善がもたらされたと述べた。

 地元のカナダからは、29人出席していたが、その中で、障害者はリハビリテーション・サービスの消費者であるという自覚のもとに、運動を進めているある障害者は、「障害者を世話することは、big businessになりうるが、商売や役所仕事としてではなく、Indipendent Living Systemとして基本的権利を保障する視点で、消費者自身の運営により発展させていくべきだ」と力説し、共感と拍手をえた。

 サンフランシスコのNorman Reach牧師は、1977年4月5日から、アメリカの9大都市で、各市5,000人以上の障害者が、連邦リハビリテーション法制度とリハビリテーション行政の責任ある地位に障害者を就任させよと要求して、デモや座りこみを行った。カリフォルニアでは州庁舎を25日間占拠して交渉した。4月23日に、ようやくこの法律がカーター大統領の許を通過したのである。又、カルフォルニア州民生局リハビリテーション部長に重度身体障害者で有能なEdward Roberts氏が就任した。この障害者運動に対し、教会関係者の大部分が、余りに冷たく敵対的であったので、師は、その後今日まで、全米の各派教会組織の研修プログラムの中に、障害者への理解と支持をもりこむため、映画製作や本の発行等さまざまな活動を続けている。

 ホンコンの視力障害者Mak氏によれば、1977年アメリカでの障害者運動の盛り上がりのすぐ後に、ホンコン政庁障害者問題consulting organ, coordinating commiteeに、障害者自身の代表を入れよと抗議して、大規模な不法デモンストレーションを展開した。視力障害者だけでも1,000人以上が参加し、テレビやラジオが2週間にわたり好意的な報道を続けた。その結果、障害者の代表多数が、政府の決定に参加するようになった。

 オランダ、デンマーク、スウェーデンからの参加者により、不況になると真先に障害者が解雇される。労働組合の中に、障害者の支持を、どう作り出してゆくか。障害者の労働役員を出すには、どうしたらよいか?等、実際に即した討論があった。

 「提言」<今後10年間の社会分野におけるリハビリテーションの課題>RI事務局長Norman Acton氏。 世界各国より集約した未解決課題の第1は、予防、第2、統合、第3、参加、第4、建築障害、第5、(聞きとれず)、第6、家族役割の強化、であった。RIとしては、’80年7月ホンコンで開催されるInternational Counsil of Welfareや’80年末、マニラでのInternational Counsil of Social Securityの動きとも協調しつつ、これらの諸課題に取り組むつもりである、と。

 二日目は、<社会的供給システムについて>というシンポジウムで始まった。ミネアポリスのken Andersen氏のControl Data Corporationという会社の報告は、興味深かった。重障者(脳卒中、心臓病、リウマチ、頸損、慢性疾患、精神病等)の家に、コンピューター端末機を装置し、3~6か月の出張教育訓練で、在宅のコンピューター・プログラマーを養成する。8か月もすれば、脳卒中で指が2本しか動かせない者でも、フルタイマーと同水準の賃金が得られる。この会社は、退職者にも、同じ仕事を与えているが、障害者は、体調に合わせてflexible timeで作業ができること、自信と生きがいを感じ、知的機能の増進が計れることから、喜んでやる人がふえているようである。カナダでも、IBM、Standard Oilなど大企業が、この種の仕事を、在宅障害者に出していると、後日、聞いた。

 次に、<生活の質Quality of Life>というシンボジウム。スウェーデンのInger Nordqvist夫人は、障害者にも性生活を保障するよう、周囲の専門職すべてが援助すべきであると主張。台湾でポリオを罹患したアメリカ人宣教師の「リハビリテーション要素としての信仰」、スイス人宣教師がナイジェリアや南アジアで、盲人、ライ患者、結核患者のために宗教資源を活用した報告等が続いた。ニューヨークのHarold Wilke博士は“リハビリテーションを価値あるものとするために”と題して、(1)消費者の参加、(2)性、(3)宗教的精神、(4)予防、(5)人権(国連憲章)……これらの諸点を見失うことなく、リハビリテーション・サービスの消費者と供給者が、緊張した協働関係を行きようではないか!と結んだ。

 シンボジウムの後、12人位のグループに分かれて<RI総会=Assrmblyで採択された80年代憲章>について、各人の属する場で考える課題とつき合わせて検討した。字句の修正要求もとりまとめた。コミュニティレベルの目標を話し合った時カナダやアメリカでは、隔離分離をできるだけなくすこと。具体的には、(1)普通学校での教育、(2)保護工場でなく一般工場で働く方策、(3)障害者バス運行の充実、(4)デイケアセンターの充実、(5)介助ボランティアの養成……が、現に、ウィニペッグ市では障害者団体連合によって着手されており、年2回のバザーで資金を作っている由。障害者組織の成熟と団結、協調と実行力を感じた。

*東京都世田谷区北沢福祉事務所身体障害者福祉司


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1980年12月(第35号)12頁~13頁

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