特集/第14回世界リハビリテーション会議 国際障害者年特別部会をめぐる動き

特集/第14回世界リハビリテーション会議

専門別セミナー

国際障害者年特別部会をめぐる動き

小島蓉子*

 国際連合の国際障害者年(以下IYDPという)諮問委員会が1976年6月にワルトハイム総長に報告した計画案にそって、国連が地域、各国及び国際団体に独自のIYDP行動計画を準備するよう呼びかけて以来、世界のあちこちで地域委員会や、国内委員会が組織され始めた。その準備活動の一端が、1980年6月にウィニペッグで開催された第14回国際会議の特別部会の中に持ち込まれた。

 本稿はIYDPをめぐって特記すべき準備行動を、(1)IYDP特別部会、(2)国際障害者リハビリテーション協会アジア地域代表者連絡会、及び(3)世界障害者連盟結成準備会の状況を通して述べてみたい。

Ⅰ 国際障害者年特別部会

 IYDP特別部会は、1980年6月26日の午後、約2時間半にわたってウィニペッグ・コンベンション・センターの会場で開かれた。

 会議次第は次のように準備され、国連IYDP事務局長のN’kanza夫人が議長役をつとめられた。

(1)開会

(2)国連IYDP準備経過報告(N’kanza夫人)

(3)非政府国際機関の活動報告(Acton RI事務総長)

(4)各国IYDP準備活動状況(参加各国代表)

(5)討議

(6)結論と提言

(7)閉会

 まずN’kanza事務局長が経過報告を行った。国連は、1976年12月、第31回総会のIYDP決議以来、諮問委員会の方針にそって、世界各地域及び各国に行動を起こすよう呼びかけた。更に1979年末には、IYDP事務局をジュネーヴより、ウィーンに移してIYDPに向けてのコーディネーション機能の核とした。ウィーンで第2回諮問委員会を1980年8月20~28日に開催する準備のかたわら、国連の地方委員会(エチオピア、タイ、チリ、イラクの4か所)に活動推進の助言を行い、事務長自らも各国の準備状況を視察しつつ活動資金の調達を訴えるために、日本、カナダ、チュニジア、アメリカ、デンマーク、及びフィンランド政府を歴訪したと報告した。とりわけ国連の関心は、大国から協力をとりつけて、第三世界の国々にIYDPのとりくみを援助していくことにあることが推察された。

 次いでN.Acton RI事務総長が、国連は国際政府機関ではあっても、IYDPのような世界市民総ぐるみの運動は、民間の力の支えなくしては達成できないと民間部門の開拓的、先駆的役割の重要性を指摘した。各国、諸国際機関のIYDP組織化を応援するために講演者が求められる際には世界の中から適任者を紹介することのできるスピーカーズ・ビューローも開設し、応援体制を整えていることが述べられた。更に1980年代のリハビリテーションの方向性は80年代憲章の中に表明されるものであるので、この世界ポリシー作成に向けて、世界各国、各人の意見のフィードバックがほしいということも強調され、草の根からの発言を歓迎されたのである。

 特別部会には、多くの国々のとりくみの様子を知りたいという約100人近い会衆が参加した。その中で発言のあった国々は、西ドイツ、フィリピン、クエート、カナダ、インド、ネパール、スウェーデン、ケニア、日本、等であり、その間にIYDPの国連での推進者、リビア国連大使のKikhia氏の特別発言も加えられた。

 各国の発言者がマイクを持ったとしても、国によってはいまだIYDP国内委員会が組織されていなかったり、発言者が必ずしも母国のIYDP組織を良く知る代表とは限らないという事情から、私見の範囲を出ていない発言や、自らの所属機関の拡充に援助を求める要求が、一国のリポートのように語られることもあり、ある種の限界を感じさせた。

 西ドイツ、フィリピン、ネパール等の発言の背後には、国家計画の存在が伺われたが、一般に断片的な内容の発言が多かったのでより正しい情報については、筆者自身が会の後各国の責任者を探し歩いて情報を送ってもらう約束をするとか、政府に対して別途、問い合わすとかの努力をしない限り、各国の実態を書かれたもので確認するということは不可能であった。

 1980年8月現在、IYDP国内委員会を設置した国々を地域別に紹介すると次の通りである。

●アフリカ地域:

ガーナ、リビア、マダガスカル、マラウィ、モーリシャス、セネガル、スーダン、スワジランド、ザイール、ザンビア

●西アジア地域:

クウェート、カタール、シリア

●アジア及び太平洋沿岸地域:

オーストラリア、インド、日本、マレーシア、ネパール、ニュージーランド、パプア・ニューギニア、フィリピン、スリランカ、タイ、ベトナム

●アメリカ地域:

アルゼンチン、バルバドス、チリ、キューバ、ハイチ、メキシコ、アメリカ、ウルグワイ

●ヨーロッパ地域:

オーストリア、キプロス、デンマーク、フィンランド、フランス、東ドイツ、西ドイツ、ヴァチカン、アイスランド、イスラエル、イタリア、マルタ、ノールウェー、ポーランド、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、トルコ、イギリス

 合計で52か国となっている。

 この中、次にあげるのは代表的な国々の行動計画のアウトラインであるが、くわしくは小島蓉子「国際障害者年に向けての世界的準備」『理学療法と作業療法』医学書院、1980年12月号を参照していただきたい。

 フィリピンでは、IYDP推進のため、100人の国会議員団集会が行われ、計画討論の結果は予定通りに進んでいれば8月ごろまとめられているはず。民間機関も含めて、福祉機器の開発やワークショップ事業の効率化と経営の発展のために、国際市場の組織化を推進したいとの積極性が示されている。

 タイでは、IYDPを期に、記念行事と1986年までの5か年計画が策定された。記念行事としては、偏見とたたかう広報活動、医療機器展の開催、記念切手の発行、スポーツ大会、専門家会議の開催などである。5か年計画としては、年次計画による専門職者養成事業、施設の拡充、特殊教育の徹底などに主眼が置かれている。

 韓国は多彩な記念行事を行うものとされるが、とりわけ、その本命は、これまで欠落していた「心身障害者福祉法」を総合リハビリテーションの理念をとり入れて新規に制定し、それに伴う行政整備を行い、第1回障害者全国実態調査も行い、未来への礎石としたいとの抱負に満ちている。記念事業案の具体例は、貧困家庭の障害者に優先して、補装具を交付すること、広報活動、記念切手の発行、スポーツ大会の開催などである。

 カナダでは、1980年5月、衆議院内に、リハビリテーションに造詣の深い7人の議員団による障害者問題特別委員会が設置され、既存の援助計画の“質”を評価しながら、改革、発展の方向を市民団体と共に提示する活動がすでに始められている。検討領域は、(1)公民権、(2)雇用機会の創出、(3)職業訓練計画、(4)自営業助成策、(5)収入補助計画、(6)保健と医学リハビリテーション、(7)施設収容者の生活の質、(8)地域支持サービス、(9)公共建築物の利用可能性、(10)立法関係の調整、(11)交通、(12)住宅、の12項目で、改革案は国会に提案される。

 民間サイドでは、カナダ障害者リハビリテーション協会が中心となってIYDP国内委員会を組織し、一般人の態度改革のための「目ざめさすキャンペーン」を展開している。またカナダ最大の消費者団体である障害者州団体連合(Coalition of Provincial Organization of thr Handicapped)は、自立生活を可能にさせる条件の整備という草の根リハビリテーションの展開のために、障害者を各州ごとに組織し、州計画に消費者の意見を注入する努力をしている。

 西ドイツには、公私合同のIYDP国内委員会が連邦政府労働社会省大臣を委員長として発足した。専門職者、障害者代表、政府関係者ら700人から成る委員会が、次の領域別に作業部会を組織し、問題提起と改革の方針決定にとりくむものである。13の問題領域とは、(1)障害の予防と治療、(2)医学的リハビリテーション、(3)障害児・者の学齢前、初等、前・後期中等教育、(4)職業リハビリテーション、(5)障害者の雇用、(6)生活しやすい環境(住宅、交通、都市計画)、(7)社会における障害者の統合、(8)障害者と家族、家庭生活、(9)スポーツ、(10)リハビリテーション従事者の教育、養成、(11)障害グループ別対策(精神遅滞、肢体不自由、聴覚障害、視覚障害、及び重複障害)、(12)調査・研究、(13)広報活動である。

 この中で、日本は、労働省職員がその場で指名され、身体障害者雇用促進協会が1981年10月に予定している国際身体障害者技能競技大会に各国が関心をもって参加してほしい旨の発言がなされたが、日本全体のIYDP準備状況の報告には至らなかった。

 その他の国々にも興味深いIYDP計画があるが、紙面の都合上、それらの紹介は別の機会にゆずりたい。

 IYDP特別委員会は、時間的な制約もあり、また各国の計画は全くまちまちであるので、何ら結論めいたものが出されず、また議長も、そのまとめもあえて行おうとしなかった。そこで、何人かの発言者が力説していたところを筆者なりにまとめれば、次のことがらに尽きるのではなかろうかと考える。

(1)IYDPは障害者自身の参画による自立運動に支えられなければ意味がない。

(2)IYDPは、国内課題の解決もさることながら、各国間が援助し合って、グローバールなリハビリテーションの前進に向かうべきである。開発途上国が求めている援助に、各国は国連を通じて貢献する責任があろう。

(3)IYDPの目ざすべきは、法・行政上の欠陥の改革、物的環境の改善が必要である。しかし、地域生活、学校生活、職場生活から障害者を締め出している根元の要素は、一般の人々の心理であり、一般人の態度を正常化するために偏見と無知への戦いという社会啓蒙こそが最大の課題とされよう。

(4)多くの人々が、他国の状況を学びたいと思っても世界のIYDP情報は容易に入手できるものではない。国連事務局の広報活動も各々の政府部内にとどまっていて手にとどかない。国連の存在がもっと市民に身近なものになって、もっとスムーズに新しい情報を頻繁に民間団体にも流してほしいという、国連事務局に対する要望が高かったこと。

 本部会はかように、間口の広い問題を短時間に行った上、準備やペーパーの用意に欠けたなど全員を納得させる議論の深まりに欠けた。とりわけ国連事務局のあり方については、現状の行務遂行の歯がゆさに、はげしい感情をぶちまけるスウェーデン代表もあるなど、いまだ国連も各国の進度や感情をとらえ切っていない現状が明らかにされた。IYDPのような、国際運動をとりまとめることは、長年リハビリテーション分野に通暁して育ってきた専門家でないとむずかしいことを教えられると共に、かような状況下にあるならばなおのこと、国内計画を総合的に把握し、日本人にとっては苦手のことながら、外国語による広報活動に力を入れて日本を世界に知らせて国連にゆだねなくても世界の情報が日本に入りやすいようにすることが大切だとも痛感させられた次第である。

Ⅱ 国際障害者リハビリテーション協会、 アジア地域代表者連絡会

 ウィニペッグ会議の2日目の6月23日、昼食時をはさんで、Fang博士の招集によるアジア地域代表者連絡会が持たれた。わが国からは小池文英事務局長も参加すべきところ未着のため、筆者のみが参加した。

 RIの次期理事会に対してアジア地区は、理事長(Harry Fang博士)と、副理事長(Charotte Floro女史)とを送った事情から“1980年代のリハビリテーションはアジアの時代になろう”としてFang博士から、アジア近隣国の協力的態度が確認されたのである。

 前回のアジア地域会議は、ウィニペッグ会議の始まる直前の1980年6月12日より15日まで、グァム島において開催されたとの報告。地域会議の母胎は、アジアにおけるRIのメンバー国であり、会長がFang博士、副会長がFloro女史やチャンドラ氏などを含めた7人である。RI地域会議には次の四つの常設作業部会が設置され、アジアのリハビリテーションの向上を計るという趣旨である。(1)人材養成、(2)マーケッティング(市場調整)、(3)コーディネーション(企画調整)、(4)インフォメーション・広報、である。各国よりこれらの機能の遂行に適格者を推薦し、各々の部会活動を推進してほしいと要請された。

 RIの世界会議は、通常4年おきにあり、次回は1984年、ポーランドのワルシャワで開催される予定である。しかしその中間にアジア地域は、これまでも汎太平洋リハビリテーション会議を進めてきている。前回は1979年のソウル会議であったが、次回は、マレーシアのクアラルンプールで1982年に開かれるが、その前に地域委員会が1981年5月末ごろ、マカオで開催することを予定している。会議の後、中国本土のリハビリテーション視察と交換を行うことも可能であろうとして、全員の賛同をえた。

Ⅲ 世界障害者連盟結成の胎動

 国連IYDPの性格が「障害者のための国際年」から「障害者の国際年」へと諮問委員会の提案によって変更されたことの背景には、障害者の主体性の確認、障害者自身の参加をモティーフとする国際運動なのだという意味があったと考える。

 今日、アメリカ、カナダ、スウェーデンなどの障害者運動の動向を調べてみると、政府に何かをしてもらうための陳情や要求運動というのは少なく、むしろ自助運動(self-help movement)や、実験事業の達成に向けての政府までも地域資源として活かす組織化運動が多い。

 その例がアメリカの自立生活の実現策であり、それをリハビリテーション法が保障する制度内援助にまで組み込ませたアメリカ障害者市民連合(The American Coalition of Citizens with Disabilities)や、地域自立を達成する上に不可欠の住宅政策を推進させたスウェーデンのフォーカス運動(FOKUS movement)などである。いずれも、他力本願の陳情や要求と異なる点は、障害者自らが実験事業をやって見せて、行政に先鞭をつけ、制度化の導入の必然性をつくりあげたことである。

 世界の障害者運動は、歴史や文化に規制されて、これらの自力達成型の草の根運動から、他力本願型の要求運動まで、さまざまの類型を出現させている。だがIYDPに先きがけてのウィニペッグでは、障害者自身の主体的組織化をグローバルに広げようとする障害者自身の主体的運動の新しい国際的な動きが見られた。

 それは、カナダの障害者州団体連合(Coalition of Provincial Organizations of the Handicapped)の指導者である車いすのHenry Enns氏が提唱する世界障害者連盟(World Coalition of Handicapped People)の結成である。その目的は、世界各地で自立生活運動を展開すると共に、国際障害者リハビリテーション協会活動に、消費者の声を反映させるチャンネルとなることを目ざしたものである。

 障害者自身の会が協会内部の組織となることは不可能だったが、独自の世界消費者組織として生まれるためにEnns氏の呼びかけに応じた多くの障害者と関心のある参加者が6月23日の夕方より集会を持ち始め、世界障害者連盟の結成準備にかかわる14か国の代表を選出した。準備の職務はヨーロッパ・グループが規約の立案、シンガポールが世界集会に向けての原案作成、コスタリカが資金の調達を引きうけ、世界集会は、10月18日~19日に、バーレイン(Bahrain)で 行われたはずである。

 メンバーは、いずれも自立生活している半身マヒまたは四肢マヒの重度障害者が多い。

 Enns氏らにとっての自立生活の哲学は、“障害者に不可欠のサービス、すなわち、介助者ケアと工学的補助が提供されるならば、障害者は地域社会にあって他の市民と交流のある自立したライフスタイルを維持することが可能とされる”とする。つまり、ハンディキャップがつけられた部分への援助を社会保障として確保できれば、障害者は健常者と同じスタートラインに立って生活していけるようになるから、同等になれるような社会制度をつくりあげるために、障害者自らの声を行政や専門機関にとどける役割を果たすべきであると考えているのである。

 これまで、とかく専門機関やエキスパートを中心にしていたRIの組織に対して、組織の独自性を保ちながらも意見を相互に尊重し合うパートナー組織として、障害者パワーが結集したことは、国際リハビリテーションの健全な発達のためには望ましいことであり、国際障害者年を目前に控えた世界にとっての喜ばしい出来事であったと考える。

*日本女子大学教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1980年12月(第35号)14頁~18頁

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