特集/自立生活 ケア付住宅の基本理念

特集/自立生活

ケア付住宅の基本理念

──東京都ケア付住宅検討会最終報告から──

 重度の肢体不自由者が地域社会の一員として、自立して生きていく“生活の場”とは、どのようなものであろうか。ここにこの問いに対する一つの試みがある。東京都は、そのような“生活の場”-ケア付住宅-の検討会を、障害者団体の代表、学識経験者及び都職員を委員として構成し、昭和51年5月から検討を重ねた。その結果をまとめたのが最終報告であり、ここにはその中の一部を掲載する。

 なお、現在ケア付住宅は東京都八王子市内に建設中であり、56年度には、入居が開始される予定である。

(1) 総説

 ケア付住宅とは、端的にいえば、日常的に身体面の介助や、その他の援助を必要とする障害の重い肢体不自由者(以下、「重度の肢体不自由者」という)が、地域社会の中で「自立」して生活していくための、物的、人的ケアの付いた住居である。

 ところで、ここでいう「自立」の意味は、ケア付住宅構想の焦点であり、正しく理解されなければならない。

 一般に、人間一生涯の「自立」とは、親あるいは社会の庇護のもとに教育を受け、身体的、精神的に成長を遂げた後に、社会的生産活動に参加するなど、経済的に独立した生活を送るものとされている。

 一方、このような固定された観念があるため、その裏返しとして、上述の「自立」をすることができないような重度の肢体不自由者は、その人間性までも軽視される傾向が根強く存在する。

 障害者の人間としての尊厳は、障害を持たない者のそれと同様、誰からも侵されてならないのは当然である。

 重度の肢体不自由者は、たとえ社会的生産活動への参加が不可能であるとしても、人間として生きる営みを自分で判断し、決定し、責任を負い、自ら人間形成を行って、さまざまな面で社会参加をすることは可能である。

 これが重度の肢体不自由者にとっての「自立」である。

 その自立を社会が保障することは、人間社会として当然の姿であるといえる。

 ところが、一般的観念から人間性まで軽視されがちであった重度の肢体不自由者は、その精神的自由さえもままならず、長い間自己を否定されるような状態に置かれている場合が多かった。

 すなわち、「在宅」という家族との生活にあっては、閉鎖的な環境のもとで社会と孤立した日々を過し、家族への依存と、その強い制約により、甘えとあきらめの交錯した受身の生活を余儀なくされてきた。

 一方、従来の施設においては、かって身体障害者福祉法が更生(社会復帰)とそのための援護という体系で貫かれてきた経緯から、また、ややもすれば管理のしやすさという観点で処遇されがちであったため障害者の主体的な活動と生活はかなり阻害されている場合が多かった。

 さらに、住宅施策として、数年前からハーフメイド方式による車イス使用者世帯向公営住宅がつくられているが、同居の親族が必要であることや、人的ケアがないことから、独立して自立生活を送りたいと願う障害者の要求には合わなかった。

 このように、重度の肢体不自由者が主体的に活動し、自らの意志で生活を送れる居住空間は、現状では皆無といっても過言ではない。

 この居住空間を確保しようとするのが、ケア付住宅設置の目的である。

 そして、ケア付住宅の役割は、この重度の肢体不自由者の自立生活エリアを確保するだけにとどまらない。

 そこに居住する障害者が、自覚と責任を持って自立生活をなし得たとき、障害者に対する一般社会の誤った観念を転換させる端緒を開くことができる。

 さらに、自立した社会人として障害者が積極的に地域社会に参加するようになると、これまで障害を持たない者だけの視点からつくられていた「街」がその機能を果たし得なくなり、すべての人にとって真に住みよい「街づくり」の動きが一層強められることになる。

 このようにさまざまの面の効果が期待されるので、入居者に課せられる責任は、まことに重いといわなければならない。

 なお、検討会においては、福祉先進国であるヨーロッパで既に実現している同種の施策(スウェーデンのフォーカスアパート、オランダのヘット・ドルプ等)から多くのことを学んだが、わが国の土壌に合った独自の住宅像を追求することにしている。

 以上みたように、ケア付住宅の設置は、重度の肢体不自由者の人間性を回復し、維持するための新しい施策なのである。

 生存権や幸福追求の権利をうたった憲法の理念の実現のためにも、住民の福祉向上を責務とする自治体(東京都)がこれを行うのは当然であり、急務であるといえる。

1階 865.84㎡

1階

2階 502.83㎡

2階

(2) 住人

 ケア付住宅に居住する人は、(1) で述べた基本理念にそって、日常生活を築き上げようとする意欲を持ち、しかもそれを実践する人でなければならない。

 しかし現実には、そこで生活しようとする人たちは、長い間家族や施設に依存した生活を送ってきた人が多く、自分で判断し、決定し、責任を負うという経験に乏しい人がほとんどであると思われる。

 そのためケア付住宅での生活は、自己の主体性を発揮する第一歩から始めることとなり、一面からいえば、きわめて厳しい試練を要求されることになる。

 独立と自由を得ることは、楽な道を選ぶことではない。

 ケア付住宅において、個々の住人のプライベートな居住空間のほかに、共用部分を組み込んでいく理由の一つがここにある。

 つまり、子供の頃から社会的経験の場を極度に狭められてきた人達が人間本来の姿である独立と自由を取り戻すためには、プライベートな活動の場とともに、自主的な集団活動を通じて相互に自立性を高め合う場と機会が確保される必要がある。

 入居者相互の、またケアスタッフや地域住民との日常的な触れ合いの積み重ねがあって、はじめて、そこに住む障害者の自立は確固たるものになっていくのである。

(3) 生活

 ケア付住宅の住人は、自らの意志と責任で、物的、人的ケアを十分に活用し、必要な経費を自ら負担(公的扶助による場合を含む)することによって、日常生活を営む。

 それぞれの生活の形態は、さまざまであろうが、主として精神的文化的活動が中心となる。

 その活動は、個人で行っても集団で行ってももちろん自由であり、また、活動の内容は、社会に直接有用であるかどうか問うところではない。

 このようにいえば、一般的価値観からは、なぜケア付住宅における障害者の生活は社会に直接有用なものでなくてもいいのか、という疑問が生ずるであろう。

 その点を、次に説明する。

 重度の肢体不自由者の日常の動作のうち、単なる生命保持動作に限ってみても、それは精神的、肉体的に大変な消耗を伴う重労働である。

 障害を持たない人が無意識に繰り返す単純動作であっても、重度の肢体不自由者は意識的、計画的に行わなければならない。

 まして精神的、文化的活動がそれに加わるのであるから、ケア付住宅で生活することそのことが、きわめて創造的な営みといえるのである。

 すなわち、重度の肢体不自由者が、ここで可能性いっぱいに「生きる」こと、それ自体に意義が存在するといえる。

 つまり、その「生きる」姿自体が、そして「生きる」ことを社会の誰よりも真剣に追求する精神活動が、文化的活動を通じて人間社会を動かしていくのである。

 現今の一般的価値観から、その生活が、とるに足らないものであると批判され、また、直接に関係がないものであると無視されたとしても、いつの日か必ず人間の尊厳を最大限に認識する社会実現の原動力となり得る素地が、そこに存在する。

 この観点に立つならば、そこに大きな社会的価値をみることができるのである。

(4) 物的ケア

 重度の肢体不自由者がケア付住宅で自立生活をしていくためには、人手によるケアを欠くことができない。

 しかしまずその前に、住人が人の介助なしでできる日常生活の範囲を広げることが重要である。

 そのためには、部屋の広さや構造上の配慮、機械器具の導入が、きわめて大きな意味を持つことになる。

 ここでは、これを「物的ケア」と呼ぶことにする。

 既存の身体障害者施設においても、このような物的ケアは一定程度なされているが、それらは管理運営上や人的ケアの省力化という側面からのものが多かった。

 ケア付住宅における物的ケアは、あくまで障害者の独立心と主体性を助長するものでなければならない。

 こうした観点から、物的ケアの具体化にあたっては、障害者がその設計段階から参加して、建設に携わるすべての人達と話合い、討論を深めながら実現させる必要がある。

 設計段階における注意すべき事項としては、第一に、そこで生活する障害者の多様なニーズに対応するため、居室を中心として建物内部の諸設備は可動式を基本とすること、第二に、共用部分は、ケア付住宅の住人との交流の場になるのであるから、地域住民に「解放」するという考えでなく、地域住民と「共有」するという考え方に立ってつくられるべきであること、などがある。

(5) 人的ケア

 検討会では、まず家族や施設職員によるケアの現状から入り、次に自立という観点からのケアに進み、そこからケア付住宅における望ましい人的ケアのあり方を浮かび上がらせるという作業をした。

 その中で、障害者の日常生活、社会生活を支え、介助、援助するケアの仕事が、従来の日本の福祉の中では、相談、判定、指導、訓練などの職種に比べて軽く扱われてきたことが指摘され、さらに、介助する側の一方的な判断による押し付けが、必要なケアを選択し能動的に生活していこうとする障害者の自立性をそこなう場合が多い、という問題点が指摘された。

 こうした分析から、ケア付住宅における人的ケアのあるべき原則のうち最も重要なのは、そこで居住する障害者がさまざまな困難を抱えつつ、自らの日常生活、社会生活を自らの判断と責任のもとに築き上げていく努力をいかに支えていくか、ということである。

 そのためにケアスタッフに要求される資質は、一般にいわれる専門性ではなく、既成観念や偏見にとらわれない率直さであり、忍耐と広い心ということができる。

 このようなケアが成り立ち、持続していくためには、住人とケアスタッフはお互いに対等な人間として、共に生き、喜びも悲しみも分ち合い、相互に支え、高め合う努力を積み上げていくことがどうしても必要になる。

 いわゆるビジネスライクな関係、あるいは、お互いに責任を押し付け合うような関係の中からは、自立性を培うことはできないからである。

(6) 地域社会との関係

 住人と地域社会との関係は、ケア付住宅にとって最も重要なものの一つである。

 ケア付住宅が地域社会の中で孤立してしまっては、住人は主体者としては生きられない。地域社会は、日常生活必需品の供給源であり、社会人として生活するためのすべてが存在する。

 例えば、公的機関や医療機関、図書館その他の社会教育機関などは、ケア付住宅の住人も積極的に活用していく必要がある。

 また、重要なことは、ケア付住宅の住人が行う精神的活動や文化的活動は、身近な地域社会からまず働きかけていく必要があることである。

 だから住人は、積極的に地域社会に出て行かなければならない。

 ケア付住宅に設ける共用部分は、地域社会との交流の媒体となり、ケア付住宅住人と地域住民との共通体験の場として重要な役割を果たすであろう。

 こうして、地域社会との連帯が成功したとき、障害者に対する認識が改まり、誰しも人間として平等であるという確信が地域社会の中に流れ、ひいては真の意味の人間の尊厳が認識される契機となることが期待できる。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1981年3月(第36号)29頁~32頁

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