特集/専門職 リハビリテーションセンターにおける心理学者

特集/専門職

リハビリテーションセンターにおける心理学者

A Psychologist in a Rehabilitation Center

James E.Woods

中井滋*

 私はリハビリテーションセンターで2年間職員として過ごしたが、ここで伝えたいいくつかの意見がある。極めて近隣にあるセンターどうしでも、方針と実践でセンター間に多くの相違があり、また地理的な位置、治療方針に関する相違もあるだろうから、私の結論は必ずしもすべてのリハビリテーションセンターにとって一般的な事とは言えないだろう。

 例を挙げると、医学的志向のリハビリテーションセンターであるインスティチュート・フォー・フィズィカル・メディスン・アンド・リハビリテーション(Institute for Physical Medicine and Rehabilitation)に勤務する心理学者の職務内容と、そこから1マイルも離れていない同じ市中の、職業的志向のセンターであるインスティチュート・フォー・ザ・クリップルド・アンド・ディスエーブルド(Institute for the Crippled and Disabled)とでは、そこで勤務する心理学者の職務内容とは異なっていると考えられる。これらの相違はあるが、センターの規模、場所、運営方針がどうであろうと、本論文におけるほとんどの意見を関係づけることは可能である。

 私が勤務しているセンターは、人口およそ4万5千人の州立大学がある町、ノースダコタ州のグランドフォークス(Grand Forks)にあり、それは小規模で、医学的志向で運営されている。

 そのセンターのサービスは評価と治療から成っている。治療は主に2人の理学療法士と1人の助手がいる理学療法部門、そして常勤の2人の作業療法士がいる作業療法部門で実施されている。またそこには年間を通じてほとんど毎日実習生が来ている。常勤の言語治療士も1人おり、数人の学生の援助を得て聴覚・言語障害に関する評価と治療を行っている。

 職業評価に関する責任は、各々1人ずつの職員がいる心理部門と職業前部門におかれる。科長は経営管理とともに、理学療法と職業的リハビリテーションにもかなりの経験と訓練を積んだ登録看護婦である。その他の職員は、ソーシャルワーカーとしての訓練と経験を積んだ専門的サービスのスーパーバイザー、専門的に訓練を受けたソーシャルワーカー、それに事務職員と用務員である。(この組織の規模と複雑さが増したのは、建物が完成したつい最近のことである。入院患者用のベッド数が40床加わり、職員数と財源も膨張した。)

 このセンターの規模、医学的志向、そして何よりもこの州が田舎であるということが、心理学者の経験をある程度決定するのかもしれないが、あらゆるリハビリテーションセンターに関係している問題点もあるようである。そしてそのような問題点は、一般にリハビリテーションに関するすべての分野と、専門的な心理学にとっては重要性を持っているのである。

 そのような問題点の1つに、次のような事があげられる。つまりリハビリテーションセンターに勤務する心理学者はカウンセリング心理学者なのか、臨床心理学者なのかということである。カウンセリング心理学者は、正常範囲の情緒的な問題を持つ人を仕事の対象としている者であると定義できる。したがって彼は職業の世界に関しては関心があるし、また知識を持っている。彼の使用する道具もそちらに傾き、知的能力と他の全般的な能力、興味、手指の器用さ、学力、そしていろいろな種類の適性に関するテストを使用する。

 他方、臨床心理学者はフロイト(Freud)の考えを受けつぎやすい。つまりそれはある治療様式を通して獲得したものであるに違いないが、個人のリハビリテーションあるいはハビリテーションは、精神力の内的バランスに基づくものであるというものである。以前にはこれは通常、精神分析あるいは心理療法のことを意味していたが、最近では社会療法と化学療法が広く利用されるようになった。医学的なアプローチでは治療に先だって診断を行い、そこで治療がうまく進むまでは、結婚とか仕事を決めるというような重要な人生の決定は、患者に対して慎重であるようだ。上に述べた後者の部分には意見の不一致が特にあるかもしれないが、臨床心理学における理論と実践も、しばしばこのような結果をまねくことがある。確かに治療に先行する診断には、臨床家にとって選択の道具であるパーソナリティ検査が実施される。

 このリハビリテーションセンターでの経験と他の事から、カウンセリング心理学者はこのセンターの中で最も大きな貢献をすることができるといえそうである。医学的志向のセンターにおいても、職業前部門のスーパーバイザーと心理学者のねらいは、職業再適応に向けられるべきである。そしてそのためには、たとえ投影法が有用であっても、それよりは標準化された適性と興味の検査の方が明らかに優れているようである。

 我々はこの州のリハビリテーションカウンセラーについて、一定の質問調査をしたわけではないが、カウンセリング心理学者の立場から書かれ、その内容は臨床的な面に重点を置いた報告書を手に入れた。クライエントの仕事の成功に関する見込についての予測が立てられる。そしてインタビュー、職歴、テストに基づいて、また人間行動、社会経済的環境及び職業の世界に知識があり、十分な訓練を積んだカウンセリング心理学者を通してみた他のすべての情報に基づいて、完璧な報告書が作成される。予測は不明瞭で、難解で、しかも理論的であるような投影法を含むパーソナリティ検査に基づいてなされる。

 今日、研究面での熟達をすべての専門職の心理学者に期待されるが、多くの大学では、それを臨床心理学者の主な職務としてみる傾向がある。もしリハビリテーションセンターが十分に大規模であれば、臨床心理学者は研究者として雇用されることができる。そのようにすると、投影法を含むいくつかのパーソナリティ検査や他のタイプのテストは、人間行動に対する理解を増そうとする目的のために、臨床家によって実施されるかもしれない。

 リハビリテーションに関する他のいかなるものよりも、リハビリテーションセンターにおいて、より重要であるチームワークについて考えてみたい。これは真に重要である。とにかくいろいろな他の部門とのチームワークや協力がないと、障害者の援助というリハビリテーションセンターの使命は大変に損われることになりそうである。

 チームワークはセンターでのリハビリテーション活動の多くの面に係わっている。そして必要なところでは、専門的サービスは固有の専門分野のわだかまりを捨てて、オーバーラップすることが許されねばならないことを意味する。例えばカウンセリングや心理療法は主に心理学者の責任であるかもしれないが、しばしば心理学者がクライエントに会う前に、有能な職員とクライエントの間に良いカウンセリングの関係が確立していることもある。

 チームワークや職員の人間関係がうまくいっているセンターでは、心理学者が職場内でのコンサルタントとなるかもしれないし、またなることができるのである。心理学者というものは、彼が適切な態度を維持し、また特に自分自身を管理者とかスーパーバイザーとか考えない限り、職員の気軽なカウンセラーとして役に立つことができるのである。もし心理学者が自分を管理者やスーパーバイザーとみなすならば、全く不適当で、多分不幸なことであろう。

 心理学者のスキルと他の職員のそれとの違いは、学位、専門的な訓練、経験、世間馴れの水準あるいは量のうちのただ1つだけかもしれない。したがって個々のクライエントの情緒障害のひどさの程度が、他の職員が続けるか、治療関係を強化するか、あるいは心理学者がより強いカウンセリングの援助を行うことが適切かどうかを決定することになるだろう。

 心理学者は一緒に働く職員の知識、スキル、態度の水準を受け入れなければならないし、共働者に対してうぬぼれてはいけない。そうしないと受け入れられないし、恐らく反感を買うであろう。職員は誰にでも性格、人生経験、学校教育といった自身の背景があり、それが彼の考え方というものを決定している。そしてそれらは1日やそこらで、なかなか変えられるものではないし、生涯それが続くことも大いにある。極端な例を挙げると、リハビリテーションセンターの中で自身のニードがその環境に合わないような職員は、他の場所へ行くか、あるいは辞職を余儀なくさせられるであろう。これは治療の許容された基準から逸脱してクライエントの幸福を脅やかし、その結果協調が不可能になるような職員は、長くいるべきではないし、また恐らくいないであろうことを意味する。

 チームワークの原理は、リハビリテーションセンターでの、わけのわからない専門語の乱用をカバーすることができる。理解が不可能な、あるいは理解がほとんど不可能な言葉の使用は、クライエントに対して大変威嚇的であるばかりでなく、共働者の自尊心も心理学者の過剰な術語の使用によって、脅やかされるであろう。心理学者の難解な知識を印象づけるために、そのような言葉が仲間の職員に対して使用されるならば、チームワークは制限されるか、壊されるであろう。心理学者はクライエントのニーズに対するのと同じように、他の職員との個人的な関係にも敏感でなければならない。チームの中でのコミュニケーションの目的は、知識を分け合うことである。したがってチームの中でコミュニケートするためには、あらゆる努力をしなければならないし、またそうすることによって、相互理解が増大するのである。

 リハビリテーションセンターの各部門の間で、職務内容がオーバーラップする領域と程度は様々である。心理部門と職業前部門は広くオーバーラップするので、職員間の密接で不断の協調が要求される。ある時には心理学者は職業前部門の職員の一員として、あるいは先頭に立つことがあるかもしれない。テストの実施は、心理学者が有する独自の1つの職務であると何人かの心理学者は考えている。しかしながら、職業前部門では心理学者によって実施されるテストより多くのテストを実施するかもしれない。そのような時は、彼はテストに関する貴重な実際的技術を持っているので、職業前部門の職員とテストを共同負担することにより、双方がクライエントの職業能力の評価に貢献することができる。

 高度に訓練され、熟練したリハビリテーションカウンセラーがいるリハビリテーションセンターでは、職務上のオーバーラップが大きく、そのために時として役割の逆転が起こるかもしれない。いくつかのセンターでは、まず心理学者が評価者としての業務を行い、リハビリテーションカウンセラーは、クライエントへのカウンセリング業務を行っている。というのはテストは評価的役割であるために、クライエントとの関係がまずくなるかもしれない。だから、たとえリハビリテーションカウンセラーが、テストにおいては最高の適任者であっても、テストを実施するのは心理学者である場合もある。

 またある場合には、クライエントのニーズに対して適切であり、そして心理学者の訓練とスキルが十分であり、関心も十分あるようであれば、彼はリハビリテーションカウンセラーとしての役目を果たすこともできよう。ここで、カウンセリング心理学者を訓練してリハビリテーションカウンセラーに仕立てるという仮定がなされよう。この仮定が満たされなければ、仕事のオーバーラップは少なくなり、心理学者とリハビリテーションカウンセラーの協力関係のパターンは必然的に異なったものになろう。

 リハビリテーションセンターにおける心理学者に関するこのポートレートをまとめるためのいくつかの簡単なコメントがある。おそらくカウンセリングと心理療法の議論がこれまでなされ、実際の場面でそんな事が多くあるようにほのめかしたが、事実はそうではない。クライエントの入所に関する評価的側面の表面的あるいは短期の役目を除けば、そのような治療はリハビリテーションセンターでは制限されている。実際にはほとんどの治療は、理想的ではないにしても、理学療法部門と作業療法部門に責任が置かれ、評価は職業前部門と心理部門に置かれるように思われる。後者は方針と時間の理由によって、さらにまたはっきりと、情緒の問題を治療するために考えられた施設の設立に反対する地域社会のニードを変えようとしない要望(その方が効果的な要求であるようだが)によって、評価に制約が加えられた。

 最後の問題点は他の機関と心理学者の協力に関するものである。彼の評価と最終的な報告書の性質さえも、他の機関との関係で決定するかもしれない。彼のクライエントのほとんどが、州の職業リハビリテーション部から評価のために回されてくるような事があれば、それは仕事のやり方を決定するのに役立つであろう。クライエントや回されてきた個人に、あるいはサービスとして代金を支払う職業リハビリテーション機関に問題が起こるかもしれない。いずれにせよ、十分な関係を維持していくためには、協力は密接でなければならない。投影法において反映されるような人格力学について述べているような最終報告書を、心理学者が他の機関に送るならば、それはあまりにも理論的で、実際的でなく、有効性に乏しく、それゆえに非現実的なものである。

 要約すると、少なくとも1つのリハビリテーションセンターにおける心理学者の役割のいくつかの面を無造作に定義づけるような試みがなされた。役割の詳細についてはほとんどのセンターで同じようである。そのようなセンターで最も重要な特質の1つは、チームワークである。リハビリテーションセンターでも、そのような協力的なチームワークは必要であるが、センターと外部機関、特に州の職業リハビリテーション部との間には、強く望まれるものである。リハビリテーションセンター内の多くの専門間には、職務のオーバーラップがある。専門職種間のジェラシーが、この事実を不明瞭にすることを許してはいけない。あるいはクライエントに対する興味のために、それが妨げられることも許すべきではない。

 リハビリテーションセンターで実践される心理学のタイプは、理想的には、臨床心理学よりも、有能なカウンセリング心理学であり、もしその機関が十分大きくて、研究者としての心理学者を雇うことが可能ならば、臨床心理学者は研究面に関する十分な訓練を受けることになるだろう。

 心理学者でない職員も、専門的に彼らとコミュニケートする時、脅威を感じないレベルにいなければならない。心理学者は、長期の治療にあたる機会は少ないけれども、リハビリテーションクライエントは、なにがしかの情緒的問題を持っているものである。その上で、心理療法に回される機会は制限されているか、ありえないのである。

(Rehabilitation Record, 1964, 5 (1), 26―29)

*筑波大学心身障害学系文部技官


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1981年11月(第38号)18頁~21頁

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