特集/専門職 医師とカウンセラー

特集/専門職

医師とカウンセラー

The Physician and the Counselor

Gerald E.Cubelli

池田笙子*

 州立職業リハビリテーション機関の核となる者はリハビリテーションカウンセラーである。医師が医療分野で中心的存在であるように、カウンセラーは職業リハビリテーションの中心的存在である。トロイカという3頭立ての馬そりがある。その重要性において医師とカウンセラーにまさる者があるならば、それは第3のメンバーである対象者(患者)である。

 医師、カウンセラー、対象者は広い規模の包括的プログラムには欠かせない存在である。彼らがひとつひとつのリハビリテーション計画の結果を左右するのである。また地域の資源の選択、ケアの方向、個人的、臨床的、経済的原動力、その他に責任を負っているのもその3者である。

 彼らはよく特別なサービスあるいは資源に責任と権威を委託する。だが委託を受けたサービスや資源が課せられた仕事を完了すると、責任と権威は再び医師―対象者―カウンセラーに戻ってくる。

 この点から見ると、医師―対象者―カウンセラーの関係の重大さは見逃せない。この論文では医師と患者、カウンセラーと対象者の関係についての分析は行わない。ここで私が取り上げたいことは、今まで顧みられることのなかった医師とカウンセラーの関係である。

 誤解があると困るが、私は医師とカウンセラーの関係が他の2つよりも大切である、と言っている訳ではない。それどころか、どれか1つの関係が壊れてもリハビリテーション過程に非常に深刻な妨げとなる、と考えている。

 医師とカウンセラー関係はその2つの専門職を生み出した社会システムの産物である。医師もカウンセラーも、その専門職が引き継いでいる財産、リハビリテーションのユニークな理解の仕方、個人の経験やバイアスからくる他者に対する印象などを会議の場に持ち込んでくる。

 各専門職が受け継いできている財産の違いは大きい。何世紀にもわたって、医師は我々の文化の重要な部分であった。そこに作り出されてきたイメージは、各患者の思考に影響を与えずにはおかないものであった。そのイメージとは名声、力、不過誤であり、他の専門職が決して越えることのできないものである。このようなイメージは、疑いもなく患者によって強められている。患者は自分の病気の治療に責任がある人に大きな力を持たせるという自分勝手な理由づけをするのである。

 リハビリテーションカウンセラーは、職業的財産の異なる職種と関係を形づくってゆくことになる。リハビリテーションカウンセリングの起源は、聖ヴィンセント・ド・ポールにまでさかのぼる。聖ヴィンセント・ド・ポールは17世紀に貧困者や障害者のために作業プログラムを作った人である。しかしながらリハビリテーションカウンセラーの訓練が組織だっておこなわれるようになったのは、1954年に通過した連邦立法によって認可されてからであった。職業リハビリテーション行政局の援助を受けている大学院レベルの訓練校ネットワークによって急激な発達をみたけれども、リハビリテーションカウンセリングは、ニードを充足できる機能や役割をめざして、更に成熟してゆかねばならないのである。

 確かにこの新しい分野の訓練や経験は、医学の分野のように厳格であるとはいえないところがある。事実、現在最も普及している教育や訓練の仕方でさえも、カウンセラーが実践で直面する問題を処理するための準備として適切である、といいきることは難しい。これは何も訓練不用ということではない。このような事態は、カウンセラーに要求されることが絶えず変化し、役割の明確化が増々むずかしくなるために起こるのである。

 要約すると医師の機能は誰もが知っており、誰でもが威信を認めていると言えるので、大した危険もなく関係に入ることができる。他方、カウンセラーは専門職として受け継いでいる財産が非常に少ない状態で関係に入ってゆくのである。

 関係形成に貢献する要因の1つに、専門職に固有の性質がある。概して、医師は独立した企業家といっても良い面があり、個人の持つ資源に頼って仕事をする部分が多い。一方、カウンセラーは、普通は規格化され、形式化された運営の行われている大きな公的機関の一員として働いているのである。カウンセラーの自律性は医師ほど完全ではない。彼の所属する機関の傾向は、機関の目標が個々の計画に先行し、また影響を与えるものであることを彼に知らしめているのである。

 医師は治療の必要性という基準をもとにして、かなり自由に治療する患者を誰にするか決めることのできる立場にいる。他方、カウンセラーはサービスを受ける資格のある者、即ち提供するサービスが良い結果をうみ出す可能性があるかどうかという点も含めて、法令によって制限を受けている。ケースを進めてゆくかどうかの決定は、対象者に関する医学的、社会的データを集め、必要書類に記入し整えた後でないとできないのである。

 医師が精神科医であると、精神病の治療が複雑であるように、問題は更に複雑になる。精神科は医学の領域で一番若いために、リハビリテーションカウンセリングと同様、役割と機能の不明確さという問題で頭を痛めているのである。薬物療法、ショック療法、精神分析とは別のいわゆる精神療法は、人々を満足させる程効果的であるとは言い難い。カウンセラーと精神科医の関係の困難さを物語る例をひとつあげる。患者が自分のリハビリテーションに責任を持つように援助するのが精神科医の役割である、という治療方針に確信を持っている精神科医とカウンセラーが協働する場合がそれである。そのような場合、患者はカウンセラーと医師の関係を必要とせず、カウンセラーに直接援助を求めることになる。精神科医がこのような治療理論を用いると、カウンセラーからのリクエストに注意を集中することがむずかしくなるのである。

 精神科医が用いる精神内的アプローチによって起こる特殊な問題がたとえ無くても、活気のあるコミュニケーションを妨害するものは存在する。ほとんどの医師は患者と医師の関係と、急性期の疾病に注意を集中する。医師にとって、職業リハビリテーションサービスの重要性は、比較的新しい理念なのである。他方、カウンセラーにとってはリハビリテーションサービスに医学や精神医学を含めることは、きまりきった事柄なのである。その結果、コミュニケーションは一方通行になってしまうのである。

 リハビリテーションの本来の目的を考えるならば、カウンセラーがコミュニケーションを率先してゆくべきであろう。しかしながらあるカウンセラーは何でも知っている精神科医に我が身をさらす恐怖にかられて、おじけづき精神科医を避けてしまう。恐怖や不安はカウンセラーの不安定さと比例して生じるものである。この点から考えると、カウンセラーも精神科医に対して一般の人々が抱いているのと同じ見方をしていることになるのであろう。

 この点をみると、医師とカウンセラーの接触を減らすか除去するかして、問題処理には別のアプローチを探す方が論理的である、といえるかもしれない。だが、もしリハビリテーションカウンセラーが、リハビリテーションチーム内で、論理的にもっと重要な立場をとるのならば、幾つかの無視できない関係を認め、それを改善してゆく責任を受け入れなければならないのである。

 医師は職業リハビリテーションの有用性について、カウンセラーから知識を得ることが最も多い。現在の医学社会のカリキュラムでは職業リハビリテーションは教えられていない。であるから、カウンセラーは医師に近づき、情報を提供する必要がある。たとえ文化的、力動的背景や機関の要求がそれをむずかしくしてもしり込みはできない。カウンセラーが医師にアプローチしないと、リハビリテーション計画は崩れてしまうかもしれないのである。

 ある意味では、カウンセラーのジレンマは医師のジレンマでもある。リハビリテーション計画が失敗すると患者が影響を受け、医師が望むような適応がむずかしくなるためである。患者のニードを考えると、カウンセラーのジレンマを解決する責任は医師とカウンセラー両者が分かち持つべきである。理論的には、医師がカウンセラーを励ましてもよい理由がある。医師がカウンセラーを勇気づけるかどうかは、総合的リハビリテーションの必要性を確信しているかどうか、過去に他のリハビリテーション専門従事者とどういう経験をしたか、患者は回復するために身体的、心理的、経済的投資をするが、その利益還元を医師としてどう考えるか、などの点に左右される。

 医師の知識や経験は静的ではない。医師は絶えず新しい学習の可能性にさらされている。それは患者の職業リハビリテーションの可能性について、リハビリテーションカウンセラーと協議することでもありうる。医学教育にリハビリテーション講座が開かれる可能性は常にあるが、今すぐ出来て、現実的なやり方は医師と接触する日々の機会を生かすことである。もしカウンセラーが感じている文化的、心理的抵抗の大きさを測ることができれば、それは医学教育のカリキュラムを変化させることへの抵抗に比べていかに小さいか、すぐに考えつくであろう。

 現状況下では医師とカウンセラーがお互いが直面している問題や目的に親しみを増すような教育的努力をすることが、より建設的であるといえよう。州立機関で行われている精神科コンサルテーションは、カウンセラーや職業リハビリテーションに医師が注意を向けるよい機会である。誰もが患者を援助したいと願っているために、ケース会議では気持ちの良い関係が育ってゆく。専門用語は普通の言葉に直されねばならない。

 医師との関係を形成してゆくカウンセラーの能力は、財源、担当ケース数、プログラムの優先権といったような実際的問題に関係する管理的側面に間接的に影響を受けていることに疑う余地はない。管理レベルは精神障害者に高い関心を持っているにもかかわらず、サービス希望者が定員を超えた時どうするか、といった点に関する現実的問題処理に役立つカウンセラーのための手びき書はない。精神科医とカウンセラー関係の中にある障害を克服するためにカウンセラーがなす努力は、例えば精神障害者を援助する際の優先権に関しても、カウンセラーと彼のスーパーバイザーの決定が影響を与えるようにすることである。

 精神障害者の包括的リハビリテーション過程の複雑さには限りがないかもしれない。リハビリテーション計画にお金や、時間や努力をもっと注ぎ込むことはできる。だが、患者の予後は注ぎ込んだものの量ではなく、確かな協働関係に向かって建設的に歩みを進めてゆく医師とカウンセラーの能力にかかっているといえるかもしれない。

(“Rehabilitation Record”, 1965, 6(2), 17019 より)

*日本ルーテル神学大学専任講師


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1981年11月(第38号)22頁~24頁

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