特集/専門職 あなたのような方は前の病院にもいたんですか?

特集/専門職

あなたのような方は前の病院にもいたんですか?

――医療ソーシャルワーカーの問題――

奥川幸子 *

 「ソーシャルワーカー? あなたのような方は前の病院にもいたんですか?」

――「大学病院には大体いるんですが……」

 「それなら、何故会わなかったんだろう」

――「ここの病院のようにリハビリテーション科の病練に入院なさった患者さん全員とソーシャルワーカー(以下SW)が入院日に会うシステムでしたらいいんですが、そうでない場合、医師や看護婦が患者さんの悩みや問題に気がついてSWに依頼しなければ素通りしてしまいますから」

 「それで、健康について、例えば、私でも相談できるんですか?」

――「ええ、医学的なことは医師に相談していただかないと。でも、病気に伴って生じた社会生活上の問題、例えば、医療費や生活費等の経済的な問題や誰に何処で世話をしてもらうかといった退院後の不安、職業についている人であれば、職業復帰の仕方等は、私たちSWが随時、相談を受けています」

 「えー、その時の費用、つまりお支払いの方はどうなっているんですか?」

――「残念ながら、私どもは未だ資格もありませんし、保険点数に組み入れられておりませんので無料です。病院の持ち出しです」

 「あなたみたいな方にもっと早く会っていればネェ。ああ、助かった! 義弟も妹も入院しちゃって……。2人には子どもはいないし、義弟には甥が1人いるだけだし、全く来やしないし……。私たちは年をとっているし、これからどうしていいのかわからなくて困ってたんだ!」

 と、筆者の目の前の72歳の男性が、でっぷりした身体を椅子の背もたれにでんと寄りかからせて、安心した様子を見せながらも、その顔にちょっと不満の色も見せて言った。その口調には、前の病院で、SWなる存在に出会っていれば、何も5か月間こんなに無駄に悩まなくても済んだのにという想いが、ありありとこめられていた。

 それならば、何とかなるようにもっと努力して医師や誰かれ構わず積極的に相談したり、情報を集めたりすればいいじゃないかという反論は、ここでは問題にならない。患者や家族に力がないほど、危機的様相は大きなものとなり、解決のためには専門家の介在が要求されるからだ。この一連の会話は、つい最近、筆者の勤務する病院で、SWと家族との間で現実にかわされた。

 昭和56年8月某日、72歳の男性が入院した。5か月前、脳出血で倒れ某大学病院で手術を受けたが、後遺症として左片マヒが残った。全介助に近い状態でリハビリテーションの訓練を目的に転院してきたのだ。夫婦に子どもはなく、付添ってくるべき65歳の妻は、腎透析を受けている身体に大腿部頚部骨折を引起し、その日まで夫が入院していた病院に入ったままである。当日は、妻の親族にあたる兄と妹が付いてきたが、2人とも年老いていた。入院したその日から退院先に問題があることは明らかだった。兄と妹は主治医や婦長から、すぐにSWに会えと言われていた。

 ワーカーが病棟の片隅で2人と会い、何故面接するかという説明と自己紹介をした後、家庭状況、生活歴等を聴いていた時、それまで怪訝な顔で様子を伺いながら黙って妹に応えさせていた兄が、突然、ワーカーに発した質問が冒頭の言葉だった。年金生活者の日々、目減りする貯金額とにらめっこしながら、その兄は、義弟と妹の今後の処遇に途方に暮れていたのだ。

 会話には今までワーカーに出会えなかった家族の苦悶とSWが今、おかれている厳しい状況が明確に表現されている。

 医療の場面では、通常、システムにのっかりさえすれば、診断・治療行為はスムーズに受けられる。通常と但し書きをつけたのは、今の医療供給サービスは、必ずしも患者がその疾病に見合う理想的な治療を受けられるほど整ってはいない。特に、リハビリテーションや老人医療の領域は、従来の医療の中心的存在である医師や看護婦でも、うまくコーディネイトしきれていないのが現状だからだ。ましてや、病気や障害の背後に厳然と控えている患者や家族の社会生活については、彼らが、その危機を強く訴えない限り、また、より効率的に理想的に社会復帰していきたいとの要求を前面に出さない限り、医療の場面からはとり残されてしまう。

 病気に伴って生じた心理社会生活上の問題は、多かれ少なかれどの患者や家族にもつきまとう。そのダメージが大きいほど、個々人の生活史と家族の生活史、それらに付随する情緒面の繋がりを考慮することなくして真の解決はありえない。だが、それらの問題を専門家の助けを借りて解決できる患者や家族は少ない。SWはどの病院や施設にもいるわけではない。

 リハビリテーションという言葉は、筆者がSWとして働きだしてからの10年間に広く日本に浸透した。伴うセラピストの養成機関の増加には目を見張るものがある。だが、「社会復帰」とは等式にあるリハビリテーション部門で、本来欠くべからざる存在である筈のSWは、とり残されたままの存在であり、ソーシャルワーカーという一般の人にはわけのわからない舶来語は、依然として聞きなれない職種としてある。医療と福祉のかけ橋としてその働きは知る人ぞ知るのみのワーカーは、国立の病院においても19.2%(昭和52年)の配置率にすぎない。このように数が少ないのは、冒頭の会話でも明らかなように資格が制度化されていず、配置基準もなければ国の予算もつかないという理由からだ。また、診療報酬体系の中にも入っていないので財政的な裏付けがない。

 「無資格」の職種が持つ悲哀は限りなくある。例えば、市民権を持たないということは、組織の中にあって何時、とばされるかわからないという定着性、給与面での体系化の不備、その専門性についての不明確さ、無資格に伴う教育体系の不備等、多くの根源的な問題を抱えている。

 さらに、ソーシャルワーク活動そのものに内在する課題は何か。日々の業務の実績が積み重ねられるに従って、職場内外や関係機関にその存在を知られ、仕事に対する理解も得られる。SWは、広く人間の社会生活に関わる問題を対象とし、その援助過程においては、技術や知識に裏打ちされた個人の人間性をてこにして患者に自立を促してゆく職種だ。そのためには、人間関係に関する深い洞察、調整機能を要求される。そこにはどうしてもアートの要素が深く入ってくる。それ故、ワーカー相互の共通理解、質の均等化、新人への教育等にもう1つ、発展上の障壁があることは否めない。

 そしてソーシャルワーク活動は何故、浸透しないのか。援助対象そのものもSW自身もマイナーな存在であることの他に、PR不足も手伝っている。PRの対象は広いが、まず、医療スタッフに、現状の医学教育では思いもよらない患者の社会生活上の事柄を、病院という治療する場で担当するということをPRする必要がある。多くのワーカーが、まず、職員に対するPRから始めなければならない。理想的な相談態勢をとるには極端に少ない人員のもとで、その業務内容が真に理解され、よりよいチームワークが形成されるまでの道は険しい。一般の人には、なおさら、SWに現実に出会うことなくして知られることはない。

*東京都養育院付属病院 医療ソーシャルワーカー RSW研究会会長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1981年11月(第38号)36頁~37頁

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