国際障害者年の成果と今後の課題 国際アビリンピックを中心として

国際障害者年の成果と今後の課題

国際アビリンピックを中心として

松井亮輔

 わが国では1972年から過去9回にわたって、身体障害者の職業能力の開発を促進し、技能労働者として社会に参加する自信と誇りを与えるとともに、ひろく身体障害者に対する社会の理解と認識を高め、その雇用の促進と地位の向上を図ることを目的として、全国身体障害者技能競技大会(アビリンピック)が開催されてきた。1976年の国連総会で1981年を国際障害者年とすることが決議されて以来、国際障害者年の記念行事として、この大会を国際的規模で開催することについて、各界関係者から要望が高まってきた。

 これを受けて、1976年6月には同大会を主催してきた身体障害者雇用促進協会が中心となり、「国際身体障害者技能競技大会開催準備委員会」が、そして引き続いて翌1980年6月には、国際アビリンピックの準備および運営の主体となる「財団法人国際身体障害者技能競技大会日本組織委員会」が設立された。

 また、当初の大会構想段階で国際障害者リハビリテーション協会(RI)と接触したところ、RIが共催団体となり、大会に全面的協力する旨の回答が得られたので、大会の具体的内容については、RIと協議を重ねながら固めていった。

 大会への正式案内は、RI加盟国を中心に、93か国(地域)の184団体および9国際団体に出されたが、これらのうちエントリーしたのは、最終的には61か国(地域)に達した。

 しかし大会直前になり5か国が来日できなくなり、実際に大会に参加したのは、日本も合め56か国(地域)の841人であった。参加国の半数以上が発展途上国であったこと、また参加した障害者の相当数が極めて重度の障害者であったという点でも、わが国で開催されたこの種の行事としては、画期的なことと思われる。

 大会の会期は1981年10月19日(月)から同23日(金)の5日間で、主な行事は技能競技、競技になじまない職種、例えば民芸品や伝統工芸品製作等のデモンストレーションおよび各国の障害者雇用の現状等を紹介したパネル等のエキジビション、ならびに障害者雇用についての国際セミナーである。各行事の結果の概要は次のとおり。

(1)技能競技

 10月22日(木)千葉市内の中央技能開発センターで行われた技能競技には、49か国(地域)から304人が参加した。

 競技職種は旋盤、フライス盤、時計修理、洋裁、洋服、家具、建具、建築製図、機械製図、木工塗装、ラジオ修理、テレビ修理、英文タイプ(視覚障害、両上肢重度障害ならびにその他の障害の3部門に分けて実施)、写真植字、広告美術、毛糸編物および木彫の17職種で、国(地域)別入賞者数は、日本31、韓国10、中国(台北)3、ニユージーランド2、タイ、フランス、オランダ、アルゼンチン、イギリス、シンガポール、フィリピン、モーリシャス、アイルランド各1の順となっている。このように日本の成績が圧倒的によかったのは、過去9回に及ぶ国内大会の経験と、それを通じて優れた選手を選考することができたからであろう。

(2)デモンストレーション・エキジビション

 デモンストレーションおよびエキジビションは10月21日(水)の午後から、同23日(金)の正午(但し、最終日はエキジビションのみ)にかけて、東京体育館の小体育館で行われたが、デモンストレーションには22か国(地域)から60人が、またエキジビションには7か国(地域)から25人が参加した。

(3)セミナー

 10月19日(月)午後、同20日(火)および同23日(金)午前の3日間にわたって東京・中野サンプラザでひらかれたセミナーには、37か国(地域)から313人の専門家等が参加した。その内容は次のとおり。

 第1日目(10月19日)

 ○特別講演「障害者雇用の展望」 米国大統領障害者問題特別顧問ハロルド・クレンツ氏。

 ○体験発表「私の職業自立体験」

  ピーター・ストリート(カナダ)、マギー・Ng(ホンコン)、はらみちを(日本)の3氏。

 第2日目(10月20日)

 ○ナショナルレポート

 「障害者の職業リハビリテーションサービスおよび雇用における新傾向」ILO心身障害者福祉専門官丹羽勇氏、「インドにおける障害者の能力開発」リハビリテーション義肢センターおよび脊損センター所長サシール・バーマ氏、「オランダにおける障害者雇用の可能性と限界」オランダ社会省審議官マルティン・メンゲン氏等。

 第3日目(10月23日)

 ○セミナー総括パネルディスカッション

 とりわけ2日目のナショナル・レポートでは、それぞれの国情を背景に障害者の雇用対策の現状と展望が紹介され、特に発展途上国と先進工業国との格差、ニーズの違いが再認識された。

 また、先進工業国においても、失業間題、技術革新など、当面する諸問題への対応を迫られている事情も紹介され、障害者雇用対策の個別化、多様化の心要性を感じさせられた。

 このセミナーは今後各国が障害者雇用対策をすすめる上で参考となる点が少なくなかったと思われる。

 大会には開・閉会式等を含め、延15,000人近くの関係者、ボランティアおよび一般市民が参加したほか、大会前後を通じて連日にわたってあらゆるマスコミに大会の模様が大きくとりあげられた結果、国内だけでも千万単位の人びとが、直接間接に、障害者が高い技能を必要とする広範囲の仕事をする能力を持っていることをまざまざと実感させられたにちがいない。また海外からもAP、UPIをはじめ、パンアラブ、西ドイツおよび韓国等の通信社が大会を取材し、全世界にその内容が紹介された。

 こうした意味で、国際アビリンピックは、障害者の職業を通しての完全参加を促進するための世界的規模での一大啓もう運動となったわけである。

 閉会式でオランダが1985年に第2回国際アビリンピックの開催を原則として決定したことが発表され、大会旗が同国選手団代表に手渡されたが、翌11月ブタペストでひらかれたRI総会で、RIとしても、今後とも国際アビリンピックを共催することが賛成多数で決議された。

 またコロンビアでは1984年に汎アメリカ大会の開催を予定しているのをはじめ、今大会の技能競技参加者を選考するため国内大会を行ったフィリピン、インドネシア、韓国、ホンコン、タイ、インド等では、毎年恒例的にこうした国内大会の開催計画を持っていることを考えれば、国際アビリンピックが、国際障害者年1回かぎりのことではなく、今後とも継続されること―勿論その形態は国情に応じてかわっていくであろうが―は確実であり、それを通して各国が障害者雇用への取組みをすすめる上で、大きな役割を果たし続けることであろう。

 そして大会創始国として、わが国に今後国際アビリンピックを開催する各国に対して、国際協力の一環として、技術的援助等を積極的に行う責任があると思われる。

身体障害者雇用促進協会


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年3月(第39号)22頁~23頁

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