国際障害者年と私 [蝋]細工の料理

国際障害者年と私

[蝋]細工の料理

調 一興

 はじめに

 国際障害者年の1年についての評価はさまざまのようですが、少なくともマイナスだったという意見は聞きません。私自身にとっても、この仕事に入って23年間、毎年が障害者年であったように、嫌も応もなく全力投球の連続であったし、障害者年を特別に意識して迎えたとはいえませんが、結果としてみると、理念や具体的な問題は出されたし、そのうち相当な部分が整理されたな、という感じです。そして国際障害者年日本推進協議会のような組織ができて、広い分野の人々とお互いに交流でき、まがりなりにも、共通の問題については、ひとつの行動計画をまとめました。国はもちろん、地方にも行政主導ではあっても行動計画のようなものがつくられ、民間の地域組織も生まれたということは、この年がひとつの契機となったといえるように思います。

 この1年をふりかえり、今後の展望を述べよということですので、私の中にある問題意識をいくつか述べてみることにします。

 障害者と専門家

 いろいろな組織や会議とか行事などの計画や実施の段階で、障害者の参加を軽視し、相変らず専門家主導型であるということを、障害者の側から提起される場面の多かったことがひとつの印象として私の中に強く残りました。私も表面からは見えない障害者であり、同時に専門家といわれる立場にあるようです。自分では専門家とは思っていませんが、私を障害者と思っている人もまず無いようですから、どちらかといえば専門家の1人と見られているといえるように受けとめています。したがって、専門家主導型といわれることに大変複雑な想いをします。

 たしかに障害者は長い間冷遇されてきており、実質上は現在もそうです。教育体制も不備で、高等教育を受ける機会も奪われてきました。そして非障害者の側から、保護、更生、適応させられる側におかれ続けてきたことも事実です。そういうことに起因して、一部の例外を除き、全体としてみると障害者の能力や社会性、自己決定能力は育っていません。そういう側面があります。最近は障害者団体も全体的には成長し、新しい指導者やリーダーも生まれつつはありますが、まだ過渡期にあるといえる状況のように思います。

 また率直に言って、障害者団体(個人を含めて)には障害種別毎のセクトが見られ、ある場合にはこれがパワーとなって良い結果を生むこともありますが、大局的な立場からみると、全体に共通する基本的課題、施策の優先度等を問題にする場合それぞれの障害種別の特別の要求が先行して、結果として、沢山の要求を羅列することになってしまい、焦点が不明確になるというような状況を今まで目にしてきました。

 自己を含めて、全体を客観視するということは言うは易しく行うは難しい。そんな余裕など現在の障害者のおかれている条件からはありえない、といった反論をうけそうですが、こうした弱点が克服されつつあることの好ましい状況も見ているつもりです。

 障害者インターナショナル(DPI)の国内組織がどうまとめられるかは、そのひとつの試金石になるだろうと注視している者の1人です。

 一方、障害児者に直接関係する場面で働く、団体の役員や施設職員等、それを職業としている、いわゆる専門家といわれる人々の側にも、私を含めていろいろ問題があります。

 砂原茂一先生の次の言葉はきわめて痛烈であります。「障害者を既存の社会に受け入れようとするとき、非障害者主導の社会があらかじめ作り上げた鋳型、あるいは枠組みの中に障害者を無理やりに押し込めようとしてはならないということである。障害者の完全参加ということは、社会自身の質的変化を前提とするのである。(中略)今まではリハビリテーションの専門家が評価・決定したコースに障害者がいわば自動的に送り込まれ、ゴールに達しえないものは落伍者として見捨てられがちであった。」(国際リハビリテーション交流セミナー基調講演から)

 たしかに非障害者主導の社会構造のもとで、専門家といわれる人々の中にこのような体質があることは否定できません。障害者は心理的にも、経済的にも、これに順応せざるを得ないところにおかれてきました。

 しかし障害者年の1年は,障害者の意識も相当変化したが、専門家といわれる側の意識も一定の変化をしたと私は思います。“変わらなかったのは専門家といわれる人たちである”といったきめつけ方は承服できません。なんといってもお互いに一番身近な存在であり、相互に研鑽し、率直に論議しあう条件をつくることが大切であります。どんな場合でも障害者の主体性は尊重されなければならない。このことを原則として、多様な場面が生じるでしょうが、基本的には対立ではなく、両者が弱点や欠点を克服しつつ、相互理解と協力関係を強めていくことが大切であると思います。

 蝋細工の料理

 最近では、レストランのウインドーなどに並べてある料理見本は、[蝋]ではなくビニール製品に変わっているようですが、まあ、それはどうでもよいでしょう。大変よくできていて、私などはそれにひきこまれて、つい入ってしまいます。しかし実際にでてくるものは見本とは大分見おとりのするものであるのが通例です。でも食えることは食えます。だが[蝋]細工の料理は、どんなにうまそうに見えても食えません。

 障害者年の1年の間に、方針や計画や答申などが文書化されました。これは[蝋]細工の見本と同じ性質のものです。料理は本当につくられるか。見本とは似て非なる料理がつくられはしないか。いずれもこれからの問題です。

 環境のきびしさをひしひしと感じながら、関係者の皆が考えていることは同じだと思います。「活力ある福祉社会」「福祉見直し」この言葉が、正しい意味で前向きに使われることに反対はありますまい。しかし実際には後向きに使われており、平和・福祉から緊張・福祉圧縮の傾向は強まりつつあって、私たちがしっかりしないと、見本だけに終るか、もしくは似て非なる料理がでてくる可能性は強いのです。[蝋]細工の料理を、本当の料理にするために、お互いに頑張りましょう。そして見本さえまだできていない部分のあることを忘れないようにしたいと思います。

社会福祉法人東京コロニー常務理事


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年3月(第39号)30頁~31頁

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