国際障害者年と私 われわれの子どもも忘れてくださるな

国際障害者年と私

われわれの子どもも忘れてくださるな

皆川正治

 国際障害者年について注意を喚起されたのは、1978年ウィーンでの第7回世界精神薄弱会議でだった。それから国際精神薄弱者援護団体連盟(世界精神薄弱者育成会―ILSMH)から回状が到来した。加盟各団体は自国の政府に対して国際障害者年の対象には精神薄弱者が含まれていることを認識させて遅れをとらないよう奮励努力しなさいとの趣旨である。そんなものかなと思う程度だった。わが国の政府も関係界隈も国際児童年に頭が向いていた。それでも国連の関係文書を手に入れて勉強を始める準備はした。

 翌79年、太宰博邦先生から、このままでは国際障害者年に遅れをとる。まず民間から声を挙げることが必要で、個人の資格で集まらないか、一丁やろうと尻を叩かれ、その後の国際障害者年日本推進協議会の、いわば胎動期に参加させられて否でも応でも勉強しなければならなくなってしまった。その頃には、「障害者のための年」から「障害者の年」への変更や、スローガンの「完全参加」に「平等」を加えることなどの国連諮問委員会の勧告も入って来る。関係団体間に姿勢や考え方の違いがさまざまあり、経験の内容と幅と厚さに違いがあり、一筋縄で行きそうもないことが見えて来たし、冷淡に思えた一般社会やマスコミが思いのほかに燃えてくれそうな気配も感じとられて、よかれあしかれこれは勝負どころだという気にさせられたのだった。

 国際障害者年を単なるお祭りさわぎに終わらせてはならないとしきりに言われた。終わらせてはならないでしょうが、お祭りにしてなぜわるいか。否、お祭りにしなければ誰が参加して来るものか。派手な提案はどしどし取り入れ、慎重論は抑えることにまわろうと考えた。地球を挙げてのお祭りをやらかして、続く10か年の行動のはずみをつけること、毎年お祭りを催して、目標の10年目には今一度大祭をやらかそうじゃないか─そういう肚づもりである。だから「推進協」では専ら扇動役を演ずることになった。それなりの成果を挙げたのではないかと思う。

 国際障害者年で気になったのは、国連を絶対的な権威として位置づけて、国連が言うからどうこうという言い方、処し方が横行しそうな点であった。欧米天国説の次は国連随従論かと何度か嫌気に襲われたのは事実である。「完全参加と平等」という舌ざわりはよいが消化可能かどうか皆目不明なテーマが、いかにも易々と口々から聞かれると、ある日を境に「今や民主々義の世の中になりましたので」と突然変異を見せてくれた昔日のだれかれを思い出さざるを得ないのである。そんな中で、われわれの子どもは国際障害者年の対象外なのでしょうけれど、忘れてくださるな─という重症心身障害児の団体のリーダーの声が耳を搏った。実は私も同じ思いがしていたのである。

 「完全参加」とは社会的経済的な活動への参加であり、「平等」とはその成果の公平な分配だという国連の文書を見て、それは誠に高遠だが切実な目標であり、ぜひ実現への努力に参加しなければならないと感じたものの、何か割り切れないものが心中にわだかまっていた。社会的経済的生活と限定してよいのだろうか。もっと根本に人と人との関係におけるそれがありはせぬか。限定した途端に障害をもつ人々をさらに分割する結果を来たしはしないのか。国連の代表の来日の折にも、精神薄弱者の問題に触れた時、当惑げな表情で、それは各国の事情に依ると説明があった。傷夷軍人の仕事に長年携わったというその経歴を見ながら、国連の場での雰囲気が想像され、世界育成会の回状の文言が改めて想起されたのである。障害者の内訳はきわめて多様である。それらの一人ひとりが社会の一員として「当たり前」のこととして受入れられて、一員としての役割を演ずるというのはどういう姿なのか、それらを避けて障害者の声は天の声というような言動に同調するわけにはいかないと思う。だが考えてからでは間にあわない。走りながら考えようということになった。

 役柄から会の内外随分いろいろなところで話をさせられたが、私は「完全参加と平等」を母親と新生児、重症の子と看護婦との間におけるそれを例にとって話した。また、障害を機能的欠陥と能力低下と社会的不利の三つに区分する国連の考え方は大変面白いと思ったし、合理的だと考えたので、近眼のような身近かなところから精神発達障害のような目に見えにくいもの、臨時的、一時的な障害状態から永続的な障害状態まで具体的な例を挙げて解説した。そうして話してみると、行きつくところはいつも人的環境の在り方になってしまう。全盲の人の「白い杖」はちえおくれの子にとってはいっしょに歩いてくれる「人」である。いや全盲の人にとっても最後に頼れるのは人だろう。制度や物的環境の整備と並んで、むしろそれより優先させて人的環境の耕しを具体的に構想し進めなければならない。それにはどのような方法があるか。観念的、お修身的なやり方でだめなことは勿論である。これについての長期行動計画を組む必要があると思う。

 もうひとつ、国際障害者年を機に、ノーマライゼーションが大きく唱えられ、それにもましてインテグレーションの促進が叫ばれた。ノーマライゼーションとは障害者を社会の本来の一員として処遇しようという、いわば理念であり目標であろう。インテグレーションはその目標を達するための方法であって目標ではないのではないか。ところが何時の間にかインテグレーションが絶対善として理念化された感がある。インテグレーションにも段階や類別があり、そのほかに同じくノーマライゼーションの方法として“インディヴィデュアライゼーション”(個別化・個人差対応)や“プライバシー”の尊重など大切な観点が残されている。もともと多様なことが人間の“あたりまえ”の姿なのである。理念論もよいが、これらの重要な基礎的な観点を満たすようにアプローチするにはどのように活動を組むべきか。これもこれからの長期行動計画の具体化・深化作業の課題である。

 最後に、これから続く国際障害者年10年の歩みの中で私が努力したいのは、“一番むずかしい精神薄弱の人は別でしょうが”とか、“ちえおくれの人は大変でしょうが”とかの十把ひとからげ的な言い方が、少なくとも障害問題関係者の界隈で聞かれないようにすることである。随分専門的な知名の人でさえ、精神薄弱者は職業的に無能力で恩恵的な雇用に止まると考えているのに出あうのである。一般の人々はなおさらであろう。だが、それは正にリハビリテーション・サービスの不足、教育の不行届の結果であって、身近な人々の協力が得られ二次障害を防止してちゃんと育てれば大部分の者が雇用の正当な対象となるはずのものと考える。残りの重いハンディキャップをもつ人の処遇も保護的な就労から生きがい作業に至るまで緻密に計画は組めるはずである。精神発達障害をもつ人々の声がそう叫んでいる思いである。そのための長期行動計画をどのように組むか。それが最も重要な国際障害者年後第1年の課題として精神薄弱世界に課せられていると思う。

全日本精神薄弱者育成会専務理事


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年3月(第39号)34頁~35頁

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