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特集/最近の障害児教育をめぐって

普通の小学校に於ける身障児

――新しい段階――

Physically Handicapped Children in an Ordinary Primary School

K. W. Foster*

武田 洋**

 先ず初めに、私はこの表題を限定すべきだと考える。私は、『普通の小学校』に勤務した経験もなければ、また、そこを見学しに行ったこともない。初等学齢期の子ども達のために設けられた学校というものは、どれも皆、教科書や教育器材の選択にあたって一致した見解がみられることや、同年齢別の学級編成を行っているということばかりでなく、カリキュラム及び生徒対教師の比率の点でも似ていたり、建物の設計についても多くの共通点がみられるが、一つ一つの学校については、互いにかなり異なった雰囲気が感じられるのは当然のことである。たとえ鏡像的建物の中にあっても、また、1マイルしか離れていないところに建てられている学校であってもその様に感じられる。

 各学校内に独特な雰囲気があるのは意外なことではない。何故ならば、この点に関しては、英国の教育システムの右に出るほどの国はほとんどないが、かなりの選択の自由が、校長とその教師陣の手に委ねられているからである。この様な教育システムのもとでは教師は中央のプールから選択されて派遣されてくるのではなくて、各学校毎に募集された人々から構成される。子供達は、近隣する一つの地域内の家庭の子供達で構成される。したがって、学校の直接的目的や学校での道徳上のきまり、及び学校全体の雰囲気を左右するのは、まさにその地域の社会的・経済的・環境的支配力ということになる。そして異なった社会的地域内に於いて、多くの大人達と子供述とが混合することによって創り出されたこの状況こそ、学校共同体を産み出す源なのである。こうして発生した学校共同体は、次第に独自の共同体的性格を育成してゆく。いかに広大で、いかに意味深く、いかに心置きないものであり、いかに幸せでも、そのリーダーシップ、その物的、社会的資源、その地域の教育委員会に依存したものとなろう。

 従って、どの小学校にも共通している背景というものが、実際、たくさんあるのだけれども、『普通の学校』という「動物」は全く存在しえない、と私は考える。事実、初等教育に於いては、わずか10年の間にそのような徹底的な又は決定的なすさまじい広範囲に及ぶ数々の変化と、『新しい動き』が出てきている。何と異例な学校があることか。

 私はそれぞれの小学校のもつ独特な性格を強調(重要視)することから議論を始めた。というのは、身体障害児という一つの集団(単位)を学校組織の枠内に確立させるか否かに関しての決定を下す前に、あるいは、一人の障害児を普通の小学校の中に統合させてみるべきか否かの決定に於いてすら、その前に、対象となる学校の『集団としての個性』について考察することが非常に重要な(どうしても欠かせない)問題だからである。理想的には、身障児たちが比較的容易に通学できる様な地理的位置に学校が配置されていたら良いのだが。また彼らが比較的自由に、移動できるような構内の物的設計と配置とを学校が整えておいてくれたらよいのだが。更にまた、学校が『道徳的にすぐれた地域住民』をもち、従って論争されるべき社会的抑圧もしくは諸問題をほとんどもたないのがよい。そのような要因からは、かなり初期の段階に於ける有利な状態が得られる。だから一見してすぐ有利だとわかるそれらの要因に基づいて、対象となる学校をどれか一つ「選び出す」ことについ心が動いてしまうのも当然のことなのである。

 学校の選択が論理的な利点、すなわちその学校の建物の形式や、地域の性格(支配的な風潮)及び、身近にある資源だけに基づいていた場合には、失敗の可能性、従って、失敗の危険性がまだ残されている。

 そこで是非とも考慮せねばならない最も重要なことは、身障児たちが個々の学校に加わる時点から、ただちに、その学校の『最前線』につくようになる人々の個人的・集団的な受け止め方である。校長は彼が今だかつて一度も払ったことがないほど複雑な教育的・社会的・経営的責任を現実にかかえているのである。社会全体が次第に複雑になってきていて、また、一般的に、次第に緊張した状態になってきているように、小学校という超小規模社会でも、実際に適用できる学校の活動計画や、家庭と学校との抜きさしならぬ関係、及び校外活動の点で、次第に複雑になってきている。従って、校長は身障児たちを(自分の学校のメンバーとして=実のメンバーとして)入れることに心から支持する様な人物でなければならない。校長の役は補助的なもので、しかもその役は純粋に真心のこもった助演者としてふるまわれねばならない。そして、その人こそ、その目的の成功を左右する唯一の人物である。特別な援助を必要としている子供達に対する直接的責任と、更に彼の下で働く教師陣に対して、身障児たちがその学校の真のメンバーとなる為にどうしても欠かせない支持と信頼とを与えるという責任とを引き受ける様になるのは、常に校長なのである。

 では、教師陣についてはどうか。彼らは委任によりその責任がある。しかもかなり大きな責任がかかることだってある。彼らは『二重の問題』を同等に扱わなければならない。その問題とは、身障児達が、小学校の教室の暖かな雰囲気の中で次第に自信をつけながら行動し、統合する為の物理的及び社会的機会を利用できるようにすることと、クラスのプログラムを、特別な援助を求めるごくわずかの子供たちにぴったり合う様に準備することによって、その結果、自分のことは自分でできる他のすべての子供達が損なわれることがないということを保証することである。

 従って、あなた方は、それぞれの教師に、付加された責任を分担して、常に前もって考えに入れておかねばならない彼らの特別な要求を、どの日もどの日も満たしてあげるように頼んでいるのである。そしてそれは、一時的な役割ではなく、意識を必要とする、永久的な仕事である。特に、あなた方は、教師がこの委任に信念と意志とをもって本当に立ち向かうことができるということを保証しなくてはならない。教師たちが身障児たちを自分達の手に委ねられることを期待しなくてはならないように、委任を計画することは、全く十分でない。協議会を開いたり、普通の学校のプログラムに於いて、身障児とじかに会ったりする前に、個人的なガイダンスを通じて信用が与えられなくてはならない。

 従って、いかなる管理機関もしくは専門家団体であっても、――たとえ地方の教育団体、様々なランクに属する医業者仲間、ボランティア団体、等々――学校に於いて日々の責任を負う人々が、心からの信頼と、「この子供達が我々の学校に加わることは当然であり、我々は喜んで彼らを我々のメンバーに迎えましょう」という心構えとを持っていない限り、管理機関や専門家団体は身障者の為の設備を設置できるなどと考えることすらしてはならない、というのが私の主張である。いかなる公認団体でも、確実に意見が一致している校長と教師陣との了解がなければ、身障児用の設備を学校内に設立することを要求したり、強制したり、あるいは法的に統制したりすることはできない。その様にしようと試みることは(しかしながらいつの間にか進行して)、「火遊びをする」ことに等しい。

 それでは人間はすべて、自らのあらゆる力の及ぶ限りに於いて、社会生活を営む権利規定された権利をもつ、というこの原理を我々はどうやって保証できるのだろうか。私はここで、実際に即した提案をいくつかしてみようと思う。

 先ず第一に、訓練された責任ある大人として、我々は、我々が共有する共通の目的と共通の問題とについて、実践に基づいた共通の評価をもつ為に、我々の間に本当のコミュニケーションを確立しなくてはならない。2つのグループ――両方とも子供達へのグループ独自の奉仕活動に携わっている――がいかにして、無計画に、圧力を生み出すか、その一例を挙げてみよう。

 医学の専門家達は、当面の医療では力の及ばないところ迄発達している子供の身体的及びあるいは精神的能力に関する見事に均整のとれた適格な評価を出すことができる。彼らはまた、身障児達が、他の普通の子供達と協合して、ある一定の身体を使う課題を処理できる能力というものを、ある程度の確信をもって予測することもできる。

 心理学者達は身障児が、ある一定のレベルでの教育学的成果を論理的に考え抜いてそれを達成できる生得的能力のほかに、感情的ストレスを処理できる能力をも評価できる。教師としての訓練を受けた人達というのは、医学の専門家達の報告書を「翻訳する」ことができないようだ。また彼らは、子供が入学許可の目的で精査される以前に到達しているその子供に特有の身体的限度を正確に評価することができないようだ。更にまた、教師個人は、明確なガイダンスがなければ、身体的ケア(例えば理学療法)と、医療(子供の成長あるいは発達にそった将来の治療)との合計総量を判断することもできない。

 同じく最高適任者であり且つまた最も多くの経験を積んだ専門家達、医者あるいはもっと正確に言うと外科医は、今日に於ける校長及びクラスの担任教師の役割が実際に何であるのか全くわからないであろう。医者はそれが本当に何を意味するか全く知らないのに、「身障児が学校に通っても安全だ」と助言したり勧告したりするといった危険がある。その結果、子供が不利な立場に置かれることもありうる、たとえその学校の職員達が「停止していること」すべてを盛り返したとしてもである。

 障害者達の社会への統合に関する限りでは、まだまだその初期の段階にある。それは確かに、高まりつつある運動だ。しかし、結局のところ、それは実際に即した、根拠の確実な判断に基づいた信念によっている。その判断は、効果的なコミュニケーションの確立による。従って、私は子供を普通の学校という場に配置させることと関係しているすべての機関の間にコミュニケーションが必要であることを十分心に留めておく様、この協議に主張する。更に、医学の専門家達は、ジェスチャーの様に意味の不明瞭な用語の翻訳を教師達に提供して欲しいという申立てをつけ加えておく。

 いかなる校長も、自分の学校に身障児を入れるよう指示を与えられても、それを受け入れるべきでない。事実、子供の生育歴に関するすべての情報を詳しく調べる機会も与えられず、また協議もせずに、その様な子供を校長が引き受けてくれるなどと期待すべきでない。こういうわけで、医学の専門家達は、現代の小学校生活を評価する何らかの試みをしない限り、教育措置に関する適格な助言を与えることができないのである。

 医業に携さわる人々は、恐らく一定の間隔をおいて、身障児を診察し続けてゆくだろう。そして、このことによって縫続性が保たれる。特別な援助を必要とする子供と一緒のところに配置される教師は、長時間、拘束されるわけだから、「まるで精神病院に居る様な錯覚をもつだろう」その子供を扱うすべての専門機関の間に十分なコミュニケーションが交わされていると教師に確信がもてることが特に重要である。

 私の勧告は次の通りである。

1.身障児の配置される学校は、慎重に――そして、すべての関係機関との協議を通して――選択されなければならない。その学校の建物の設計、その学校の地理的位置、及びその学校をとり囲む隣人のタイプなどは考慮すべき選択上の要因のうちのごく二・三に過ぎない。校長と職員の受け止め方、学校の雰囲気、社会とのつながり等々すべて留意されなくてはならない。

2.これらの子供達の要求を満たせる物理的資源がなければならない。すなわち移動力を与える特殊設備、あるいは子供達が教育プログラムに参加できる様な特殊装置がなくてはならない。身障児ユニットの基礎づくりにとって、特別収容施設が学校内にあるということはどうしても欠かせない。その学校の教師陣が単なる忠誠な行いとして、彼らの世話を引き受けてくれるものと期待するのでは全く不十分だ。その様な期待は、その仕事の為の専門的な訓練を受けていない教師たちにストレスを加えすぎることになろうし、また教師の時間とエネルギーとを等しく要求する権利をもっている他の子供達にも負担をかけることにもなろう。適切な収容設備、必要な設備、及び輸送手段を供給することによってかかる費用は、身障児達を彼らが入ってゆく必要のある日常生活から締め出したままにしておく間にもたらされる損失に比べたら、微々たる額だ。

3.福祉補助員を含む適切な職員人事がなくてはならない。これがなければ、その学校は危険な立場に立たされる。

4.身障児の育成と教育措置とに関係しているすべての人々の間にコミュニケーション――完全に理解できる効果的なコミュニケーションがなければならない。これは、子供が学校に配置される以前に実施されていなくてはならず、小学校時代を通しずっと継続して行われなくてはならない。その中枢となる機関は、医療奉仕団体、地方の教育団体、及び社会奉仕団体(特にその子供の家族が困っていたり、あるいは負担が大きすぎる様な場合)、及びその学校の校長である。

5.単一の機関だけでは、身障児の要求のすべてを満たせないということと、それぞれの子供が、専門家たちから均等に配分された専門的技術から利益を得る――彼らはまた、その子供の出生時から成熟期に至る迄の間その子供のためになる様な技術を提供するだろう――だろうということとをはっきりと認識することから生ずる協力がなければならない。

 身障児を普通の小学校に措置する前にどうしても欠かせない専門家同志の協力、及び学校側が考慮すべき基本となる収容設備並びに特殊設備の重要性についての私の考えを述べてきた。そこで次に話を我々の体験談に移してもよいであろう。それは身障児ユニットが初めて計画されてからの2年間に渡り、私自身の学校内で我々みんなが共有した体験である。

 「新しい段階」は次のようにして始った。その教育当局は、学校の構内を地域の学校計画を具体的におし進めるのに役立つ様な設計に改造し、拡張する建築計画を1969年に認可した。そして拡大された学校計画を確立することに直接責任のある我々と、建築家達とが協力し合う為にデザイン・チームが編成された。

 私自身の考えは、地域の学校は以下の事柄を供給する必要があるというものである。

1.家庭―学校関係の拡張

2.見習い教師とソーシャル・ワーカー

3.特別な援助を必要とする子供達が、近隣の子供達と一緒に配置されること

4.どのような社会・教育奉仕団体の人達でも、我々の学校に集まってくる来訪者及び客に対して歓待すること。その目的は、年齢、能力、要求、及び関心の点で異なっている大勢の人々によって構成される学校共同体を創り出すことである。

 身障児たちのグループは、新学年の最初の日に――他のすべての子供が、彼らの新学年の第一日目のスタートをきるのと一緒に――その学校のメンバーとなる為に到着する、という計画が立てられた(仮りの収容ユニットが彼らの為に改造された。そして彼らは今だにそこに居る。しかし建築家が設計した収容ユニットがこの秋迄にはほぼ完成する見込みである)。

 身障児達は、タクシーで学校に着いた。そして彼らの運命が決めたその場所を見てびっくりした。それから他の子供達みんなが揃った――在学生と新入年と――そして、ごく少数の身障児達のグループは、他の大勢の子供達をじろじろ見た。彼らも同じ様にじろじろと見返された。その第一日目に、我々すべてが後にひき返せないところを越えた。建築家達は立ち去って既に居なかった。そして我々は、地域学校創設の試みに同意してしまっていた。だから我々は今となっては、正式の授業日(授業時間)だけでなくもっと広い意味に於いて、一緒に生活することを学ばねばならなくなっていたのである。

 あの第一日目から今日迄の時間の経過を振り返り、そして我々すべてが助言されていたことで、我々の当初の問題となるはずだったことを想い出すことはやさしい。

1.他の子供達は、身障児達を可哀想だと思うだろう、あるいは敏感な彼らは身障児達と会って気が動転するだろう。あるいは彼らが身障児達をじろじろ見るために身障児達は動揺するだろう。

2.我々と同じく地域に住む両親は、たとえわずか総数18名しかいないとしても、身障児達を自分達の子供と一緒に置くことに憤慨するかもしれない。

3.中心となる学校の教師達はもし障害児の直接の要求を処理せねばならず、その為にクラス全体は放置しておかねばならない様な事態になったならば、危険な状況に立たされよう。

4.身障児達自身は、彼らと同じ年齢の他の大勢の子供達が、彼らのすることとは全然違ったことをしている時に、おとなしく見物していなくてはならない場合に、自信を失うだろう。重い身体的欠陥をもつどの子供にとっても、このきわだった相違には動揺させられよう。

 我々は最初の2、3か月間に、いくつかの障害を体験し、そして多くの困難を克服しなければならなかったけれども、我々が警告された問題はみな今迄に一度も生じていない、と私は――絶対的確信をもって――言うことができる。振り返って見て何故、この移行が意外なほど順調に運んだのか、その原因をつきとめるのはむずかしくはない。

1.年少者たちというのは、一般に、非常に有能な人々だ。彼らは驚くほど正確に人を判断し、一連の環境を評価できる現実主義者なのだ。彼らの大多数の者達が、非常に素速く、しかも独力で、事を旨く運んでしまったので、この学校の『障害児』について説明することは一度も必要なかった。社会的偏見――例えば、皮膚の色、人種、外見、等々――をつくり出しているのはほかならぬ我々大人たちであるということをいつもしっかりと留意しておかねばならない。また、発育盛りの子供達が社会的偏見を受け継ぐ様に教育するのはほかならぬ大人たちなのだ。子供というのは、考えがとび抜けて寛大であると同時に、残酷になることだってある。しかし彼らの判断は、一般的に鋭く、そして、偽りがない。だから明白な身体的欠陥を背負って我々のところにやってきた子供達というのは、普通の子供達とはちがっている子供として、たちまち受け入れられたのだった。這うことはできても走れない子供、やっとのことで手の動きしかコントロールすることができない子、半盲の子、難聴の子、あるいは両足のない子供といろいろいたが、それでも彼らは子供なのだ。仲間から受け入れられることは、確かな最も重要な同意であり、そしてやがて、これらのジュニア達は仲間同志になった。

2.我々はすべて、ひざ詰めのコミュニケーションの確立を必要とする学校―家庭プログラムを創り出す試みに携わっていた。だが我々には、その方法を教えてくれる規則を述べた本というものは一冊もなかった。だから、我々すべてが、時には、間違った判断をすることもあった。しかし我々すべてが、試行錯誤を通してお互いが調整し合うことを学んでいたのだ。学校全体が社会関係の新しいいくつかのパターンを試みることに巻き込まれた。そしてようやく身障児たちは学校全体の中の自然な一部分を完全に形成した。

3.学校がこの地域にあることにより、外見上良くない理由で地域が援助的役割を果たしたことだ。というのは我々の子供たちは、何らかの家庭問題をもっている子供がかなり大勢いる。そしてこれらの子供達は、多くの点で拒否されている。そこで我々は、この学校の周辺で、子供達に安心と目的を与える努力をした。そして、一般に、これら大勢の子供達の大部分の者達が自分たちの学校を自分を受け入れてくれる場、また、彼ら自身の個人的な貢献を、特定の明らかに同定された共同体にすることができる様な場と考えている。教科課程とは全く別に、大勢の子供達が、クラブに入っていたり、学校の計画した催し物に加わったり、遠足に参加したり――地域学校のメンバーとして――、また我々の学校を訪れるすべての客達の世話をする実際上の主人役を努めたりする。大多数の子供達が、知り合う様になった当初から身障児達と共通のつながりを持ったのは、彼ら自身の社会的な問題と、彼ら自身の学校を必要とする社会的事情のためである。これらのジュニア達は――その最年長者は11歳になっていない――これらの最近入ってきたばかりの、車イスやカリパスに閉じ込められたジュニア達の身体的要求を判断できただけでなく、身障児たちは本当の社会的経験をほとんど持ったことがないらしいということを独力で、素早く論理的に考え出すこともできたのである。だからこの学校で我々は、現に居るジュニア達の多くが、自分達もまた「陽のあたる場所」を発見する必要があったので、身障児達を支持することができたという当然の状況をもった。

4.この学校の普通の生活に加わり出した両親達の数が次第に増えてきている。図書館の運営を手伝ったり、読書グループに協力したり、本を修繕したり、社会的行事でヘルパー役を務めたり、また教師やクラスの子供達と一緒に授業参観に出掛けたりする。このことから、身障児達がこの学校の生活全般になじんでゆく様態についての生の情報が得られることになった。だから、次第に多くの両親達が――子供達や教師達ばかりでなく――「これらの子供達がこの学校で生活することを当然のこと」と思う様になってきている。

 こういうわけで、身障児達がいついかなる時でも各個人の力の及ぶ限り統合するのを可能にさせる社会的資源を、学校は供給できる。我々の体験は、身障児達が普通の小学校に配置される場合に考えられることは何かをさし示してくれている。またこれは『新しい段階』の一部とみなされてよいだろう。しかしながら、それによって我々はすべての質問の中で最も重要な質問――すなわち、「身障児達は普通の小学校に対しどんな貢献をするかと」いう質問に答えるはめになった。ここでの私自身の経験から私の同僚達は――「彼らは多大な貢献をする」という簡潔で明快な答えに同意するだろうと思われる。

 もしあなたが授業時間中、彼らの近くに居て一緒に過ごすならば、彼ら独特の貢献の仕方を知るようになる。

 これらの身障児達が皆、――彼らの幼時期の間中――苦痛と抑圧とを体験し続けたこと、また彼らの個人的な要求を満たしてもらう為に彼らが頼りとする大人達の目の中に、心配や疑いや不安を認めてしまったということを考慮しながら、同時に、普通の子供の世界のほんの一部をちょっと見てみるならば、逆境というものが、どれほど特定の性格を作り上げることができるのかをすぐ理解できる。

 ほとんど例外なく、我々の扱ったこれらの子供達は個性的である。彼らは、お互いに慣れ、また毎日の生活にも憤れてきた。この学校全体の中でより広い社会的経験を得てきた。彼らの多くが、冗談を言うのが実にうまい。Cはユーモアを解する心でみなぎっている。そしてそれは愉快なものからばかげたもの迄含まれる。彼女のまわりにはいつも人だかりができる。Sはフットボールチームの専門家で、校内試合で線審を務めた(彼の友人Jのそばで車イスに座りながら、Jによって上下に押してもらってである。このJというのは明らかに難聴で、半盲で、そしてとても強情っ張りだ)。PとRは粘り強い性格だ。身体を巧みに操作することと係り合っている企画に一たんとりかかるならば、最後迄やり通すのは、この二人だけだろう。Tは(おもちゃの戦車に乗って駆けめぐる)ことに他のジュニア達をまとめることにかけては見事なものだ。例えば彼女が「飛べ!」と言うと、彼女の信奉者達は飛ぶのである。

 我々には、物理的な問題がいくつかあった。例えば晴れた日には、休み時間に集団で姿をくらまし、そして校内をくまなくうろつきまわる。そうすると、福祉補助員が出掛けていって彼ら全員を追いかけ回して教室につれ戻さねばならない。夕食時に準備されているおもちゃの戦車競技は、関係する子供達が、それほど外向的でないジュニア達への脅迫となっているので、止めなくてはならないという趣旨の宣言をする必要のあることに私は最近気づいた。校庭は「ベン・ハー」での場面に似てきている。彼らは、会合や社会的な行事に参加し、また様々な来訪者達を歓待し、地方のスーパーで買物をし、近くの学校を訪問し、毎週学校の集団作業に自由に加わる。そのために――彼らにみんなが一緒に生活することを期待する――「公式訪問者たち」に、彼らが、ある時間に、校内のどこに居るのか私は確信が持てないということを説明しなくてはならないので、時々、個人的に困ってしまうことさえある。

 私は、物事すべてにあきあきしているとき彼らの気持が人間的に分かる、というのはたまたま身障児室に行くと、彼らはそれを見抜き、何か適当な自分の気分転換の仕事をするように戻されてしまうからである。

 最後に、私は、我々が共に得た経験を、次の様に述べて、要約するのが良かろう:「今だに彼らを身障児として意識しているような者は我々の間にはないといってもよいでしょう」しかしながら、もし、――何らかの説明できない理由から――我々がある日会合に集まって、そこに彼らがもう一緒に居ないとわかったらその学校は、奇妙なもっとみすぼらしい所の様に思われるだろう。我々には、彼らの貢献が必要だ。

 我々が確信をもってこの秋の来るのを楽しみにして待っていられるのは、多方面に及ぶ社会的利益をもたらした状況を知っているからである。この秋には建築家の設計した収容ユニットが完成する予定だ。そしてそのことによってこれらの子供達により多くの場所を提供できるようになる。この地域学校に35名~40名の身障児が入れるとよいのだが。2つの質問が残されている。そしてそれらはいずれも社会全体だけが答えられる類の質問である。

1.いかなる国も、どんな人間の潜在的可能性でもむだにすることが許されるだろうか。

2.我々は身障児たちがお互いに助け合ったり社会に奉仕したりすることが十分できる様な機関を供給することに対して、いかに多くの、実践できる思案と支持とを与えているのであろうか。

*ケント州ゲリンハム・トワイドール小学校校長
**山形大学教育学部助教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年7月(第40号)43頁~48頁