特集/重度障害者の介護 介護と自立

特集/重度障害者の介護

介護と自立

秋山和明*

介護とは…

 重度障害者と介護の問題は、常に古くて新しい問題である。また施設の問題、特に利用者の日常生活におけるケアの質の問題として、さらに現在各方面で議論されている、障害者の自立についても、この介護の問題をぬきにしては、ほとんど語れないといってもいいすぎではない。

 さてこの介護(障害者の)についてだが、過去にどれほどの議論がされたであろうか。私の貧しい情報網ではあるが、そのような話しをほとんど知らないのである。

 介護という言葉、この言葉に私は以前からなんとなく気になるものを感じていた。

 ある日国語辞典を開いて見た。すると介護、庇護いずれも「かばいまもること」と書かれていた。関連の項目で介抱があるが、これも「病人、けが人や老人などの世話をすること」と書いてあった。この事から察すれば、介護とは、ある一人の人間が生きて行くうえで、様々に関わってくる社会からの外圧や外敵から、本人を第三者がかばいまもるという事に考えられないだろうか。

 もしそうだとすれば、まもられる側(介護される側)の主体性(自ら判断し決定し、行動、責任をとる)はなくなるのではないか。

 なぜならば、まもられるという事は自分ですべてを貫徹できないため、第三者にかばいまもってもらうという事になるからである。

 この事は第三者に自分の行動への判断、決定をまかせ、依存するという事になるのではないだろうか。もうこの状態は本人の主体性は消滅し、まもる側に主体性はうつっているのである。

 では重度障害者にとって、介護とは日常生活をして行くうえで、まさに不可欠なものであるが、それを求める事は自らの主体性自立性の放棄につながる事なのだろうか。いやそうではないはずだ。しかし私達の現状を見る時、あながち否定できない場面をいたるところで見るのである。

 その事をとく鍵はなんであろうか。

 ここで「介護に対して介助」という言葉が、ここ1、2年使われだしてきているのに、読者は気づいていられるだろうか。

 「助」とは、たすける力を添えて事がはかどるようにしてやる、又、主となる者の控えとなって働く、という事らしい。これはまさに「護」とは根本的に意味がちがうようである。

 「介助」の場合は、力を添えて……、あるいは主となる者の控えと……であるから、主体は本人でありその本人を援助するという事に、なるのではないだろうか。これならば主体性自立性の放棄にはならない。

 それどころか重度障害者の、自立へのたしかな展望が具体的イメージを持って考えられそうである。このように本来「介助」という言葉がもっとも適切のようであるが、一方、日本の現実は「介護」体制でみちみちている。

 私はここではあえて「介護」という言葉を使って、その行為が生み出すいくつかの問題点を、次にのべてみたいと思う。

介護と発達

 私はここで発達理論をのべるつもりはない。

 ただ障害を持たない人達は、母親から誕生し成人(20歳)するまでに、様々な日常性の中から自我に目ざめ、それを育て自立へのカードを一枚一枚増やして行き成人した時点で、一人の社会人としての基本的な力(判断力、選択力、決断力、責任力など)を持つのである。

 このような事を考えるにつけ、私達の場合は成人までのプロセスが、障害を持たない人達にくらべてあまりにも貧しく、基本的な力さえも獲得しえない現状があるので、その現状を打開するため発達と介護について、少しのべてみる事にする。

 親は、特に母親は、障害を持った子供に対しては、ふびんさも手つだって人一倍気を使い、かゆい所に手がとどくといったように、何事にも大事にする。

 私の場合も例外ではなく、26歳まで母親に自分の尻をふかせていた。

 私自身の意識も問題だが、26歳の男性の尻をあたりまえのようにふく母親の意識は、いったいどのようなものであったのだろうか。

 ここでおことわりしておくが、私の障害は1種1級であるが、CPのわりにはアテトーゼがほとんどなく、当時、壁などのつたい歩きが、どうやらできていた。また食事なども自分でできていた。

 26歳といえば普通なら、社会の第一線で働らいている年齢である。それがこの母子光景は、なにを語っているのであろうか。

 立派にヒゲをはやしているのに、まさに私の意識は幼児そのものであった。私のそのころの記憶をたどってみても、羞恥心やプライドといった大人としての基本的な意識が、ほとんどなかったように思う。また現実の体の機能と、プライド等の意識とのギャップで、それになやみ苦しんだ記憶もないのである。

 今考えてみれば母親を中心とする家族の日常的介護が、(健全者ぺースに合せた)私自身の意識構造を私の知らないうちに、なにもかも依存型に造ってしまったようである。

 一方障害を持たない子供の場合はどうであろう。5、6歳の幼児が父親のかわりにタバコなどを買いにやらされる。その行為の中に家との往復で、道路での注意や判断、決断、店の人との会話など、多くの体験がある。しかもそこには親はいない。

 また親につれられて行った場合にも、色々な場や状況に出会う事がある。それはバスや電車の中、スーパー、飲食店、理容院、映画館、医療機関等日常性の様々な場所である。一人ではないが、大人や自分の知らない世界をなかば強引に、見せられ出会わされるのである。その時本人はとまどい、不安、驚き、喜び、怒りなどが複雑に交差する。しかしそれが自我への様々な刺激となって、徐々に親への依存をたち切り、後に自立へと大きく実をむすぶようである。

 重度障害者の場合まさに、その事がほとんどないのである。障害を持っていない子供の場合は、基本的には親の意志決定圏の中で行動するが、日常的かつそれぞれの場面では、親も積極的に圏外へ出そうとするので、決定圏の外へ出て自力で行動する。それが私達の場合はすべてが親の特に母親の、意志決定圏の中にあるといってもいいすぎではない。しかし重度障害者自身が自分の意志どうりに体の機能が働かず、他に有力な手段がないために、生まれた時から自分の一番身近にいて自分のすべてをわかっている母親になにもかもまかせる気持は、一面ではわからなくもない。

 ところが母親等の、障害者の要求以上の、病院の集中管理室のケアとも見える先回り介護(たとえばトイレ介助の要求に対して、終わった後、「喉かわかない」の一言から水、お茶、コーヒー、菓子、最後にはお腹すいていないといったような状況)とも相俟って、障害者は介護される度に自分自身の事を考え判断する力を弱められていくのである。また障害を持たない子供のような、親の意志決定圏外の刺激もほとんどないために、第三者への依存意識構造は短期間に、完成していくようである。

 このようになると介助が必要だとか、介助を受けるといった意識はなく、自分という者を依存している第三者を含めた形で、考えてしまうようになるようである。

 もっと端的にいってしまえば、一個の独立した人格でありながら、実はもう1人の人間が裏にぴったりと付しているといってもいいのではないだろうか。そしてこのような状態になると、自分が何が出来て何が出来ないかもわからなくなり、ほとんどが「やらせる、やってもらう」という思考に落ちこんで行く。これではまさに自立論以前であり、冒頭にのべた介護そのものである。

 重度障害者にとって、介助は必要不可欠なものであるが、現実は介護であるために、それを必要とする人達の意識に重大な影響をあたえ、また重度障害者の自立獲得を大きくはばんでいるといえる。ところでこの現実は、ただ単に介護量、質、システムだけを論じるだけでなく、それを必要とする障害者の意識状況や生活実態を、基本とする議論が今まさに必要な事をしめしているのではないだろうか。

介護と生活環境

 重度障害者にとっての生活環境とは、公共建築物を中心とする街づくり、住宅環境、道路環境を含む移動交通大系の整備等があり、障害者が地域社会の中で1人の市民として、自立生活して行くためにもっとも基本的かつ重要なものである。

 ところでその生活環境と介護が、具体的にどこでどのように関わっているのであろうか。

 近年、重度障害者の地域社会での自立生活要求は目ざましく、それにともない障害者の、街づくりや住宅、移動交通問題への関心は増々強く、必然的にその要求も多様にと新たな展開をしようとしている。

 では重度障害者のよりよい生活環境とは、なんであろうか。それは国際障害者年の目的でもある「完全参加と平等」を具体的に地域社会の中で、実現させて行くものでなくてはならない。

 しかもそれは国際障害者年の行動計画にも書かれているように、他の市民と同じ生活条件であり、さらに自立生活を確実に保障する事が必要である。このような事を最終目標として、生活環境を整備して行く時に、なにがもっとも重要かといえば、まさに障害者自身の主体的行動である。

 かりそめにも介護を前提とするような、要求や行動があってはならないと思う。

 しかし現実はそうではないようである。たとえば重度障害者が街へ出るとする。もちろん1人では行動できないので介護者同伴となる。

 障害者は介護者がいるので、すべて介護者にまかせなんの不安も感じない。歩道の幅がせまかろうが、歩道が車道側に傾斜しようが、また一段ぐらいの段差なら介護者は事故のないように、注意をはらいなんなく通りすぎる。

 トイレについても同様である。介護者は人目につかない場所へ障害者を連れて行き、用をさせ尿器を持って近くのトイレをさがし歩く。その間障害者はただ待っていればいいのである。

 なんの配慮もされていない街へ出ても、このように一事が万事介護者がいるかぎり、ほとんど心配がないといってもいい。

 さてこれが1人で街へ出たらどういう事になるであろうか。最近では電動車イスがかなり普及してきたので、1人で外出する機会もそうめずらしくはない。

 歩道の幅も電動車イスが通れる幅がなければ、通行できない。またたとえ通行できたとしても、途中に電柱があったり車道側に傾斜していたら、どうするだろう。

 もちろん介護者がいないのだから、自分ですべてを判断しなければならない。トイレに行きたくなったら最悪の場合、失禁も覚悟という事態にもなりかねない。介護者との外出時には考えられない事である。

 しかし一方ではその1人での体験が、道路整備の重要性、街の中での車イストイレの絶体的必要性など、誰もが安心して外出できる街づくりが、いかに必要であり大切かを身を持って知るはずである。さらにこの事以上に重要な問題が、次にあるのである。それは住宅や福祉機器、自助具等の問題である。

 社会生活の基本は住宅をぬきにしては考えられないが、重度障害者の場合在宅においても施設においても、介護を前提にすべてが動かされがちなので、自立意識の高まりと個の独立した空間への欲求を、必然的に必要とする住宅要求は、なかなか出てきにくいのである。またかりに出てきたとしても、机上論に終始し住宅取得にあたって、権利金や敷金等が必要な事もほとんど知らないのが現状のようである。

 そしてこのような現状ともう一つの問題が、さらに重度障害者側の住宅要求を、増々出しにくくしている事を私達は忘れてはならないと思う。

 その問題とは若干前にもふれたが、介護依存の意識構造の根深さである。住宅要求が他の物理的環境要求とちがう点は、いわゆる一国一城の主(世帯主、生活の主体者)になるという体験を、たとえば電動車イス使用による自立移動体験のように、かんたんには持てない事にあるのである。

 幼い時からつちかわれた介護依存の意識構造は、年を重ねるごとく強固になり、また親のそれへの容認態度とも相俟って、1人で時を過すなどといった事は、ほとんど考えられないような状況になるのである。このような状況は自分の独立した空間とか、住宅などの要求はむしろ出てこない方が、自然なのかもしれない。それよりも1人でいる事への不安感のほうが強くなり、個の確立どころか集団の中に自分を置く身の安全さ、安心感に心から満足するようになるようである。

 私自身、施設生活の中で結婚を意識した時(2人だけの時間、空間を持ちたいという強い欲求)初めて、個室とか住宅へのイメージがわいてきた事を今でも覚えている。

 このように住宅は社会生活の要にもかかわらず、重度障害者にとっては当事者としての要求をあまりにも出しにくくしている現実なのである。

 これは福祉機器、自助具等についても、まさに同様である。本来、福祉機器や自助具は重度障害者が自らの生活を、主体的に造り維持して行くために、介護者にたよらず、自ら何かをやる時に自分の体の機能低下や、喪失部分を助け行おうとする事を貫徹させる物である。

 したがって介護依存の意識の中からは、福祉機器や自助具への要求は、やはり出てこないのではなかろうか。

介護と自立

 私はすでに「介護と発達」「介護と生活環境」で、介護という行為が持つ自立阻害の一端をのべてきたが、重度障害者にとって介護ではなく介助が必要なのは当然であり、ではその介助を受けながら、自立獲得をして行くにはどうすればいいのだろうか。

 私は次のように考えてみた。

 まず親や家族の介護に対する姿勢がある。いたずらにただ本人の要求に答えるだけでは、依存意識を大きくするだけであろう。この事は冒頭にのべた介護と介助のちがい、そのものであるといってもいいのではないだろうか。障害者の自立性、主体性を育て育み獲得させる介助、一方なにもかも奪ってしまう介護、この基本的なちがいをここではっきりと認識する必要があるのではないだろうか。

 しかしどこまでが介助で、どこから先は介護であるなどとは、理屈では理解できても現実の場面では、なかなか気づけないものである。それは障害者と介護者という関係ではなく、1人の人間対人間という互いの人格を認め合う関係の中で、初めてそのちがいに気づいてくるのではなかろうか。そういう意味からすれば現在は、介護と介助が混然一体となっているようでもある。

 ところでその混然一体となっている現状の中で、重度障害者の自立への諸条件(所得保障、住宅、移動・交通、介助等)をどのように整えていったらいいのだろうか。まさにそれは障害者自身が、どう社会的に行動するかにかかっているともいえるのである。その行動とは障害者自身が、自らの生活実態をふまえて、介護ではなく介助を主張して行く事なのである。なぜならば、介助を必要とする当事者として、未熟、未整理であってもその役割は他人には代弁できないからである。

 では介助の主張とはなにかという事になるが、これからは一番大切な事は安易な人的ケアを求める発想を変えて行く事が、まずなによりも必要ではないだろうか。現状のまま人的ケアだけを求める事は、ただ介護体制を増々強固にするだけではなかろうか。またそれどころか介護体制の充実は、問題があっても即人的に解決しがちとなり、その結果自立への環境づくりを、大きくおくらせる事にもなるのである。

 今、私達が社会的に強く主張しなければならない事は、人的ケアの確立ではなく、自立への諸条件確立である。

 従来からともすれば、重度障害者側から介護体制が保障されれば、地域社会の中で自立できるとの主張がされているが、これでは介護が自立への最大の条件のように思われがちである。私達が本当に必要としているものは、介助であり「助」とはあくまでも「従」であって、主ではないのである。

 障害者年を契機として障害者対策基本法や身障福祉法を、見直そうとの動きも内外からおこりつつある今日、重度障害者対策は介護という発想はもう終わりにしたいものである。

*電動車イス使用者連盟


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年11月(第41号)23頁~27頁

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