特集/重度障害者の介護 アメリカにおける重度障害者の介護システム

特集/重度障害者の介護

アメリカにおける重度障害者の介護システム

―Berkeley Center for Independent Living, Attendant Care System の例―

谷口明広*

1.アテンダントとは何か

(1) アテンダントとは

 「アテンダント」という言葉を辞書で引くと介護人という意味として書かれている。介護人という言葉から日本において連想されるのが「ボランティア」や「ヘルパー」であろう。しかし、バークレー自立生活センター(以下CIL)におけるアテンダントとは、もちろん日本でいうヘルパーの役割も合んではいるが、もっと幅の広いものとして捕えなくてはならない。まず一番の違いは雇用関係の違いである。日本におけるヘルパーは地方の市町村によって雇われた人々という形をとっているのに対し、バークレーでは障害者自身がアテンダントを雇うという形をとっている。即ち、障害者とアテンダントの関係が雇用主と雇われ人の関係となるのである。こういう関係に於て介護が進められているのである。

 アテンダントの仕事は大きく二つに分けることができる。それは「パーソナル・ケア・アテンダント」と「ハウスキーパー」である。「パーソナル・ケア・アテンダント」とは重度障害者の身のまわりの世話をする人のことを言う。この仕事の主なものは服の着替え、トイレや風呂の世話、移動の介助というような身近なものばかりである。「ハウスキーパー」というのは主に家の維持につながることを行う。主な仕事として、洗濯、家の掃除、買物、料理などが上げられる。ハウスキーパーは特別な技術を必要とはせず、どのような人にでもできる仕事であるが、パーソナル・ケア・アテンダントとなると障害者によってはある程度の専門的知識を持っていないとできないような事もある。たとえば、頸髄損傷により排尿障害がある人のアテンダントになる場合は必らずカテーテルの使い方を勉強しなければならない。日本でいえばカテーテル・ケアは看護婦の領域とされているが、バークレーに於いては地域で生活している重度障害者が多いだけにこのような医学的な知識をアテンダントも身につけておかなければいけないのである。

 パーソナル・ケア・アテンダントのもう一つの大きな役割とは、障害者の良き友達となり、また良き相談相手となることである。毎日顔を合わさなくてはならない障害者とアテンダントはより良い関係を作ることが第一である。アテンダントはただ単に良い関係を作るために甘やかして何でもしてあげるのではなく、障害者が自立に向かい一つでも自分自身でできるようになる様に時には叱り、時には励ますようにしなければならないのである。このように、アテンダントとは障害者の身の回りの世話をする事だけでなく、重度障害が自立生活に向かって努力を続けていることに対しての手助けという大きな役割をも含んでいるのである。

(2) アテンダント・ケア登録窓口

 アテンダント・システムは重度障害者が自立をめざす上でのもっとも基本となる要素である。このアテンダント・ケアを一手に引き受けているのがこの窓口である。ここではアテンダントとクライエント(このオフィスでは対象となる障害者をクライエントと呼ぶ)は共に登録制をとっている。クライエントは受理面接でどんなアテンダントが必要であるかを決め、登録されるのである。アテンダントも面接により、彼の知識、技術、人間性等を考慮された上で登録されるかどうか決められ、認められた時に登録されるのである。(このくわしいプロセスについては3章を参照)現在の登録者数はアテンダント60人、クライエント100人位である。アテンダントがたりないように思われるかもしれないが、アテンダントはクライエントをかけもちしているので足りないということはない。しかし、季節によりアテンダントが不足することもある。そのような時でも、知識や技術や人間性に問題のある人をアテンダントとして採用する事はぜったいにできないことである。この辺がアテンダント・システムの問題である。

 CILは今予算削減の影響を受け、多くの部門が閉鎖されてきている。このアテンダント・ケア窓口もその影響を受けて、今までは月曜日から金曜日までの5日間働いていたのが、近頃は火曜日が休みとなり、1週間に4日ということになってしまった。緊急を要する介護となると近頃ではなかなか難しい状態となってきている。そして、職員もじょじょに減り、今では正職員が一人、ボランティアが三人という苦しい状態になっている。アテンダントとクライエントとの間に何かのトラブルが起こった時にお互いの話を聞き、納得がいくまで話し合うということもスタッフの重要な仕事のひとつである。

2.アテンダント・ケアの歴史

 アテンダント・ケアの歴史はCILの歴史といっても過言ではない。1974年に、現在カリフォルニア州のリハビリテーション局の局長であるエド・ロバーツを中心としては設立された。この経過についてはいろいろな文献で語られているのでここでは触れないが、アテンダント・ケアもこれと時を同じくしてオフィスが開かれた。当時はまだアメリカに於いてもアテンダントの重要性が州当局にも理解されていなかったらしく、アテンダントはプロフェッショナルの形をとってなく、現在の日本と同じくボランティアという形から始まった。その後、障害者の自立生活の重要性が多くの人々に理解されてくるに従いアテンダントの重要性も認識されるようになってきた。そして社会保障―在宅援護サービス(IHSS)が整備されるにつれ、アテンダントの所得保障も整えられてくるようになり、今の様な専門的にアテンダントを職業とする人達もふえてきたのである。障害者の方も社会保障が整備されることにより、自分の収入を気にしないで自分に必要なサービスを買うことができるようになってきたのである。以上がこれまでのアテンダント・ケアの流れである。

3.アテンダント・ケアのプロセス

(1) 登録過程

 さきほどすこし触れたが、CILアテンダントケア窓口ではアテンダントとクライエントは共に登録制をとっている。

(a) クライエントの登録

 クライエントの登録は原則的にはCILに来てもらい行うが、電話でも可能である。スタッフは規定の受理用紙に添って面接を行い、クライエントがどんな障害を持っているのか、どんな生活をしているのか、どんなアテンダント・ケアを必要としているのか等を詳しく聞くのである。クライエントとして登録されているのは重度の障害者ばかりではなく、老人も登録されている。アメリカには1人住いの老人が多くアテンダントが必要な人も少なくはない。そしてスタッフが用紙にすべての事項を書き終えた後、クライエントにアテンダント料をどこからいくら払うのか聞くのである。ほとんどのクライエントはIHSSから支払うことになる。それを基に、クライエント・リストにその人の名前を書き、別にクライエントのコードナンバーとケア内容と金額を書いた情報がジョブボードに提示される。ジョブボードとはアテンダントがクライエントを見つけ易くする為のものである。このような過程をクライエントの登録という。

(b) アテンダントの登録

 アテンダント申請者はまず面接を受ける為の予約を取らなくてはならない。人によって面接を受けるまでの期間は違うが、1か月以上も待つというケースも少なくない。そして決められた日時にアテンダント・ケア窓口を訪ねるのである。面接を受ける前に申請者は規定の申請書に必要事項を書き込まなくてはならない。その内容は障害者との経験、犯罪歴、職歴、どんなアテンダントの仕事ができるのか、特技は何か、どんな時間に働く事ができるか等である。それと何か問題が起きた時の為に保証人を3人書かなくてはならない。そしてその後面接に入るのである。面接は2人以上のスタッフによって行われる。そしてスタッフは20項目におよぶ質問をする。その内容は、障害者とどういうかかわりを持ったことがあるか、将来の職業設計はどんなものか、長所および短所は何か等という質問が続き、後半はいろいろな場面を設定したものである。たとえば言語障害の強い障害者にはどのようにかかわるか、急にクライエントの家に行けなくなった時はどうするのかというような現実性を持った質問も用意されている。

 この面接を終えた後、各スタッフはコメントを書き、アテンダントとして採用するかどうかを決定する。決定の要因はどの位障害者を理解しており、障害者の自立生活に関心を持っているかどうかである。もし採用が決まれば、面接後1週間の間にアテンダントの証明書であるオレンジカードが発行される。その後アテンダントとして働く時はこの証明書は提示されなくてはならない。採用されない場合は申請者にその旨伝えられ、この申請者が不足している部分をアドバイスし、何か月か後にもう一度面接に来ることが約束される。また、採用はされたがトレーニングの必要性があるアテンダントにはオレンジカードではなくグリーンカードが発行される。このグリーンカード保持者はアテンダントの仕事に就き1か月間どんな問題も起きなかった場合にのみオレンジカードが支給される。

 面接数は1日に平均3ケースであるのに対し、登録者数は60人前後ということを見てもアテンダントになるということが決して容易ではないことがわかる。この様な過程を経て申請者はアテンダントとしてリストに登録される。

(2) 照会過程

 登録後、以下の様にアテンダントはクライエントを獲得するのである。クライエントは主に電話によりアテンダントを求めるのである。その内容は様々であり、買物という一時的なものもあれば、長期住み込みのアテンダントを求める場合もある。スタッフはそのクライエントに合ったアテンダントを提供する。そしてクライエントは自分自身でアテンダントに連絡を取り契約をかわすのである。

 アテンダントはアテンダント・ケアの窓口に於いてスタッフがオレンジカードをたしかめた後にジョブボードから自分に合ったクライエントを見つけ出す。そしてスタッフはアテンダントにクライエントの名前と電話番号を伝える。アテンダントはクライエントに連絡をとり、お互いの了解の基に契約がかわされるのである。

(3) アテンダント費用のシステム

 アテンダントの時給は平均4ドルである。ほとんどのクライエントはこの料金を社会保障から支払っている。しかし今社会保障から支払われる料金は最低賃金法で定められている時給3.35ドルでしかなく、その差額はクライエント自身で支払わなければならない。この差の65セントを支払うことができないクライエントにはソーシャル・ケースワーカーが付き添いアテンダントがその料金で働いてくれるように説得に当たるのである。

 この他に特別な医学的ケアを必要とするクライエントのもとで働いているアテンダントには、この料金以上のものが支払われることもある。どのような場合においてもクライエントとアテンダントはこのような雇用関係にあるという原則の上にこのシステムも成り立っているのである。契約破棄については2週間以上前に相互ともに相手に伝えなくてはならない。クライエントとアテンダントはこの2週間の間に新しい相手を見つけることができるのである。

4.問題点と展望

(1) 現在の問題点

 アテンダント・ケアに於いて今一番の問題となっていることは、アテンダントの技術を教える為のワークショップやそれを教える指導書の不足があげられる。申請者として窓口を訪ね、身体的にはアテンダントとして最適な人材であっても障害者に対する理解度が低いということで登録されないという場合も多くある。このような時意識面でのトレーニングを行う機関をアテンダント・ケア窓口が持っておれば、もっと数量的にアテンダントシステムがうまく回転するのである。また障害者を抱きあげる正しい方法を正式に教えてくれる場所が無い為に多くのアテンダントが腰痛に苦しんでいるという現状がある。この状況からもアテンダントのトレーニング施設の必要性を感じる。

 アメリカは今不況の中にある。この影響下、アテンダント申請者としてアテンダント・ケア窓口を訪れる人達のほとんどが以前の職業から解雇されて来ている。この様な人達は障害者への理解度がほんとうに乏しく、ただお金の為だけに働く事を希望している。お金ですべてをわりきるという事はこのアテンダント・ケアにとって最も基本となるべきところかもしれないが、お金の事ばかりを考えているアテンダントを仮に採用したとしても、現実のアテンダントの仕事の想像していたものよりもハードワークであるという点で短期間で辞めてしまうというケースも多くある。アテンダント申請者のほとんどが失業中である。この事はアテンダントの質的低下につながるのではないかと思われる。

 アテンダント・ケア窓口も人事削減により、行き届かないサービスが目にとまる様になってきている。例えば、クライエントとの間に大きな問題を抱えたアテンダントがこの窓口を訪ねても、数少ないスタッフが面接の途中であれば相談できないのである。それにスタッフを補助しているボランティアの質的低下も見られる。CILはボランティアに対し十分な給料を払う事ができない為、面接の技術等を持っているボランティアはCILを離れ他の機関で働くのである。ボランティアの質的低下が及ぼす影響はたいへん大きい。1回の面接だけに於いてアテンダントとして採用するかどうか決めなければならない現在の制度では面接者の観察力が大きな問題となってくる。観察力の低いボランティアであれば、適切でないアテンダントを採用するかもしれない。この様な事は後に大きな問題として返ってくるのである。

(2) 将来の展望

 将来、アテンダントは現在よりも質量共に向上を期待されているし、またそうならなければならない。現在の問題点を解決するにはこれをおいて他に考えられない。これを遂行する為にもアテンダントの訓練施設の設立が熱望されている。

 これからはもっとアテンダントとしての職業が本当の職業として見られるようになってくる。従って今以上に所得保障が必要となるのである。理想として、アテンダントがこの仕事だけで家族を養えるような給料をかせげれば良いのである。こうなるとアテンダントは自分の仕事に責任を持つようになる。

 このアテンダントシステムがアメリカであればどこの都市にでもあると考えがちであるが、現実はそうではない。自立生活運動の発祥地であり歴史のあるバークレーだからこそこのシステムがうまく回転しているのである。これからはこの制度をもっと全アメリカに伝え、障害者が自立生活に入りやすいようにしなければならない。

5.インディペンデント・マインドの日米比

 このように重度障害者の自立生活にかかすことのできないアテンダントシステムがバークレーには存在している。ではこのシステムを日本でも活用する事ができるであろうか。バークレーと日本とでは町の中を見ても車イスでの使いやすさの点ではずいぶん日本が遅れているかもしれないが、このシステムを持ち込み開花させることは可能であると私は思っている。私自身バークレーCILのアテンダント・ケアの窓口で6か月間実習を受けて、日本で障害者の自立生活に関して書かれている文献にまちがいがあることに気がついた。アメリカの自立運動を語る時にアメリカの障害者はインディペンデント・マインドを誰もが持っており、自立生活は税を納める側になるという精神や障害者は公的サービスのコンシューマーであるという精神により成り立っているとよくいわれる。しかし、私自身アメリカ人障害者と数多く接してみてわかったことは、決してこのような精神を持った人ばかりではないということである。バークレーが今のように物質的にも精神的にも障害者が利用しやすくなってきたというのは歴史の所でも少し触れたが、数人の障害者リーダーによって勝ち取られてきたものである。歴史上 のどの様な事柄を見ても最初は数人の人達から始まっているのである。バークレーに於いて障害者のバスへの乗車権獲得運動でもジュディ・ヒューマンという車イスに乗った女性がリーダーシップをとり、逮捕されながらも乗車権を勝ち取ることができ、今ではアクセスバスがバークレー市内を走っている。日本でこの様な運動が各地で展開されているが、今ひとつ実を結んではない。民衆にまだ障害者運動を権利獲得運動として受け入れる態勢が出来ていないことも大きな問題ではあるが、日本に於いて障害者の真のリーダーがまだ出現していないことも大きな問題である。バークレーの権利獲得運動の中には過激な行動に依るものも多かったが、それ以上に話し合いに依るものが多かったと聞いている。日本でも過激による反作用を考える時、バークレーが歩んで来た道と同じく話し合いに依り権利を獲得していくという道に進んで行くのが理想である。

 日本の重度障害者にインディペンデント・マインドが不足しているという事も事実である。その原因としてあげられる事は障害者自身が自立生活の魅力や価値を認めていない所にある。それと同時にその家族も理解が乏しい。これから障害のリーダーと呼ばれる人達は、政府や地方自治体に働きかけるだけではなく、障害者自身やその家族にも啓蒙運動を展開して、インディペンデント・マインドを芽生えさす様に努力しなければならない。ここで述べたアテンダントシステムが単に日本に導入される事には疑問の余地が多々あるが、この紹介がこれからの障害者自立運動の一助となる事を願っている。

*同志社大学大学院


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年11月(第41号)40頁~44頁

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