特集/重度障害者の職業リハビリテーション 重度障害者のための職業前教育:レイクビュー職業前プロジェクト

特集/重度障害者の職業リハビリテーション

重度障害者のための職業前教育:レイクビュー職業前プロジェクト

A Prevocational Program for the Severely Handicapped:The Lakeview Prevocational Project

 

Richard Steimke *

David VanNingen **

Donald W. Clark ***

新 井 由 紀****

 重度障害児のためのレイクビュースクールは、1979~80年学校年度に職業前プロジェクトに着手した。本文は、重度障害児のリハビリテーションに関心のある方々にこのプロジェクトの内容、形式、哲学に関する情報をお伝えすることを意図したものである。最近ではCooper(1977)、Neely・Kosies(1977)、Kohring・Tracht(1978)、そしてRyan(1979)らにより、はるかに小規模ではあるが、同様のプログラムの試みが報告されている。

レイクビュー職業前プロジェクトの背景

 この職業前プロジェクトの開発者らは障害者の有益な職業につく権利に関しての目新しい哲学を提唱しているのではない。Travis(1977)は障害者の4つの根本的な問題を簡潔にまとめていた:限られた人生経験、将来の職業上の地位、相互依存、そして社会の彼らに対するダブルスタンダードの受け容れ姿勢。LitchezとWinslow(1979)は重度障害者が彼らの環境の中で自立生活を遂げる上での発達上のニーズとプロセスを丹念に検討している。このようにリハビリテーション専門家らは問題に気づいており、重度障害者の職業への関心、適性、心理的ニーズに対してなされてきた余り役に立たない一時しのぎの対策に長い間不満をいだいていた。

 このプロジェクトのそもそものきっかけはレイクビュースクール自体にある。スクールの生徒の卒業後の様子についての追跡調査が行われた(Magyar, Nystrom, & Johansen, 1977)。質問に対して48名からの回答があり、この内13名だけが職に就いていることがわかった。その事実とこの調査から得られた他のデータは正式な職業のためのプログラムが必要であることを示していた。そこで校長とソーシャルワーカーは職業リハビリテーション局(以下DVRと略す)の支部に働きかけた。彼らがDVRに向けた質問は:(a)生徒に見られる身体的、知能的、精神的障害の程度と組み合わせの点から、有益な職業につける能力があると考えられるか?(b)もしあるとすれば、職業訓練は卒業の前または後に始めるべきか?(c)小さな農村地域の限られた設備の範囲内でどのような職業上のサービスが実際に提供できるか?

 レイクビュースクールは、神経科─整形外科的障害と診断された21歳までの学齢期の子供達のための全寮制の学校である。この診断の中には筋ジストロフィー、CP、二分脊椎症、脊髄髄膜瘤、関節彎曲症などが他に混じって含まれている。最近の自動車事故で車イスになった生徒も1人いる。

 生徒により障害の範囲は様々である。歩ける者も車イスの者もいる。上肢又は下肢の障害の程度も異なる。数人の生徒は上肢が殆ど使えないために手動式の車イスを操作することが出来ない。言語障害者もおり、その中にはBliss Boardのような通常コミュニケーションのために用いる道具の記号を指すために上肢を十分に使えない者もいる。ある生徒は身の回りのことについては部分的に自立し、移動も出来る一方、全く他人に依存している生徒もいる。

プロジェクトの前進

 このグループがDVRによる従来のサービスから利益を得られるようになる前に、もっと多くのことが必要であることが間もなく明らかになった。このグループの生徒が持ち合わせている非常に限られた職業についての知識や経験をもって、職業への興味のアセスメントをしようとすることは危険であろう。作業態度の評価も、生徒が自らに生産的な能力があると考えていなければ、大した収獲はない。職業、働くことの意味そして仕事から得られる報酬の概念化が特にばく然としているようであった。年長の生徒との話し合いから、定刻通り職場に出ること、勤務時間中は仕事を続けること、他の人の邪魔をしないことが必要であるといった基本的な勤務の習慣を学んでいないのではないかという疑問が確認された。彼らは報酬のある仕事の責任が現在直面しているものよりももっと厳しいものであることを認識していなかった。職場のスーパーバイザーや上司を先生、ソーシャルワーカー、看護婦あるいはカウンセラーと比較して接するというように違いを見分けることが出来ない。

 この時点で、DVRは従来行われてきた職業訓練サービスに先立って、何らかの集中的な職業前教育プログラムが必要であることを明らかにした。これらの生徒が一般の仲間達に釣り合った職業上の知識や能力のレベルを達成するためには、そのようなプログラムが不可欠に思われた。

パイロットプロジェクトの誕生

 DVR支部に配属されていたMankato州立大学リハビリテーションカウンセリングプログラムの実習生が関心をもち、この問題に対して以前に行われていたことについての資料収集と補助金申請の困難な仕事をすすんで引き受けてくれた。彼女はついには、DVR、州教育局の職業教育部と特殊教育部、地域の学校関係者の間の手始めの話し合いの大部分に参加までした。このような学校の職業教育プログラムのジョイントスポンサーシップはこの州では前代未聞のことであり、全国でも多分前例のないことであろう。

 地域の学校関係者代表、DVR、その他の機関の間でさらに話し合いが行われた結果、次のような目標が定められた(Obinger 1980):

 原則的な目標は(a)生徒が地域社会にある一連の職業や職業訓練の機会に実際にふれること(職業についての認識)、(b)彼ら自身の職業の興味や能力を発展させること(職業の探究)、(c)各個人の将来の職業計画を明確にする援助をすること(職業の準備)、を確実に行うこと。長期的目標はこれらの生徒が卒業にあたり、自分の住む学区域、ウォーシントン、その他の場所での職業サービスを有効に利用出来る率を高めること。

 このプロジェクトは3年間にわたるDVRの新規並びに発展計画補助金、職業教育部から学区域への直接の資金援助、特殊教育部から学区域への直接の資金援助に加えて職業教育部を通じての特殊教育資金の組み合わせの資金を得た。参加したこれらの2機関はこのプロジェクトについて、援助を受ける生徒にとって最重要事項であり、農村地域にサービスを増やす機会であり、さらに3機関の間での協力プログラムを設立するよい機会であると考えた。

 プログラムは事実上実験的なものなので、16歳以上の生徒で先生から依頼のあった者の大部分は障害の程度に拘らずのクライエントとして登録され、プロジェクトに参加することを認められた。資格決定に十分な時間をかける目的で“長期的評価”のカテゴリーが用いられた。殆どの生徒にとって、16歳までにプロジェクトに入ることが許可されれば卒業までに少なくても丸2年間参加出来ることになる。

 上に述べたプログラムに加えて、いくつかの初めの目標が決定され、最終的にObinger(1980)により次のようにまとめられた:

 生徒に以下のことを援助する:1)経済社会におけるいろいろな職業や雇用の機会を知る、2)仕事の世界に関連した責任についての一般的な教育を受ける、3)選定した職業を実現するために学校や地域にあるいろいろな職業訓練の機会やその他の補足的な資源についての知識を得る、4)個人の職業の適性、興味、職業選択の範囲をより的確に決定する、5)生徒の不利な点を強調するよりも能力や長所を評価して、成功の経験をする、6)実際的な職業の計画をたてていくために勤務評価、仕事の経験、評価方式などを通して本人にできることとできないことを明確にする、7)職についた時雇用主や同僚と協調していくための基本である仕事への適応についての理解を深める、8)職探しの方法を身につけたり、一定の職をまもることの訓練を通じて職業紹介への準備をよくする、9)試験的な実習を通して個人個人の短期的、長期的職業計画を立て始める。

プロジェクト開始

 プロジェクトの内容の企画には、徐々に進むに従って、David Johnson(1977)の開発したProject Exploreの意図やデザインをかなり多く採用した。またニュージャージ州教育局のGeneric Planning(総合計画)とGills and Luke(1976)が述べているCaudill, Rowlett, and Scottの建築/計画グループによるCRSモデルも大変参考になった。

 初めに決められたように、生徒のニーズに応えるために、カリキュラムは3段階に分けられた。第I段階は先に述べた目標の1)、2)、3);第Ⅱ段階は目標4)、5)、6);そして第Ⅲ段階は目標7)、8)、9)を扱う。このような方法ですれば、カリキュラムの生徒に合った段階に適切な配置をすることにより個人のニーズに応えることが出来るであろうと考えられた。

 このプロジェクトにたずさわっている人々の意見では、プログラム自体の中にあるものよりも、統一され、もっと洗練された“実際に行った上の”職業評価の方が望ましいということであった。そのような評価は第Ⅱ段階の終わりの頃が適当であろうということに決定した。Mankatoリハビリテーションセンターは1980年5月の終わりの2週間に第Ⅱ段階にいる4名の生徒の初めての職業評価を行うという契約をこのプロジェクトと交わした。

 これらの生徒の評価の過程には何か特別な問題が起こるかも知れないことを考え、Mankatoリハビリテーションの代表者はこの評価のために選ばれた生徒たちに、Mankatoに一時移動する前にレイクビューのキャンパスで面接を行った。

 この経験は、後方業務の視点から、極めて成功であった。主な問題は日中の少年達の付添いの世話であった。このことはセンターの男性の評価担当者が本質的に4名の付添いの役をしたことで解決された。この初回の評価の経験から得た収獲の一つは、作業評価、仕事への適応訓練、保護雇用、地域での職業紹介の分野で重度障害者のためのプログラムの企画をすすめていく上で、現存のプログラムにどのような変更や追加が必要であるかを見きわめるプロセスを開始する機会となったことである。

 適切なサービスを行う上でのいくつかの障害はすぐに明らかになった。利用可能な住宅や交通機関、施設において及び評価の間の付添いの世話、そして言語能力がひどく限られている生徒との意志の疎通などが含まれる。

 ワークサンプルその他の評価結果は、多くは予想されていたことであったが、これらの生徒が競争能力のある働き手よりもはるかに低い生産力しかないことを示していた。これは一部には、生徒達がより少ない身体障害をもつクライエントのためにデザインされた課題で競争したことにもよる。このことは重度の障害者が仕事の競争社会の中で競っていくためには、作業場と設備の改修並びに新しい設備と職場環境の設計を大規模に行わなくてはならないという事実を強調した。

 テストやワークサンプルの結果の他に、生徒が適切な勤務の習慣についてある程度知っていたことも評価が示していた。彼らは、概して、必ずしもそれに従っているわけではないが、時間厳守、出勤、勤務、作業場での全般的な行動の適切性、生産目標、同僚やスタッフとの適切な人間関係などのルールに気づいていることを証明していた。

 面接の時に、それぞれの生徒は一人前の働き手として認められたいという希望を述べていた。この経験は短期間のものであったが、彼らが大人の監督(保護者の意味での)から独立するという目標を達成することを望んでいることがわかった。

 第1回目の4名の生徒の評価とスタッフがレイクビュースクールを訪ねた時の生徒全体の観察の結果、いくつかの仮の結論が出された。

1.生徒の多くは競争、あるいは保護雇用にさえ必要なレベルで仕事をする能力に欠けているかも知れないが、一人前の働き手や単に成人と同じようになりたいというニードをもっている。従って、殆どの場合、いつ、そして一般の職業の社会に入っていくかどうかの決定は彼ら次第である。

2.働く環境にふれることなしには、重度の障害者や施設にいる若い人々は職業につくことに関して事実を知った上での選択をすることは出来ない。

3.リハビリテーションの機関や施設は重度の障害者に職業や副業の選択に関する情報を提供するようつとめるべきである。

4.彼らは重度の障害者ではあるが、自分の将来の職業や副業について決定する能力がないと仮定するべきではない。

 プロジェクトのスタッフは、第Ⅲ段階で働き手の役割への心理的適応の実際面に力を入れる計画である。生徒はその他のことと共に彼が報酬を受ける被雇用者となった時には、より大きな責任と責務が生じてくることを学ぶであろう。

プロジェクトの進行

 この1980~81年の学校年度に、プロジェクトは初めての1年を通してのプログラムに入る。何人かの生徒は第Ⅱ段階を終了し、第Ⅲ段階へ入る。新しい生徒はそれぞれに合った段階に入る。2名のフルタイムのスタッフがこのプロジェクトとの契約を結んだ、キャンパス内での作業の教師とプログラムの管理と地域の職業に関する活動の調整を行う職業サービスコーディネーターである。この論文を書いている間も生徒達の数々の学習、地域の活動、絶えず続けられている評価は進行中である。全生徒47名中15名が参加しているが、その結果が出るのはまだ先のことである。

将来の展望

 このプロジェクトの効果はレイクビュースクールがとり残された場合に起こるような事柄に集中するだろう。例えば、もし平均もしくは平均以上の知能をもつ言語障害の青年で、下肢も不能で上肢も限られた程度しか使えない人が大学へ進みたいと思ったら、設備は、住む所も教室も使えるだろうか? 一定の職業への学問的な資格条件を満たしたならば、仕事を見つけられるだろうか? もしたった1人の重度障害の青年が、ある学習のプログラムに加入したいと思ったら、職業訓練学校は彼が適応するための設備の資金と動機をもっているだろうか? 企業は重度障害者のために快く働く場所と適応の設備を整えてくれるだろうか?リハビリテーションセンターにとって適切な評価、作業を調節するための設備、そして特別なスタッフを提供することは資金的に可能であろうか? これらの質問の大多数に肯定的に答えることが出来るようになるか否かがレイクビュー職業前教育プロジェクトの成功を長い目ではかる物さしとなろう。

 取り組まなくてはならないやや難しい問題のいくつかは重度障害者の数に関係がある。このことは特に職業訓練校、大学、リハビリテーションセンターに関連がある。これらの施設の多くは、もし資金的な支出を正当化し、償うに十分な数の重度障害者がいたならば、彼らのニーズに合うように備えることも出来、またそうするであろう。しかしながらこの十分な数をそろえるためには、重度障害者は州の中の自分達の選んだ場所に住むことが出来なくなる。家や家族の近くの地域のサービスを受けられるというよりは、サービスのある所にかたまって住まなくてはならなくなる。その結果は重度障害者を隔離してコロニーや孤立集団化させてしまうことになる。

 企業もまた関係がある。従来、DVRは職業上障害のあるいろいろなグループの人々のリハビリテーションは彼らの雇用が完全に成功した時、彼らの支払う税金によって埋め合わせされることを証明してきた。このことは多分DVRがもっと重度の障害者にとり組む場合には状況が違ってくる。恐らく、少なくとも重度障害者に関する限り、もはやリハビリテーションを金銭的な見返りという点で正当化する必要はないであろう。今や企業にはリハビリテーションのプロセスの中の必要部分としてすすんで協力をするかという意味で接するべきである。企業側の人々は生産量の点では健常者と競うことの出来ないグループに働くことの尊さを提供する役割と責任をこのあたりで明確にしなくてはならない。現在の技術や資源では対応出来ない人々のために専門化された職業の保護雇用といったものを検討してみるべきである、身体的には重度の障害者であるが知能には何の障害もない人々のために興味深く、頭脳的にもやりがいのある仕事を提供するように工夫されたものを。在宅の障害者のためにコンピューターターミナルの操作を実験的に行い成功であった。しかしこれには家を出て仕事に行くというより大きな刺激がない。家を出て同僚と交わり、つながりをもつ機会、スーパーバイザーから称賛の言葉やジェスチャーを受ける機会をもつこと、その他職場の環境での数々の積極的な面のもつ心理的効果は働く人の自己認識と達成意欲にとってはかり知れない重要性をもっているのである。

 これらの問題にはすでにこのプロジェクトへの含蓄がある。それらの解決がレイクヴュー職業前教育プロジェクトのようなプログラムの将来を決定するであろうし、プログラム自体の矛盾のないフォローアップになると思われる。社会が確実にリハビリテーションのプロセスに欠くことの出来ない重度部分になるよう力を与え、調整のとれた進歩をもたらすためには共同一致の努力が必要である。最終的には、重度の障害者にも我々の多くが当然のこととしている権利、有意義な生産に参加する権利がもたらされるであろう。

(Journal of Rehab. Apr.-June 1982)

参考文献 略

*ミネソタ州職業リハビリテーション局

**ミネソタ州Mankatoリハビリテーションセンター

***Mankato州立大学

****ケースワーカー


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1983年3月(第42号)26頁~30頁

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