特集/職業リハビリテーション 経済学者から見たリハビリテーション

特集/職業リハビリテーション

経済学者から見たリハビリテーション

The Economist and Rehabilitation

Monroe Berkowitz, Ph.D.

岡田伸一*

要旨

 職業リハビリテーションは、経済学的には、満足や福祉の増進を目的とする生産過程のひとつのタイプと見なすことができる。職業リハビリテーションの効率性は、障害者にとっての便益と、それに要する金銭的支出によって測定されなければならない。資源には限りがあり、それらは有効に配分されなければならないので、費用・便益(cost and benefit)に基づいた効率性が問われなければならない。筆者は、これまでこのような検討が十分に行われていなかったことを指摘し、その目的を達成するために計画され、現在進行中のひとつの実験にも言及する。

はじめに

 公的なリハビリテーションのプログラムには、毎年約10億ドルの費用がかかっている。資金の確保は決して容易ではなく、今後一層困難になる見通しである。職業リハビリテーションに関心を持つ経済学者にとっては、プログラムへの資金の配分が問題になる。全体として、資金量は十分なのか。公平に配分されているか。資金は有効に利用されているか。リハビリテーションに配分する資金を増額すれば、障害にともなう費用は削減できるのか。

 これらの問題は金銭的な問題であるが、また人間の福祉と密接に関連している。障害は、それを持つ労働者、その家族、そして地域社会全体に、非金銭的な負担を強いることになる。それは、苦痛や悩み、その他福祉の低下といった形の負担となるかも知れない。リハビリーテションの効率性は、金銭的支出と同じように、このような負担を最少限にするという観点からも測定されなければならない。

 リハビリテーションの効率性を測定するためには、リハビリテーション過程におけるサービスの種類、プログラムの目標、そして目標達成のために用いられる方法に検討が加えられる必要がある。カウンセラーは、クライエントの福祉の増進に焦点を合わせるべきなのか、それともクライエントの労働市場とのかかわりや、その他社会・環境面への配慮に関心を集中すべきなのだろうか。

 カウンセラーは、そのエネルギーのより多くを就労環境を変えることに注ぎ、クライエントのためにはそれほど力を入れないということもできるだろうが、どちらのアプローチにも限界があることは明らかである。1973年のリハビリテーション法503、504項は、障害者に対する差別を撤廃し、雇用主に応分の就労上の便宜を提供させることを狙いとしていた。この法律の実施の難しさについては、詳しく報告されている。障害者は少数グループであるが、黒人や老人と同じタイプの少数グループではない。障害者の少数グループとしての立場は、リハビリテーションによって軽減を図ろうとする能力障害の程度いかんにかかっているのである。障害者は職業に就く権利があることを、主張するのは擁護者達の戦略かも知れないが、障害者の職業問題は、別の視点から眺めることもできるのである。おそらく、法律によれば、重度の機能障害を持つ者の採用を雇用主に強制することはできるだろう(雇用割り当て制度は、この目的で立案されたものである)。しかし、このような政策には反発があることも事実である。職場への通勤を可能にするために、私達が雇用主や地域社会にどれほど期待しても、一定の限界があるということは、残念ながら事実である。歩道の縁石を切り取らせるのは、ひとつの方策であり、ニューヨーク市の各駅を改造させるのも、ひとつの方策である。しかし、法律や規則・規制、あるいは市議会の決議とは関係なく、ある障害者は就労が可能で、別の障害者は不可能かも知れない。ある種の変革は、理論的には望ましいが、経済学的には可能性に乏しいものかも知れないのである。

 雇用主は、少なくとも支払う賃金に見合うだけの生産への貢献がない限り、すすんで人を採用しないということは、極めて常識的なことである。私達が、差別、すなわち人間の身体的あるいは精神的条件に基づく不合理な選考を廃止し、妥当な通勤や就労上の便宜を図ったとしても、生産への貢献が賃金より低い場合は、やはり採用されないという問題が残るのも事実である。

生産性の向上

 リハビリテーションがその役割を果たすのは、まさに生産性向上においてである。経済学者の立場からは、リハビリテーション過程は、雇用主の生産に対してクライエントが貢献できるであろう価値の増加を目的とする過程と規定できる(もっと平たくいえば、かろうじて収支の償う程度の労働者の生産高を増加させるのがこの過程の目ざすところである)。生産性の向上は、クライエントの機能の向上と、就労上の便宜を図ることのいずれか、あるいはその結合によってもたらされる。私は、これらの生産システムに対するアプローチと、治療的なアプローチとの比較対照をしようとは思わない。おそらく、それは私自身がふたつのアプローチの詳細な内容を完全には理解していないからであろう。労働者の収支ぎりぎりの生産高の向上に目標を集中するならば、これら二つのアプローチを含んだ形のものがあるように思われる。

 このような概念規定には、明らかに功利主義的な偏向がある。もし目標がクライエントの就職であれば、クライエントの自己概念の改善自体には、求職に有利に働く場合を除いては、あまり価値は認められないだろう。同様に、手すりの取り付けや機械の改造には価値があるが、それは障害者の自主独立の決め手ということではなく、生産性に貢献するからである。これは、あまりに狭い見方かも知れない。しかし、労働市場では受け入れられにくい障害者に対する援助も、経済学の枠組みに組み入れることは難しいことではない。経済学者は、福祉全般といった意味の「効用」の最大化に、もっぱら関心を払うものである。これらの問題のいくつかについては、後に述べることにする。

経済学的問題とプログラムの目標

 経済学者は、いったいどのようにリハビリテーション全体とかかわるのであろうか。経済学者は、リハビリテーションという領域で、どのような貢献ができるのだろうか。

 まず第一に、経済学者は、あまり一般的でないが、ひとつの前提の上に立っている。それは、資源は有限であり、従って資源は配分と維持の必要があるということである。当然の結果として、経済学者は、定められた生産量や目標の達成のための諸資源の最適な組み合わせに関心を払うのである。

 経済学者は、目標は何であるべきかを指示する立場にない。もし社会が職業的問題には配慮せず、クライエントの機能向上を図る政策を選択したならば、経済学者はこの目標を受け入れ、目標の達成過程の効率性を分析する。確かに、経済学者は様々な価値観から全く影響を受けないわけではなく、その活動の基盤となる文化の価値観を受け入れている。しかし、経済学者はいかなるプログラムの目標に関しても、何ら先入観を持つ必要はない。いったん目標が設定されたならば、経済学者はプログラムの効率性あるいは費用効率性を検討するのである。

便益という概念の拡大

 1973年の職業リハビリテーション法の改正は、公的な政策の転換の契機となった。次々に改正された政策の重点から見られる傾向のひとつは、政策担当者が重度障害者へのサービス提供を目指すようになってきたことである。しかし、職業リハビリテーションのプログラムは、就職の可能性を持つクライエントに限定するとした同法の規定は、そのまま残された。政策の転換は、幾分曖昧さを残したが、重度障害者を受け入れることによって、受け入れられたすべてのクライエントが競争的労働市場に到達するという可能性は少なくなった。あるクライエント達にとっては、リハビリテーション過程の成果は、施設処遇から地域社会での生活への移行であり、またある者達にとっては、苦痛の軽減や機能の向上であった。障害者の立場からは、このような成果は明らかに価値のあるものであり、そのためには喜んで金を払うであろう。プログラムの側から見ても、これらの成果は法の目的に即したものである。

 このような目標を達成する上での困難は、目標がもたらす便益に関する狭い考え方にある。費用節約の手段として、リハビリテーションのプログラムを熱心に提唱する人々は、他の面での改善をどちらかと言えば無視し、クライエントの賃金稼得能力の向上に固執してきた。実際のところ、経済学者もそれ以上のことをしたわけではない。概念としては、何ら問題ない。二人のブラウニング氏が指摘するように、「効率性は物質的にではなく、人々の福祉という面から定義されなければならない。」しかし実際には、便益に関する実証的な推定は、賃金稼得能力のみに基づく傾向がある。明らかに、今後の研究において解決すべき重要な課題は、職業リハビリテーション過程から派生する生活の質に関連する便益の評価問題である。

 便益の価値評価の問題は、費用・便益分析において、特に重大になってくる。連邦・州共同の職業リハビリテーションは、市場原理に基づく民間の手では行えないサービスを提供する公的プログラムである。クライエントは、代価を支払って、このようなサービスは購入しない。

 当初から、職業リハビリテーション・プログラムは、採算が合うものとして提唱されてきた。職業リハビリテーションに投資された資金は、何倍にもなって戻ってくると言われている。もしこの見解を真剣に取り上げるのであれば、プログラムの費用と便益を測定する必要がある。

費用の測定

 費用の測定については、すでに検討したように、幾つかの問題がある。例えば、専門家がサービスを提供する時間や場所のような資源の費用は、その資源を別の用途に利用した場合を想定することで、十分に判断できる。費用は、個人、機関、あるいは社会全体の立場など多くの側面から測定できる。そのいずれの立場を取るかは、費用分析の目的によるところが大きい。例えば、ある機関は、クライエントが他機関で行う作業適応プログラムを終えてはじめて、そのクライエントのリハビリテーションは終了したと見なすかも知れない。この場合、当該機関は、作業適応プログラムに関して何らかの金銭的支出がない限り、他機関での適応プログラムの費用はかからなかったと考えるであろう。しかし、作業適応プログラムの費用がゼロであったと考えるべきではない。もし分析の目的が、このプログラムがいかに優れたものであり、かつ、他機関でも同じように実施すべきものであるかを実証することにあるとすれば、他機関で行われた作業適応プログラムの費用は、新たに実施する場合の金銭的支出に相当するものとみなされなければならないからである。

 費用計算は難しいとされがちで、時には論争にもなるが、その難しさは、概念としても、また測定についても、便益ほどではない。便益は、その成果が個人にとってどのような価値があるかによって測られなければならない。もしサービスを無料で買えるとしたら、個人は何を支払うのか。どの程度そのサービスは、個人に満足を与えるのか。あるいは、経済学者が指摘する、「効用」の増加、すなわちリハビリテーション過程から受け取る全体的な満足の度合の増加とは何なのか。たとえ、私達がそれを労働市場での指標、すなわち賃金の上昇に頼るにしても、なお多くの問題が残る。

ブラックボックスと伝統的な測定尺度

 リハビリテーション過程で行われていることは“ブラックボックス”として表現できる。障害者は、このブラックボックスに入り、もしうまくいけば、リハビリテーションを終了して出ていく。そこで、幾つかの点が問題になる。ブラックボックスを出ていく人々は、入った時に比べ、より幸福になったのか。どの程度幸福になったのか。その改善は、リハビリテーション過程によるものなのか。どのようにして、向上の程度を測定できるのか。便益と、それを達成するために社会が支出した費用とは、バランスが取れているのか。つまり、私達が、もう1ドル、リハビリテーションサービスに支出すると、社会は1ドルあるいはそれ以上の便益を得るかということである。この点は、経済学では、極めて重要なことである。

 就職というリハビリテーションの成功を示す伝統的な尺度が、リハビリテーションの多様な目的に対応できないことは、ますます明らかになってきている。様々な成果を評価するためには、人々がリハビリテーション過程に入る時点で、彼らについて多くを知ることが必要になる。明らかに、教育や訓練によって大きな人的資本(human capital)を持っている者は、労働市場では有利になる。たとえ身体的あるいは精神的な障害は同じであっても、若さや職歴という利点を持つ者は、持たない者より、リハビリテーションの終局においてそれぞれに良い結果を得ている。すなわち、リハビリテーション過程に入る人々の条件に応じ、その過程に対して異なる評価が与えられなければならないのである。

 リハビリテーション過程の便益の測定には、この過程自体についてのさらに徹底した検討が必要である。しかし、そうはいっても、これらを検討し、評価する者は、心理学や社会学、あるいはリハビリテーションの専門家になるわけではないという意味で、彼にとってはリハビリテーション過程は依然ブラックボックスのままかも知れない。経済学者は提供されるべきサービスの種類を指示するつもりはない。しかし、サービスの種類と質の吟味が必要である。リハビリテーションに関する公表されている統計では、カウンセラーがひとりのクライエントに費した時間数は明らかでなく、提供されたサービスの正確な種類を知ることも容易でない。

 リハビリテーション過程というブラックボックスは、複数のブラックボックスの集合体かも知れない。リハビリテーション過程に入ってくる者は、同時に他機関からもサービスを受けているかも知れない。たとえそうしたことが判ったとしても、サービスの成果を評価するためには、さらに、リハビリテーションの全過程の中で、クライエントに何が起っているか、そして、特に他機関からサービスを受けているかどうかについて、より多くを知る必要がある。

 最後に、リハビリテーション過程を終えた後、クライエントがどうなるかを知る必要がある。例えば、過程に入る時点において、機能障害の適切な評価尺度があるのならば、過程終了後の尺度も必要になるだろう。過程に入る以前の理想的にはかなり長い期間についての稼得能力の評価尺度があるならば、プログラム終了後の尺度も必要になるだろう。1年程度の間隔の定期的なフォローアップを行うことによって、私たちはリハビリテーションの便益についての何らかの測定法を得ることができるであろう。

障害の経済学に基づいたプロジェクト

 国立障害者研究所(The National Institute of Handicapped Research)は、これまで述べてきたような形で、リハビリテーションの評価を目的としたひとつのプログラムを推進している。作業はバージニア州で始まっており、今後4年のうちに、さらにふたつの州に広げられる。このプロジェクトは、どのような結果になるか保証のないひとつの実験モデルで、リハビリテーション過程に入る前にクライエントの調査を行い、過程で何が行われているか客観的な測定を試みる。そして、サービスの過程のどの段階で終了したかには関係なく、プロジェクト受け入れ後9ヶ月、18ヶ月に、クライエントのフォローアップ調査を行うものである。この考え方はクライエントがリハビリテーションを終了したか否かには関係なく、より正確には終了した段階には関係なく、機能と稼得能力の向上を調査しようというものである。過程を終了した段階を重視する考え方は、リハビリテーションの結果の評価に偏りをもたらすからである。

結論

 おそらく、経済学者のリハビリテーションとのかかわりについては、障害の全領域を見ることによって、よく理解されるだろう。障害という現象は、経済に損失をもたらす。もし魔法で一夜にしてすべての障害が取り除かれるなら、損失は回避され、障害を持った人を含めて私達全員が恩恵を受けるだろう。リハビリテーションは、伝統的に採算が合うものとして提供されてきた。この考え方は、もし社会がリハビリテーションに投資すれば、障害に伴う費用は削減されるというものである。障害にかかる費用を削減しようとするならば、確かに予防とリハビリテーションが最も重要な役割を果すに違いない。経済学者の行う効率性の測定に関する調査は、リハビリテーションが常々主張してきたことを、実際に行っているかを判断する単なる一つの方法である。

 各専門家は、自分の一生をかけようと決めた領域にどうも偏りがちになる。経済学者は、職業リハビリテーションを理解するのに大きな貢献をした。労働市場という概念は、多くの学問領域によって共有されているが、経済分析において中心的役割を果している。いかなる労働市場も、その機能を支配する何らかの構造や規則、規制があることを、経済学者は認識している。私達は、年季奉公を廃止し、一世紀以上にわたって工場法を、そして50年間近く賃金と労働時間に関する法規制を経験した社会に暮している。にもかかわらず、経済学者の立場は、自由な市場を支持するものである。これは、規範的な判断であるかも知れないが、このような価値判断とは別に、経済学者は、実証的な方法で、これ以上市場介入が行われた場合の結果を分析して見せることができる。結論は、いかなる介入も代価を伴うということである。すなわち、費用がかからないものはないのである。

 労働市場の分析において、経済学者は、労働力の供給と需要の双方を検討する。雇用主による需要は、労働者が生産過程に何をもたらすかによって、決定的な影響を受ける。生産に対する労働者の貢献を重視する考え方は、労働者の個人的能力の向上を図るリハビリテーションと、就労環境の改善を図る方策との間の調整に役立つ。これらふたつの方策は、共に労働者の生産性を向上させることができるのである。

 リハビリテーションを生産過程のひとつのタイプと見なす経済学的なリハビリテーションの概念は、その過程から生じた変化の測定に焦点を合わせている。人材養成プロジェクトの全体系が詳細に評価されている今日においても、職業リハビリテーションが、効率的なプロジェクトであると単純に主張することはできない。実証が必要である。それは、プロジェクトのモデルを作り、モデルが厳密で客観的なテストを受けてはじめて可能になるだろう。プログラムを経済効率性からテストするということは、人道主義的な目標を無視するということではない。便益という概念は、「効用」すなわち満足や福祉の増進をもたらすいかなる成果も包含することができる。挑戦すべき課題は、政策担当者や立案者が、サービスの成果の評価に使える実際的な測定方法を考案することである。

参考文献 略

筆者紹介

 モンロー・バーコウィッツは、ラトガーズ大学(Rutgers University)の経済学部教授、および同大経済研究所の所長である。彼は、An Evaluation of Policy-Related Rehabilitation Researchの編者であった。また、障害の経済学に関する著書も多い。

*国立職業リハビリテーションセンター


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1985年7月(第49号)14頁~19頁

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