特集/職業リハビリテーション 西ドイツ

特集/職業リハビリテーション

西ドイツ

春見静子*

吉田紗栄子**

三本杉国興***

朝日雅也****

 西ドイツは、面積24.9万km2、人口約6,200万人の連邦制の立憲共和国である。第二次世界大戦に敗戦の後、東西両陣営の冷戦の激化の中で、西ドイツと東ドイツに分割されたが、西ドイツは戦後20年で奇跡とも言える復興を達成し、世界をリードする経済大国となっている。10の州と西ベルリンがそれぞれ独自の議会と政府をもち、その上に連邦議会、連邦政府がある。近年は各州の独自性は薄れつつあるものの、やはり依然として州の権限は強い。社会保障制度は充実していると言われるが、高福祉高負担の下で財政赤字が拡大している。

 わが国は、かつて法律、教育、医学、文化等ドイツから多くのものを学びとってきたし、また同じ第二次世界大戦の敗戦国からの復興国という共通点もあり、種々の点でドイツの影響を受けていると言えよう。例えば割り当て雇用を中心とするわが国の障害者雇用制度等もその例外でなく、ドイツの制度に習った点も多い。以下、西ドイツにおける障害者のリハビリテーションを概観することとしよう。

Ⅰ 障害者の概況

 1 障害の概念

 西ドイツにおける障害者の定義は、障害者援護の基本法ともいえる「重度障害者の雇用、職業、社会への編入の確保に関する法律」(一般に「重度障害者法」といわれている)に規定されているものが最も基礎的な概念であると考えられる。

 同法第1条には、「重度障害者とは、身体、精神、情緒に障害があって、その障害のために、稼得能力が一時的ではなく50%以上減退したものであって、この法律の適用領域内に適法に居住、常時滞在または被用者として雇用されている者」とされ、さらに同法第2条には「その障害のために稼得能力が一時的ではなく、少くとも30%以上50%未満減退した者は、申請により第3条に基づく確認によって、雇用事務所が重度障害者とみなす者」と定義され、その特徴は、障害の原因のいかんにかかわらず、あくまでも稼得能力の減退の程度によって障害者を規定していることである。

 また、連邦社会扶助法には、特別な生活状態への援助の中で、第7節障害者編入援助第39条1項に「一時的でなく、身体、精神または情緒に著しい障害を有する者は編入援助を受ける」とあり、続いて第2項には「障害のおそれがある者は障害者と同様とする」と規定しており、発生のおそれのある障害をも対象としているところに特徴がある。

 以上のように、西ドイツにおける障害の概念は、第一に稼得能力減退率によって把握されることを特徴としており、第二に精神障害者や情緒障害者、さらに障害のおそれのある者を含めて把えられており、わが国と比較して幅広い障害概念となっていると考えられる。

 2 障害者統計

 重度障害者法第51条統計第1項の規定により、1979年12月31日を第1回として2年ごとに、障害者に関する連邦統計を実施することになっており、最も新しい統計は1983年のものである。

 同統計によると、障害者総数は660.8万人で、そのうち男347.3万人(52.6%)、女313.5万人(47.4%)である。総人口が約6,200万人であるから、障害者の総人口に占める割合は10.7%である。

 障害の原因別にみると、疾病が519.6万人、全体の80%で第一位を占めており、第二位がその他の原因43.8万人(6.7%)、戦傷その他が38.9万人(6.0%)、先天性障害が25.0万人(3.8%)と続いており、職業病や労働災害、交通事故は16.1万人(2.5%)である。

 障害の種類別にみると、内部障害が最も多く233.8万人で全体の35.4%を占め、次いで体幹機能障害が101.2万人(15.3%)、その他が95.6万人(14.4%)、四肢機能障害が93.7万人(14.2%)となっている。脊損まひ、脳性まひ、精神障害は63万人(9.5%)、盲・視覚障害が26.9万人(4.1%)、言語障害、ろう、難聴が20.2万人(3.1%)、四肢欠損が14.2万人(2.2%)となっている。(表1)              

表1 障害種別障害者数および構成比
(1983年12月31日現在)
障害種別 障害者数 構成比
四肢欠損 142,151人

2.2%

四肢機能障害 937,415 14.2
脊椎、体乾機能障害および胸郭変形 1,012,334 15.3
盲・視覚障害 269,074 4.1
ろう、難聴、言語、平衡障害 201,616 3.1
小人症、変形症など 121,009 1.8
内部障害 2,338,143 35.4
脊づい損傷まひ、脳性まひ、精神障害、中毒症 630,119 9.5
その他の障害 956,428 14.4
合        計 6,608,289 100.0

資料:Wirtschaft and Stastik,1985.

Ⅱ 歴史

 西ドイツにおける障害者のリハビリテーションは、古くは教会及び教会関係の宗教団体による慈善事業として伝統的に行われてきた。それが、18世紀末から19世紀の初めにかけて、人道主義的思想が起こり、障害者の教育、訓練施設が各地に設立されていった。

 例えば、ハインリッヒ・ブラォウン著「ドイツにおける障害者リハビリテーション」によれば、ろうあ者施設は1778年にライプツィヒに最初の施設ができ、1788年にはベルリンにろうあ者教育と同時にろうあ者教育に携わる教師を養成する施設ができ、その後この種の施設は増え続けて1900年頃には91施設、673教室となり、生徒数約6,500人、教師732人であった。

 視力障害者施設も1806年にベルリンに最初の施設が設立され、その後19世紀中にドイツのほとんどの地域に設立され、1914年には32施設で、3,200人の視力障害者が各種の職業教育訓練を受けていた。

 肢体不自由児・者の施設も、ろう者、視力障害者施設と同様、19世紀前半に設立されている。最初の施設は1832年にミュンヘンにケア施設として設立されたが、教育訓練と合わせて整形外科的治療が行われた。

 当時は、職業訓練の職種も少なく、男性は靴屋、洋服屋、建具屋、石版印刷屋、植字工などで、女性は洗たく屋の助手、お針子、婦人服屋などの訓練を受けていた。視力障害者の場合は、ブラシ作り、ピアノ調律師などであった。

 第一次世界大戦とともに、障害者の統合方策は新しい発展段階に入ったといえる。それは大戦によって生じた少なからぬ重度の障害者を労働市場に統合していくために、新たな福祉制度の創設が必要となってきたからである。従って第一次大戦直後から、戦傷者及びその遺族に対する援護、扶助、雇用保障が発達し、法の整備とともにリハビリテーション施設の設立、整備がすすんだ。以後第二次大戦までの期間は主として戦争犠牲者の職業的リハビリテーションに重点が置かれた時期といえる。

 第二次大戦後から今日までの時期は、第二次大戦とその後に起こった技術革新によってもたらされた社会変化に合わせて、伝統的な保障、保険、社会福祉サービスを変革していった時期といえる。

 第二次大戦までは戦争犠牲者に対する援護が主に行われていたが、この時期になって、労働、職業、社会への編入のために必要とされる医療上、教育上、社会上の援助をすべての障害者が受けられるように、重度障害者法の制定や連邦社会扶助法の改正などの法的整備がすすめられ、重度障害者の社会統合が一段とすすんだ時期といえよう。

Ⅲ 法・行政

 第二次世界大戦前の公的障害者法としては、一方には特殊教育の立場から各州が発令した養護学校についての規定があり、他方にはいわゆる公的社会福祉法、すなわち救貧法があって、それは精神病者、てんかん等のいわゆる障害者を施設収容し、そこで保護することが主たる内容であった。

 ナチズムの時代には、有用性の理念と原則が強調され、障害者とくに重度の障害者は「生きるに価しない存在」として文字どおり抹殺された。

 敗戦後1949年から53年までは、もっぱら社会福祉法が障害者の保護にあたった。1953年から57年にかけては年金法が抜本的に改革され、積み立て方式は賦課方式に取って変わられて年金額は大幅に増加した。

 戦後の混乱が収まり、国民の生活にも安定が見られるようになってくるにつれて、経済的ニードだけではなくて生活のあらゆる面に及ぶ多様な援助の必要性が認識され、1957年から61年にかけて社会福祉法の見直しが行われ、61年には連邦社会扶助法が制定された。

 障害者に対しても、障害をもたらした原因が何であるかではなく、すなわち、戦傷病か労働災害か先天性かを問わずに、障害の克服と社会復帰のためにどのようなサービスが用意されなければならないかを根本的に考えるべきであるとされた。

 1970年、リハビリテーション促進のための活動計画が連邦政府より発表された。その中でリハビリテーションは医学的、教育的、職業的、社会的援助としてなさなければならないこと、しかもそれが迅速かつ官僚的でない形でなされなければならないことが冒頭に述べられた。さらに、従来各法律や実施機関が個々別々に行ってきたリハビリテーションはその成果を上げるため機関や組織の連携を密にしなければならないこと、また、そのために連邦労働・社会秩序省、連邦児童・家庭・保健省が共同の作業委員会を設けることなどが示された。

 1971年には「障害児の援助事業」の基金設立に関する法律が制定され、特にサリドマイド禍の児童の補償に新しい考え方を導入した。すなわち、本人の責任によらずに重大な困難に立ち至ったすべての児童に対して、現存する能力を発揮して社会適応に至るための公的給付を定めたものである。

 連邦政府のリハビリテーション促進のための活動計画を受けて、1974年4月29日、前述の重度障害者法が制定された。ここでは、①この法律の対象となる重度障害者とは、稼得能力の50%以上を喪失したものである。②企業に重度障害者の雇用を義務づけ、規定の雇用を行わない場合には、代償金を支払う。③一般企業に雇用されている重度障害者に対して解雇通知の制度を設ける。④障害者を5人以上雇用する企業は信任者をおいて障害労働者の利益を代表させる。⑤障害が重いために職業訓練やその他のあらゆる配慮にもかかわらず一般雇用に組み込むことが困難な障害者のための作業を充実させるなどが規定された。

 1974年10月1日には、リハビテーション調整法が施行された。ここでは疾病保険や災害保険や年金保険等に規定されている医学的、職業リハビリテーションに関する給付を平等にし、リハビリテーションを切れ目なく続けることができるように各主体間の連携を保ち、給付の窓口を一ヵ所にすることが定められている。

 1961年に制定された連邦社会扶助法は最低生活を保障する生計費の扶助の他に、特に低所得者のために生活状況に応じた各種の扶助を補助するという、従来の公的扶助の考え方を大きく変えたものとして注目された。制定後10年余りを経て、1975年2月1日には、障害者の社会編入扶助に関する条例が出されて、保養所の利用、障害者用自動車の購入、補装具の購入、学校・職業教育に関する特別な援助等も社会扶助の対象として認められることになった。また、これらの扶助に対する所得制限の緩和、扶養義務者の費用負担の軽減が導入された。

Ⅳ 医療・保健

 障害の予防と治療、医学的リハビリテーションの実施にあたっては1974年のリハビリテーション給付調整法により、どの法律の適用を受けても等しい給付が保障されることになった。

 法定疾病保険法には連邦共和国の国民の92%が加入している。被保険者はいずれかの疾病金庫に所属し、金庫に対して事業主と折半で保険料を支払い、医療を受ける。疾病金庫には、地区疾病金庫、企業疾病金庫、同業者疾病金庫、職員補充金庫、農業者金庫、海員金庫、鉱山従業者金庫等がある。給付の主たる内容は、疾病の予防、治療、リハビリテーションの給付、妊娠と出産に関する給付、疾病時の所得保障等がある。1970年の法改正により、障害の早期発見のために、生後4歳までに合計7回の予防検診の費用が疾病保険で負担されるようになった。その他のリハビリテーション給付としては、一般的な医者の診察、投薬、包帯材料、治療手段、補装具、入院の他、必要があれば保養所や特殊施設の利用もその対象になっている。さらに、疾病のために家事や農業経営ができなくなった場合には、家政給付や農業経営給付、すなわちホームヘルパーの派遣も疾病保険の対象となっている。

 法定年金保険の主たる任務は被保険者及びその家族に対して年金を支給することであるが、1957年の第一次年金改革において、年金給付に先立ってリハビリテーション給付を行うべしという原則が打ち出され、医学的ならびに社会的リハビリテーション給付が法定給付として、年金法の中に組入れられることになった。その場合の医学的リハビリテーションの給付内容は疾病保険のそれと全く同じである。

 さらに、業務上の事故に対する保障としての災害保険法においても、リハビリテーション給付は、1974年以降、疾病保険や年金保険と調整されて実施されている。災害保険の被保険者はわが国のそれと比べても範囲が広く、労働者、職員のみならず職業訓練中の者、登録している失業者、家事労働者、家内工業者、農業、自営業、学生、生徒、幼稚園児にまで及んでいる。

Ⅴ 教育

 ドイツの教育制度は、地域性や宗派性が濃く、全体として把えるのはたいへんむずかしいといわれている。1960年代の半ば以降、さまざまな改革が試みられ、それが現在もなお続いているということも複雑さに拍車をかけている。現行の学制は、1964年に統一されたものであり(図1)障害児の学校教育もこの中に含まれている。

 図1 現在の学校制度

図1 現在の学校制度

 就学前の障害児に対する療育サービスは、3歳まで原則として通院、通園という形で行われている。幼児教育の対象年齢になると主として公的に設置されている養護幼稚園や養護施設で受け入れている。養護幼稚園は、1980年現在、全国で617ヵ所あり、17,000人の収容能力をもっている。

 学齢に達した障害児は、次のような方法で教育を受ける。

① 一般授業を受けながら障害にかかわる指導や治療を受ける場合

② 障害児が一般学校の授業と部分的にかかわりあいをもっている養護学校に在籍する場合

③ 養護学校のみで授業を受ける場合

④ 家庭および病院での授業を受ける場合

⑤ 障害児施設内での授業を受ける場合

 養護学校は障害別に分けられているが、就学児の4/5は学習遅滞児あるいは行動障害児である。盲学校、ろう学校は全対象児を受け入れる設備が整っており、付属寄宿舎では十分な介護も受けられる。学齢に達しながら心身の発達が十分でない児童のためには「学校幼稚園」という制度もある。この幼稚園の目的は、心身の発達を年齢にふさわしいものにすることである。

 ドイツの学校教育の特徴は、職業教育が、義務教育に含まれるという点であろう。養護学校の中でも2年間(7、8年生)の職業教育期間が含まれており、そこから授産施設へと移行するケースもある。一般的には、後期中等教育の段階(16~18歳)で各種の職業学校が用意されているが、現在のところ障害をもつ生徒に適切な職種が少ないのが実情である。

 今後の課題は、できる限り、一般の学校教育システムの中に障害児を統合していくということであろう。

Ⅵ 職業

 西ドイツにおいて「職業」の問題を語る時に、忘れてはならないのは、ドイツ国民の持つ専門職意識の強さである。職業教育法では、実に450を超える職種が定められており、わが国の場合、職業を人から尋ねられた場合、「○○会社に勤めています」という答えが比較的多いのに比べ、西ドイツではほとんどが「○○工です」とか「○○職です」という回答になるのである。その傾向はまた障害者の職業リハビリテーションについても例外ではなく、わが国の職業リハビリテーションにおいて、然るべき判定及びカウンセリングにより適当とみなされた職種についての訓練が実施されながらも、就職の段階になると、その訓練職種を生かすことよりも、一般就職できることがどうしても優先させられてしまうのに対して、西ドイツでは、専門職としての資格を得るために訓練が設定され、実に徹底的に行われるのである。これは勤勉であると評されるドイツ国民の持つ、アルバイト(労働)への強い憧れでもあり、それが具体的な職業リハビリテーションに関する制度やサービスにも大きく影響を与えていると言える。

 西ドイツの障害者雇用対策が打ち出されたのは1919年の「重度障害者の雇用に関する法令」である。これは事業主に重度障害者の雇用義務を課したもの(稼得能力が50%減退した者に職場の1%を提供する)であったが、その対応はあくまでも戦争犠牲者を中心としていた。その後1920年の「重度障害者雇用法」及び戦後1953年の「重度障害者雇用法」と次第に対策は強化されていったが、その時点では、対象者は戦争傷痍者と労災障害者に限定されていた。それは戦後、先天性の障害者や幼少期からの障害者が増加しつつあったので、これらの者までも対象者に含めると、戦傷者などが不利になると思われたからである。

 その後、1970年の「障害者リハビリテーション促進のための連邦政府活動計画」が策定され、バランスのとれた総合政策の必要性が認められるに至って、1974年に、すべての障害者を対象とする「重度障害者法」の制定をみることになる。これは分化している制度や援助を統合化しようとするリハビリテーションの世界的な動向と、戦傷者などの減少及びその逆に増加しつつあった先天性障害者などの新しいニーズの高まりの反映だったといえる。

 1 職業リハビリテーションの実施機関

 「重度障害者法」に基づく施策の実施機関としては、連邦労働社会省援護局(実務は中央扶助事務所)と連邦雇用庁雇用局(実務は雇用事務所)がある。前者では、重度障害者の認定、代償金の徴収と配分、重度障害者の解雇に関する事前の告知、重度障害者の職業生活におけるアフターケアのための給付等を実施し、後者では専門官が医師や心理学者の協力を受けながら、職業カウンセリングを行ったり、リハビリテーション施設や作業所の設置指導、助成を行う。

 実際に職業訓練を提供する職業リハビリテーション機関には大別して次の2つがある。

・若年障害者のための職業訓練センター(Berufsbildungswerke)

 義務教育を終了した若年の障害者(15~18歳)で職業準備訓練を必要とする者を対象に、職業教育・訓練及び実習等を全寮制で行う。訓練期間は3年間。商工会議所が行う検定試験で資格を取得することを目標としている。全国で37ヵ所ある。

・成人のための職業リハビリテーションセンター

(雇用促進センター、Berufsforderungswerk)

 成人の中途障害者を対象に、その転職(障害のために前職を継続できない)等のための職業評価と再訓練を原則として全寮制で行っている。現在、全国に21のセンターがある。各センターの訓練職種、開講時期等はその年の労働市場の動勢を考慮した実態に即したものとなっている。訓練期間は目標とする訓練水準によって異なり、例えば商工会議所の行う検定程度の場合の12~18ヵ月から、高等専門学校卒あるいはマイスターより上位の資格水準の場合の30~36ヵ月までと幅がある。いずれにせよ、一般の労働者の技能資格制度が厳格な西ドイツでは、このように一定の技術の獲得を目指した極めて具体的かつ明確な訓練水準が職業リハビリテーションにおいても設定されるのである。職業生活の復帰率は、80~85%であるが、現在は失業率が高く、その割合は低くなっている。

 なお、訓練期間中の手当については従前の職場における所得の75~65%が社会保険から支払われている。

 2 障害者雇用の実態

 西ドイツでは伝統的に鉄鋼業、機械工業、重電機工業が強く、70年代前半までは、世界の工業国をリードしていた。しかしその後、一部の重電機、機械メーカーはエレクトロニクス技術の進歩に遅れるなど国際競争力が弱まりつつある。(電機メーカーの名門テレフンケン社の倒産など。)

 その結果1982年の失業率が9.1%(就業者2,677万6,000人に対し、失業者222万3,000人)と極めて高い数字を示している。同年には、失業保険料の引き上げ、受給資格(雇用期間6ヵ月から12ヵ月)の改訂等、財政難を背景とする失業保険制度の改革も実施されている。一方、障害者雇用率についてみると、1975年3.8%、76年4.1%、79年5.0%、82年5.5%と、今のところ上昇傾向を示している。西ドイツでは、前述のとおり、「重度障害者法」により、官民を問わず、従業員数6人以上のすべての事業主は、6%の重度障害者を雇用することが義務づけられているが、この法定雇用率の6%には及ばないものの、かなり近づきつつあることがうかがえる。しかし、西ドイツにおける雇用状況の悪化は、第2次産業、とりわけ内需依存型の鉄鋼、機械等の製造業に顕著で、また、建設、運輸業でも失業が増加しつつある等、総体的に障害者の実雇用率の比較的高い産業に集中しており、また女子の若年層等、キャリアの低い労働者の失業が目立つことから(1982年、男子7.9%、女子9.6%)、従来から障害者雇用の吸収の面で貢献度の高かった産業での失業率の高さが、今後の障害者雇用に与える影響が懸念される。

 ところで、西ドイツにおける割り当て雇用制度は、わが国における障害者雇用対策の手本ともなったものであるが、フランス、イギリス、オランダ等の西欧諸国がそれぞれ法定雇用率を設定しながらも、代償金制度を伴わないゆるやかな方法を実施しているのに対し、西ドイツでは、わが国と同様、雇用率未達成の事業主からは代償金を徴収しており、その額は一人につき月100ドイツマルク(1ドイツマルクは約80円。現在、150マルクに上げることを議会で審議中であるとの情報が寄せられている)。徴収された代償金(徴収業務は中央扶助事務所が行う)は、6%の雇用率を超えて障害者を雇用する事業主への助成として使われ、雇用の継続及び企業内職業訓練の促進などに充当される。さらにこれらの代償金は、重度障害者の職業生活への統合を援助するための給付にも使用される。それらには、自営のために必要な設備費、通勤費、住宅費等障害者個人に対する給付がある。また、前述の若年者のための障害者職業訓練センターや、成人のための職業リハビリテーションセンター、さらには作業所や障害者向け住宅の建設等にも代償金からの支出がある。

 このように、事業主に対する直接的な助成措置のみならず、障害者個人への給付や、リハビリテーションセンター等へも代償金が使用されている点は、わが国の納付金制度が事業主助成の枠内に限定されているのと比較して大きな相違点となっている。

 3 保護雇用

 一方、一般雇用に結びつくことのできない障害者のためには、作業所があるが、「重度障害者法」では、この作業所を「障害者の労働生活への復帰のための施設」と位置づけ、障害者の「作集能力を開発、向上または再習得し、かつ作業能力に応じた労働報酬を取得できるものでなければならない」としている。西ドイツの場合は、イギリス、オランダ、フランス、スウェーデン等、雇用対策の一環として保護雇用を位置づけている国々とは違い、職業リハビリテーションとしての位置づけがなされている。この点では、アメリカの場合と似ており、作業所と障害者との間に雇用関係はない。

 実際には、1979年、280ヵ所の作業所で36,000人の障害者が働いている。「重度障害者法」では、障害の種類や程度のいかんを問わず、すべての障害者に門戸を開放しているとしながらも、障害者が最低限度の経済的効用のある労務の提供を行うことができる場合に限定しているために、極めて稼得能力のない障害者は親の会などが運営する作業所などに吸収されている。

 保護雇用下の障害者の賃金は一般労働者の1/6~1/3に過ぎず、連邦政府等からの賃金補助はなく、障害年金や生活扶助給付によって補てんがなされている。1975年に制定された障害者社会保険法では、先天性または幼少時からの障害者で、稼動生活を送ったこともなく、年金権もない者のうち、公認の作業所で就業している者については、年金保険及び疾病保険への加入義務が課せられ、一般の労働者の平均報酬を基準とした年金額を受け取れるようになった。

 また、作業所に対する援助としては、建物、機械設備及び運営費に対する補助、委託と代償金との相殺――作業所に委託を行う使用者は、その計算額の30%をその都度納付すべき代償金に通算することができる――、公共機関による優先発注などがある。

Ⅶ 所得保障

 社会保険制度には、被用者を対象とする労働者年金保険、職員年金保険、鉱山従業員年金保険が、自営業者等を対象とする手工業者年金保険、農民年金保険、自由業老齢保障及び公務員を対象とする公務員援護があるが、このうち被用者を対象とするものを例にとれば、障害年金としては、職業不能年金と、稼得不能年金がある。前者は被保険者が疾病、その他の障害または心身の虚弱のため、その者と類似の教育を受け、同等の知識や能力を持つ心身の健全な披保険者に比べてその稼得能力が半分以下の者に対して支払われる年金である。

 後者は、被保険者が同じ理由のために、当分の間はある程度の規則的活動をなし得る状態にないか、または稼得活動ではわずかな収入しか得ることができない者に支払われるものである。

 わが国のように無拠出制の障害福祉年金のような制度のない西ドイツでは、年金権のない者は、社会扶助の生計扶助によって直接的な所得保障が実施される。

Ⅷ 福祉サービス

 1.障害児・者福祉サービス

 リハビリテーションを基調として障害者の社会編入を総合的に考えていこうとする西ドイツの障害者福祉は、その福祉施策・サービスについて、わが国のような狭義の福祉立法ではなく、重度障害者法及び連邦社会扶助法の中に総合的に盛り込まれている。

 例えば、連邦社会扶助法では、いわゆる生計費のための扶助のほかに、特別な生活状況に対する扶助が設けられており、障害者福祉に関わる扶助として、(1)生活の基礎づくりと確保のための扶助、(2)障害者社会編入扶助、(3)盲人扶助、(4)介護扶助などがある。

(1)生活の基礎づくりと確保のための扶助は、経済的に十分な生活の基礎を得ることができない場合に補助や貸付金によって、できる限り自立した経済的な生存を維持させ、または生存の危険にさらされている状態から保護するための扶助である。

(2)障害者社会編入扶助は、すべての障害の結果からくる不利益に対する援助により、生活や職業を準備し、自立した生活設計を立てていくという広義のリハビリテーションの意味の扶助で、その中には、障害の危険の防止、障害とその結果の除去及び緩和、障害者の社会参加への援助等がすべて含まれる。

 このように障害者社会編入扶助は、その幅広い目標設定により、その対象も広くに及んでおり、身体障害者とその危険性のある者、視力障害者と失明のおそれのある者、聴力障害者及び言語障害者、精神薄弱者、精神障害者、情緒障害者などに適用される。

 このように幅広い障害者を対象として、それぞれの障害に合った援助を計画的に行うために、種々の特別な施設や福祉サービスが用意されている。

(3)盲人扶助は、盲人が多くの場合、その障害を通じて同伴者、援助者、介護者を必要とし、文化生活に参加するためには特別な手段がなければならないが、そのためにかかる特別な出費を補うために行われる扶助で、一定の条件が満たされていれば金銭給付で行われる。

(4)介護扶助は、疾病または障害のある人で、家族や親族、近隣の人々の援助が全く得られない者に介護の手当を支給したり、介護人を派遣するものであり、在宅介護と施設介護がある。また個別的な介護の援助だけでなく、必要な場合には家事を継続させるための援助も行われる。

 これらの援助サービスは、大きく分けて早期訪問医療、在宅介護、ホームヘルプなどの在宅サービスとコロニー、各種センター、通勤寮、グループホーム、作業所などのいわゆる福祉施設サービスとに分けることができるが、西ドイツにおける社会福祉サービスは、連邦国家の性格から、連邦を構成している各州の自治権が強く、連邦はナショナル・ミニマムとしての基本的な法の整備や財政援助を受け持ち、その実施はすべて州、市町村レベルで行われている。従って、在宅サービスにしても、福祉施設サービスにしても、それぞれの自治体のニードに合ったものを住民との合意で設置、運営するもので、わが国のように法的に型にはまったものではない。しかも社会福祉施設の設立、運営について、西ドイツでは伝統的に教会や宗教団体を中心とした民間の社会福祉団体の活動が活発で、ほとんどの社会福祉施設はこうした民間団体の設置、運営するものである。

 2.民間社会福祉団体

 各州や市町村、教区にも支部を置く全国的な組織の民間社会福祉団体は、①ドイツ・カリタス団体、②ディアコニス団体、③ドイツ中立社会事業団体、④ドイツ赤十字社、⑤労働者社会福祉団体、⑥ドイツ・ユダヤ教中央福祉団体の6団体で、この6団体がほとんどの福祉施設の設立、運営にあたっている。また、この6団体によって民間社会福祉の利益代表機関として、関係社会立法や社会的事業に関する助言などを行っている。

 以上のほかには、戦争犠牲者、視覚障害者、聴覚障害者などのいわゆる当事者団体や、精神薄弱児のための生活援助団体などのような親の会などがあり、通園施設や作業所などを設置している。

 これらの社会福祉団体は、西ドイツのほとんどの社会福祉施設を設置、運営している関係から、その事業内容は極めて広範囲にわたっているが、ここでは主要5団体の事業概要を表2に示したので参照されたい。

表2 主要民間社会福祉団体の事業概要
団 体 名 構 成 組 織 設置・経営施設数 専任職員数 備   考
ドイツ・カリタス団体1897年 司教区カリタス団体、行政区、地区カリタス団体、30の専門領域別組織 19,134 164,700人 障害者施設、障害児通園施設、福祉作業所、市町村看護ステーション、家事サービスステーション、専門養成校710校、定員26,780人、利用者100万人以上
ディアコニス団体1957年 新教教会内地伝導団体、戦争と戦後の困難克服援助団体 15,671 130,000人 障害者施設、障害児通園施設、看護ステーション、中毒患者の相談機関、駅の緊急保護所、専門職養成校400校、定員14,000人、利用者総数約63万人
ドイツ中立社会事業団体 特定の宗派に属さず、特定の世界観によらない団体、社会活動と青少年事業団体 3,000 家事・家庭サービス, ユースホステル、専門養成校60校、中央養成機関に看護高等専門学校付設、利用者総数約16万人
ドイツ赤十字社1921年 ドイツ赤十字同盟、祖国婦人奉仕団、49の看護婦団体 100

看護婦
15,500人

一般病院、小児病院、療養所、地方血液センター管理、救急看護や家庭看護講習会、看護婦養成機関約100校
労働者社会福祉団体1919年 5,500の地区団体、会員30万人 3,000 5,000人
以上
通所・収容施設以外に、老人保養施設、在宅老人の世話、地域老人センター、専門職養成機関など、事業協力ボランティア約8万人

Ⅸ 生活環境

 障害者が社会に統合されるには、住宅や都市、移動など生活環境の整備が不可欠である。ドイツでも1960年代には赤十字や障害者団体など各方面から障害者用の施設や住宅を建てること、ならびに建築上の障害を取り除くことなどに関する提案がなされた。このような提案を受けて連邦政府は、1970年「障害者の社会復帰を促進するための行動プログラム」の中に、建築上の障害を取り除くという一項を盛り込んだ。1972年には、ドイツの規格基準DINに、障害者の生活環境の整備に関する項目が織り込まれた。最初に重度身体障害者の住宅に関する規定DIN18025が、続いて公共建築物に関するDIN18024が公布された。DIN18025は「重度障害者の住居設計原則」と題され、その1では車いす利用者のため、その2では視覚障害者のために、寝室、台所、各種設備等細部に及ぶ基準を定めている。DIN18024は「公的範囲における建築上の障害者および老人対策設計原則」と題され、その1では歩道や駐車場など外部の仕様、その2ではスロープやドア、エレベーターなど建物内部の仕様をそれぞれ規定している。これらの基準は、ほとんどすべての州で適用され、公的住宅建設の融資条件として強制力をもっている。ニーダーザクセン州やラインファルツ州では、この基準を建築法規に転用しており、他の州も同様の扱いをする方向にむいている。

 連邦政府は障害者の生活環境を改善するため努力してきたが、DIN制定からほぼ10年たった現在、規定の範囲、基準の整合性などの見直しを行いはじめた。不必要な基準をはずすことによって、全体の基準達成度を上げようという方向にむいている。

Ⅹ 専門職

 リハビリテーションを医学的、職業的、社会編入のためのと幅広く考えるとき、それぞれのリハビリテーションに関係してくる専門職も、医師、心理、理学療法士、作業療法士、言語治療士、ソーシャルワーカー、養護学校教師、治療教育主事、社会教育主事、保母、職業訓練指導員、技術者と多職種にわたることは当然であろう。専門職については国家資格によって身分が保障されている。また、再教育や追加教育の道も開かれていて、新しい資格が加えられるごとに給料も上がるようになっている。

 早期療育に関しては、障害の診断とセラピーが連続することが大切であるという認識にたって、1960年から70年代にかけて、各都市に大規模な小児センター、小児神経学センターが次々と建設され、医師の診断と心理テストに基づいて各種のセラピストと保母と治療教育主事等がチームを組んで治療に当たるという学際的アプローチが実施された。しかし、1970年代の後半からは、とくに親の会連合会の強い要請により、小規模な早期療育相談センターが各地につくられるようになった。例えば、バイエルン州には100を超えるこの種のセンターがあり、州全体をカバーしている。ここでは、サイコロジストを中心に、ソーシャルワーカー、理学・作業・言語治療士、嘱託医がチームを組み、共同で診断し、療育プログラムを立て、主として家庭訪問による療育指導にあたっている。

 養護学校制度に関しては、肢体不自由児、学習遅滞児、言語障害児、視覚障害児、聴覚障害者児の養護学校が別々に設けられている。教員免許状もそれぞれ別になっているので、その意味では専門性が高いということができるが、その半面、特殊教育が分化しすぎるという問題も抱えている。

 世界的な傾向ともいえる統合教育の試みは、このように養護学校が制度として確立している西ドイツにあっては、1973年、ドイツ教育審議会が連邦政府に対して「障害児と障害のおそれのある児童の教育促進に関する勧告書」を提出したときから、とくに活発になった。障害児と非障害児の交流教育や統合教育の正当性と必要性が強調されたので、100以上の学校が連邦や州のモデル校の指定を受けて統合教育のあり方を実験的に模索した。しかし、養護学校の教師が一般の学校に出向いて授業することに対して、一般学校の教師からの強い反発があったために、それらが主流にはなり得なかった。

 職業リハビリテーションに関しては、単に職業を取得させるというだけではなく、定期的医学的診断、必要な治療、心理適性検査、カウンセリング、社会制度や社会サービスの斡旋等を併せて用意することが必要であり、そのためのスタッフも重要な役割を果たしている。

 社会編入のためのリハビリテーションの機関としては、障害児の養護幼稚園、障害者のための作業所、通勤寮、グループホーム、余暇センター等がある。これらは社会福祉や社会教育の領域で、保母や指導員、セラピスト、治療教育主事、社会教育主事等が主なスタッフである。指導員、ソーシャルワーカー、社会教育主事は3年制の専門単科大学で養成されている。専門単科大学という名称は1973年の教育改革から用いられるようになったもので、専門学校が大学レベルに格上げされたものである。格上げされたといっても職業養成学校であることには変わりなく、ただ入学資格を9年制のギムナジウム卒業者にしたというものである。

引用・参考文献 略

*上智大学教授
**身体障害者雇用促進協会
***全国社会福祉協議会
****身体障害者雇用促進協会


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1985年7月(第49号)27頁~37頁

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