特集/教育とリハビリテーション 障害者のスポーツと障害児教育

特集/教育とリハビリテーション

障害者のスポーツと障害児教育

中川一彦

1.はじめに

 わが国では1964年のパラリンピック以来、障害者のスポーツが年々盛んになり、全国身体障害者スポーツ大会も22回目を迎えようとしている。

 本稿では、わが国の特殊教育諸学校が、多様化、重度化、重複化の問題を抱え、片や普通学校では真に個性を伸ばす統合教育の困難さが目立ち、例えば体育について言えば、“決定的に不利な『保健体育』の内申書”のような新聞の見出しも見られる状況において、わが国と世界の障害者スポーツの動向を紹介し、障害児教育における体育のあり方を採ってみることとする。

2.わが国の障害者スポーツの動向

 わが国の障害者スポーツは、そこに赤子の存在と同じように障害者がいたから差し伸べられた援助の手によるものであり、集団状況は成立したのであったが、障害者自身は内在的存在であり、その適応は、赤子のように依存的適応に満足するところから展開・進展してきたのである。(図1)

図1.障害者のスポーツ集団状況の発展段階

図1.障害者のスポーツ集団状況の発展段階

 しかしながら、極く近年まで、障害者は誘いを受けたままもう一歩前進することができず、本来活発な活動期を迎えるときに自由な活動を制約され、欲求不満をつのらせ、“誘い”には乗ってみたものの、どの道を、どのように進んでいったら“みんな”という仲間に入れてもらえるのかわからずに、迷子になっている歩きだしたばかりの子供のような状態にあり、内接的に集団を形成したものの、その存在は、内在内接的存在であったのである。

 言い換えれば、障害者が生きる支えとして仲間を求め、障害者だけが集まり、スポーツを楽しむようになってきたのであるが、その適応は、外在的存在者としての健常者による外接的運動と内在的存在者としての障害者自身の内接的運動、例えて言えば、「制約させる」と「制約される」の関係から生まれるところの消極的適応、つまり妥協を余儀なくされていたのである。

 そして現在、このようにして芽生えた仲間意識や“自らの世界は自ら開く”というような力と成功感は、障害者自身が、自発的に、生きがいの動機づけとして、言い換えれば、レクリエーションとしてのスポーツを求めるようになり、障害者自身の市民スポーツを広げつつあるのである。

 もちろん、成立段階にある集団(例えば、日本スペシャルオリンピック委員会、日本盲人卓球協会、日本肢体不自由者卓球協会、そして日本身体障害者水泳連盟など)もあるが、形成段階にある日本ろうあ体育協会や日本身体障害者スポーツ協会、そして日本車椅子バスケットボール協会や日本身体障害者スキー協会などの働きもある。これらに加えて、集団状況の転換したものとして東京都にあるハンディスポーツクラブなどが、更に、統合されたものとして日本身体障害者アーチェリー連盟などがあり、一層の統合と拡大を目指し、障害者のスポーツやレクリエーションを中核に、障害と健康をテーマにした情報誌『戸山サンライズ情報』も1985年から発刊(日本障害者リハビリテーション協会発行)されるようになってきたのである。

3.世界の障害者スポーツの動向

 障害者スポーツの歴史は、世界的にみてもやっと100年になるかならないかのところである。

 世界で最初に組織された障害者のスポーツクラブは、1888年にできたベルリンの聴覚障害者のものとされているが、医学的治療の一補助手段として導入されることの多かった身体活動を、人類共有の文化として障害者が楽しむスポーツ(sports)にまで高めたのは、医科学の進歩に伴う疾病構造の変化、言い換えれば死亡の激減に伴う慢性的疾患や障害者の増加と、この事実に対する思想の変化、つまり残された能力をいかによく発揮させるかという人間に対する尊厳とその対応の仕方によるものであると考えられているのである。

 20世紀における障害者スポーツの発展の貢献者は、グッドマン(Sir L.Guttmann, 1899-1980)である。

 彼は、1948年、第14回オリンピック・ロンドン大会の開会式の日、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内(Stoke Mandeville Hospital)で、戦争で傷ついた脊髄損傷による車椅子使用の下半身まひ者16人の参加を得て、アーチェリー競技会を催したのである。

 この競技会は、1952年、オランダからの参加を得て国際的な大会となり、1985年の第34回大会には36ヶ国からの参加を得、国際ストーク・マンデビル競技大会(ISMG)として発展しているのである。

 ISMGは、1960年、イタリアの関係者の熱心な招きを受け、ローマオリンピックのあと、同じ会場と選手村を使用して開催される運びとなり、以来、オリンピックが開かれる年にはイギリスを離れ、オリンピック開催国でという原則もできあがったのである。

 ISMGは、1976年、主に切断者と視覚障害者を対象にしていた国際障害者スポーツ協会(ISOD、1962年設立)の働きと合し、カナダで、第1回障害者オリンピック競技大会を開催し、更に、1980年には脳性まひ者をも含め、国際オリンピック委員会からは“オリンピック”という名称の使用を公認されてはいないが、陸上競技、水泳など極く一般に行われている競技種目を中心に、車椅子使用者のためには、卓球、アーチェリー、バスケットボール、重量挙、玉突き、射撃、フェンシング、ローンボウルを、切断者のためには、卓球、アーチェリー、重量挙、玉突き、射撃、ローンボウル、バレーボールを、視覚障害者のためには、ローンボウル、ゴールボウル(バレーボールの一種)を、そして脳性まひ者のためには、射撃、馬術、アーチェリー、卓球、フェンシング、自転車を加え、障害者のオリンピックとして位置付いてきたのである。

 この他、障害者スポーツの国際的な団体としては、1924年から4年に1度、国際スポーツ大会を開催している国際ろうあスポーツ委員会(CISS)や、1968年から精神薄弱者のためのスポーツ大会を開催している国際スペシャルオリンピック委員会(ISOC)などがある。

 CISSは、第1回大会のとき、欧州からの9ヶ国の参加を得て、フランスで開かれたのであるが、1985年の第15回大会には、日本をはじめ37ヶ国の参加を得、また、ISOCは、第1回大会をアメリカで開き、1983年の第6回大会には、52ヶ国の参加を得、それぞれ発展しているのである。

 ところで、国際障害者年の頃から、ISODの翼下にあった切断者は、国際切断者スポーツ協会(IASF)を設立しようと努力し、同じように視覚障害者は、国際盲人スポーツ協会(IBSA)を、そして脳性まひ者は、脳性まひ国際スポーツ・レクリエーション協会(CP-ISRA)の存立に努めるようにもなってきたのである。

 このような動きに呼応して、国際ストーク・マンデビル競技委員会(ISMGF)、ISOD、そしてCP-ISRAは、各種障害者の国際的スポーツ団体の上部組織として、それぞれの働きを調整するための機関として、国際調整機関(ICC)を1983年設立したのである。

 そして、1984年、アメリカで開かれた国際身体障害者スポーツ大会は、ICC主催の大会として初めて実施され、その翼下に、ISMGFやISOD、そしてCP-ISRAの主幹する競技会が行われたのであった。

 また、1985年のCISSの大会に際しては、国際ろうあスポーツ委員会のICC加盟も前向きの方向で話題になったのである。

 近年、世界の障害者スポーツは、エキジビションではあったが、1984年のロスアンゼルスオリンピック大会における陸上競技、女子800m、男子1,500m車椅子競走が示すように、障害者自身が統合を求め、各障害団体毎の国際大会はもとより、障害の枠をはずした種目別世界選手権大会の開催、そして児童・生徒のような若年層を対象にした世界大会の開催などと多様化し、障害者スポーツの集団状況は拡大し、障害者は、創造的適応行動のとれる存在として全面的に発達してきているのである。

 4.障害児教育におけるスポーツの役割

 学校教育における体育は、その素材として各種の身体活動を用い、心身の発達、運動技能の習得、社会的態度の育成、知識・理解の発達、そして情緒の発達をその目標にしている。

 体育の素材である身体活動はスポーツ(sport)と言われ、衆知のように、遊戯から生まれたものである。

 つまり、最も未熟な行動によって欲求を満たそうとする行動、言い換えれば遊戯(play)は、子供の発達とともに変化し、社会生活を模倣し、社会の規範を遊びの中に文字や言葉を介して持ち込み、ルールのある遊びを育て、5歳前後からの各種のゲームや運動遊びになり、各種のレクリエーション活動や運動競技と言われるスポーツ(sports)に育っていくのである。(図2)

図2.遊戯からスポーツ(sports)への発展

図2.遊戯からスポーツ(sports)への発展

 一般には、種々の身体活動を一言にスポーツ(sport)と言っているが、そこには、技術の程度やルールの制度化の程度が高い運動競技と、それぞれが低い、遊戯としての性格を多分に持ち合わせている身体運動と呼称される身体活動が含まれているのである。

 それ故、学校教育における体育では、一般的に言って、運動の機能や技能の発達水準の低い段階においては各種の身体運動を身体の操作能力を高めるために学び、運動機能や技能が高まるに従い運動競技と言われる各種のスポーツ(sports)を楽しめるように教授され、学ぶということになるのである。

 つまり、遊びであれ身体運動や運動競技を内容とするスポーツであれ、体育の場面で素材となる各種の身体活動は、器官の発達、神経筋の発達、知識理解の発達、社会性の発達、そして情緒の発達と分類される伝統的な体育の目的を満たし、障害者の発育・発達に好影響をもたらすものでなければならないのである。(図3)

図3.遊びとスポーツの意義

図3.遊びとスポーツの意義

 5.障害者スポーツと障害児教育

 わが国の特殊教育諸学校における教育には、養護・訓練という領域がある。

 養護・訓練は、「児童・生徒の心身の障害の状態を改善し、または克服するために必要な知識、技能、態度および習慣を養い、もって心身の調和的発達の基盤をつちかう」ことを目的に、教科としての体育とは別に加えられているものであるが、その内容に、感覚機能の向上や運動機能の向上という、体育の目的である器官の発達や神経筋の発達と相似の部分がある。

 そして、体育の代りに養護・訓練をの声を聞くこともあるが、実際、各学校で実施されている養護・訓練の内容をみても、いわゆる体育的活動のしめる割合が高いようである。

 本来、養護・訓練は、障害児の学習レディネスを補い、高め、発達を保証するための教育活動であり、身体の諸活動という観点からみれば、モーターのトレーニングのために、感覚・運動系の発達を促し、また、ポンプのすげ替えや修繕といった矯正的内容を持ち、教育の下部機構を担いながら、その一般性と特殊性という二面を持ち、それらが有機的に結合し、障害児の教育において重要な役割をはたす領域であり、欧米では、Corrective Physical Educationとして位置付けられている体育の一分野なのである。

 一方、障害児教育における体育は、培ったモーターのトレーニングを土台に、統合されたモータ-のトレーニングのためのプログラムとして、障害児が障害故に失敗することのないように配慮した各種の身体活動を素材にした教科であり、欧米では、Adapted Physical Educationと言われているものなのである。(図4)

図4.感覚・運動系と特殊体育の関係

図4.感覚・運動系と特殊体育の関係

 ところで、教育の目的は人間の環境に対する適応力を高め、行動変容とも表現される生きる力をつけ、与えることにあるととらえることもできる作用である。

 この意味において、わが国の障害児教育で、体育がおろそかにされ、養護・訓練にだけ重きが置かれることなく、例え障害はあっても、“障害を持つ人”の発達を促すという考え方を大切に、Adapted P.E.として障害者のスポーツにも目を向け、障害児に、積極的に社会参加の機会を促し、身体的、精神的、そして社会的リハビリテーションの機会を与え、障害児の社会的再統合あるいは統合をはかるよう働きかけて欲しいものである。

 6.まとめ

 インテグレーションやメインストリーミングが大切にされている今日、障害者スポーツの動向と障害児教育における身体活動の積極的活用の必要性などについて述べてきた。

 脳性まひ者の松兼功は、「体育の授業を通じて、運動をする意義と楽しさの、そして自分達もやり方や施設しだいではスポーツやゲームができるのだという認識を持たせ、学校の体育以外でも、積極的に様々なスポーツやゲームに参加できるようにしていくべきだと思う」と『学校体育への注文』の中で述べ、第20回全国身体障害者スポーツ大会で奈良県選手団の役員を務めた養護学校教師は、「私の勤務している学校からも生徒が1名参加しましたが、大会に参加後、見違えるほど社交的になり、生き生きして学業に、生徒会活動に励んでいます。全国のいろんな人たちとの交流がそうさせたのだと感じています。学校における身障者のスポーツについての取り組みも、もっと積極的に進めていかなければと痛感しております」と大会の思い出に書いている。

 障害者スポーツは、教育の方法として、障害を持った人々が、一生懸命、強く生きようとする勇気と力、そして自信を与えることのできるもののひとつなのである。

参考文献 略

筑波大学体育科学系助教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1986年3月(第51号)9頁~13頁

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