特集/教育とリハビリテーション 幼児学校における視覚障害児

特集/教育とリハビリテーション

幼児学校における視覚障害児

Visuall handicapped children in the infant school

Heather Jones
遠藤明子**

 この研究は、地域の小学校の幼児クラスで、教育を受けはじめた少数の盲幼児に関するものである。ここでいう小学校の幼児クラスとは、村の小学校の場合もあるし、身体障害児のための地域の学校の場合もある。身体障害児の学校にいる子ども達は、大部分二分脊椎であり、脳水腫治療のために入れた管がふさがって、幼少の頃から全盲になったのである。私がここで、視覚障害ではなく盲という言葉を使うのは、子どもたちが、教育のすべての場面において、残存視力を有効に利用していないからである。

 普通児のための教育システムに視覚障害児を統合するにあたって、その場面の複雑さについて強調したい点が、いくつかある。

 1 1972年10月、重要な報告書「視覚障害者の教育」(HMSO)が、教育科学大臣の諮問による調査委員会によって出版された。この報告書は、普通学校における教育に関して次のように述べている。

 最近の傾向として、障害のない子ども達もそうであるが、障害児はとりわけ多くのニーズをもっていることが強調されている。しかし、この考え方は、利点があると同様に危険でもある。つまり、障害児は、他の子どもと全く同じ教育的な取り扱いを受けるべきだというニーズを導き出すことになるのである。が現実は、視覚障害児は、特別な設備が与えられない限り、普通学校で望ましい発達を遂げることは出来ないのである。

 2 バーミンガム大学の視覚障害教育の研究センターの所長マイケル・トービン(Michael Tobin)博士は、最近、普通学級の中に、視覚障害児を受け入れることに対して、経験のある教師と見習い中の教師の意識調査を行なった。(『盲人の教師』、盲教員養成校発行、1972年)これによると、教師のうちの80人が、専門の教師ではなかった。そして彼等には、匿名で特別なニーズをもった8つのグループの子ども達についての知識や好みに関する質問の評価表を記入するよう依頼された。そのグループというのは、次のような子ども達から成るものである。即ち、教育遅滞児、天才児、盲と弱視児、聾と難聴児、不適応児、非行児、身体障害児、及び言語障害児である。この教師達には、調査者の主な関心が、視覚障害児に対するものであることは、何ら知らされていなかった。結果の表では、優先的な指導の必要性と特別なニーズをもつ子ども達についての知識に関する項目では、盲と弱視児はリストのうち最低の関心しかなかった。このことは、統合グループにおける視覚障害児の受け入れが、比較的好意的でないということと関連している。トービン博士は、さらにこういっている。統合についての質問を、単に普通児の教師が現在もっている知識や態度に基づいて判断することは賢明ではないし、統合教育の成功は、ひとえに教師の能力や受容の広さにかかっているのである、と。

 3 イギリスの盲教育は、長い歴史をもっている。最初に設置された4校は、18世紀末以前に創立された。これらは、すべて寄宿学校であり、後に設置された多くの盲学校も又、これに倣った。その結果、実際、盲教育に関して資格のあるすべての教師達は、今日では寄宿学校に勤務している。そのため、寄宿学校とは関係なく統合教育の援助が出来る、地域のどこの学校でも依頼できる専門の教師が、非常に少ない。専門の教師を依頼できないのはある地域には、盲児がほとんどいないということもあるからである。1971年には、教育可能な1,207人の盲児と、2,335人の弱視児が、視覚障害児のための特殊学校で在学しているか、または、入学待機中であった。

 4 留意すべきもう一点は、視覚障害児が統合教育から確実に利益を得ることを可能ならしめるために整えなければならない、受入れ側の尨大な準備や設備についてである。

 統合教育による二つの成功例を紹介しよう。それは、寄宿制盲学校に在籍しつつ、地域の中学校で勉強した、選ばれた子ども達の例である。一つは、1961年来、リバプールのセント・ヴィンセント盲学校の5・6人の生徒が、0レベルやAレベルを取得するために、毎日、地域のグラマー・スクールで専門コース(Academic Courses)を履修しているケースである。もう一つは、1969年以来、シェフィールドのタプトン・マウント・スクールの7人の生徒が、総合制中等学校(コンプリヘンシブ・スクール)に通学して、そのうちの幾人かが、今年0レベルを、取得しようとしているのである。

 1972年のレポートから再び引用してみよう。コンプリヘンシブ・スクールでの極く少数の子どもに必要とされる援助は、極めて広範囲にわたり、また複雑なものである。シェフィールドでは、4つのグループ(このうちの1つは、ウエィクフィールドの囚人達のグループである)と、大勢の人々が学校で使用されている普通の教科書と共に、外国語、数学を含む大部分の教材を、点訳している。多くの人々が、サーモフォームでの複写を手伝い、また他の人は、テキストをテープにふきこんだり、地図の輪郭をかいたりする。また、教員養成大学の学生や他の人々は、地図や教科書の図表をかいたり、科学的な器具や装置を製作したりしている。子ども達自身も、コンプリヘンシブ・スクールの勉強についていくために、能率的に勉強すること、宿題をタイプすること、テープ教材での勉強、自分自身のノートを録音することなどを学習しなければならないのである。生徒達には、専任の教師がついている。彼等は、毎日の勉強の準備の他に、夜も子ども達に学習指導をしなければならない。

 リバプール方式は、多くの努力が必要とされている。つまり、すべての勉強は、チェックされなければならないし、予想外のことが起りうるからである。例えば、新任の教師が時によっては、クラスのために教科書を変えたりする。すると、これを点訳するのに、何週間もかかるわけである。この方式の成功に大きな貢献をした2つの学校には、巡回教師が配属されている。

 統合教育に関しては、他にまだ考慮すべき点が多々あるが、上述のように昨今の統合教育は、ごく少数の子どもを対象とするものであることは、明確であろう。生徒のために統合教育が、ほんとうにためになるには、たとえ設備が充分整えられ準備されている学校があったにしても、設備のためのもっと多くの準備がなされなければならないのである。

 リッキー・グランジにおいて、私達は、家が遠く5歳で寄宿学校に入学するには幼なすぎる子どもの世話をしている。週に1回来るように子どもと打合せ、少し時がたったところでそれをのばして1泊し、その後1泊2日にするというように徐々にこれを増やし、週単位にもっていった。家が近かったり、地方教育委員会に送り迎えをしてもらえる子どもは、毎日通学する。

 私達は、幼ない子どものいる家庭との連絡により、情報を提供したり、援助や指導をして、就学前のサービスをしている。両親には、子どもの就学前に学校を訪ねるよう勧めている。そうすれば、両親は、学校にどのような設備があるのかということが分る。この方法の最もいいところは、勿論、校内で子どもを教職員の、個人的なふれ合いがあるということである。こういうふれ合いを通して得られる知識や信頼感は、これに関わっているすべての人にとって、家庭から学校への移行が、容易に行なわれるのである。このサービスは、地域の小学校に入学する子どもにも適用される。現在、私達は特別指導の教師や初等段階で学ぶに必要なものすべてを用意することはできないだろう。

 就学前サービスのひとつとして、地域のプレイグループや保育園との接触がある。子どもがそれに参加したり通園することにより、大いに得るものがあるし、必要な援助が関与したグループに与えられる。普通児の活動に参加すること、そしてそれによって、家庭では得られないような様々な経験をすることは、とても有意義なことである。子どもは、短期間家庭から離れることに慣れ、他人とも喜んでつき合えるようになる。こういうこと全てが、5歳での就学を、かなりスムーズにしてくれるのである。

 子ども、両親、家族の他のメンバーにとって、すべてがうまくいっていて、地域の学校長がその子どもを初年度から受け入れる用意があるとか、教育長や地方教育委員会や校医らが、同意した場合、私達は、必要な助言や特別な専門的指導をすることができる。

 ほとんどのケースの場合、家族は、子どもの就学以前に、教師をよく知っている。つまり、ほとんどの子どもは、小さな村の学校にいるからである。一般に身体障害児校の子ども達は、遠く離れて住んでいるが、教師達はすでに身体障害の子ども達によく慣れている。そしてこのことは、援助を始めるに際して大切なことである。しばしば子どもは、自分と同年齢の子どもと共にプレイグループに参加し、ほとんどの子どもが、自分と一緒に小学に入学するということを知っている。ある時は、子どもの母親が就学前グループの組織者であったり、ヘルパーであったりするので、学校の幼児担任の教師をよく知っている。

 子どもが5歳で学校に行く前から、私達は、すでに年少グループの教師を知っており、彼女にリッキー・グランジを訪ねるよう勧めたり、きちんとした沢山の情報を提供したり、その情況について話し合ったりする。彼女は私達が提供できる援助やその可能性について知っている。二つの学校は、連絡したり訪問したり、贈物やテープを交換し合ったりする。普通校で利用されている多くの設備は、私達が盲児の指導に使うものと同じものである。時には備品を追加することもあるが。

 経験から学ぶという教育方法は、私達がかかわっているすべての学校で行なわれており、この方法は、盲児にとっても理想的である。自分の受け持ちのグループで、日頃、様々な興味ある授業をしているベテランの教師達は、盲児をグループのメンバーに受け入れることが、いかに多くの利益をもたらすかということを述べている。子どもの嗅覚、聴覚、触覚をもっと使うよう指示し、このように感覚器官をフルに働かせることは、より多くのことを、しっかりと学習することができるのである。盲児の措置については、私達は特に恵まれているということをつけ加えたい。盲児を受け入れたということが、非常に刺激的かつ満足であったといっている教師達のすばらしいグループがある。

 いったん、子ども達が学校で落ちつき、学業に進歩をみせ始めると、私達はしばらく学校を訪問しない。このことは教師に、子どもの能力を見つける機会を与えているのである。この間教師は、私達が与えた様々な考えを試みたり、問題点に気づくであろう。この初期段階で子どもは、触覚判断の訓練を受け、点字が、椅子や箱にはられはじめるのである。教師や他の子ども達は、点字が何であるかを知っており、自分達も又印刷された文字をもっているのと同じように、みんなも点字を認識する。

 子どもに準備ができると、私達は点字の初歩を教えはじめ、点字器を用意する。(まもなく、子どもはひっかくと臭いがしたり、実物の絵のついた絵本をもつことができるだろう)教師も少しずつ点字について知るようになり、多くの場合、両親もそのようになる。私達は普通の成人に点字を教える場合、違った方法を用いる。彼らは、まず目で点字を見て読むことをおぼえるが、これは触覚による学習より、はるかに早いのである。

 点字は、覚えるには時間がかかり、かなり複雑なシステムである。aという字をaに、bという字をbに印刷するのではない。6つの点を基本とする連続のシステムである。多くの記号が、この点々で記され、時には、‘ment’や ‘action’で終るような単語が、ひとグループの点々で記されることもある。同じシンボルでも、その単語の中の位置によって、違うことを意味することもできる。

 現在、この計画はいまだ実験中である。私達は約1年間この計画をずっとすすめてきたが、まだリッキー・グレンジに来た子どもは、一人もいない。私達はその価値を教育的な専門用語で評価することは出来ないが、子どもが来てくれた時は、少なくともここにいる子ども達と同じレベルに到達するであろうし、より長い期間家庭生活をしたという利点と共に、更には週単位の寄宿生活によって、何かもっと有益なことが準備されるであろう。

(出典:Loring, James & Burn Graham. Integration of Handicapped Children in Society. London:Routledge & Kegan Paul, 1975)

Senior Education Adviser and Parent Counsellor, Royal National Institute for the Blind, Lickey Grange School
**日本女子大学 文学部助教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1986年3月(第51号)27頁~30頁

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