特集/教育とリハビリテーション 前進と実行

特集/教育とリハビリテーション

前進と実行

─国際特殊教育会議への参加報告─

三沢義一

 はじめに

 国際特殊教育会議(International Special Education Congress, ISEC '85)がイギリス主導により、1985年7月16日から7月19日まで、ロンドンの北方約150kmのノッチンガム大学(Nottingham Univ.)で開催され、筆者を含めて、日本から10名が参加した。ここにその会議のあらましを紹介したいと思う。

 ノッチンガム市は、ノッチンガム州の州都で、歴史の古い街である。1642年チャールス一世がここで旗挙げしたとされている。イギリス王室との関係が深く、何世紀にも亘って、国王の王宮が設けられ狩猟の足場にされた。有名なロビンフットのゆかりの地でもあり、市の中心部のお城には、その銅像がある。詩人バイロンもこの地に住んだ。

 大学は市の中心部から少し離れた郊外にあるが、広々とした構内には古木が多く、緑の芝生とよく調和している。特殊教育関係の研究活動が盛んで、その関係の国際会議が時々開催されている。イギリスの大学は、その殆んどが国立であり、この大学も国立である。

 さて国際会議といえば、日本から大きな集団で参加することが多いが、今回の場合には、特殊教育一般を内容としていたため、その割に参加者が少なく、またこの会議の直後に、聴覚障害の国際会議が同じイギリスのマンチェスターで開かれた関係もあって、ツアーの編成にも困難があった。日本からは筆者だけが発表を行ったが、たとえ少数の参加でも、国際舞台に日本の参加を印象づけたことは有意義であったと思われる。

 1.会議の性格

 一般に、国際会議といえば、その背後に国際的な組織をもつのが普通で、たとえばリハビリテーションの世界会議や地域の会議には、RIという組織が動いている。しかし今回の特殊教育の会議は、そうした国際組織を有していない。イギリスの国内組織が呼びかけ人となって、国際的規模で開かれた会議である、というのがこの会議の基本的特色である。

 会議の主催は、イギリスの特殊教育協議会(National Council for Special Education)と、適応障害児専門家協会(Association of Warkers for Maladjusted Children)の両者である。この2つの組織は、イギリスの特殊教育を支える主導的な団体である。この種の会議が約10年ほど前に同じイギリスで開かれた経緯があるので、今回は強いて言えば2回目である。しかし会議としては飽くまで単発的なもので、次にいつ開催されるという目安はない。

 では、なぜイギリスが今回の会議を開催するに至ったかといえば、それはイギリスの特殊教育の姿の大きな変革がその原動力になっているといえよう。1973年、当時の教育科学大臣であったマーガレット・サッチャー氏(現首相)は、障害児教育の在り方を根本的に再検討するため、委員会を設置し、その委員長にウォーノック氏を任命した。この委員会報告が、1978年にまとめられ、通称ウォーノック委員会報告(Warnock Report)と呼ばれている。この報告書を拠りどころにして、イギリスは、1981年教育法を大改正したが、その骨子となった点は、いわゆる障害児という概念の代りに、特別な教育的ニーズ(special educational needs)をもつ子どもという新概念を前面に打ち出したことである。いわゆる障害と、教育的ニーズとは、必ずとも対応するものではないので、こうした見方の変換は、たしかに大きな前進であった。1985年は、「ウォーノックの10年」のほぼ中間年に当たるため、イギリスの特殊教育の充実と発展を内外に印象づけ、さらに10年の後半を盛り上げようとした意図が働いたものと思われる。

 会議のテーマは、「前進と実行(Progress and Practice)」であった。こうしたテーマの設定は、さきの経緯からみても会議の性格をよく反映しているように思われる。アメリカの特殊教育に対抗しないまでも、今回の会議がイギリスの独自性を内外に示す機会になったことは、リーダーとしての自負を満足せずにはおかなかったであろう。

 2.会議の内容

 会議への参加報告の常として、当然ながらすべての発展や講演などを公正に網羅することは不可能である。そのため、どうしても断片的な印象や一部の強調が避けられないが、次に概要を紹介しよう。ただし残念なことに、空港からのバスが大幅に遅延したため、アメリカ勢の大半と日本勢は、開会式に間に合わず、その直後のウォーノック女史の基調講演にも耳を傾けることができなかった。アブストラクトの配布もないので、彼女が実際に何を話したかは審かではないが、多分、特別な教育的ニーズへの対応を問題の中心に据えたことは間違いないところであろう。

 全体的な流れとしては、特殊教育に関係のある殆んどすべての分野に、それぞれスピーカーを網羅し、その他に自由発表が110題ほど用意された。全体会と部会に分かれてそれらを消化したが、領域別には、凡そ次のような分野があった。

 医学、行動問題、専門家教育、親とのかかわり、普通校における特殊教育、障害成人、法制と倫理、就学前対策、特別な教育的ニーズ、教員養成、社会政策、特殊学校の教育、第三世界での対応。

 イギリスサイドの発表は、当然ながら特別な教育的ニーズの発見と対策、ならびに統合教育に関するものが多かった。しかし幅広い分野をカバーしているため、中には国際会議に相応しくないような単純な実践研究の発表もあり、この限りでは玉石混交の感もあった。

 一般的な印象としては、ヨーロッパ大陸からの発表がやや少なく、特に西ドイツやフランスなどの成果があまり見られなかった点は淋しかったといえる。これに対して、北欧諸国、特にデンマーク、スウェーデンなどの著名な研究者が参加し発表していた。また特殊教育大国アメリカは、著名な学者や研究者の参加が相対的に少なく、やや盛り上りを欠いたように思われる。さらに、第三世界の問題も始めから盛り込んだ運営がなされたため、若干の発表を聞く機会があったが、特殊教育以前のリハ・サービスや教育そのものの未発達のために、特殊教育の前途には容易ならざるものがあることを改めて痛感した。

 3.イギリスの特殊教育

 会議における講演や研究発表等を中心に、その一端を紹介してみたい。

 1981年教育法の発足から、イギリスの特殊教育は、徐々にかたちを変えつつある。その大きな特色は、

 ① 障害をもつ子供の教育的ニーズをよく見極めること……特別な教育的ニーズの分析と評価

 ② 多様な教育の場を用意すること

 ③ 普通学校における特殊教育を充実すること……統合教育の推進……

 ④ 親の関与の権利の拡充・強化したこと

 ⑤ 特別な教育的ニーズに対応するため、特殊学校の存在価値を見直すこと

 すべての障害児の教育的機会を保障し、キメの細かいサービスを行うために、いわゆるFish Report(別に小鴨教授が解説)が提出され、それが新しい特殊教育の在り方のガイドラインとされている。

 講演の中で、たとえばマーシャル(Marshall, C.P.)は、「普通学校における特殊教育」と題して、一般の学校が子供の教育的ニーズに対応するため、どのような手立てを講ずべきかについて、意見を述べた。抽象的な内容ではあったが、子供の教育的ニーズの分析・評価ならびにキメの細かい対応策を示唆した。ただ一般の学校の教師が、そうした要請に直ちに応えられるかどうか、少なからず疑問を感じたのは筆者ひとりではあるまい。

 討論の過程では、現実的観点から子供の特別な教育的ニーズをどう満たすかについて、いろいろな問題が提起されたが、わが国と同様、子供の障害の重度化や、予算の不足、設備の不十分、チームワークの困難さなどの声が聞かれた。教育の在り方の思い切った変換の割には、やはり現場での多くの問題が末解決の感を抱かざるを得ない。この限りでは、イギリスの特殊教育も、新しい理想像を求めて発展の途上にあるといえよう。

 会議の講演などで引き合いに出されたノッチンガム州の特殊教育の現状について少し触れてみよう。ノッチンガム州は、人口約100万、545校の小・中学校があり156,000人の児童・生徒がいる。州は28校の特殊学校と、14か所にスペッシャル・ユニットをもっている。スペッシャル・ユニットは、言語障害、視覚障害、聴覚障害その他の障害をもつ乳児、幼児、児童のための専門的治療・教育部門で1980年代に入って各地で新設されつつある。その他特別な教育的ニーズをもつ子供に対するサポートシステムの拡充は、今なお進行中である。統合教育の推進が強調されているが、個々の子供のニーズに照して特殊学校と普通学校との連携を強化すべく対策が講じられている。しかし、わが国の養護学校在籍児のような重度障害の子供は、もちろん特殊学校に入学措置しており、その中でニーズを満たすよう努力している。統合教育即特殊学校否定のような発想はないといってよい。

 以上のように、イギリスはかなり意欲的に特殊教育の改革に取り組んできたが、その成果を今後大いに見守る必要があろう。

 4.特殊教育の国際動向

 アメリカは全障害児教育法(1975)による障害児の個別教育計画(Individualized Education Program)を、イギリスは前述の通り教育法(1981改正)による特殊な教育的ニーズへの着眼を強調している。わが国においては、周知の通り、養護学校教育の義務制の実施(1979)を行ったが、大幅な法改正は行われず、義務教育の量的拡大が行われたに止まっている。新しい発想を制度化するためには、多くの課題があることは理解できるとしても、わが国では特殊教育の質的充実という面で、前二国に比して多少の遅れをとっていることは否定できない。

 ところで最後の全体会で講演したデンマークのハンセン(Hansen J.)は、「特殊教育の国際動向」と題して、要旨次のような提言を行った。すなわち、通常の教育の中に、特殊教育が溶け込んで渾然一体となることが今後の方向である。したがって、通常の教育と特殊教育とは、かなりの部分が重複する。通常の学級における個別指導から特殊学級、特殊学校の指導に至るまで、そこには連続性が保たれねばならない」。このような指摘は、従来から北欧で実践されてきた特殊教育のモデル的な枠組みの再確認である。イギリスにおける教育的ニーズの強調と、本質的な差があるわけではなく、力点の違いはあっても、こうした行き方が今後の国際動向の主流であることは間違いないであろう。

 他方、イギリスのラッグ(Wragg, E.)は、「教育と未来」と題して要旨次のような主張を行った。「21世紀に向かう雇用形態は、急速に変化する。また人間の社会は高度の情報化によるいわゆる知識爆発(knowledge explosion)の現象に陥るであろう。したがって中等教育以後の教育を、職業教育も含めて真剣に問い直していく必要がある。障害児教育もその埓外ではない」。こうした指摘は正当であろう。なお三沢は、精神薄弱者の職場適応の研究資料に基づいて、特殊教育の今後の在り方に若干の主張を発表した。

 5.印象

 会議の参加者は、約600名ぐらいと思われるが速報もなく正確な数は不明。参加国は、公称20か国であるが、実際には30か国近いと思われる。

 会議の運営は、けっして上手とはいえず、諸サービスも低調。日本人のようなキメ細かさを要求しても無理のようである。逆の意味で今後の国際会議の参考になるかもしれない。夜のホスピタリティ・プログラムは、一応整ってはいたが、州と市のレベルで、国を挙げての華かさはない。次々といろいろな国際会議が開かれるお国柄であってみれば、止むを得ないかもしれない。

 日本からの参加者10人は、職業も年齢も異なり、当初うまくまとまって集団行動ができるかどうか多少の危惧もあったが、皆協調的でそれぞれの立場での収穫を得たことと思う。多忙な中を参加して下さったメンバーの皆様に、改めて厚く御礼を申上げると共に、その成果を今後に生かされるよう期待したい。

筑波大学心身障害学系教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1986年3月(第51号)31頁~34頁

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