特集/アジアのリハビリテーション インドネシア

特集/アジアのリハビリテーション

インドネシア

 

  1.インドネシアの概況

 インドネシア共和国(以下、インドネシアという。)は、約1万3,700の島々からなり、総面積は、約192万平方キロで、日本の約5倍である。

 同国では、1961年以降10年毎に国勢調査が行われているが、最新の調査(1980年10月実施)によれば、人口は約1億4,749万人(増加率は年平均1.7%)で、世界第5位である。そのうちの約6割が、国土面積の7%にあたるジャワ島に住んでおり、人口分布は著しく不均衝となっている。

 都市人口は、3,285万人(全人口の2割弱)で、その3分の1強がジャワ島のジャカルタ(約650万人)、スラバヤ、バンドン、スマランの4都市に集中している。

 1978年の労働力調査によれば、労働人口(10歳以上の人口)は、約5,300万人で、そのうち就業者(一時就労の者も含む)は約5,178万人である。

 産業別に就業者数をみると、農林水産業が全就業者の約6割を占め、次いで小売・サービス業等が3割、製造業が1割弱を占める。特に、最近就業者数の伸びの最も大きいのは、小売・サービス業等の第三次産業で、それに反し、第一次産業就業者数は減少傾向にある。

 もっとも、製造業や卸・小売業就業者をとってみても、近代的な大工場や小売店舗で働く労働者がいる反面、他方では、「仕立屋」や「かじ屋」の規模の零細企業で働く労働者、あるいは、「露店商」や「行商人」が多数存在し、それらが共存している点がインドネシアの就業構造の特徴である。

 インドネシアの1人あたりの国民所得(1982年)は、519ドルで、これはわが国(7,114ドル)の約7%の水準である。

 同国労働者全体の所得水準は明らかではないが、電気・電子機器産業で働く労働者の賃金(月額)についてみると、37ドルで、これはわが国の同産業労働者のそれとくらべ、4.8%の水準にすぎない。

 このように近代的産業分野で働く労働者すら、きわめて低い所得水準にあるインドネシアでは、「絶対的貧困者」(衣食住など人間生活の基本的ニーズを充たすだけの収入のない者)が人口に占める割合は、5割強にも達するといわれる。

 同国では、国民の福祉の向上および生活の安定をはかることを目標に、1969年以降5ヵ年を目標単位とする「国家開発5ヵ年計画」を順次策定し、実施してきており、現在は1984年を初年度とする第4次5ヵ年計画(1984―88年)に基づき、諸施策が展開されている。

 2.障害者の状況

 「障害者のための社会福祉活動に関するインドネシア共和国政府政令」(1980年)によれば、「障害者」とは、「適切な活動を行う妨げとなる肉体的あるいは精神的異常を持つと医学的に診断された者」と規定されているが、具体的には、肢体不自由者、視覚障害者、聴覚障害者および精神薄弱者がその範疇に含まれるようである。

 インドネシアでは、これまで障害者についての全国レベルでの実態調査が行われていないので、確かなことはわからないが、同国政府によれば、障害者は全人口の2.46%を占めると推計されている。この比率をもとに計算すると、1980年10月現在同国の障害者数は約359万人で、その内訳は、肢体不自由者約121万人、視覚障害者約131万人、聴覚障害者約48万人、精神薄弱者約59万人となる。

 一方、同国社会省では、1978年に行った無作為抽出調査結果をもとに、障害者が全人口に占める割合は3.11%と公表しているが、もしこの数字がより正確とすれば、同国の障害者数は、約460万人ということになる。

 前述の障害別内訳から明らかなように、同国においては障害者のうち、視覚障害者が占める割合が最も多くなっているが、その主な原因は、栄養失調に起因する眼球乾燥症等によるものと思われる。

 3.リハビリテーションの発展

 インドネシアにおける障害者に対する専門的なリハビリテーション活動は、共和国の独立宣言(1945年8月)がなされて間もない1946年、ジャワ島中央部にあるソロにおいて故スハルソ医博(Soeharso 1912―71年。同国のリハビリテーション分野の大御所で、「障害者の父」と称えられた。)等によってはじめられた。同医博らは、ソロの総合病院の一角に主として独立戦争(1945―49年)による傷夷軍人を対象にリハビリテーションセンターを設立したが、1948年に同センターが国(保健省)に移管されるとともに、一般の身体障害者にもサービスの対象がひろげられた。

 1950年代には同センターは、国連およびILO等の国連専門機関の技術援助を受けて総合リハビリテーション施設として発展を遂げ、医学的・職業的および社会的リハビリテーション・サービスを障害者に提供するようになった。

 同センター(スハルソ・リハビリテーション・センターまたはソロ・リハビリテーション・センターと呼ばれる。)は、現在保健省(医療部門)、社会省(職業リハビリテーション部門)、労働省(職業紹介部門)ならびに防衛省(軍人医療部門)の共同管理のもとに運営されている。

 医療部門は、250床の整形外科病院と付属リハビリテーション職員養成所(義肢・装具および理学療法士の養成)ならびに義肢・装具製作所から構成され、職員数は約300人である。

 職業リハビリテーション部門は、約300人の障害者を収容し、160人近くの職員がその指導にあたっている。同部門での職業的サービスは、職業評価・準備課程(期間は約3ヵ月)および職業訓練課程からなる。職業訓練課程の訓練職種は、木工、金属加工、時計修理、洋裁、美容、理髪、自動車修理、自転車組立、車椅子製作、製靴、軽印刷、義肢製作、手工芸等で、訓練期間は、原則として6ヵ月から12ヵ月となっているが、延長される場合もある。

 これらの課程を終えた障害者は、自営業に従事するか、民間企業等へ就職するか、あるいは、ワークショップ等で就労することになるが、それらのうち、民間企業等への就職を援助するのが、職業紹介部門の役割である。(自営業についたり、ワークショップでの就労を希望する障害者の援助は、社会省の地方事務所である社会事務所が行う。)

 軍人医療部門は、オフィスが置かれているのみで、傷夷軍人に提供されるサービスは、一般障害者のそれと全く同じである。

 ソロ・リハビリテーション・センターは、以上のほか、後述の「巡回リハビリテーション・ユニット」(MRU)の拠点や多目的の地域作業所である「ロカ・ビナ・カリヤ」(LBK)の指導者等に対する研修センターでもあり、まさにインドネシアにおける中枢的総合センターとしての役割を担っている。

 同国で民間部門のリハビリテーション活動で大きな働きをしてきたのは、スハルソ医博夫人によって1953年にソロに設立された「インドネシア障害児協会」(YPAC)である。

 同協会は、1952年にインドネシアで大流行したポリオの犠牲となった障害児を救済すべく、故スハルソ医博のアピールに応えて設立されたもので、現在では全国に16の支部を持ち、主要都市で20ヵ所のリハビリテーション・センター(15ヵ所は障害児向け、5ヵ所は成人向け)を運営している。これらのセンターは、全体で年間720人の障害児・者に総合的サービスを提供している。

 4.リハビリテーション対策とその特徴

 インドネシアでは、医学的リハビリテーションは保健省が、教育的リハビリテーションは教育文化省が、また職業および社会リハビリテーションは主として社会省がそれぞれ担当し、障害児・者への施策をすすめている。

 1)医学的リハビリテーション

 1983年末現在、同国の全病院数は、公立病院と民間病院をあわせて1,246である。ベッド総数は、10万3,505床で、1ベッドあたりの人口は、約1,500人(日本83人)となっている。

 また、同国の医師の数は、1万2,000人(1979年)で、医師1人あたりの人口は、1万1,740人(わが国は、714人(1982年))である。

 このような医療事情下にあって、同国でじゅうぶんな医学的リハビリテーション・サービスを提供しうるだけの医療スタッフおよび施設・設備を備えているのは、前述のソロ・リハビリテーション・センター(250床)のほか、パレンバン(100床)、ジャカルタ(50床)、ウジュンパンダン(100床)の各リハビリテーション・センターで、ベッド数は全体で500床のみである。

 一方、リハビリテーション部門を持つ全国レベルの総合病院は、わずか11病院であるが、限られた範囲での医学的リハビリテーション・サービスは、州および県レベルでの総合病院の一部でも提供されている。

 同国では、公務員、国営企業と一部の大企業の従業員ならびにそれらの家族を除き、健康保険はいまだ制度化されていない。したがって、医学的リハビリテーションサービスを受ける経済的余裕のない障害者の治療費は、国が負担することとなっている。

 2)教育的リハビリテーション

 インドネシアの学校制度は、小学校(6年)、中学校(3年)、高等学校(3年)の6・3・3制をとっており、小学校のみ義務教育とされている。しかし、義務教育の小学校も含め、学校の大部分は私立であり、経済的理由で就学できない児童も少なくない。

 1978年の政府統計によると、就学率は小学校65.6%、中学校20.1%、高校15%となっている。文盲率(1980年)も32.7%(日本0.3%)と、東南アジア諸国の中でもきわめて高い水準となっている。

 特殊学校は、障害別のセコラ・ルア・ビアサ(SLB)306校と義務教育化に伴い各県に1校ずつ設置された統合学校セコラ・ダサ・ルア・ビアサ(SDLB)約200校の2種類がある。SDLBに関する統計は明らかではないが、SLBの障害別内訳等は表1のとおりである。

表1 インドネシアにおける特殊学校(1982年度)

対 象

幼稚園 小学校 中学校 職業実習 教員数 生徒総数 クラス総数 学校総数
  クラス
A.視力障害児

238

946

163

73

435

1,420 249 53
B.ろうあ児

1,171

2,245

370

0

736

3,786 596 93
C.精神薄弱児

1,831

3,465

232

543

  945 6,071 790 127
D.肢体不自由児

194

411

36

24

164

665 95 20
E.情緒障害児

0

373

   66

15

126

454 76 13

3,434

7,440

867

655

2,406

12,396 1,806 306

 SLBの大部分は私立であり、また、その大半は、全国27州のうち4州の大都市に偏在している。このことは、つまり農村地域に住む大部分の障害児にとっては、就学の機会がきわめて乏しいことを物語るものであろう。

 3)職業および社会リハビリテーション

 インドネシアでの職業および社会リハビリテーション・サービスは、都市部に設置され、原則として遠隔地からの障害者を受け入れられるよう収容部門を持つ、専門施設としてのリハビリテーション・センター等によって提供されるもの(「施設型リハビリテーション」といわれる。)と、こうした施設によらず、地域社会においてボランティア等を通して提供されるもの(「非施設型リハビリテーション」といわれる。)に大別することができる。

 イ 施設型リハビリテーション

 同国において障害者に職業および社会リハビリテーション・サービスを提供する専門施設としては、前述の4ヵ所の総合リハビリテーション・センター(いずれも主たる対象は肢体不自由者)以外に、23の国立リハビリテーション・センター(視覚障害者施設17ヵ所、精神簿弱者施設3ヵ所、精神障害者施設2ヵ所およびハンセン病回復者施設1ヵ所)および約80ヵ所の民間のリハビリテーション施設がある。

 これらの施設全体で、年間約7,500人の障害者にサービスが提供されているといわれる。

 施設型リハビリテーション・サービスを受けた障害者全体についての社会復帰状況は明らかではないが、ソロ・リハビリテーション・センターの資料によれば、1974─82年までの8年間に同センターでリハビリテーション・サービスを終了した障害者3,245人のうち、就職者は1,605人で、その就職先別状況は次のとおりである。

 表2より明らかなように、インドネシアにおけるリハビリテーションのメッカともいうべきソロ・リハビリテーション・センターの場合でも、就職しえた者(ワークショップ等施設での就労者も含む)は、リハビリテーション・サービス終了者の5割弱にとどまっている。また、1980年以降は、民間企業への就職者数が大幅に増加しているとはいえ、過去8年間についてみると、就職者のうち自営業に従事している者が、全体のほぼ4分の3を占め、民間企業に入りえた者は、1割強にすぎない。

表2 リハビリテーション・サービス終了者の就職状況(ソロ・リハセンター)

リハビリテーション終了者

左記の者のうち就職者

就 職 先

民間

施設

自営

政府関係

 

74/75

256 123 2

66

51

4

75/76 541

300

13

14

265

8

76/77 680 385 1

12

355

17

77/78 417 240 1

3

224

12

78/79 373 150 1

38

68

48

79/80 302 132 18

11

102

1

80/81 314 125 69

1

  55

81/82 382 150 57

12

81

平均

406 201 20

20

150

11

 このことは、①毎年2%近くに達する人口増のもとでの過剰労働力の存在、②労働市場の雇用吸収力の欠如、③労働力需要と供給の質的不均衡等といった状況にある現在のインドネシアにおいては、リハビリテーション・センターで職業訓練等を受けた障害者の場合でも、その大半にとっては、民間企業への就職は、きわめて困難であり、自営業に従事するか、ワークショップあるいは後述の「協同作業グループ」(cooperative group)等で就労せざるを得ないのが実情と思われる。

 自営業に従事している障害者の中には、数人の使用人を雇うなど、かなり成功している者もいるが、筆者が1985年7月にジャカルタとソロで調査した限りでは、大部分の者の月収は、1~3万ルピア(1ルピア=約0.2円)程度で、これは労働省が設定した地域別最低賃金ガイドライン(ジャカルタの場合、単身の労働者の最低賃金は、月額3万5,212ルピア(1983年))を相当下まわっている。

 ロ 非施設型リハビリテーション

 約360万人の障害者人口をかかえ、さらにこの人口は毎年数万人増加していることを考えれば、前述のリハビリテーション施設だけでは、年々新たに障害者人口に加わる人びとのリハビリテーション・ニーズをみたすこともできないのが、現実である。

 このように拡大するリハビリテーション・サービスの需要と供給のギャップ─特に、既存のリハビリテーション施設が都市部に偏在し、人口の約8割が居住する農村部にはほとんど皆無といった、都市部と農村部のあまりにも大きな格差―をうめるための対策として、国連の「基本的サービスのための戦略」(Strategy for Basic Services)に基づき1970年代初期に着手されたのが、地域社会が主体となって障害者のリハビリテーションをすすめる「非施設型リハビリテーション」である。

 非施設型リハビリテーションの推進にあたるのは、「ロカ・ビナ・カリヤ」(LBK)、「コミュニティ・ボランティア・ソーシャルワーカー」(PSM)ならびに、これらによるリハビリテーション活動を支援するためにリハビリテーション・センターの各種専門家から構成される「巡回リハビリテーション・チーム」(MRU)である。

 (イ)LBK

 LBKは、地域社会によるリハビリテーション活動の拠点というべきもので、次のような多様な役割を担っている。

 ①地域社会(通常1村落か数村落の集合体で、徒歩による連絡が可能な範囲)に住む障害者の発見とその治療、指導、教育および職業訓練等を行うこと。

 ②障害者の家族に対する指導(簡単な治療訓練や日常生活動作訓練の方法等)を行うこと。

 ③地域社会において委員会を構成し、障害者の基本的ニーズを調査するとともに、地域社会内において障害者のリハビリテーションをすすめるのに必要な人的資源や物的資源の供給をはかること。

 ④地域社会の中からボランティア(PSM)を募り、彼らに対して専門職員による障害者のケアとリハビリテーションに関する教育訓練を行うこと。

 ⑤障害者に対しては、地域社会内で社会経済活動に参加する機会を与え、できるかぎり一般の生産活動への参加をはかるとともに、必要な場合には、障害者が数人のグループで作業ができる場 (LBKのブランチ形態)をつくり、あるいは、自宅において生産活動に従事できるよう必要な設備、器具および材料の購入、ならびに製品の販路開拓を援助すること。

 ⑥地域社会による他の活動(たとえば、一般教育、成人教育、文盲教育、農村開発、保健衛生、疾病予防およびその他の地域開発事業等)と密接な協力を行い、あわせて障害の発生予防、治療、リハビリテーションおよび雇用の問題を地域開発事業の一環として、協調的かつ統合的にすすめること等。

 LBKの設置にあたっては、地方自治体が土地を提供し、国(社会省)が建物(事務室、多目的室および倉庫からなる)の建設費を負担することになっている。また、LBKの運営費については、現在のところ社会省から必要最少限の補助がでているが、将来的には既存のLBKにはそれぞれ独立採算制で運営することが期待されているようである。

 同省では、LBKを全県(246)に設置するとともに、郡(3,517)の大多数にLBKまたはそのブランチを設けることを計画している。

 1985年7月現在、LBKは167ヵ所に設置されており、これらを利用する障害者数は年間7,000人以上にのぼるものと思われる。

 筆者がジャカルタで調査したLBKは、建物面積120㎡程度のきわめて小規模なもので、そこでは4人の常勤職員が後述のPSMの協力を得て、10人程度の障害者を対象に、原則として3ヵ月間の職業訓練を行っていた。訓練職種は、洋裁、製靴、玄関マット製作および洗剤製造等で、訓練終了後は習得した技術を生かすべく、数人単位のグループをつくり、地域内に作業スペースを貸借して協同作業に従事することになる。

 こうした「協同作業グループ」には、仕事をはじめるのに必要な道具と少額の開業資金が貸与されるが、たとえば、縫製作業を主としたグループの場合には、障害者3人に1台の割合で家庭用ミシンが、1万ルピア(約2,000円)程度の開業資金とともに貸与されるようである。

 また、協同作業グループの生産活動に必要な仕事の受注と製品の販路開拓についても、LBKの常勤職員が援助しているが、ジャカルタの場合、協同作業グループで就労する障害者1人あたりの平均月収は、1万ルピア前後ということで、この所得水準では、自活は困難と思われる。

 (ロ)PSM

 PSMは、社会省の管轄下にある社会事務所の指導のもとに、在宅の障害者に対して社会的ガイダンス、技能訓練および最低限のニーズをみたすための援助等を行うボランティア(主として主婦)である。彼らは任務につく前に、LBK等でリハビリテーションやソーシャルワークに関する基礎的知識や技術を習得するための訓練を受ける。

 現在、PSMとして活躍している者は、約6万人であるが、社会省では将来その人数を30万人にまでふやすことを計画している。

 同省によれば、PSMが1977年に制度化されてから1983年までの7年間にそのサービスを受けた在宅障害者数は、約11万4,000人にも達する。

 (ハ)MRU

 MRUは、ミニバスで巡回する3、4人の各種リハビリテーション専門家からなるチームで、その主な役割は次のとおりである。

 ①医学、職業および社会リハビリテーションにかかわる専門的、技術的援助。

 ②補装具等の支給と修理サービスの提供。

 ③LBKの職員やPSMあるいは他のコミュニティワーカー(家族計画フィールドワーカーやPKK(注)等)を対象とした短期訓練・研修の実施等。

 MRUは、ソロ・リハビリテーション・センターをはじめ、7ヵ所のリハビリテーション・センターに設置されており、それぞれの担当地域の村落等を1ヵ所5日間の日程で巡回する。

 MRUは、非施設型リハビリテーション活動と施設型リハビリテーション活動との橋わたしをすることにより、地域リハビリテーションを支えることにその存在価値があるといえよう。

 MRUは、前述のサービスにくわえ、これまでリハビリテーション・サービスを受けたことがない障害者で、職業訓練により経済的自立の可能性があると思われる者を対象に、マッサージ、家内工業(洗剤、シロップおよび薫製卵の製造ならびに豆もやしの栽培等)、玄関マット、洋服用や植木鉢用のハンガーあるいはテーブル掛け等の製作等の訓練も実施している。

 しかし、訓練期間が短かすぎることや障害者が地域で生産活動をはじめるのに必要な資金の確保が困難であること等のため、MRUの職業的サービスは、それが意図した成果を必ずしもあげえていないように思われる。

 5.今後の課題と日本への期待

 第4次国家開発5ヵ年計画(1984─88年)の中で、地域社会によるリハビリテーションの推進がうたわれていることからもわかるように、インドネシア政府は、増大する障害者のリハビリテーション・ニーズに対応するため、非施設型リハビリテーションを積極的にすすめようとしており、これまでそれなりの成果をあげてきている。しかし、地域社会の中で非施設型のリハビリテーション活動の中心的役割を担っているのは、PSM等のボランティアであり、彼らの提供しうるサービスにはおのずと限界があろう。非施設型リハビリテーション活動が活発に展開されればされる程、専門的リハビリテーション・サービスを必要とする障害者が顕在化するということもまた事実である。

 したがって、非施設型リハビリテーションは、決して施設型リハビリテーションにとってかわりうるものではなく、あくまでそれを補完するものである。専門的サービスを必要とする障害者のニーズに応えるとともに、地域社会による非施設型リハビリテーション活動を専門的立場から指導援助するためにも、各種リハビリテーション施設を計画的に整備していくことが不可欠と思われる。

 インドネシア社会省は、第6次国家開発5ヵ年計画(1994―98年)完了時までに、現在のリハビリテーション・センターを障害種類別に各9ヵ所(つまり、肢体不自由者センター9、視覚障害者センター9、聴覚障害者センター9および精神簿弱・精神障害者センター9の計36ヵ所)にまでふやすとともに、そのうちの1ヵ所をナショナル・センターとして再編整備すること、そして地域社会によるリハビリテーション活動を拡充するため、すべての郡にLBKを少なくとも1ヵ所設置するとともに、それらの活動を支援するため、MRUを全州に設けることを計画している。

 こうした全国的リハビリテーション・ネットワークの中核的センターともいうべき、ナショナル・センターの設置について、同国政府はわが国の協力を期待している。

 同センターは、かわりゆく労働市場と障害者のニーズに対応した専門的かつ先駆的な職業リハビリテーション・サービスを提供するとともに、それ以外のリハビリテーション・センターで行われる職業リハビリテーション・サービスの質的向上をはかるための職業訓練指導員の研修、障害者の職域拡大をはかるための研究ならびにインフォメーション・センターとして構想されている。

 わが国は、これまでインドネシアに対しては、職業訓練センターの設置等、マンパワー対策をはじめ、様々な分野で技術協力を行ってきているが、同国で特に立ち遅れているリハビリテーション分野での社会資源を拡充することにより、障害者の社会経済的地位の向上をはかるためにも、技術協力の推進が望まれよう。

参考・引用文献 略

(注)各レベルの行政官の夫人たちが自動的に会員となる全国組織の婦人会で、地元の各種の開発運動を支援している。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1986年5月(第52号)3頁~9頁

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