特集/アジアのリハビリテーション フィリピン

特集/アジアのリハビリテーション

フィリピン

 

  1.フィリピンの概況

 フィリピン共和国(以下、フィリピンという)は、アジア大陸の東南、マレー諸島の東北部に散在する大小7,107の島々から成り立っている。同国の面積は、29万9,404平方キロメートルで、日本の本州と北海道を合わせたものに近い。

 人口は、5,206万人(1983年年央)で、その年間増加率は、2.7%(1980―83年年平均)となっている。近時、フィリピンでも家族計画が徐々に浸透してきてはいるものの、国民の9割近くがカトリック教徒で、宗教的見地からの家族計画反対論が強いことや、社会保障がきわめて不十分で、子供を多く持つことが、結局家族の生活の安定に資すること等により、なお人口増加率がかなり高い。人口増がいまのペースですすむと、2020年代には同国の人口は、1億の大台にのるものと予想される。こうした急速な人口増が、国民全体としてみた場合の生活水準の向上を阻害する一要因となっている。

 人口の年齢階層別比率をみると、15歳未満43%、15―59歳52%、60歳以上5%で、わが国(15歳未満23%、15―59歳63%、60歳以上14%)とくらべ、人口構成は、きわめて若い。

 フィリピンでは、開発5ヵ年計画に基づいて、工業化政策がすすめられてきた。その結果、工業化率は、1970年の21%から、1983年には25%台にまで上昇している。しかし、産業別就業状況(表1)をみると、就業人口は、1970年から82年までの12年間に絶対数では、全体で約1.7倍に増加しているものの、比率の上で増加しているのは、商業(7.6%→11.3%)のみで、製造業については、その間に12.3%から10.1%へと2.2ポイント低下している。つまり、製造業部門における就業機会は、工業化率の上昇とは逆の傾向を示している。

表1 産業部門別就業状況
(単位:1,000人、( )内構成比)
 

1970年

1982年

農・林・水産業

5,614(52.3)

9,696(52.1)

鉱・採石業

51( 0.5)

78( 0.4)

製造業

1,324(12.3)

1,888(10.1)

電気、ガス、水道

33( 0.3)

61( 0.3)

建設

437( 4.1)

615( 3.3)

商業

815( 7.6)

2,110(11.3)

運輸・通信

496( 4.6)

740( 4.0)

金融・不動産

1,965(18.3)

321( 1.7)

サービス業

3,105(16.8)

その他

―   ― 

10,735(100.0)

18,614(100.0)

 一方、新規労働力として労働市場に参入する若年層の年間増は、人口増を上まわる3.7%に達しているが、就業機会はそれに比例して拡大していないため、就業人口約2,489万人(1983年)に占める失業者の割合は、政府の公式発表(5~6%)をはるかに上まわる、20~25%にも達するものと思われる。失業者のなかで15―24歳の若年層が占める割合は、55.4%と過半数を占め、特に、都市部で若年者層の失業問題が深刻化している。

 こうした労働供給圧力により、フィリピン中央銀行の発表では、1972年を100とする実質賃金指数は、1980年には熟練工63.7、未熟練工53.4にまで低下している。

 フィリピンとタイは、経済のパイの大きさ、あるいは互いに5,000万前後の人口を擁していること、国内市場を対象とした輸入代替型の工業化に並行して、一次産品加工輸出を目標とした路線を選択した点など、多くの類似性を共有してきた。

 しかし、1981年前後を境目に、フィリピンがタイをはじめ、他のASEAN諸国に追いこされ、かつ、後にとり残されようとする情勢が次第に濃くなってきた。

 フィリピンの地方行政区画は、州(73と準州2)、特別市(60、行政区上州と対等の位置にある)、町(1,510)およびバランガイ(Barangay,7万5,372、町における最小の政治単位)から構成される。

 同国の都市化率は、37.3%(1980年)で、ASEAN諸国の中では、シンガポール(93.1%)に次いで高い。都市の中でも、特にマニラ首都圏(マニラとその周辺の3市13町を加えたもの)の人口は、約700万人(全人口の約13%)で、同国第2の都市ダバオ(約61万人)の10倍以上にも達していることから、いかに首都圏に人口が集中しているかがわかる。

 フィリピンにおける社会保障制度としては、軍人を含む公務員を対象とする保険による給付(生命保険給付、退職金給付、加入子弟のための奨学金貸付制度およびサラリーローン等各種貸付制度)および民間企業の従業員(60歳未満の者。1974年末現在の加入者数は、455万人)を対象とする社会保険による給付(退職金給付、医療給付、廃疾給付および死亡給付等)がある。

 しかし、この社会保険による給付の内容をみると、医療給付については、支給額の上限が低いこと、また、退職金給付については、退職後5年間しか給付されず、しかもその額が低いこと等、不十分な点が多い。

 このように、同国の現在の社会保障制度は、その適用対象の範囲も狭く、その内容もきわめて限定されているため、社会全体のなかでは影のうすい存在であって、実際の社会保障の機能を果たしているのは、家族集団(フィリピンの家族の範囲は、わが国よりもかなり広い)である。言いかえれば、国の対策の遅れを身内の者が助け合ってカバーしており、国としても、実際上はこの家族制度に依存しているということになる。

 2.障害者の状況

 フィリピンでは、1980年に「全国障害者委員会(National Commission Concerning Disabled Persons,略称NCCDP)」が保健省の協力を得て、障害者に関するはじめての全国的な調査(無作為抽出法でサンプルとして全国から選ばれた33,278人に調査員が面接調査を行ったもの)を実施している。

 同調査でいう「障害者」とは、身体障害、精神障害あるいは複合障害(身体障害と精神障害の両方)を持つ児童および成人を意味し、「身体障害」には、言語、聴覚、視覚、内部および肢体の障害ならびに形態異常が、また「精神障害」には、精神薄弱、精神病、アルコール中毒およびてんかんが、含まれる。

 同調査結果によれば、人口1,000人に対する障害者の比率は、総数では44.17人となっている。そして、その障害別内訳をみると、身体障害者38.82人、精神障害者4.0人および複合障害者1.35人で、身体障害者が全体の9割近くを占める。

 この比率を用いてフィリピンの1980年の人口から障害者数を算出すると、総数は、約213万3,0 00人で、その内訳は、身体障害者187万5,000人、精神障害者19万3,000人および複合障害者6万5,000人ということになる。

 身体障害者の障害部位別および障害原因別構成は、表2および表3のとおりである。

表2 身体障害者の障害部位別構成

 障 害 部 位 

比率(%)

肢 体 不 自 由

27

視 覚 障 害

12

聴 覚 障 害

6

言 語 障 害

2

形 態 異 常

3

内 部 障 害

16

重 複 障 害

34

100

 

表3 身体障害者の障害原因別構成
障 害 原 因 比率(%)
出 生 時 の 損 傷 26
感    染   症 9
そ の 他 の 疾 患 6
事       故 7
複 数 の 原 因 36
不       明 16
100

 また、人口1,000人に対する身体障害者の比率を年齢階級別にみると、20―24歳24.21人、40―44歳57.08人、60―64歳137.72人、75歳以上283.54人と、年齢が高くなる程その比率は高くなっている。

 身体障害者のいる家族の経済状況については、障害者を含む構成員のニーズをすべてみたしうるだけの十分な収入のある家族は、全体の14%で、構成員のニーズのうち、基本的なものはみたせるだけの収入のある家族が42%、そして、家族の収入では構成員の基本的なニーズをもみたしえないものが、44%を占める。

 アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)が、1976年に行った調査によれば、フィリピンにおける「絶対的貧困者」(最低限度の生活を維持できない状況にある者)は、約690万人で、これは、当時の同国の総人口約4,330万人の約16%にあたる。

 したがって、同国の人口全体とくらべ、身体障害者のいる家族の場合、経済的に困窮している者が占める割合は、はるかに高いと言える。

 なお、実態調査を実施したNCCDPは、報告書の中で、この調査方法の限界(調査員が被調査対象となった家族の一員に面接するという形で行われたため、たとえば、特に社会的偏見の強い「精神障害」については、必ずしも正確な回答が得られず、その結果、精神障害者数は、実際よりかなり低くなっている可能性が強い等)を指摘し、調査で得られたデータは、そうした前提で解釈して欲しい、としている。

 3.リハビリテーションの発展

 フィリピンで近代的なリハビリテーション施策がすすめられる契機となったのは、同国がいまだ米国の植民地下にあった1917年に「公務員の労働災害および疾病の医療補償に関する法律」が、また1923年には、「障害児の保護に関する法律」等がそれぞれ制定されたことによるが、これらの法律でカバーされる対象者は、きわめて限られており、国民一般を対象としたリハビリテーション施策が本格的に展開されるのは、同国が独立を達成した第2次世界大戦以降である。

 1946年には、政府の責任として傷夷軍人の社会的・経済的回復を援助すること等を規定した「フィリピン退役軍人権利法」が制定された。そして、1949年には、リハビリテーション・プログラムおよび活動にたずさわる民間団体の全国組織として、「フィリピン障害者リハビリテーション財団(The Philippine Foundation for the Rehabilitation of Disabled、略称PFRD)が設立された。

 1950年代から60年代にかけてリハビリテーション関係法が相次いで制定されるが、その代表的なものとしては、1954年の「社会保障法」(民間企業で働く労働者の社会保障制度を規定したもの)および同じく同年制定された「職業リハビリテーション促進法」、1956年の「国立職業リハビリテーション(センター設置)法」ならびに、1968年の「特殊教育教員養成10年計画法」等がある。

 職業リハビリテーション促進法に基づき、1954年に社会福祉庁(現、社会サービス開発省)の中に職業リハビリテーション部が設置され、同部を中心に政府サイドのリハビリテーション施策がすすめられることとなる。

 また、国立職業リハビリテーション(センター設置)法に基づき、1956年にマニラ郊外のケソン市に最初の「国立職業リハビリテーションセンター」が設置された。

 1972年9月21日に戒厳令が発動されて以降は、「大統領布告」という形で種々の法律がつくられているが、障害者関係の主なものとしては、1974年に制定された、被用者の作業上の健康と安全管理、障害労働者の訓練と雇用、受傷および障害労働者に対する医療、リハビリテーションおよび障害手当の給付等を規定した大統領布告(これは、フィリピンにおける労働法に相当)、1978年のNCCDPの設置に関する布告ならびに、1979年の児童と青少年の福祉に関する布告(障害児の就労、特殊教育および職業訓練等の規定を含む)等がある。

 これらの法律等をすべてあわせると、現在同国で障害者のリハビリテーションにかかわる法律は19、また大統領布告は10にのぼる。

 4.リハビリテーション施策とその特徴

 フィリピンのリハビリテーション施策の特徴の1つと言えるのは、1978年に創設されたNCCDPの存在である。

 NCCDPは、大統領によって任命される委員長、各省から推せんされた者、政府関係者、民間関係者ならびに障害者から構成される役員会によって運営される。事務局は、リハビリテーション・インターナショナル(RI)の加盟団体であるフィリピン障害者リハビリテーション財団におかれている。

 NCCDPの目的は、次のとおりである。

 ①統合的かつ総合的長期国内リハビリテーション計画の策定。

 ②リハビリテーション・サービス、障害者のかかえる諸問題および障害の原因に関する総合的かつ継続的な研究の実施。

 ③障害者福祉とリハビリテーションのすべてのプログラムおよびサービスを障害者が利用できるようにすること。

 ④政府機関および民間団体の機能と活動を合理化するため、全体な調整を行うこと。

 ⑤リハビリテーション・プロセスへの障害者の完全参加への取組。

 ⑥国民一般の障害者に対する正しい態度または配慮を促すための教育および啓発の実施等。

 NCCDPの活動は、政府機関と民間機関との共同責任で行われるが、現在NCCDPが手がけているプロジェクトの1つは、1981年より開始された「地域に根ざしたリハビリテーション・サービス(Community-Based Rehabilitation Services、略称CBRS)を活用してのプログラムで、これは、従来都市部に集中していたリハビリテーション・サービスの供給体制を、農村部で生活する障害者のニーズに対応するため、地方分散化をはかることを意図したものである。

 現在、同プログラムは、163人の訓練されたコミュニティ・ボランティア・ワーカーによって、38のバランガイで実施されており、そのサービスを受ける障害者数は、全体で約1万2,300人にのぼるといわれる。

 また、NCCDPは、障害者が職業訓練や大学教育を受けるのを援助するための奨学金、研究費助成およびリハビリテーション分野で働く準専門職員への短期奨学金支給制度等を設けている。

 なお、フィリピンにおける各リハビリテーション分野の状況は、次のとおりである。

 1)医学的リハビリテーション

 同国の医療サービスの実態をみると、一部の大都市を除き、一般的に医師の診療を受けることは、困難である。これは医師が都市に集中し、地方には少ないことと、全国民をカバーする医療保険制度がなく、原則として自由診療制のため、医療費が高く、地方の一般住民は、医師にかかりたくてもかかれないこと等の事情による。

 保健省は、地方末端レベルに保健所(Rural Health Unit. 全国で1,500ヵ所)を設置し、そこで簡単な医療サービスを提供するほか、巡回サービスによる無料診療の実施、公立病院の無料ベッドの増設、新規医師免許取得者の地方勤務の義務化等の実施等を通して、問題の解決をはかっているが、あまり実効があがっていない、といわれる。

 1980年現在、同国の病院数は、1,168(そのうち公立病院370)、ベッド総数は、93,474床で、1ベッドあたりの人口は、518人(日本83人)である。また医師の数は7,378人で、医師1人あたりの人口は、6,713人(日本714人)となっている。

 フィリピンに医学的リハビリテーションが本格的な形で導入されたのは、1948年に米国陸軍がV.ルナ医療センター(V. Luna Medical Center)」に設置した「切断・訓練センター」においてである。また同年「国立整形外科病院」が設立されたが、同病院の理学療法および作業療法部門におけるサービスは、V.ルナ医療センターから派遣された専門職員の指導の下に行われた。

 現在、保健省では、リハビリテーション・ユニットを持ついくつかの公立および私立の病院を通して、身体障害者に医学的リハビリテーション・サービスを提供するほか、麻薬中毒患者のためのリハビリテーション施設やハンセン病患者のためのサナトリウム(全国で8ヵ所)を設置している。同省はそれらの中でも特に、ハンセン病治癒者のリハビリテーションに力を入れているようである。

 医学的リハビリテーションにたずさわる専門職員の養成機関としては、1962年にフィリピン大学に開設された理学療法士および作業療法士の4年制のコースが最初のものである。視在は、理学療法士学校が6校、作業療法士および言語療法士学校がそれぞれ1校設けられている。

 また、1978年には、フィリピン総合病院に3年間のリハビリテーション医学研修コースが設置された。

 なお、同国における専門職員養成上の問題は、せっかく教育を受けても、働く場が少ないのと、労働条件があまりよくないため、海外へ流出する専門職員が少なくないことである。たとえば、1965年以降専門教育を終了した138人の作業療法士のうち、75人(54%)が海外で働いている。そして国内に残っている作業療法士のほとんどは、マニラ首都圏で仕事に就いており、地方で働く者はごく少数といわれる。

 2)教育的リハビリテーション

 フィリピンの学校教育制度は、小学(6年)、高校(4年)および大学(4年)から構成される。小学6年までは、制度上は義務教育とされているが、校舎の不足および家庭の貧困等の事情もあって、在学率は90%(1982年)にとどまっている。

 最新の教育・文化省の統計によれば、学校数は、小学校3万363校(公立2万9,827校、私立536校)、高校4,217校(公立2,187校、私立2,028校)および大学997校(公立290校、私立707校)である。

 特に、高等教育機関の多さは、ASEAN諸国の中で群を抜いている。年々の大学新卒者数は、約17万人で、職業訓練も含めると、約25万人(1983年)に達する。これは、タイの約3万人、インドネシアの約4万人とくらべ、圧倒的な水準を意味する。

 障害者に対する特殊教育機関としては、国・公立および私立の特殊学校が47校、特殊教育センターが23ヵ所あるほか、公立・私立の一般校には、統合学級が1,602設けられている。

 障害児教育にたずさわる教員の養成は、1968年の「特殊教育教員養成10年計画法」に基づき、マニラにある2大学に設置された養成コースで行われている。

 3)職業および社会リハビリテーション

 フィリピンにおいて障害者の職業および社会リハビリテーション行政を担当するのは、主として社会サービス開発省(以下MSSDという)である。

 同省は、「経済的、社会的に不利益をこおむっている人びとが、自立を達成し、国家建設に参加しうるよう援助すること」を行政の基本方針とし、障害者に対しては、所管の各種リハビリテーション施設等を通して、職業および社会リハビリテーション・サービスを提供している。

 ①国立職業リハビリテーションセンター

 前述したように、同センターは、1956年にマニラ郊外のケソン市に設置された。同センターでは、16歳から60歳までの障害者および貧困者(寡婦等)に対して、主として電子・電気、時計修理、洋裁、木工およびマッサージ(盲人を対象)等の職業訓練等を通所制で行っている。訓練期間は、6ヵ月から1年で、訓練生には日額5ペソ(約50円)の手当(交通費および昼食費に相当)が支給される。1985年7月現在の訓練生数は、107人(障害者53人、非障害者54人)で、同年前期(1~6月)訓練修了者40人の就職先は、民間企業38人、自営業1人およびワークショップ1人となっている。

 MSSDは、同センターにくわえ、地方都市3ヵ所に職業リハビリテーションセンターを設置し、それらの都市の障害者等に同様のサービスを提供している。

 ②リハビリテーション・ワークショップ

 MSSDが、1968年に国立職業リハビリテーションセンターの敷地内に設置したもので、主として一般就職が困難な障害者に長期的な就労および訓練の場を提供している。1985年7月現在、同ワークショップでは69人の障害者が就労しており、主な作業は、木工、ハンガー製作(盲人が中心)、竹細工および縫製等で、これらの作業に従事する障害者には、日額25ペソ(約250円)の工賃が支給される。

 ③その他の機関および施設

 MSSDは、そのほか障害者に対して職業評価、ガイダンスおよび職業紹介等のサービスを行う「パイロット・リハビリテーション・ガイダンス・クリニック」、慢性麻薬中毒患者のためのアフターケア施設ならびに、刑余者と精神病回復者のためのハーフウェイハウス等を設置している。

 また、MSSDは、これらの施設中心のサービスと並行して、地域リハビリテーション・サービスの推進にも力を入れている。それは、すでにふれたように、施設によるサービスが都市部にかたより、農村部の障害者にまでゆきわたらないこと、ならびに、新たな施設を建設し、維持するだけの財政的余裕がないこと(MSSDの予算が国家予算に占める割合は、1.9%(1982年)にすぎない)等の事情による。

 なお、障害者の中でも障害労働者に対する職業リハビリテーション・サービス(年間約3,000人の障害労働者に適切なリハビリテーション機関・施設を紹介すること等を通して、彼らが元の職場に復帰したり、新たな職に就くのを援助すること)は、労働・雇用省の雇用補償委員会によって行われている。同委員会では、また障害労働者の職業的自立達成を援助するための施設として、「労働者リハビリテーション総合センター」を設置する構想を持っている。(当初計画では、1983年に完成することになっていた) 

 フィリピンには、前述の公共施設等のほか、民間団体等による様々なリハビリテーション機関および施設がある。それらのうち代表的なものとしては、「エルクス脳性マヒセンター」、「段階のない家」(主として両下肢マヒ障害者を対象とした、寄宿舎制のワークショップ)、「EPHETA」(盲児・者を対象とした総合リハビリテーション施設)等がある。なかでも、わが国関係者が、同国の障害者就職援助プログラムから学んだものとして特筆すべきものは、マニラ市内のラサール公園に聴覚障害者団体によって設置・運営される軽食堂であろう。これにヒントを得て、わが国各地に「聴覚障害者の店」が設置されることとなった。

 5.今後の課題

 フィリピンにおける障害者のリハビリテーション施策は、主として大都市に設置された公立および民間のリハビリテーション施設等を中心に展開されており、地方都市および農村地域に住む障害者は、一部で実施されている地域リハビリテーション・プログラムの対象者を除き、ほとんどその恩恵には浴していない。

 フィリピン政府も、この問題を認識し、1983―87年の「開発5ヵ年計画」では、食料生産、エネルギー開発および農村開発の促進にくわえ、教育と保健サービス等、国民福祉の向上を最重点施策としているが、政情不安と経済事情の悪化等により、この計画を強力に推進することは、財政的に困難というのが、実情であろう。

 したがって、障害者のリハビリテーションも含め、社会的に恵まれない国民多数の福祉向上をはかるためには、現在同国が直面している政治および経済上の問題解決が、大前提となると思われる。

 なお、フィリピン政府は、わが国に対してリハビリテーションセンターの整備等、リハビリテーション分野での技術協力を期待しているが、わが国としても、経済以外の分野での両国の協力関係を強化するためにも、今後の国際協力プロジェクトの一環としてこの分野での協力を位置づけることが望まれよう。

参考・引用資料 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1986年5月(第52号)10頁~16頁

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