特集/アジアのリハビリテーション タイ

特集/アジアのリハビリテーション

タイ

 

  1.タイの概況

 タイ王国(以下、タイという)は、アジア大陸の東南部に位置し、東北部および東部はラオス、カンボジア両国と、西北部および西部はビルマと、また南部マレー半島部ではマレーシアとそれぞれ国境を接している。同国の面積は51万4,000平方キロで、日本の約1.4倍である。

 タイ政府(内務省)の発表によれば、同国の人口は、4,788万人(1981年末現在)で、人口増加率は、2.1%(1975―81年の平均)となっている。人口の年齢階層別比率は、15歳未満39%、15―59歳56%、60歳以上5%で、わが国(15歳末満23%、15―59歳63%、60歳以上14%)とくらべ、人口構成はずっと若い。

 都市部の人口は、全人口の13.2%を占めるが、都市の中でも特にバンコク首都圏への集中度がきわめて著しく、1981年末現在その人口は533万人で、第2位のチェンマイ(約10万人)を大きく引き離している。

 1980年の労働力調査によれば、就業人口は、2,252万人で、総人口の48%を占める。また、産業別就業人口は、農林漁業が全体の70.8%を占め、次いで商業8.5%、サービス業8.4%、製造業7.9%となっている。

 この産業別就業人口を1960年のそれと比較すると、農林漁業が11.5ポイント(82.3%→70.8%)減少したのに対し、工業化の進展を反映して、製造業は4.5ポイント(3.4%→7.9%)、またサービス業は3.6ポイント(4.8%→8.4%)それぞれ増加している。特に、製造業の就業人口の伸び率は、1970年代に著しく、年率10%強に達する。

 タイは、1961年から「国家経済社会開発計画」(5ヵ年)を実施しており、今年は第5次開発計画(1982―86年)の最終年にあたる。

 GDP(国内総生産)は、1961年の600億バーツ(1バーツ=約9円)から81年には約14倍の8,170億バーツに拡大し、1人あたりの国民所得も1960年95ドル、70年173ドル、81年758ドルと着実な伸びを示している。(わが国の1人あたりの国民所得は、1981年現在7,758ドルで、タイのそれの10倍強である)

 しかし、数次にわたる開発計画において、特に都市と農村の格差を縮小するため、農村開発が主要目標の1つに掲げられてきたにもかかわらず、その格差はむしろ拡大傾向にあり、1981年の場合1人あたりの年間所得は、首都圏の2,121ドルに対し、最も低所得地域の東北地方では、284ドルにすぎない。こうした地方の農村地域には、1,000万人もの絶対的貧困状況(最低限度の生活を維持できない状況)に取り残された者がいるといわれる。

 タイの歳出予算(1983年度の総額は、1,770億バーツ)の内訳をみると、経済関係費、教育費および国防費がそれぞれ約20%で、これらが歳出予算のほぼ60%を占める。社会福祉関係費も含まれる「公益事業費」は約6%で、わが国のそれとくらべ、ほぼ3分の1の水準にすぎない。しかも、公益事業費は自立農民育成、山岳民族福祉等にも充当されていることを考慮すれば、この予算規模はきわめて不十分なものといえよう。

 タイにおける社会保障制度は、公務員を対象とする老齢・退職給付および医療給付、ならびに、従業員数20人以上規模の民間企業で雇用されている労働者を対象とした労災補償給付(同制度の詳細については後述)があるのみで、国民一般を対象とした制度は未整備である。

 2.障害者の状況

 タイにはいまだ障害者に関する包括的な福祉法制はない。現在、内務省公共福祉局(Department of Public Welfare)が1987年制定をめざして「障害者リハビリテーション法」案を準備中ということであるが、同法案の内容については、障害者の定義も含め、明らかではない。

 また、同国ではこれまでのところ全国的な障害者の実態調査が行われたことはなく、公共福祉局が1973年に東北地方の主要都市コンケンに身体障害者のための職業訓練センターをつくるにあたって、そのニーズを確認するために同地方で実施した、サンプル調査によって得られたデータがあるのみである。

 同調査結果によれば、調査対象者の5%が身体障害者であり、障害の原因別では、ポリオによるものが最も多く、次いでろう、慢性疾患によるものの順となっている。

 都市部では実態調査は行われていないが、病院受診者の記録から得られたデータでは、交通事故による身体障害が最も多く、次いで盲、ポリオ等による両下肢マヒの順で、ろうはきわめて少ない。しかし、これは必ずしもそれぞれの障害の実際の発生率を反映したものではないと思われる。

 タイ政府としては、「国際障害者年長期行動計画」の一環として、障害者に関する正確なデータを把握するため、とりあえず全国の障害児・者関係施設から資料を収集し、年齢、性および障害別状況等について分析することを検討したが、予算不足でこうした調査さえ実施できなかったといわれる。

 なお、民間団体である「肢体不自由者財団」が1983年にバンコクで行った障害者の生活実態調査によれば、その収入(月額)階層別状況は、無収入または定期収入なし13%、43ドル未満46%、43―85ドル26%、86―128ドル13%、129ドル以上2%となっている。これは同年のバンコク市民1人あたりの平均月収278.6ドルとくらべ、きわめて低く、障害者がいかにきびしい生活状況におかれているかが、こうした数字から想像できる。

 3.リハビリテーションの発展

 タイで障害者に対する援助が法的に規定されたのは、1941年に施行された「乞食統制法(Beggar Control Act)」である。同法に基づき、身体障害を持つ乞食を収容するため、バンコク郊外に国立施設「プラパデン障害者ホーム」(収容定員650人)が同年開設された。同ホームは、当初は単なる収容施設と位置づけられ、こうした障害者の社会的自立を援助するといった積極的なサービスの提供は行われなかった。

 したがって、それ以外の一般の障害者に対する福祉的サービスの提供は、もっぱら民間の慈善事業団体等に委ねられてきたわけである。

 しかし、同国でも第2次世界大戦以降の反政府活動、疾病、産業化による労働災害や都市化による交通事故の多発等で障害者数が大きく増加した結果、障害者問題に対する国民一般の認識が高まってきた。

 それに伴ない、プラパデン障害者ホームは、障害を持つ乞食の収容施設から、「17歳から40歳までの身体障害者で生活に困窮し、自活が困難であり、かつ、伝染性疾患を持たない者」に福祉的サービスまたはリハビリテーションサービスを提供するための施設へと転換を遂げる。

 同ホームでは、現在障害者に対して食住および医療サービスにくわえ、作業療法や趣味的プログラム(たとえば、造花、手芸、マット編み、木彫および刺しゅう)等を提供している。

 1968年には同ホームの近くに国際労働機関(ILO)から技術協力を得て、「プラパデン障害者職業リハビリテーションセンター」(後述)が設置されたが、そこでは、主として障害者を自営業につけることを目的に各種の職業訓練を行っている。また、同センターには、訓練終了後も経済的自立が困難な障害者に就労の場を提供するためにワークショップが併設されている。

 1981年の国際障害者年には、それを記念して、民間から560万バーツ(約5,000万円)の寄附金が集められ、そのうちの400万バーツを用いて、バンコク郊外のノンタブリ県に新たに国立のワークショップ(1983年完成、定員200人)がつくられた。それに伴って、プラパデン障害者職業リハビリテーションセンターのワークショップ部門の障害者は全員そこに吸収された。

 そして、その残りの寄附金で「障害者福祉基金」が1982年に設けられた。これはプラパデン障害者職業リハビリテーションセンター等の訓練修了者に対する自営業開業資金等の貸付(1件あたりの限度額は、5,000バーツ)にあてられる。

 4.リハビリテーション施策とその特徴

 タイの中央行政機構は、1府12省1庁よりなるが、そのうち障害者のリハビリテーションに直接かかわるのは保健省(Ministry of Public Health)、文部省および内務省であり、内務省の中に労働災害による障害者の援助業務をつかさどる労働局と、それ以外の一般障害者を対象とする公共福祉局がある。

 なお、傷夷軍人に対するサービスは、後述の「タイ退役軍人団体」によって提供される。

 1)医学的リハビリテーション

 タイ全体では、国立および私立をあわせ714(1980年現在)の病院があるが、そのうち医学的リハビリテーションセンターとしての機能を備えているのは、国立の6病院のみで、しかもこれらの病院は1ヵ所を除き、すべてバンコク市内にある,(注1)。それ以外に国立と私立をあわせ、50近くの病院にもリハビリテーション科がおかれてはいるが、その大半の病院におけるリハビリテーション医療は、理学療法に限られているといわれる。それは、医学的リハビリテーション専門スタッフのうち、理学療法士(PT)については、養成校が3校(各校とも毎年25―30人のPTを送り出している)あるのに対し、作業療法士(OT)養成校は、1983年に設置された1校(4年制)のみで、いまだ卒業生は出していないこと、また医学部を持つ大学は7校(同学部卒業生総数は年間約600人)あるが、リハビリテーション医学を専攻する学生の数は、ごく限られていること等による。

 保健省の管轄下には、前述の病院にくわえ、精神・神経病院(13ヵ所)、精神科センター(3ヵ所)および精神薄弱病院(1ヵ所、同病院は精神薄弱者訓練施設に併設)がある。

 このように、質・量的にはまだまだ問題は持ちながらも、タイの医学的リハビリテーションサービスは徐々に充実されてきているが、同国の医療制度上の問題としてより深刻なのは、すでにふれたように、公務員を除き、国民一般を対象とした医療保障制度が整備されていないことである。

 傷夷軍人については、タイ退役軍人団体が運営する「退役軍人病院」等で医療から職業訓練にわたる総合的なリハビリテーションサービスが提供されているが、後述の労災補償制度でカバーされる被災労働者の場合でも医療給付額が限定されていること等により、医学的リハビリテーションサービスが必要であるにもかかわらず、それを受ける経済的余裕がない者が少なくない。ましてや、通常の治療さえじゅうぶん受けることのできない国民の大半にとっては、リハビリテーション医療の恩恵に浴することは望むべくもないというのが実情であろう。

 2)教育的リハビリテーション

 タイの初等中等教育制度は、1978年よりわが国と同じく6・3・3制がとられた。各教育段階別に就学率(1983年)をみると、初等教育(7―12歳)96%、中等教育(13―18歳)29%となっており、義務教育の小学校では4年次まではほとんどすべての児童が就学しているものの、5、6年次については、未就学の児童がかなりいる。

 文盲率は、1980年現在12.0%(わが国0.3%)で、ASEAN各国の中では、最も低い水準となっている。

 文部省では義務教育年齢にある障害児のうち肢体不自由児については、原則としてできるかぎり一般の小学校に就学するよう奨励することを基本方針としており、公立の肢体不自由養護学校は1校設置されているのみである。

 肢体不自由児以外の障害児については、専門の教員の確保が困難という事情等で一般校での対応が難しいため、公立校としては、ろう学校8校(注2)、盲学校2校および精神薄弱養護学校2校が設置され、主としてそこで初等教育が行われている。

 以上の公立校にくわえ、「肢体不自由者福祉財団」、「タイ盲人財団」および「精神薄弱者福祉財団」等の民間団体が、それぞれ障害別に特殊学校(主として小学校)を設置・運営するとともに、これらの団体の多くは、義務教育を終えた障害児等を対象に職業訓練プログラムも提供している。

 たとえば、盲人財団の場合、盲児(6―18歳)を対象とした「バンコク盲学校」(生徒数は、寄宿生と通学生をあわせ160人)を設置するとともに、盲人(15―25歳)のための職業訓練校を設け、木工、タイプ、電話交換、籐細工、陶器づくりおよびマッサージ等の技能訓練を行っている。

 しかし、前述の特殊学校は、数が限られており、しかもその大部分がバンコク周辺に集中しているため、農村地域の障害児でこれらの学校で教育を受けられる者は、きわめて少数と思われる。

 3)職業および社会リハビリテーション

 一般の障害者を対象とした職業および社会リハビリテーションサービスは、前述の民間団体によるものを除き、公共福祉局が設置・運営するプラパデン障害者職業リハビリテーションセンターおよび「コンケン障害者職業訓練センター」等で提供される。

 両センターは、身体障害者(原則として、17―40歳の肢体不自由者で、日常生活動作の自立している者)の職業的自立を援助するための訓練施設であり、各センターの定員、訓練期間および訓練職種等は、下記のとおりである。

表1 プラパデン・センターおよびコンケン・センターの定員・訓練期間・訓練職種別入所者数      (1982年8月現在)
  プラパデン・センター コンケン・センター

定 員

100人 50人

訓練期間

1年 6カ月
訓練職種および入所者数  

 

洋裁 34 洋裁・洋服 26
ラジオ・テレビ修理 64 ラジオ・テレビ修理 29
電気機器組立 10 理容 9
熔接 10 美容 9
皮革 28    

146

70

 プラパデン・センターの訓練修了者の就業状況(1981年)をみると、自営業(59%)が最も多く、次いで民間企業への就職(22%)、ワークショップでの就労(10%)等となっている。

 ワークショップは、職業リハビリテーションセンター等での訓練終了後も一般就職が困難か、あるいは、一般の労働市場で仕事に就く準備ができていない障害者に、就労の機会を提供することを目的としたもので、現在のところタイ全体で公立のワークショップは4ヵ所(肢体不自由者施設1、盲人施設1および精神薄弱者施設2)あるのみで、それらは、国際障害者年を記念して創設された、前述の「ノンタブリ・ワークショップ」(定員200人)を除き、いずれも20―50人規模のものである。

 公共福祉局では、これらの身体障害者を対象とした施設(プラパデン障害者ホームを含む)のほか、精神病回復者のための中間施設(1ヵ所)と障害児施設(3ヵ所)を設置している。

 中間施設(1968年開設、定員250人)は、バンコク郊外にあり、そこでは、精神病院退院者を対象に大工作業、農作業および熔接等の職業訓練を行うとともに、地域の一般企業等で職場実習をさせることを通して、こうした人びとの地域社会への再統合を援助している。

 障害児施設は、具体的には「肢体不自由児ホーム」(定員250人)、「精神薄弱幼児ホーム」(定員300人)および「精神薄弱児ホーム」(定員300人)の3施設で、いずれも身寄りがないか、家族と一緒に生活できない障害児の収容援護を目的としたものである。特に肢体不自由児ホームでは、収容した肢体不自由児(5―18歳)に義務教育および職業訓練を行っている。

 5.労災リハビリテーションセンターとわが国の技術協力

 タイ政府(内務省労働局)は、急増する労働災害による被災労働者を救済するため、1974年に「労災補償基金制度」を創設した。その給付内容は、当初、療養費給付(限度額3万バーツ)、休業補償給付(月額給与の60%、最高52週間)、遺族補償給付(月額給与の60%、最高5年間)、障害補償給付(月額給与の60%、最高10年間)および葬祭料(月額給与の3ヵ月分)に限られていたが、1985年に行われた同制度の一部改正により、リハビリテーション費(限度額2万バーツ)も支給されることになる。

 同制度を所管している労働局労災補償基金部によれば、同部が把握している被災労働者の状況は、下記のとおりである。

 表2から明らかなように、労働局労災補償基金部に給付請求のあった被災労働者数は、年を追ってふえ、同制度発足当初の1974年には3,200人であったのが、1982年には2万9,477人と9年間でその数は9倍以上となっている。

 また、この9年間に被災労働者のうち永久一部労働不能となった者の総数は8,933人、永久全労働不能となった者の総数は63人で、両者をあわせると約9,000人にのぼる。

 しかし、この被災労働者数は、労災補償基金制度の適用を受ける従業員数20人以上規模の民間企業に限られており、タイ全体の被災労働者数は、前述の数字をはるかに上まわることは確実であろう。

表2 被災労働者の推移(1974年~1982年)(人)
合計 一時労働不能 永久一部労働不能 永久全労働不能 死亡
1974 3,200 2,704 401 95
1975 4,605 3,937 535 1 132
1976 10,136 9,141 854 3 138
1977 16,537 15,073 1,260 6 198
1978 20,135 18,697 1,219 9 210
1979 24,370 22,962 1,104 8 296
1980 25,334 23,836 1,194 13 294
1981 27,723 26,124 1,275 10 314
1982 29,477 28,115 1,094 13 255

 (資料出所)労働局労災補償基金部

 一方、同国にはこれまでのところ、主として被災労働者を対象とした労災病院やリハビリテーション施設は皆無であり、したがって、被災労働者の治療およびリハビリテーション医療についても、リハビリテーション部門を持つごく限られた数の公立病院等に依存している。

 こうした状況のもとに、タイ政府は第5次国家経済社会開発計画(1982―86年)において、労働者の福利厚生、労働環境改善、被災労働者への援助等、労働者の保護政策を打ち出すとともに、リハビリテーションを通して被災労働者の職場復帰または職業的自立を促進することは、これらの労働者の福祉向上に資するばかりか、国家経済にとってもプラスになるとの認識のもとに、「労災リハビリテーションセンター(以下、IRCという)」設置計画を策定し、その計画を具体化するため日本政府に協力を要請した。

 それを受けて、わが国政府はその背景およびIRC構想の妥当性等を調査するため各種の専門家からなる調査団をタイに派遣し、検討した結果、タイ政府に対してIRCプロジェクトの実現に必要な無償資金協力および技術協力を行うことを1983年秋に決定した。

 1)被災労働者の状況

 労働局労災補償基金部によれば、被災労働者の産業別状況(1981年)について発生件数の多いものから順にみると、食品・食料・タバコ製造業4,490、金属製品・機械製造業4,485、建設業2,759、繊維・衣料製造業2,545、輸送機器製造・修理業2,541等となっている。

 被災労働者のうち、障害者となった者(永久一部労働不能および永久全労働不能の者)は、1981年の場合1,285人であるが、その障害原因別では、機械事故によるものが最も多く、全体の4分の3以上を占める。また、障害部位別では、手・指の切断または機能障害が82%を占め、最も多く、次いで足・足指6%、眼3%となっている。

 労災補償基金部が、被災労働者のうち障害者を対象に1983年に行ったサンプル調査(サンプル数400)によれば、これらの障害者の状況は次のとおりである。

 ①障害の部位別状況:障害者のうち、指、手または腕に障害(切断または機能障害)のある上肢障害者が全体の84%を占め最も多く、次いで下肢障害者7%、視覚障害者5%、その他4%となっている。

 ②年齢的状況:障害者の年齢構成をみると、20歳台の者が53%で最も多く、次いで20歳未満の者24%となっている。つまり、全体の4分の3以上が、30歳未満の比較的若い障害者層によって占められる。

 ③教育程度別状況:障害者の教育程度別状況については、小学校(4―6年)卒業者が最も多く、全体の83%を占め、次いで技術学校卒業者の16%となっている。

 ④職場復帰状況:労災による障害者のうち、元の職場に復帰した者(316人)は、全体の79%である。その81%にあたる255人は、同一職種に復職している。そして、これらの障害者で他企業に就職した者は、わずか1人を数えるのみである。このことは、タイにおける障害者の就職あるいは再就職の困難さを如実に物語るものであろう。

 2)IRCの基本構想

 前述のような労災による障害者の実態およびタイの労働市場の状況を考慮して、IRCの基本構想は、次のとおりとされた。

 ①障害者の現職復帰を目的とした比較的短期(4ヵ月程度)の職業準備プログラムに重点をおく。

 ②現職復帰が困難な障害者に対しては、自営業での自立をめざした長期(1年程度)の職業訓練プログラムを提供する。

 ③入所者のうち、機能維持・回復訓練が必要と判断された者には、医学的リハビリテーションサービス(理学療法および作業療法)を提供する。

 つまり、IRCにおける障害者に対するサービスは、あくまで職業リハビリテーションを中心としつつ、付加的に医学的リハビリテーションを行うということである。

 IRCで提供される職業リハビリテーションサービスのうち、職業準備および職業訓練プログラムの定員および訓練職種は、表3のとおりである。

表3 IRCの職業準備・職業訓練課程の定員と訓練職種

区 分

定員
(注)

訓 練 職 種

職業準備 70人 機械、金工、木工、組立および事務の各作業
職業訓練 30人 家庭用電気製品(テレビ・ラジオ等)の修理および洋裁

 (注)一時点での定員は100人であるが、年間延定員は250人程度となる。

 職業準備プログラムの訓練職種として機械、金工および木工作業が選ばれたのは、これらがタイにおける労災事故多発業種に関連するもので、入所者の現職復帰を促進するには、こうした作業を通してその職業適応能力の向上をはかる必要があるからである。

 また、職業訓練の職種として家庭用電気製品の修理および洋裁が選定されたのは、公共福祉局が設置した既存の職業リハビリテーションセンター等における訓練職種として、男子では前者が、女子では後者が最も人気のある職種であり、かつ、これらの職種での自営が現実的にもじゅうぶん可能であること等の理由による。

 なお、IRCの設置場所としては、リハビリテーション部門をもつ公立病院との連けいがとりやすく、かつ、障害者や職員にとって比較的通勤の便のよいバンコク郊外が選ばれた。

 3)わが国の協力内容

 IRCに関してわが国政府(実務は、国際協力事業団)からタイ政府に対して行われることになった協力の内容は、建物(延床面積約6,600平方米)およびリハビリテーション関連機材等の整備に要する経費として、10億9,000万円を限度とする無償資金の供与、協力期間中(原則として5ヵ年)のタイ側専門職員の日本での研修ならびに日本側専門家(職業評価、職業指導、職業準備、職業訓練および作業療法分野)の派遣等である。

 IRCの建物は、1985年3月に完成し、業務は翌4月より開始されている。また、日本側専門家7名が、すでに1984年秋、派遣されるとともに、タイ側の一部専門職員の日本での研修も1984年より計画的に実施されている。

 4)IRCの現況と将来展望

 1985年12月未までにIRCに入所した労災による障害者は延べ53人で、現在入所中の者は37人である。すでにIRCを退所した者16人のうち、11人は職業準備課程を終了し、元の職場に復帰。他の5人は、帰農および再手術のための入院等となっている。

 現在入所中の者37人の訓練別状況は、職業準備16人(機械3、金属加工4、組立4、木工4、事務1)および職業訓練15人(家電修理6、洋裁9)で、残りの6人は職業評価期間中の者である。

 現時点で入所者が定員を大幅に下まわっているのは、タイ側の専門職員が実務に習熟するまでの間は、入所者数を徐々にふやしていくという運営方針が打ち出されていることにもよるが、入所選考でIRCへの入所が適当と判断された者のうち最終的には入所を辞退した者が約3分の2にものぼるということからも明らかなように、より基本的な問題は、障害者の側の雇用継続への不安(訓練等のため職場を数ヵ月離れると、そこに戻れなくなる可能性があること)および経済的事情(訓練を受けやすくするような訓練手当制度がないこと)等にあるように思われる。

 労働局労災補償基金部では、IRC訓練終了者の職業的自立を援助するために、民間から寄附を募り、基金を設けるなど、IRCの運営を円滑にすすめるための対策を講じているが、同センターが本来期待された役割をじゅうぶん果しうるためには、被災労働者に対して、受傷直後の治療からIRCでの訓練終了後の職場復帰援助およびフォローアップまでの総合的なサービスを一貫して提供しうるようなシステムづくりが、関係機関等との密接な連けいのもとに推進される必要があろう。

 わが国としても、リハビリテーション分野におけるはじめての国際協力プロジェクトであるIRCを是非とも成功させるよう、最大限の協力をすることが望まれる。

 6.今後の課題

 タイ内務省公共福祉局は、同国における障害者のリハビリテーションをすすめるうえでの今後の課題として、

 ①「障害者リハビリテーション法」の早期制定。

 ②職業リハビリテーションセンターおよびワークショップの増設。

 ③リハビリテーション専門職員養成制度の拡充、

等をあげている。

 しかし、より基本的な課題は、国民一般を対象とした社会保障制度(所得および医療保障制度等)の整備、ならびに都市部と農村部の格差―これには、所得問題だけではなく、医療やリハビリテーション施設等、社会資源の偏在の問題も含まれる―の是正をいかにすすめるか、であろう。

 きわめてきびしい財政事情下で、緊縮財政政策をとっているタイ政府としては、こうした課題解決の必要性はじゅうぶん認識しながらも、そのために社会保障関係予算を大幅にふやすということは、現時点では困難であり、当面は、国内外の関係機関や団体等(国際機関・団体、民間団体およびボランティァ等)の協力を積極的に得るとともに、限られた社会資源を最大限有効活用することにより、これまでリハビリテーション・サービスの恩恵にあずかっていない障害者―特に農村地域で生活する者―のリハビリテーション・ニーズに対応していかざるを得ないと思われる。

参考・引用文献 略

(注1)タイには、現在6,867人の医師(医師1人あたりの人口は、6,870人で、わが国の714人とくらべ、1割強の水準)がいるが、その半数以上は、バンコク首都圏に在住しており、農村地域の医療事情はきわめて悪い。
(注2)ろう学校の大半は、バンコクにあり、そこでのカリキュラムは、裁縫、料理、彫刻、油絵、ろうけつ染および縄作り等の職業技能の習得におかれている。なお、ろう児も含め、障害児で中学校を卒業する者はごく少数といわれる。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1986年5月(第52号)32頁~39頁

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