特集/太平洋地域のリハビリテーション 太平洋地域の概

特集/太平洋地域のリハビリテーション

太平洋地域の概要

 〈地勢〉

 西暦1521年フェルディナンド・マゼランは、彼が太平洋と名付けたこの静かな海を航海した最初のヨーロッパ人となった。彼は大きくて山の多い大陸型の火山島から、小さくて砂地の低いあるいは隆起した珊瑚礁の島々までバラエティに富んだ島々の様子を描写している。

 大陸型の島々は、おおむね大きくて島の形や地形も様々で動植物も多種にわたっている。したがって多くの人口を養うことができる。ニューギニア、ニューカレドニア、ソロモン諸島の大部分はこの型である。

 火山系の島々は、どちらかといえば小さいがそれでもまだ大きい方である。切り立つ崖などが多く、人々は主に海沿いの地区に住んでいる。グアム、トラック、ポナペなどはすべて火山系である。

 その他は、珊瑚礁の島々で、中心にラグーンと呼ばれる浅瀬があるのが普通である。こうした砂地の小島はごく平らで動植物の種類も非常に少ない。しかし、これに対応して珊瑚礁の上や周辺の海には数多くの海の生物が棲息している。島々のいくつかに燐酸が見られる以外は鉱物は存在しない。珊瑚礁の島々の住民は自分達の島ではとれないので、皆、航海術に長けている。マーシャル群島やキリバス島は、すべて低い珊瑚礁の島で、一方ナウルは、何らかの理由に依って、海抜上に隆起した珊瑚礁の島の例である。

 〈住民〉

 太平洋地域は民族的社会的に、三つの地域に分けられる。ポリネシアとメラネシアは、おおむね赤道の南、ミクロネシアの北に位置する。

 メラネシア人

 人々は黒人系の外見をしており、髪はヘイロアフロ型にしている。肌の色はチョコレートブラウンから濃いブルーブラックまである。ほとんどの人は大陸型、あるいは火山系の島に住んでいる。それぞれの島の住民の間に社会的に大きな違いがあるだけでなく、同じ島でも人を寄せつけない険しい地形のために、海岸地帯に住む人々、平地の人々、奥地の谷間や山岳地帯に住む人々の間にはかなり大きな差異が見られる。したがってメラネシアでは、風俗習慣、芸術、文化、言語などに大きな違いが生まれてきた。共通項としては、合意に基づく社会であり、贈物のやりとり、義理が見られる。

 ポリネシア人

 ポリネシア人は、背が高く金色がかった明るい色の肌をしており、髪は真っ直ぐかカールしているがあまりちぢれてはいない。大部分のポリネシア人は階級制あるいはカースト制をとっており、世襲制のチーフがいて社会制度は厳しい。メラネシアと違ってポリネシアでは、言語は同質であり方言はわずかに存在するが大体において通じ合うことができる。

 ミクロネシア人

 ミクロネシア人はいくつかの人種が混じり合っているが、主としてポリネシア系の影響が強い。肌は銅色で唇は簿くからだつきは比較的小柄で髪はまっすぐで黒い。世襲制のチーフを持つ。資源に乏しく、生きて行くのがやっとで、余暇時間などは持っていないので芸術などはごく限られている。

 〈社会組織〉

 風俗習慣などは島によって様々であるが、厳格なカースト制を持っているところもあり、王または女王のいるところもあり、奴隷制も普通である。社会的基盤はかつては大家族制にあり、今でもわずかながらその名残が見られる。他の島々と同じく大家族制が、現代化、都市化と現金収入の導入によって、大きく影響されている。今日最大の宗教はキリスト教であり多くの島民がキリスト教の行事に積極的に参加している。

 小さな島に住む者の常として、個人間の対立をさけるために人に物を尋ねられても、本当の事を言う代りに相手の喜びそうな答え方をしてしまうという風潮が、長い間に出来上ってしまっている。

 換言すれば、あなたがどんな質問をしたとしても、あなたが期待していると彼等が信じている答えしか返って来ない。これは同様に方角を聞いたり、世論調査をしたりする場合にもあてはまる。否定したり、知らないといったり、質問者にとって不快な答えをする代りに、より肯定的な答え方を考え出して答える。このためまたほとんど、文字を知らないために、アンケートなどというものは、ほとんど役に立たない。観察こそ最も信頼できる方法である。

 〈世界大戦〉

 二つの世界大戦は、大平洋の島々に深刻な影響を与えた。第一次大戦はニューギニア、ミクロネシア、サモアにおけるドイツ支配に終止符を打ち、続いて日本の植民地支配が始まった。第二次大戦では、日本は最終的に降伏に至る前に中部、北部太平洋の大部分における支配能力を失っていた。そこで、アメリカ合衆国は、アメリカ本土からアジアに至る太平洋地域に勢力を拡張した。

 第二次大戦後、国連は太平洋の島々に将来、経済的、社会的、政治的独立を与える条件で、国連信託統治地域である事を宣言した。イギリス、オーストラリア、ニュージーランドは1960年代に島民達に対して勢力を伸ばし始めた。合衆国は、現在、信託統治を終らせようとしている。フランスは、バヌアツの独立に抵抗している。同様に、独立を熱望しているカナクの現住民の怒りをよそに、フランスは、ニューカレドニアをフランス政治体制の中に組み込む事を決定した。障害者の問題に関連していえば、戦争のもう一つの面として、今日なお生々しい問題は島中に散在する不発弾の問題である。島の人々は、今なおこうした戦争の遺物によって障害者にさせられている。イギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどは、この問題の処理のために不発弾処理部隊を定期的に派遣している。アメリカ合衆国や日本はもっとこの問題に関心をもつべきである。

 〈障害をもつ人々に影響を与えている主要問題〉

 本調査の結果、障害をもつ島民のニーズに関わる重要な問題が明らかになった。以下に列挙するが、それぞれ相互に関連しており個別に扱うことはできず、また問題に序列をつけることもできない。それぞれについて、全体としてのコメントに加え、アメリカ統治地区と独立諸国それぞれの特色を述べていく。

 国外援助

 アメリカの統治地域に対する外国援助のほとんどは、アメリカの連邦プログラムの関連でなされている。これらのプログラムは、ほとんど例外なく、本土50州の基準に合せて作られているので、太平洋地域の水準に比べると極瑞に高い。しかしながら、すべての島が、同じ様に基金を受けているというわけではなく、或る場合には、割り当て分のほんの一部しか貰えない場合もある。現地での資金は限られているので、デモンストレーションプログラムのための“タネ金”は一時的なプログラムを支えるだけで終ってしまう。

 プログラムによっては、現地の利益に反する結果を招く事もある。(食料切符の発行は、農業や漁業を続けて行こうとする意欲を失わせ、伝統的な親族間の相互扶助のネットワークをこわしてしまう。又障害者を治療や職業訓練のためにホノルルヘ送る事は、個人を社会から孤立させることになる。)

 独立した島々でも、かなりの程度、国外からの援助に頼っている。一方、障害者用のプログラムの多くは全て、或いは大部分、地元によってまかなわれているのが実状である。残念ながら国外援助が必要な場合には、献金団体が多過ぎて、合理化することがむずかしい。一方、献金する側は客観的評価を嫌って、そういう事のないプロジェクトに献金したがる。又、現地のグループは、年間の割当て基金を消化するために、島にとっては、ムダ金と思える様なプロジェクトに金を費やしてしまう。

 現金による補助とか、職業訓練とか以外に太平洋地域に対する援助は、四肢麻痺者への車椅子など“グラマーエイド”の形をとる事が多い。しかし、個人の福祉にとって、本当に必要な継続性のある援助となると非常に少ない。ス、ハイテク、或いは中程度の技術によって装備されたものも現地用には殆んど不向きである。車椅子も島の環境に合う様にはなっていない。又、プログラムも現地に合った技術で、現地のニーズに合った様に作ってくれる工場などを援助せずに、ハイテク製品を買う様にすすめるプログラムもある。

 施設などを建てる資本協力プログラムも、又建築資金などの面で長期にわたって問題となることもある。大きな問題は、外国からの基金が削減されたり、止まったり、一回限りにされたりした時に、島の限られた財政では、予備金などはないのでプログラムを継続する事が困難になる。基金の出し方とか、契約とかは、島のニーズに合せるよりは、基金提供者の都合で決まってしまう。

 地理

 島々の間に存在する社会的、地理的差異は、強調されすぎるという事はない。ミクロネシア一つをとってみても、2,000以上の島から成っている。これらの島々はアメリカ本土よりも広い海域に散在しているが、全部合せた面積は、ロードアイランドと同じ位の広さである。独立国キリバスは35の環礁から成り、広さは800平方kmしかないが、ヨーロッパの2倍の広さの海域に散らばっている。

 人口がこんなに分散していて、通信や交通が誰の目にも明らかなほどむずかしい状態のところで、どうやって障害者問題のプログラムを作っていったらよいのか。一番近い所に住む盲人の人さえ隣の村で、それもボートで2日もかかる所だったり、又は週に一度の飛行機便しかないという有様である。

 唯一の現実的な方法は、障害者の基本的な問題については、現地のフィールドワーカーに任せ、一方、資金や専門的知識技術については、お互いに分かち合って行く方法である。このやり方はニューヨークに本拠を置くヘレンケラー・インターナショナルによって非常にうまく行われている。このHKIコミュニテイ・ベイスト・リハビリテーション・プログラムは、フィージー、西サモア、パプアニューギニア又はいくつかのアジア、アフリカの国々で、視覚あるいは聴覚の障害者に役立っている。(詳細についてはフィージーの項参照)

 フィージー政府は、WHOのパイロット・プロジェクトにおいて、あらゆる種類の障害者に対してこの考え方を広めようとしている。そして最終的には、アメリカ領の島の人々におしつけられた中央集権的な職業訓練リハビリテーションモデルをとるか、この根本的で発展性のある方法を選ぶか、全障害者の合意をとりつけたいと願っている。

 環境

 島々で効果的な下水処理を行うことは清潔な飲み水を供給することの次に大事な事である。

 これが実現されたあかつきには、健康問題の多くは克服されるか、或いは最少限に止める事が出来る。安全なゴミ処理の問題ももう一つの緊急な課題である。道路や島の海岸には、こわれた車やさびた缶、割れたビンなどが散乱し、それらによって怪我をし、細菌感染を起こしても治療も受けないケースが多く、重大な障害を引き起こしてしまう。

 開発が急速に進み、過密やその結果としての環境の悪化が、特有の後天的障害への危険性をもたらす。工場労働、航空機や船舶の積み下ろし、アルコールの乱用、“良くなった道路”(スピードの出し過ぎは事故につながる)、食生活の変化、可処分所得の増加による役割分担の変化。これらいわゆる“生活向上”はすべていつか高いツケが回って来る。これらは精神障害の増加の原因と見られている(自殺率が極端に高くなっている)。また、糖尿病、心臓病、整形外科的不調などを含む身体的障害もそうである。又、マーシャル群島では核の灰を浴びた環礁の住民の特殊なケースについても忘れてはならない。

 財政問題

 “金ですべて解決できる”という考え方が、まん延しているが、これは、この島々の実状とは恐ろしくかけ離れている。先に述べた様に“開発”によって新しい型の障害にさらされる人の数がふえている。いくつかのプログラムは良くいって無効、悪くいえば破壊的である。

 現金収入のある仕事や、食料切符によって得た悪しき食習慣のこの島にもたらした破壊的影響を考えて見ていただきたい。また、アメリカ合衆国の領土内における差別的やり方、つまり、連邦基金によって障害者に現金補助を与え、事業を始めさせることがあるが、家族の者にはこうした補助はない。ハワイやカリフォルニアでの治療やリハビリは、それを受ける少数の人々にとっては、素晴しい事だが、地元では予算が底をついて、他の何百という人々の最少限の援助さえできなくなってしまう。

 太平洋地域全体にいえる事だが、外国からの基金を受ける際に、それぞれの基金が文化的に全くかけ離れた国から来るために、計算の仕方とか書類の書き方が違っていて、それを理解し、きちんと書類を整えたりするのに、あまりにも時間がかかり、住民側は疑問を感じている。

 現実と期待

 コミュニテイ・ベイスト・リハビリテーション(CBR)モデルが強く支持される一方で、現地における期待は、見ばえのよい観念的な西欧型・施設型のモデルになり勝ちである。基金を提供する側が、そうしたタイプのプロジェクトを好んで援助するために、隔離型の施設がふえてしまう。その上、西洋の国々では、開発途上国からの視察団に対して、西欧型のセンターを見せびらかしたがる傾向があり、また、現地当局も見栄えのよい施設を持つ事に何か名誉を感じる様な風潮がある事も確かである。

 最後に大事な事は、障害者を援助したいと思っている人々に選択の余地がほとんどなく、政府の役人もCBRについて深い知識を持つ者はまれである。こういう状況下で障害者に対して、コスト効率のよい援助を行いたければ、地元の奉仕団体だけでなく、現地政府や外国の援助団体にもその趣旨をわかって貰うように働きかける必要がある。

 人口

 何万、何十万という人口のある国々では、その時に必要な技術や能力を持った人を探し出すのは容易であろう。が、こうした地域では職業訓練を受ける機会もない。「職業的孤立」という言葉はここでは、不吉な意味合いを帯びる。海外で訓練を受けた人は海外に留まり、帰ってくる人は“何でも屋”にならざるを得ない。障害を持った島民にとっては、それに見合った訓練などを受けたいと思っても、現実にはむずかしい。ソーシャル・ワーカーや療法士などの数は少なく、アメリカ領土内では、マーシャル群島のマジエロに整形外科関係の店が一軒あるのが自慢な位である。

 こうした問題にもかかわらず、南太平洋の独立諸国では、少ない資金でも多くの障害者のために何かが出来る事を実地に証明している。

 資格を持ったスタッフが少ないので、むしろ基礎訓練を受けただけのスタッフを使って数多くの障害者に援助を行っている。ソロモン諸島では、脚の装具などは(鉄筋コンクリートの鉄筋など)廃物利用で初歩訓練を受けた作業者が作っている。靴などは木の板に皮のベルトをつけて足が入るようにした。フィージーではHKIで訓練を受けたフィールドワーカー達が、障害の色々なケースを見つけ出し、可能ならばリハビリを行い、白内障など治療を要するケースだけを送り出している。こうしたワーカー達は、いわゆる“専門家スタッフ”の何分のーかの費用で効果をあげている。

 こうした人口の少ないところでの活動は、また別の問題がある。障害者に可能な役割を見出すことはむずかしく、家族が障害者当人の潜在的能力を見つけ出す気持ちがない。そのため家族も当人も過度の期待を抱かない。私が逢った思春期の視覚障害者は、家の誰もが、彼が自分でトイレヘ行けるなどと思いもせず、彼にトイレへの行き方を教えていなかった。また、或る耳の聞こえない子供は、その小さな村では誰一人手話による伝達方法のある事を知らず、意志伝達の方法を持たなかった。

 最後に効果的な消費者運動を発達させる事が出来るかどうかは、次のような事に影響される。人口が少ない上に期待をもつ事もない人々、地理的条件、障害者問題やサービスに関する正規教育の貧しさ、診断をするための条件がマチマチである事などである。

 障害者とその家族に積極的になるよう仕向けるのはよくないとまではいわないが、それに期待するのはやめるべきだ。

 何を普及啓発して行けばよいのかという疑問も生じてくる。というのは、中央集権的で、政府資金依存的で、隔離政策的な国際的アプローチによるものがほとんどだからである。より人間的なァメリカ合衆国のセンターモデルでさえ、グアムやアメリカ領サモアなどを除いては、あまりにもお役所的で制度的であり過ぎる。残念ながら現在は、島の運動家達が、アメリカや他の先進国以外のフィリピンやフィージーなどのプログラムを研究してみようという気配はない。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1986年11月(第53号)3頁~7頁

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