特別レポート 1 日本のアクセスビリティを見る

特別レポート 1

日本のアクセスビリティを見る

GENE GARY GRUVER, Ph. D.
横山和子

 何世紀にもわたって日本列島とアジア大陸は荒海に隔てられ、韓国や中国からの旅行も危険をはらんでいた。1853年、ペリー提督が『黒船』艦隊を率いて来日し、ようやく米国との通商関係が開かれたのだった。その後近隣諸国もこれに続き、イギリス、ロシア、オランダも通商条約に調印した。

 日本の国家形成は4世紀、現存する建造物の中には7世紀にまでさかのぼるものもある。古い建物と都市の多い国だから、日本には、昔、アジア大陸の人々にとって日本海が渡航の妨げとなったと同様に、車椅子旅行者にとっていろいろな障害があるだろうと、車椅子時代到来の何年も前に考えられていたのも無理からぬことである。しかし、驚いたことに、この日出る国にある物理的障害は、我が合衆国各都市に比べても少ないようである。その他の潜在的障害としては、例えば言語、神の信仰(完璧でないものをすべて悪とみなす、すなわち、障害者は隠れているべきだと考える)や、合衆国以外の国々では今でも、車椅子に乗った人は病人だと考える、という事実(残念なことにこれは合衆国内にさえいまだにみられる偏見である)などがあるが、それとても、予想するほどに根深いものばかりではない。事実、日本へ行かない唯一の理由として思い浮かぶのは、日本には他の国や地域に比べて取り決めが多いようだ、ということくらいであろう。しかし、短時間ではあるが、日本の市街地を車椅子で回ってみて、私は、さらに多くの理由から、次の休暇にはぜひともこの歴史ある島国訪問の計画をたててみることをお勧めする。ミ?・/p>

 成田空港到着と同時に、私はかの悪名高き日本の能率性を体験した。私を出迎えてくれた若者は英語は全く話せないが、障害者が飛行機から降りるのを介助することに慣れていることは明らかで、しかも空港用車椅子は、合衆国の空港で使っている恥ずべきモデルとは違い、はるかに快いものであった。我々は税関部門まで互い違いの通路を通り、万国共通の車椅子マークが貼ってある鍵付きエレベーターに乗った。続いて我がアシスタント君に伴われて旅券入口、荷物受取り所、税関を通過し、道路に出ると、そこには都心行きの乗り物が待っていた。

 成田空港には、病気の場合診察を受けられる医務室の他に、車椅子使用者専用の洗面所の設備もある。

 成田から東京の宿舎までは約64キロあるので、相当の交通費を用意しておくこと。私のように電動車椅子で旅をする四肢マヒ者に比べると、両下肢マヒ者はタクシーの乗り降りにほとんど介助を必要としないので、移動は楽である。車椅子マークを付けたタクシーの運転手は、車椅子旅行者のタクシーの乗り降りを快く助けてくれる。

 ハンディキャブの料金が非常に高いことは心得ておくべきである。私が乗ったハンディキャブは東京まで200ドルもかかったが、都内にはもっと安いものもあるかもしれない。ハンディキャブには最新式のリフトが備えてあり、屋根が高く、酸素設備もあるが、ほとんどの運転手は英語が話せない。

 都心までのリムジン料金は150ドル余り、普通タクシーの料金は距離制で、型によっても異るが、成田から都心の繁華街まで40ドル以下である。

 京都の市営バスには後のドアに車椅子マークをつけたものが多い。しかし、このマークがついているバスに、必ずスロープやリフトの設備があるという訳ではない。単に、入口が広く開くので車椅子に乗ったまま乗り込めるし、介助者がいれば広さは充分だということなのである。

 どこへでも車椅子で行きたくはないとすれば、都内の交通も車椅子旅行者にとって利用しにくいかもしれない。地下鉄に乗るには、階段を何段も下りなければならないが、階段を下りてしまえば、乗るのは楽である。リムジンやタクシーも利用出来るが、料金が高いことは覚悟しなければなるまい。最初の2キロまでがおよそ2ドル、その後1キロごとに1ドル加算されるのである。

 初めての国の初めての町を旅する時に、私達が好んですることのひとつに、車椅子で町を歩き回ることがある。東京でも京都でも(そしておそらく日本中の都市では)ほとんど歩道と車道の段差が切れており、車椅子での観光に便利である。実は車椅子というより自転車用に作られているのだが、機能としては差しつかえない。さらに、平らに舗装されたバイク専用道路も多く、これまた車椅子に好都合である。

 チップは日本ではあまり行われていない。空港でも、タクシー運転手に対しても、チップは不要であろう。駅などポーターを雇える場所では、荷物1コ当りの料金が決まっているが、これはチップというよりサービス料金と考えられている。

 東京のホテルニューオータニとホリデイインには身障者用に設計された部屋がある。退役軍人の場合は便利なことに、まさに世界級のニュー山王ホテルを利用できる。

 日本を旅行するのに、戦災を免れた古都、京都・奈良を見ないのは片手落ちということになろう。ただし、宮殿や寺院の中には、19世紀に焼き払われ、その後、何世紀も前と同じ場所に再建されたものもある。

 神社や宮殿ばかりでなく、多くの寺にもスロープや鍵付きエレベーターがあり、車椅子で拝観出来る。土足で床を汚さない、というのは日本の重要な伝統である。由緒ある建造物の中には、この伝統を車椅子使用者にも適用するために、フエルトカバーのタイヤを使った特殊な『屋内用車椅子』を備えているものも多い。乗り換えが困難な場合には、係員が車をふいて入場させてくれるであろう。

 京都・奈良には神社仏閣が多く、地元の人達に云わせれば「1日1ヵ所ずつ毎日見て回って、一生かかっても見尽くせない」という程である。近接しているものも多いので、車椅子で次々と見て回ることも可能である。観光にハンディキャブを借り切る場合、特に東京で利用した後なら、料金の安いのに驚くであろう。私達が借りたリフト付きハンディキャブは運転手料金も含めて1時間3000円、およそ15ドルであった。京都から大阪空港まではわずか40ドルである。

 東京からでも、他地域からでも、京都へ行くのに一番面白いのは新幹線、別名『弾丸列車』を使う方法である。車椅子旅行者用には専用列車があり、乗車の際には介助をしてくれる。プラットホームは列車と同じ高さなので、ホームに到着すればあとの乗車は楽なものである。ほとんどの駅には列車に通じるエレベーターやプラットホームに上るためのスロープがある。

 新幹線は日本旅行の目玉商品のひとつで、東京から京都まで3時間の旅費はわずか50ドルである。車椅子使用者は3座席占領してしまうので乗車券を2枚買わなければならないところだが、合衆国で障害者パスをとっていれば、切符は半額である。このパスは国際観光振興会を通じても入手出来る。専用列車内では3時間の乗車中ずっと車椅子にすわったままでいられるし、車椅子用のトイレもついている。

 日本で新幹線の切符を入手するには、東京の中心部にある東京駅へ行き、列車長に連絡しなければならない。列車長は英語を話さないので、グッドウイル・ガイドクラブ(Good Will Guide Club)のボランティアサービスを受けるとよい。このサービスは国際観光振興会の管轄下にあり、ここから派遣された英語を話せるボランティアのガイドは、ホテルからどこでも好きなところへつきそってくれる。ガイドの交通費はこちらで払うのが普通であろう。

 ガイドのいない地域へ挑戦したものの、言葉のトラブルに出合った場合には、無料の旅行電話が利用できる。ダイアル106の観光案内センター(TIC)にコレクトコールすればよい。TICは、観光案内ばかりでなく言葉やコミュニケーションのトラブル解決の一助となってくれるだろう。東京と京都のTICのナンバーは同じではないが、3分間の電話料金はおよそ10円、4~5セントというところだ。

 標識の大部分は、ひらがなかカタカナ、すなわち漢字から生まれた日本の伝統的五十音表音文字で書いてあるが、中にはローマ字(アルファベット)で書かれたものもある。スペイン語と同じく、日本語もつづりの通りに発音するので、音節を覚えてしまえば、旅行者でも2、3の日本語の読み書きは出来る。英語でも書かれた標識もあるにはある。しかし、ほとんどが都心部と特殊な地域に限られている。

 日本人はほとんど学校で英語を学んでいる。にもかかわらず、日常生活でそのような人はなかなかみつからない。そこで2、3の日本語を覚えておくと便利だし、日本人に喜ばれる。覚えておくと便利な言いまわしを学ぶには、国際観光振興会編『観光ガイドブック・言葉のトラブルをなくすために』(The Tourist's Handbook:PracticalWays to Reduce Your Language Problems)や、他にも旅行代理店や航空会社の出している小冊子がある。

 車椅子で街に出るつもりなら、ぜひ往来の食ベ物屋を素通りしないことだ。非常に清潔で品質の高いのに、驚くほど安いのである。私は日本の空港や駅で、おいしい寿司や刺身を食べたことがある。

 もうひとつお勧めしたいのは、あちこちの街に点在する果物屋でいろいろなフルーツを試食することである。合衆国では知られていない果物が多い。

 アメリカの日本食レストランでパンやケーキをあまり食べたことがなかったが、種類豊富なパンやケーキ類、よだれの出る程おいしい菓子類には感激した。

(日本の食べ物には病みつきなのね、と皮肉られることが多いが、こと日本食となると熱っぽくならざるを得ないのである。)

 日本は現在、世界の超大国のひとつで、その地位にふさわしいあらゆる文化施設、すなわち美術館、劇場、素晴らしい食事、一流の医療など、合衆国の都市にあるものなら何でも整っている、と考えてよい。が、反面、1500年の歴史は、日本の建築や伝統、社会習慣を我が国とは非常にかけはなれたものにしている。本質的に、この日出る国は両世界の最も良い面をみせてくれるのである。

 歴史的、言語的障害があるにもかかわらず、日本は車椅子で行きやすい国だということは驚威である。カメラやエレクトロニクスのバーゲンもほとんどない。しかし、小売店を利用すれば確実に経費節減になる。

 ここでは私は、無数にある日本の行事や活動とその魅力については、ごく表面的に触れるにとどめ、日本国内を電動車椅子で旅行するとはどんなことかを、ざっと記してきたつもりである。観光情報をお望みなら、旅行代理店に電話すれば、情報を提供し、旅行プランをたててくれるであろう。私の利用している旅行代理店は、車椅子で行ける旅行を専門に扱っており、海外旅行にはぜひこの方法をお勧めしたい。

(Paraplegia News/Nov.1985 vol.39 Number11より)

 

特別レポート 2

米国における州・連邦リハビリテーション・プログラムの動向

――1985会計年度の取り扱い件数から――

Caseload Trends in the State-Federal Rehabilitation Program Through Fiscal Year 1985

GEORGE A. CONN **

曽根原  純 ***

 1985会計年度は、州・連邦職業的リハビリテーション・プログラムの歴史の中で特筆されるべき年度になると思われる。

 それは、長い歴史の中ではじめて、リハビリテートした障害者の数、その中の重度障害者の数と割合、リハビリテーション成功率など、取り扱い件数に関する重要な指標のほぼすべてに関して、前年度を上回る成績を達成したからである。

 なかでも、今年度最も著しい成果とされたのは、22万7,652人にのぼるリハビリテートした障害者の数であり、1984会計年度を0.5パーセント上回った。このようにリハビリテートした障害者の数が前年度を上回ったのは10年ぶりのことであった。その理由としては、次のようなことがあげられる。(1)新規の希望者の数が増加し、サービスを受けている障害者の数も1985年度には4年ぶりの高水準に達したこと。(2)リハビリテーション率(リハビリテートしたことによって積極的な形で取り扱い対象から除外される割合)が引き続き増加したこと。

 リハビリテートした重度障害者の数も、2年連続して増加し、13万5,229人となった。前年度との比較では1.9パーセントの増加であった。リハビリテートした障害者の中に重度障害者が占める割合は59.4パーセントであり、11年連続して過去最高を更新した。この割合がはじめて計算されたのは、1974年のことであったが、そのときに重度障害者の占めていた割合は、わずか31.6パーセントであった。

 もう1つの大きな成果としては、リハビリテーション率の向上がある。リハビリテーション率というのは、リハビリテーションが成功した結果、積極的な形で対象から除外される割合である。リハビリテーション率は前年度の63.2パーセントから64.2パーセントに上昇し、ここ5年間での最高となった。この1パーセントの上昇は、リハビリテーションの成功者が3,600人増加したことを意味する。同様に、重度障害者のリハビリテーション率も、前年度の61.0パーセントから62.2パーセントに上昇した。これは過去7年間で最高の水準であった。

 リハビリテーション・サービスの新規希望者数は、前年度比2.4パーセント増の60万6,526人に達した。これは、ここ4年間で最大の数字であった。

 1985年9月30日現在、職業的リハビリテーションのサービスを受ける資格の判定に向けて待機している希望者の数は、1年前の同日との比較で6.0パーセントと大幅に増加して、過去4年間で最大の24万5,776人となった。絶対数では、新規希望者の年間増加数は、1万3,900人であったが、その数は、1986年度に新しく受け入れられ、サービスを受ける障害者を増加させ、また、リハビリテートする障害者をもある程度増加させることにもつながると考えられる。

 リハビリテーション・サービスを受ける資格を持つと判定された障害者は、35万3,095人に達し、1984年度との比較で1.4パーセント増加した。このように障害者の新規受け入れ数も、この4年間で最大となった。この年間の増加率は、ここ10年間で3番目に高い数字であるが、最近3年間をとった場合には2番目となっている。このことは、新規クライエントの受け入れ数の長期的な、また時には大幅となっていた減少に歯止めがかかったことを示している。

 サービスを受けられるようになった障害者の数は35万3,095人であり、同年度にサービスを受ける資格があると判定された59万3,790人の59.5パーセントを占めた。受け入れ率として示されるこのパーセンテージは、ここ10年間で最高となり、しかも4年連続して上昇していた。

 職業的リハビリテーション・プログラムに受け入れられた重度障害者の数も、3.1パーセント増加して、21万9,120人となった。その増加は3年間連続となっていた。また受け入れ者の中で重度障害者の占める割合も、過去最高の62.1パーセントに達した。

 重度障害者の取り扱い件数に関する他のあらゆる指標も向上した。例えば、サービスを受けている重度障害者の数は2.7パーセント増加して、58万863人となった。その数は4年連続の減少の後、増加に転じた。サービスを受けている障害者の中での重度障害者の割合も、62.3パーセントで過去最高に達した。また、年度の末日(9月30日)の時点でサービスを受けていた重度障害者の数も4.5パーセント増加して、ここ5年間で最高の36万3,493人に達していた。1985年9月30日現在、サービスを受けていた障害者の中で重度障害者の占める割合は、63.0パーセントで過去最高を記録した。1年前の同日現在の割合は、60.1パーセントであった。

 50州とコロンビア特別区の総人口を基準とすると、州の機関は、1984年度に同年7月1日現在の総人口10万人あたり95人のクライエントをリハビリテートさせていた。この割合は、5年間連続して減少していたが、1984年には再び横ばい、ないしは増加に転じた。

 リハビリテーション・サービスに関する資格判定を容易に行うことができない場合には、州の機関は、障害者のリハビリテーション能力を知るために、18ヵ月を超えない期間について、障害者に特定のサービスを提供することができる。このように特定のサービスを提供する過程は、「延長評価」と呼ばれている。1985年度のいずれかの時期にこの「延長評価」を受けた障害者の数は、1984年度との比較で2.3パーセント増加して、4万9,508人となった。このように増加が記録されたのは、7年ぶりであった。全体として、1985年度のいずれかの時期に延長評価を受けた希望者あるいはクライエントは、ほぼ30人に1人であった。

 1985年度のいずれかの時期に州の機関が希望者、延長評価あるいはクライエントとして取り扱った障害者の数は、144万239人であり、前年度の取り扱い数を0.4パーセント上回った。この数字が増加したのは、10年ぶりのことであった。全体の取り扱い数を増加させた最大の要因は、新規希望者の増加であった。1983年から85年にかけて、インフレ率が低下したので、州の機関は、リハビリテーション予算の実質的な増加の恩恵を受けるようになった。各機関では、それに対応して、新規希望者、新規受け入れ者の長期減少傾向に歯止めをかけ、10年ぶりに前年度よりも多くの障害者にリハビリテーションを実施した。

 図1と表1は、リハビリテーションの実質予算と州・連邦のプログラムによってサービスを受ける障害者の数との間に、強い、長期的な相関関係があることを示している。プログラムへの実質支出は、1967年当時のドルによって表示されているが、1968年から75年にかけては毎年増加していたことがわかる。同時期においては、サービスを受けている障害者の数も毎年増加していた。1975年度には、実質支出もサービスを受けている障害者の数もピークに達し、その後1982年度までの7年間には、双方共に減少した。実質支出の低下の原因は、連邦支出の削減とインフレの進行であった。一方、サービスを受けている障害者の数が減少した原因としては、実質支出の減少ばかりでなく、サービスがこれまで以上にコストのかかる重度障害者に向けられたことをあげることができる。

図1 リハビリテートした人とリハビリが完了しなかった人の人数とリハビリテーション率(1975~1985)

  表1 リハビリテートした人とリハビリが完了しなかった人の人数とリハビリテーション率 人数

表1 リハビリテートした人とリハビリが完了しなかった人の人数とリハビリテーション率 リハビリテーション率

 

表1 職業リハビリテーション支出とサービス受給者数 (1967~1985)
実支出額(百万ドル)
(1)
消費者物価支出
(2)
修正額(百万ドル)
(1)÷(2)×100
    (3)
サービス受給者数
   (千人)
    (4)
1985 1,447.4 322.2 449.2 931.1
1984 1,359.9 311.1 437.1 936.2
1983 1,253.8 298.4 420.2 938.9
1982 1,166.6 289.1 403.5 958.5
1981 1,240.5 272.4 455.4 1,038.2
1980 1,257.0 246.8 509.3 1,095.1
1979 1,238.2 217.4 569.5 1,127.6
1978 1,152.5 195.4 596.6 1,168.0
1977 1.111.0 181.5 612.1 1,204.5
1976 1,062.0 170.5 627.7 1,238.4
1975 1,021.3 161.2 633.5 1,244.3
1974 887.5 147.7 594.1 1,201.7
1973 772.6 133.1 580.5 1,176.4
1972 727.2 125.3 580.4 1,111.0
1971 655.7 121.3 540.6 1,001.7
1970 578.7 116.3 497.6 875.9
1969 473.4 109.8 431.2 781.6
1968 393.1 104.2 377.2 680.4
1967 313.7 100.0 313.7 569.9

 実質支出は、1982年度以来、インフレ率の低下により、基本的には、再び上昇に転じた。この上昇は、1985年度まで10年間続いているサービスを受けている障害者の数を増加させるほど大幅なものとはなっていない。しかし、このように実質支出が上昇していることは、サービスを受けている人の数の減少率が1984年度と85年度にはそれぞれ1パーセントをかなり下回り、ここ10年間で最低となっていることにも現れているように、障害者にプラスの影響を及ぼした。

(American Rehabilitationより)

 

特別レポート 3

国連の諸機関による障害分野における技術援助活動

すべての村における予防接種の実施

The United Nations Agencies:Examples of technical assistance activities in the disability field
Target:Immunization in Every Village

Sir JOHN WILSON ****

高 嶺   豊 *****

 ポリオ、はしか、破傷風、ジフテリア、結核、百日かぜに対する世界的な予防接種実施への支援の高まりは、コロンビアのカルタゼナで開かれた「児童の生存に関する特別委員会」において明らかに示された。この委員会には、ワールド・バンクの会長や直接に関係する国連機関の長、また保健省庁の長、国際事業部、開発経済学者を含む80人の参加者が出席した。

 この6つの疾病は世界保健機構の拡大プログラムの中で優先されている。これらの疾病は、発展途上国において多くの肢体不自由者を作りだす主要な、しかし最も予防可能な原因である。ポリオはまだ毎年アジア、アフリカ、ラテン・アメリカにおいて40万人の障害児を生みだしている。

 はしかは、毎年200万人の幼児の死亡の原因であるばかりでなく、栄養失調と関連し、さらに、失明・聴覚障害・精神障害の主な原因である。また、破傷風により、毎年80万人以上の新生児が死亡し、多くの生存児が障害児になっている。ジフテリアと結核はまだ多くの患者を生みだし、百日かぜはまだ死亡と障害の主な原因である。これらの疾病を予防するワクチンは入手可能で、また廉価である。大量に購入すると、この6つのワクチンの価格はまとめておよそ1.10ドルで、さらに貯蔵、冷蔵、管理費に4.30ドルが必要である。これまでは、資金と政治的関心が多大の制約であった。しかしこれらの制約もほとんど無くなりつつあるが、管理運営の問題がまだ残っている。

 イタリア政府は、今援助と開発のためにGNPの1%を供与しているが、幼児の生存に関する予防接種や他の活動に対し1億ドルの供与を公約している。同じ額が米国からも見込まれている。最近の英連邦サミット会議で、カナダは、英連邦諸国の予防接種プログラムの支援に2,500万ドルを供出することを約束した。ロータリー・インターナショナルは、その100周年である西暦2005年までにポリオの撲滅を目ざした運動の一部として、承認された予防接種プログラムヘ5年分のワクチンを供与した。他の政府も世界の予防接種を行うための資源の供出を約束している。汎アメリカ保健機構はラテン・アメリカ諸国のポリオを5年以内に撲滅することを望んでいる。軍隊、民間、地域社会の資源を国の予防接種の日に投入するという運動は、すでにブラジル、キューバ、メキシコ、コロンビアで絶大な成果をおさめている。エル・サルバドルでは、国内の予防接種週間の間、政府軍と反乱軍の攻撃が一時停止された。

 1990年までの目標の達成は、多くの児童人口をかかえたアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ諸国での成績のいかんにかかっている。

 インドでは、暗殺された故インディラ・ガンジー首相を記念して、新しい幼児生存のための企画が策成され、3歳以下の幼児全員に予防接種を行なう。この特別な企画は、天然痘撲滅プログラムのパターンを借り、中央政府から州政府、そして70万以上の村落をカバーするプライマリー・ヘルス・センターのすべてのレベルでの行動が含まれている。中国ではすでに農村・過疎地域の保健に関しては目ざましい成果を上げているが、中国の保健省大臣は、1990年までには、その広大な国内の児童の80パーセントを予防接種するという知事の自信に満ちた言葉を披瀝した。ナイジェリアの保健大臣は、州政府は6つのワクチンの接種政策を実施するために、物品や技術資源の補給の中央集中化を行なうと述べた。

 特に、世界の最も貧乏な国の一つであるパルキナ・ファリは称賛にあたいする。この国では、そこの大臣が国の尖撃作戦と呼んだ運動が展開され、標準的疾病だけでなく髄膜炎の予防接種も行なわれた。

 広範で複雑な世界規模のプログラムでは、財政や政治的決意も管理運営力がマッチしてはじめて効果を発揮することができる。温度の変化に対して極めて敏感な現在のワクチンにとって、「コールド・チェーン」(低温持続手段の継続)と国産ワクチンの質の維持が大変重要な成功の鍵をにぎっている。ワクチンを氷点近くの温度で保ちつつ、製造元からおそらく牛車を使って、信頼のおけない石油冷蔵庫しかないようなアジアの過疎村に運ぶためには、物品の供給や計画等大変な苦労がつきまとう。国の予防接種の日に資源を集中させることで、問題の解決は容易になるし、太陽熱利用の冷蔵庫などの新しい機器も利用され始めている。民間部門の管理運営力も採用される必要がある。カルタゼナの会議で、ほとんどすべてのアフリカの村で、アイスクリームが手に入いるのに政府がコールドチェーンを維持することがなぜそんなに難かしいのか、という発言があった。管理運営網の末端で成功か失敗かの明暗を分けるのは、その地域社会のかかわり合いである。カルタゼナで多様な実例が紹介された。ラテン・アメリカでは予防接種をお祭りやパレードの中に組入れ、アフリカでは伝統的な式典の中に、またアジアでは、宗教や地域社会の行事の中に取り入れている。マドラムでの最近のプロジェクトでは、3,000人以上のボランティアが募集され、全家庭を訪問したり450の予防接種センターで働いた。また、商店やビジネスは休みで、その従業員がプロジェクトに参加した。その間21万6,000のポリオワクチンが与えられた。このような莫大な事業を批判する人は、効果的なプライマリーヘルス体系が欠如しているため、予防接種の効果とは、単に次の年にはコレラかマラリアで死亡するであろう児童を破傷風から救うことではないかと論ずる。その批判への反論として、公衆衛生の歴史は一つひとつの療法の継続であると言える。予防接種プログラムは、総合的な保健を目ざすための最も保障され、かつコスト効果の高い方法の一つである。ある人は、天然痘撲滅の成功のことはすでに忘れ、マラリア制圧の失敗だけを覚えていて、この事業も二の舞を踏むだろうと予測する。しかし、カルタゼナ会議に出席した私達は、これほど自発的な資金の投入や政府の取組みを見たことがない、という感を強くした。

 この世界的事業により信頼性を与えるものとして、世界中の実験室において、今後15年間に公衆衛生分野を塗り変えるような、そして、今世紀末までには、今バクテリアを処理するのと同程度の効果でヴィールスに対抗する新世代の多目的合成ワクチンが徴生物学者の手によって開発され、実際にフィールドテストが行なわれていることである。このような可能性はすでにそこまで来ている。しかし、その高い効能にマッチした供給システムがなければ、その利用も制約されてしまうだろう。

(GEMINI News Service, News, Scan International Ltd, 1985より)

翻訳家

**Commissioner, Rehabilitation Services Administration
***翻訳家

****Hiad, Impact, the International Fnitiative Against Avoidable Disability
*****(財)日本障害者リハビリテーション協会


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1987年3月(第54号)39頁~47頁

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