特集/総合リハビリテーション研究大会'87 リハビリテーション政策の展望

特集/総合リハビリテーション研究大会'87

《シンポジウム Ⅲ》

リハビリテーション政策の展望

―IYDP以降を考える―

司会 板山賢治*

 昭和56年は、障害者の「完全参加と平等」(Full Particepation and Equality)をテーマとする「国際障害者年」(International year of Disabled Persons=IYDP)であった。

 そして、本年は、「国連・障害者の10年」の「中間年」である。

 「中間年」の意義は、「障害者の10年」の前半5年の歩みを点検・評価し、残された課題を明らかにするとともに、後半の5年間における解決策の策定と推進を図ろうとするところにある。

 このシンポジウムのテーマ「リハビリテーション政策の展望」―IYDP以後を考える―は、そうした意味でまことにタイムリーな企画であるといえよう。

 問題なのは、わが国に「リハビリテーション政策」といわれるものが、明確な概念として確立しているかどうかである。いわゆる「医学的・教育的・職業的・社会的」リハビリテーション分野に関しては、それぞれに、法律、行政機構は整備され、所要の施策、財政措置が講じられているが、「政策」と呼ばれるほどには成熟していないところに問題がある。

 一般に、「政策」といわれるものは、一定の理念・政策目標・形成過程・推進方策・財政的裏付が明定され、その政策主体が確立されていなくてはならないといわれる。

 わが国の場合「リハビリテーション政策」に関して以上のような条件を備えた政策主体は、残念ながら存在するとはいえない。

 辛うじて、国際障害者年を契機に設置された「障害者対策推進本部」(総理府)が決定した「障害者対策に関する長期計画」(昭和57年3月)は、ある意味でわが国リハビリテーション政策の一つの集大成といえるかも知れない。それは、「啓発広報活動」「保健医療」「教育育成」「雇用就業」「福社・生活環境」の5部門にわたって「完全参加と平等」を実現するための政府及び地方公共団体が取り組むべき方策を明示しているからである。最近、政府は、中間年にあたり、この長期計画の推進状況を点検評価(中央心身障害者対策協議会)したうえで「障害者対策に関する長期計画・後期重点施策」(障害者対策推進本部)を決定(昭和62年6月)したのである。

 そして、今回の後期重点施策においては、当初計画の「福祉・生活環境」を分離し、「福社」「生活環境」とするほか「スポーツ、レクリエーション及び文化施策の推進」、「国際協力の推進」の項を加えている。

 さらに、この長期計画の目的理念について「すべての障害者は、一人の人間として、その人格の尊厳性を回復する可能性を持つ存在であり、その自立は社会全体の発展に寄与するものであるという『リハビリテーション』の理念と、障害者ができる限り一般市民と同様に生活し、活動することができるような生活条件を障害者に提供するという『ノーマライゼーション』の理念とを基本理念とし、障害の予防、リハビリテーション及び完全参加と平等の目標を実現するための効果的な対策を推進することを目的として、およそ10年間にわたる施策の基本的方向と課題を設定したものである」としている。

 リハビリテーションを「医学・教育・社会及び職業的方法を組合せ調整して用い、障害のある人々の機能を最大限に高めるとともに社会の中での統合を援助する過程」、即ち「障害者の人間復権を目指すもの」としてとらえるならば「障害者の参加と平等」の実現を目指すこの長期計画は、今日のわが国における「リハビリテーション政策」そのものと位置づけてよいように思われる。

 今回のシンポジウムでは、こうした観点にたって「IYDP以後」の展開については、主として政府の定めた「障害者対策に関する長期計画」の点検評価を中心として、残された課題を探り、今後を展望することにつとめたいと考えた。

 シンポジストについては、僅か90分という時間的な制約もあり次の4氏にお願いした。

(1)大川嗣雄氏(横浜市立大学)

 氏は、第25回日本リハビリテーション医学会会長でもあり、リハビリテーション医学の最近の動向を中心に研究、教育、実践、特に地域リハビリテーションシステムやリハビリマンパワー問題等をとりあげていただく。

(2)大野智也氏(身体障害者雇用促進協会)

 氏は、民間放送等を通じて幅広く障害者の働く問題に取り組んでおられる立場から、雇用促進法の改正、雇用市場の動向等障害者の働く場をめぐる問題について提言していただく。

(3)調一興氏(東京コロニー)

 氏は、国際障害者年日本推進協議会政策委員長として障害者団体の立場から障害者の10年行動計画の推進につとめられているので、わが国リハビリテーション政策全般の評価、今後の課題の提示をしていただく。

(4)八代英太氏(参議院議員)

 氏は、DPIのアジア太平洋ブロック評議会議長でもあり、車イスの国会議員としてわが国リハビリテーション政策の形成過程に直接かかわる立場から政策形成過程への障害者の参加、科学技術の活用、当面する政策課題等にふれていただく。

 シンポジウムは、会場一杯に溢れた400人余の参加者を前に、シンポジスト各10分のコメントがあり、続いて3~4分の補足をしていただき、残された30分余の時間をさいて参加者との間で質疑討論が交された。

 その際、特に注目された問題は、①社会福祉の地方自治体移行に伴うリハビリテーション対策の後退現象 ②小規模作業所等障害者の働く場づくりの問題 ③障害者ないし当事者団体の運動の在り方 ④リハビリテーション専門機関ないし専門家とユーザーたる障害者のかかわり方 ⑤リハビリテーション施策の谷間にとり残されている難病等への対策の在り方 ⑥開発途上国への国際協力の在り方等であり、白熱、真摯な論議は、時間の短かさを痛感させるものであった。


リハビリテーション専門医の立場から

大川嗣雄 **

 本日はすでに諸先生方から、各方面にわたっての立派なお話を伺い大変感銘を受けております。私は先生方のような立派なお話を出来る自信はありませんが、私は、リハビリテーションを専門にする医師の一人としてIYDP以後のリハビリテーション医療を考えてみたいと思います。

 まず、リハビリテーション医療を考える前に医療全体についてちょっとふれておきたいと思います。日本の医療は、IYDP以後も確実に大きな変化を経験しています。すなわち、医療は多くの人命を救うことが出来るようになった反面、疾病の慢性化や後遺障害の残存という事態を引き起こしました。さらに、我が国における人口の急速な高齢化は、この傾向に一層の拍車をかけることになったと思われます。このような状況の中でこれを支えてきた医療技術の進歩は、高度な医療機器の導入などによる医療費の高騰という問題をもたらしました。このため政府は健康保健法や老人保健法などの改正で対応して来ておりますが、このような対応が本当に良い医療を必要な人が受けられるような対応になってくれることが望まれます。

 次に、全体としての医療に期待されることは、障害や疾病の早期発見、早期治療であります。これらの問題は、先天性の疾病や障害に限らず、全年齢層にわたる問題でありますが、特に乳幼児では重要であります。この点については、産婦人科、小児科を中心とする周産期医学の進歩は目覚ましいものがあります。したがって、これらの技術の上に立った健診システムの整備から、適切な医療やリハビリテーション体制のより一層の充実が望まれます。

 次の問題は、障害者が地域で生活するための医療の保障であります。この点については二つに分けて考える必要があろうかと思います。すなわち、リハ医療とその他の医療であります。その他の医療とは、障害に対するリハ医療ではなく障害者への一般的な医療であります。現状では残念ながら、障害を持っているために、適切な医療を受ける事が困難な事例を見受けます。このような事の無いように、地域医療のネット・ワークの中に、障害者が地域で安心して生活するための医療が組み込まれることが望まれます。

 一方、障害者にとってより重要な医療は、リハビリテーション医療であります。我が国のリハビリテーション医療は、第二次大戦以前に療育という考えを提唱した故高木憲次名誉教授などの業績もありますが、実質的には第二次大戦後の昭和30年代に始まったと言えると思います。すなわち、昭和39年の東京オリンピックの後で開かれたパラリンピックを契機としての脊髄損傷のリハビリテーションの発展、昭和40年の理学療法士・作業療法士法の制定などが、我が国のリハビリテーション医学を大きく前進させました。

 その後、我が国の高度成長とともに、リハビリテーション医療も急速に発展して来ました。多くのリハビリテーション・センターや大きなリハビリテーション専門病院も各地に作られました。この頃から、我が国のリハビリテーション医療も次第に形を整え、その技術も国際的なレベルに達したと言えると思います。一方、リハビリテーション医療の関連領域も急速に整備されて来ました。特に、身体障害者雇用促進法の改正や障害児の全員就学などはリハビリテーション医療に少なからぬインパクトを与えました。

 このような道筋をたどってきた日本のリハビリテーション医療は昭和60年代を迎えてどのような状況にあるのかを見てみたいと思います。

 本日、この会場でこの会と平行して行われている策24回日本リハビリテーション医学会を既に御覧頂けましたでしょうか。今日、明日の2日間10会場に分かれて、300題を越える一般演題の他にシンポジウムやパネルディスカッションなどが行われます。御陰様で会員も3,000名を越えるに至りました。学会の内容も私から云うのもおかしいのですが、国際学会に出しても通用するものばかりであります。

 このように述べてきますと、良い事ずくめのようでありますが、まだリハビリテーション医学の研究・教育にも多くの問題が山積しております。

 まず第一に挙げなければならないことは、医学教育の中でのリハビリテーション医学の貧困さであります。現在、我が国の医学の教育・研究はどの分野でも大学医学部の講座を中心に行われるのが通例であります。しかし、リハビリテーション医学の正規の講座は全国で5つの大学医学部にしか無い状況であります。従って、多くの大学では、中央診療部や診療科の中で指導者の熱意によってようやく教育が行われている現状であります。このような状況は、医学部学生にリハビリテーション医学を教育する機会が少ないという結果を生じさせ、リハビリテーション医学を専攻しようという学生を産み出しにくくしていると思われます。しかし、60年代に至り、苦労しながらもリハビリテーション医学教育に力を入れてきた大学においては、リハビリテーション医学を専攻しようという若い医師が急激に増加して来ました。このことは、日本のリハビリテーション医学の将来を明るくすることだと考えられます。

 一方、卒業後の医師の教育についても、各大学の貧困な状況を補うべく、リハビリテーション医学会を中心に努力して来ました。昭和58年からは、専門医、認定医制度を発足させ、既に専門医、認定医とも100名を越えるに至りました。そして、これらの専門医、認定医は、主として後進の人達の教育に当っています。この人達の果すべき役割と責任は日本のリハビリテーション医学の進歩・発展に大きく関わってくるものと思われます。

 さて、今まで私はリハビリテーション医学だのリハビリテーション医療などという言葉を使って来ましたが、実は医療法ではリハビリテーション科は標榜科として認められていないのであります。即ちリハビリテーションという医療は存在しないのであります。リハビリテーション科に当る科としては、理学診療科というのが認められているだけです。私の所へ来る患者さんも働いている人達も、理学診療科へ診療に来たり、働いているとは誰も思っていないのです。皆リハビリテーション科の治療を受けに来たり、リハビリテーション科で働いていると思っているのであります。このような矛盾した状態を改めて貰いたく、長年にわたってリハビリテーション医学会を中心に厚生省や医師会にお願いして参りました。幸いにも、この点については、厚生省において標榜科目の見直しが検討されており、リハビリテーション科を名のれるのも近いと思われます。このためには、リハビリテーション医学の専門家を学会で認定する準備も進行しています。

 さて、このようにリハビリテーション医学の標榜科目の見通しも出てきた現在、次の問題は関連職種の資格制度であります。リハビリテーション医療は、医師だけで行うものではなく、チーム・ワーク医療であることは皆様も良く御存じの事と思います。このためには、関連職種の人達の質・量の充実が必要であります。現在まで我が国では、医師、看護婦を除けば、理学療法士、作業療法士しか国家資格がありませんでした。しかも、この両職種とも長い間その数が足りず、その教育のレベルの向上も望まれていました。しかし、最近に至り、短期大学による教育の開始、多くの学校の増設などによって、ニーズに応えうる数の人達が卒業して来るようになりました。今後は、教育レベルをより向上させ、それによる質の向上が最も大きな課題となりましょう。

 その他の職種についても、リハビリテーション関係者は長年の間多くの職種の教育に努力して来ました。今年、長年の夢が叶い義肢装具士の資格制度が実現しました。その他の関連職種の資格制度の一日も早い実現が期待されます。

 最後に、日本におけるリハビリテーション医療も、病院や施設の充実から、地域におけるリハビリテーションの充実へと方向転換を迫られております。それに従ってリハ医療の技術の上でも、障害者の日常生活の自立という目標から、障害者のクオリティ・オブ・ライフの向上、地域での自立というように変わってきています。このような方法論が実際に現実のものとして実現するためには、医療を取り巻く皆様方のご協力やご援助が是非とも必要であります。今後のリハ医療の発展のためにも皆様方の温かいご支援をお願いして終わりとさせて頂きます。

 終わりにこの機会を与えていただいた、運営委員会の皆様、司会の板山先生に厚く感謝申し上げます。

 

障害者雇用の動向を中心に

大野智也 ***

 Ⅰ.IYDP以降の雇用対策の評価

 (1)身体障害者雇用促進法の改正

 IYDP以降の雇用対策で最も評価できることは、身体障害者雇用促進法が改正され、障害者の雇用促進等に関する法律が成立したことであろう。

 法律の対象を精神薄弱者、精神障害者を含む、すべての障害者としたことは、ILO159号条約やヨーロッパ諸国のレベルにようやく到達したものといえる。

 内容についてみると、精神薄弱者に対する雇用率の適用、調整金・報奨金の支給が実現したことは、関係者の長い間の要望であっただけに特記できよう。

 その他にも、中途障害者雇用継続のための助成制度、職業リハビリテーションのネットワークづくりなどが取り上げられた。

 しかし、精神障害者や他の障害者の雇用対策については、具体的な施策が示されるまでには至っていない。

 (2)その他の雇用対策

 雇用促進法の改正以外には、第3セクター方式による精神薄弱者能力開発センターの開設、同じく第3セクター方式による重度障害者多数雇用事業所の設立、精神障害者に対する職場適応訓練制度の適用、さらに昭和63年からの割当雇用率の1.6%への引き上げなどの改善が見られた。

 しかし一方では、離職障害者の増加、実雇用率の停滞などの問題点も出てきている。

 Ⅱ.中間年以降の課題

 たとえば国際障害者年日本推進協議会が、障害者の10年の後期行動計画の策定にあたって、加盟団体に対してアンケート調査を行ったが、雇用に関しては、次のような要求が寄せられている。

 (1)ILO159号「職業リハビリテーション及び雇用に関する条約」の早期批准。

 (2)リハビリテーション・サービスの対象者の拡大。精神障害、てんかん、自閉症、難病、慢性疾患者等に対する雇用促進法の適用。

 (3)脳性まひ、精神薄弱、心臓病、リウマチなどについて、障害等級を職業面から見直す。

 (4)重度多数雇用事業所、授産施設、作業所などに対して、官公需の優先発注を行うこと。さらに西ドイツの重度障害者法にみられるように、福祉的就労の場への企業からの発注額を雇用率ヘカウントする制度の実現。

 (5)全社協授産事業基本問題研究会の提言等に基づく、日本の実情に即した保護雇用制度の実現。

 (6)「雇用の安定」から、さらにアメリカのリハビリテーション法にみられるような雇用、昇進、昇給などについての肯定的行動の規定を法に盛り込むこと。

 これらの要求は、いずれも緊急に解決を必要とするものであり、その実現が強く要望されている。

 さらに小規模作業所に対する援助の拡大、その施設体系の中での位置づけも緊急を要する課題である。

 Ⅲ.今後の雇用対策への展望

 (1)産業構造の変化への対応

 障害者の産業別就業状況をみると、製造業での雇用が、聴覚障害63%、精神薄弱75%、肢体不自由44%と、一般の製造業での就業率36%に比べて、著しく高い。

 これに対して、円高不況、空洞化現象の影響は最も製造業に大きく、製造業の45%が何らかの雇用調整を行っており、さらに今後3年間に雇用調整を計画している所が49%に達している。

 一方、昭和60年の国勢調査によると、第二次産業での雇用は減少を続け、サービス業が著しく伸びている。

 日本興業銀行、経済同友会等の調査によっても、今後雇用が期待される分野は第三次産業であり、とくに金融、保険、情報、通信、医療、レジャー、ファッション等であるという。

 これらの業種は、障害者の雇用に消極的であり、障害者が活躍しにくい分野と思われていた。

 しかし好むと好まざるとに関わらず、こうした産業構造の変化に対応する以外、雇用の増大は困難であろう。この変化に対応できる教育、職業訓練がきわめて重要となるし、その可能性が追求されなければならない。

 (2)労働市場の変化への対応

 産業構造の変化と同様に労働市場の変化も著しい。

 常用以外のパートタイマーの増加、人材派遣業の進出など、労働力の使い捨て時代の到来が予想される。

 現行の雇用率の算定は、常用労働者数を基準にしているため、分母数である常用労働者の減少は、障害者雇用の減少につながる。

 例えば東京・多摩地区の企業の例であるが、22,000人の従業員のうち、常用の正社員は2,000人、パートは2,000人に過ぎず、残りの18,000人は常用ではなく、雇用率算定の基準にならない。そのため、この企業は従業員全員が常用労働者であるならば、330名の障害者を雇用しなければならないが、現実には60人の雇用で雇用義務を達成することができる。

 こうした傾向が強まるならば、常用労働者以外の労働者数も雇用率算定の際に、何らかの基準とする方法を検討すべきであろう。

 (3)労働時間短縮によるワークシェアリング

 欧米からの“日本たたき”は、日本人の長時間労働がなくならない限り、収まらないだろうといわれている。

 年間労働時間は、日本の2,168時間に対して、西ドイツの1,613時間を始め、フランス、イタリアと比べても500時間以上の差がある。

 ヨーロッパの人々はこれを“野蛮な働き方”と見る。フランスでは週48時間以上の労働を禁止しており、時間外労働を社会悪ととらえている。

 現在、労働基準法改正案が継続審議中だが、この法案でも週48時間の法定労働時間を週40時間に短縮するに過ぎず、しかもその実現の時期が明示されていない。

 速やかに週40時間に短縮するとともに、さらに週35時間へと短縮へのピッチを早める要がある。同時に時間外労働を禁止、場合によってはペナルティを課することも考えられる。

 時間外労働にペナルティを課するなど非常識と思われるかも知れないが、それを社会悪ととらえるならば、可能ではなかろうか。

 この労働時間の短縮が徹底すれば、必然的に企業は慢性的人手不足の状況におちいり、企業の存続を維持するためにも障害者を雇用せざるを得ないであろう。

 現在、割当雇用制度を設けている国にフランス、西ドイツ、オランダ、イギリスなどがあるが、いずれも10%、6%、2%、3%と日本の1.5%より高い雇用目標を持っている。

 日本の実雇用率1.26%という状況が周知のものになるならば、その低雇用率が新たな貿易摩擦の一因になりかねないだろう。

 (4)社会雇用システムの確立を

 企業での障害者雇用の進まない背景に、終身雇用制度がある。

 障害者雇用を肯定する事業主も、高齢化後の処遇を考えるとき、二の足を踏まざるを得ない。また障害者の側から見ても、障害の種類によっては定年までの雇用契約を必ずしも望んでいない場合がある。

 しかし、いったん障害者を雇用した事業主が、何らかの理由で障害者を解雇すると、極めて激しい非難をあびせられる。障害者雇用に理解を示した事業主ほど、その危険を負っていることになりかねない。

 これらを解決するために、障害者雇用を企業だけで支えるのではなく、障害者の状態像に応じて、あるときは企業で、あるときは授産施設や作業所で支えていくシステムが必要ではなかろうか。

 企業で支えられなくなったときは、作業所ヘ“措置換え”すればよく、その逆もあり得る。

 ただ日本の場合、就労の場によって著るしく所得が違ってくるのが問題になる。これがフランスのように、作業所で働いても最低賃金の70%以上が保障されるならば、必ずしも企業での雇用に固執しなくてもよいのではなかろうか。

 このように雇用と福祉的就労を有機的に結びつけ、同時に交通、住居、レクリエーションなどを含む支援システムを地域の中に確立しなければ、障害者の雇用問題は解決しないであろう。

 

中間年以降の課題を考える

調一興 ****

 Ⅰ.はじめに

 今年は、国際連合の「障害者の10年」の中間年と定められており、国連では本年の第42回総会において「国際障害者年世界行動計画」の実施状況の評価が行われることになっている。

 わが国の政府も中央心身障害者対策協議会の意見を受けて、「後期重点施策」の決定を行ったばかりである。民間の最大の組織である国際障害者年日本推進協議会(以下「推進協」という)においても、7月中には「後期行動計画」を決定する方針で作業が進んでいる。そして、とりあえずその骨子を17項目にまとめて政府に要望した。私は、この骨子をもとに、とくに重要と思われる点を時間の許す範囲で述べることとする。

 Ⅱ.推進協の後期計画の概要

 推進協では、国際障害者年の年に策定した「長期行動計画」を基礎として、その後の改善点や変化を評価しながら、6つの問題に分けて検討を行っている。

 すなわち、「福祉法制」「障害児」「医療」「雇用と就労」「生活環境」「生活保障」の各問題である。施設の体系と配置、国際協力等の問題は、不十分な討議しかできていないので、ひき続いて検討を行い、提起をしていくことになっている。

 これらのすべてを語ることはできないので、福祉法制の問題と、とくに、最近問題となっている施設利用費用徴収問題にしぼって私見をまじえて述べる。

 Ⅲ.障害者の範囲の問題

 国際連合および国際的に認知されている「障害者の定義」は、ここで改めて述べるまでもないから省略する。問題は、わが国の心身障害者対策基本法と、これを受けた福祉法の対象から、国際的な定義からすれば、当然対象とされるべき精神障害者やてんかんをもつ人々(欧米では神経疾患障害として精神障害と区分している)、自閉症者、原因不明の長期慢性疾患障害、その他の障害者を排除していることである。明らかにリハビリテーションの対象から除外していることを、いつまでも容認していてはいけないということである。

 障害基礎年金は、障害福祉年金の時代から精神障害者やてんかんをもつ人々も対象にしているのである。社会復帰がむずかしいとされている自閉症者は、精神薄弱が伴わなければ年金の対象にすらされていない。今回、雇用促進法だけは、すべての障害者を対象にする制度へと、ようやく国際並みとなった。精神衛生法という医療法の改正の中に、精神障害者の社会復帰施策を盛り込むという中途半端なことが行われようとしている。これはこれで一歩前進という評価をとりあえずはしなければなるまいが、また、もうひとつタテの穴を掘ることには基本的には私は賛成できない。

 とにかく部分的には障害者福祉あるいは広い意味での福祉的施策の中に位置づけられつつあるのに、基本法および福祉法にきちんと位置づけていないという現状を、一日も早く解決すること。これが第一の問題であり、残念ながら政府の後期重点施策は、この点にふれていない。

 Ⅳ.政策立案と評価過程への障害者の参加の問題

 基本法の改正点のもうひとつのポイントは、障害者施策立案過程に障害者および障害者の利益を代表する者をしっかり参加させるシステムを確立することである。

 現在の中央心身障害者対策協議会は、関係行政機関の職員と学識経験者をもって構成することになっており、実質的には学識経験者の中に若干名の障害者を入れてはいるが、障害者およびその利益を代表する者を構成員とすることをうたっていない。また、この協議会の庶務は厚生省社会局更生課が、文部省の特殊教育課、労働省の業務指導課の協力をえて処理することになっている。われわれは少なくとも現在総理府にある国際障害者年推進本部のもとにある「障害者対策室」程度の人員と機能を備えるべきであると提言したいのである。

 さらに、都道府県(指定都市を含む)は、関係行政機関の連絡調整のためにのみ対策協議会を設置することになっているが、事実上はほとんど機能していない。市町村にいたっては任意である。

 障害者の機会の均等化というテーマは、完全参加と平等の大切な柱である。とくに最近は障害者福祉だけでなく、全体の福祉施策が地方自治体に移行しており、ノーマライゼーションの理念にそった地域社会の再構築という課題も障害者の問題と深くかかわる大きい問題である。地域に根ざす在宅福祉の充実は自立へ向けての重要課題でもある。

 そういう視点からして、中央の対策協議会の構成と機能の改善・強化を含め、地方の対策協議会を必置制とし、その構成は障害者およびその利益を代表する者を中心として、調査・審議機関の性格をもつ制度とすることを提案したい。

 ここで協議会の構成を障害者およびその利益を代表する者を中心とすることを強調したのは、とかく従来は当事者の参加を軽視する傾向にあることへの反語であって、この精神が貫かれれば、当事者・行政・学識経験者の三者構成であってもよいと私は思っている。

 これらによって、それぞれのレベルにおいて、政策立案→実行→チェック(評価)→立案というサイクルのシステムをつくることが、機会の均等化と人間的な地域の再構築に必ず役立つと考えられる。障害者は決して過大な要求はしない、ということは30年間自分も障害者をやり、また障害者と交わってきての私の確信である。

 Ⅴ.施設利用費用徴収問題

 福祉の分野においても、年金など所得保障の充実とあいまって、「受益者負担すなわちサービスを買うという方向はすでに勝負がついた。」と言いきる学者もあるが、そう簡単に割りきっていいものだろうか。ことは福祉制度全体にかかわる問題なのである。

 長い間の農耕社会と祖先崇拝の宗教観によってつちかわれたわが国の家族制度は、戦後の産業社会化によって事実上崩壊しており、産業構造も世帯構成も欧米先進国と変わらなくなっている。核家族率は80%を超えており、核家族の一世帯当人員は3.23人である。単身世帯も急激に増え17.5%にもなっている。専業農家は全世帯の3%にすぎない。人口の急激な都市集中に対応する土地政策が行われなかった結果として、兎小屋といわれる劣悪な住宅事情のうえに、住宅ローンや教育費などの支払いに追われて、家族の扶養余裕は低下する一方である。人間関係は、職場や職域中心のタテ社会の関係が深まり、地域社会も崩壊に瀕している。

 このような社会的状況のもとで、重い障害をもち、障害基礎年金程度の所得しかない人々が、どうして自らのハンディキャップを支えるサービスを買うことができるであろうか。また、述べたような社会構造や世帯の状況に加えて近代人権理念が個人の人格権を基本においていることと、障害者を被扶養者とする制度をいまだに続けていることの矛盾は、もう説明ができなくなっているのではないか。この点は親も子から自立するということとも重ねて考えてみることが必要である。そして、冷静にみれば現実もそういう方向に動いているのである。

 施設利用費用徴収制度に、特定したとはいえ扶養義務者をもとり込んで、生活費のみならずサービスに必要なすべての経費を徴収対象とするというようなことは“完全参加と平等”の理念とは異質のものである。わが国の福祉制度の問題も、同様の視点から見直されるべきであると思う。

 Ⅵ.おわりに

 「リハビリテーション政策の展望」という本テーマからは、ややはみ出した発言内容となったかと思いながら、わが国の障害者問題の当面している主要な課題と考えている点について述べた。

 私は、障害者対策のすべてをリハビリテーションという言葉の中で論じることに同化できない部分があって、いささか消化不良気味である。しかし、関係者は全人間的復権がリハビリテーションなのだからと言う。そう言われても私にはこだわりが残る。社会リハビリテーションなどという言葉にも馴染めない。この点はこだわりすぎかもしれないが、じっくり考えてみたいと思っている。ご教示をたまわれば幸いである。私にはこの問題は、あるいは意味のある大切なことのように思えるからである。

 最後に、言葉に関連することに若干ふれておきたい。まず「特殊教育」という言葉を、障害児教育、障害児学級という表現に改められないか。心身障害者対策基本法に代表される「心身障害」という表現は、例えば重症心身障害児・者(重複障害)というような場合にのみ用い、通常は障害者(児)というように変えるべきではないか。あるいは障害者と健常者(または健全者)という表現も耳障りでいけないので、適当な表現方法を創り出すような議論をやってみたらどうか、などである。(なお、この6の項はシンポジウムでの発言にはなく、私が勝手に追加させてもらったものであることをお断りしておく)

 

政策形成過程および実行過程への障害者の参加を中心に

八代英太(前島英太郎)*****

 直前の調氏の発言と重複する部分もあるが、参加の問題を中心に述べてみる。特に重要なことは、政策形成過程および政策実行過程への障害者の参加である。これを3つの側面から考えてみたい。

 その第1点は多様な参加システムを考える必要があるということである。

 (レジュメ:国、都道府県、市区町村の各レベルにおける福祉審議会等に障害者自身の代表を含める他、なるべく障害者の生の声が反映されるよう様々な工夫がなされるべきである。形式にこだわらぬ柔軟性が重要である。)

 審議会等に障害者自身の代表者を含めることは、国レベルを始めとして、かなり一般的に行われている。しかし、障害の種別や程度は多様であり、すべての当事者の代表を含めることは不可能に近い。審議会等の委員となった人が幅広い視点に立って議論する必要があるが、可能な限り、審議会等の委員や行政の担当者が、直接、当事者の声を聴く機会を作るべきである。公聴会や視察のような形が考えられる他、当事者団体からのアプローチに対しても率直に耳を傾ける姿勢が大切である。請願、陳情等の形式も軽視してはならない。

 一方、政策形成過程で重要な手段として各級議会への障害者自身の進出がある。私もそのプロセスを選択したが、これは、国会だけのことであってはならない。福祉行政においては、地方公共団体の果たす役割はますます重要になってきており、さらにいえば、地方自治は具体的な意味で福祉の最後の関門であり、その議会にこそ当事者の代表が少なくとも一人ずつ存在していてくれることが望ましい。

 議会に当事者代表を送り込む情勢にない場合は、選挙等を通じて理解ある候補者を見付け、選挙公約に障害者問題を具体的にもりこんでもらうことも有効な方法となりうる。

 どの場合であっても、この方法、この形式と、決まったものでなく、状況や場面に応じて、聴く側も、主張する側も柔軟性を持つことが重要である。

 第2点として、専門分野から一般分野へに、という点を強調したい。

 (レジュメ:機会の平等化を進めるには、福祉の分野だけに障害者自身が参加するのでは不十分である。建設、運輸、郵政等、他の一般の行政に関する審議会等への参加を推進する必要がある。)

 国連の「世界行動計画」は、予防、リハビリテーションに並んで、「機会の平等化」を明確に位置づけたことが最大の特色といえる。この機会の平等化の実現のためには、教育、雇用、環境、等々、社会活動のすべての分野において障害者が平等に参加できるように配慮をゆきわたらせることが必要であり、これらは福祉行政という枠の中だけで達成できるものではない。むしろ、あらゆる行政活動、企業活動、社会活動等を進める際、それぞれの中で当然のこととして考え、当然のこととして配慮する、というふうにしてゆくべきことであろう。そのため、どんな分野であれ、障害を持った人自身が政策形成にあたる主要なメンバーの中に含まれるか、さもなくば、必ず意見を求められるかするようにしていく必要がある。

 第3点として、政策形成過程から実行過程へと展開する必要があることを強調したい。

 (レジュメ:政策は、その運用段階で大きく左右される。従って政策の実行過程への障害者自身の参加も重要である。その新しい方式を創造する必要性が大きくなった。特に地域レベルで極めて重要となろう。)

 政策実行過程への障害者自身の参加の方式としては、関連する部門の行政官になる(登用される)のが早道である。しかし、行政組織の中で必ずしも障害者の利益を主張できる場合ばかりではないので、政策の運用をチェックできる立場に障害者自身がかかわっていることが必要である。

 その点、現実的な姿として、障害者の相談等に直接対応する窓口に、障害者自身が存在することが有効である。但し、その担当の障害者は、相当の経験と研修が必要である。また、多くの障害者が利用するセンターのような所では、障害者自身による運営委員会や企画委員会等を設置して、政策の実行に関与していく方式も有益であろう。相談員であれ、委員会であれ、福祉という枠にとらわれず、他の一般の行政分野の問題も総合的に一括して取り扱えるような研修を受けられ、かつ、意見を述べられるような立場にあるべきである。そうしなければ、幾人もの相談員と、いくつもの委員会が必要になってしまうし、政策の恩恵を享受しようとする障害者は、あちこちの部門を訪ねて回らなければならないことになってしまう。

 政策の実行過程への障害者自身の参加は、まだあまり多くの経験や実例があるわけではないので、地域の実情に応じた創造的な取り組みが期待される。

 ここで、今後の重要政策課題にいくつか触れてみたい。

 まず、地域社会の中での重度障害者の自立生活の実現が大きな課題である。

 現状の特徴的な3つの事柄から将来につながるものを見てみたい。

 第1に、共同作業所の問題がある。ここには、将来を考えるための課題が詰まっている。たんに、現状からの延長でなく、将来を見据えた総合的な施策が必要である。就労、または保護雇用対策として、厚生・労働行政の両面から改めて考えるべき重要課題だ。教育の問題ともからむが、いずれにしても、数が増えたという現象、あるいは、運営費の助成といった面だけでなく、その背景を考える必要がある。過去の政策が、重度障害者の地域での自立、就労の可能性を必ずしも十分に拓き得なかったことの結果であると受け止めざるを得ない。

 第2に、日本式自立生活センターはできたか、という問いがある。

 多くの実践報告があるが、全体としてまだまだこれからであることは間違いない。

 モデルとされている米国のCILは、障害者自身の主体性と窓口の一本化に特徴がある。CILの形やスタイルよりも、日本では政策実行過程への障害者自身の参加により、福祉事務所や福祉センターをCILに変える可能性があると考えることも必要ではないか。この他、活用しうる資源として、サービスの有料提供者についても、今後は、視野に入れておくべきだろう。

 第3に、福祉の街づくりの新たな展開として、「点」から「面」への「機会の平等化」の推進ということを提唱したい。

 前述の一般行政分野への進出ということにも関係するが、「第二世代の福祉の街づくり運動」が必要な時がきた、といえるのではなかろうか。今度は、前よりも一層、「面」的な展開を目標にしながら、しかも、以前のあらゆる経験と成果を生かして効果的に進めることが必要であろう。というのも、福祉の街づくりは障害者だけの問題ではなく、急速に進む高齢化社会が要請している課題でもあるからだ。それに、私たちも、もう十分に「待った」のだし。

 最後に、学校教育における障害児の統合の推進を強調しておきたい。

 臨教審は、その第三次答申において、ようやく障害児教育に触れたが、一般的な統合の必要性は打ち出しているが、その行き過ぎには気をつけるべきだ、としている。必ずしも、統合教育の必要性を唱える主張への十分な理解があるとは思えない面がある。

 これまで述べたあらゆることにすべて関係してくるのが、教育である。それだけにいまが頑張り所である。

 そのため、現実と経験に立脚した統合教育の推進ということを考える必要がある。とはいえ、逆にいうと、従来の文部行政のもとでは、実証的な体系を示し得なかった面もある。しかし、あちこちで実践的な経験も多くなってきたので、これらに立脚した現実的な提案をし、その体系化に努める時がきたと考える。

 このままでは、日本の教育は世界から取り残される恐れが強い。

*日本社会事業大学教授
**横浜市立大学医学部
***身体障害者雇用促進協会
****東京コロニー常務理事
*****参議院議員


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1987年11月(第55号)77頁~88頁

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