阿部 司 *
ヒューマン・ケア協会は、ハンディキャップを持って地域に生きる人々のさまざまなニーズを背景に生まれた有料のサービス機関である。福祉ニーズを持つ人々に対応して、行政、半官半民、またセルフサポート・オーガニゼーション等々、いろいろな機関が、より豊かな人々の生活を保証すべく試みを行っているが、ヒューマン・ケア協会が他の機関に類をみない特徴をもつのは、福祉サービスの受給者であった障害者が、福祉サービスの供給者として登場したことにある。この稿では、これまで福祉を受ける側とされていた障害者自身が、福祉行政の遅々たる歩みを待つばかりではなく、福祉を共に形作っていく側として現出してきた背景や、その実態と利点、改良すべき点を、アメリカCILのそれと比較しつつ当事者主体の有料サービス機関の有効性とその拡充について考察していきたい。
ヒューマン・ケア協会は地域社会に生活するハンディをもった人のさまざまなニーズに即応すベく組織されているが、現在行っているサービスを大別すると、有料介助システムと自立生活プログラムの提供からなる。個々の内容、実態は後述するとして、ここでは何故この2つが必要とされたのかを、障害者運動の歩みに即して見てゆきたい。
障害者福祉の前進は、障害をもつ当事者の運動を抜きにして語ることはできないことは明らかである。ヒューマン・ケア協会も、生活権拡大や自立生活運動の中で現れた、施設でも在宅でもない、第3のライフ・スタイル、地域に独立した住居をもって生活を始めた障害者たち自身の要求の中から生まれてきた。1960年代初頭には、施設の拡充に関わってきた障害者運動であったが、すでに1970年代前半には、脱施設化を目指して、地域に重度の障害をもつ人々が、まだ点として存在しながら生活を始めていった。しかしその実態は経済的には年金、生活保護等で最低限の生命の保証を得ていったが(これが、実に不十分であったことは、後に所得保証要求の運動として展開していくのだが、その貧因な内実は一部地域を例外として、現在もほとんど変化していない)介助の供給については、ほとんどすべての地域でボランティアによる介助のみであった。しかし、その貧困な行政対応へバランスを必要とするかのようにそのボランティアと呼ばれた人々の、障害者運動、あるいは福祉に貢献した質の高さは、一筆に値する。その独特な精神性ゆえに、金銭を媒介させることによる、人間関係にある種の抵抗を持つ人々が依然として存在することを挙げて介助についてペンを戻そう。しかし、この点に関しては、特に1970年代初頭に、アメリカで野火の烈火の如くに広がっていった自立生活運動が、その発想の最初から、介助をサービスの一つと考え、障害者をサービスの消費者という視点においた展開と見事に対称的であったといえる。そこには金銭についての価値のありようや権利意識、また日本独特の女性差別も含んだ日米のさまざまな異質性が見られるのだが、そうしたボランティアのあり方が、特にヒューマン・ケア協会のサービスにどのような影響を与えているかは順次述べていく。
ボランティアからの介助供給は、その後さまざまな問題をうんでいった。第1に自立した障害者が生命を賭けて生活を営んでいるのに対し、介助する側は、選択的意志に依拠するということ。つまり介助するしないはそのボランティアの気持ち次第であり、都合によっては突然来られないという事態に対して、何らの保証もないこと。第2に、介助する側、される側ともに、人間的な信頼関係だけが、拠り所であり、責任の所在も非常に不明確であること。第3に、介助する側にとっても、その地位の保障を疎外し、障害者との安定した関係を阻むこと。等々。これらの問題点を背景に、1979年の日米共同セミナーの開催の頃から、有料介助サービスの道が一部地域で模索され始めていくこととなる。
その中でも特にヒューマン・ケア協会の設立を可能にしたのは、東京都独自の介助料、手当のメニューと、アメリカのCILをモデルとする障害者自身のさまざまな研修、また八王子という地域に根をはっていた障害者グループとその介助者の存在があげられるだろう。
有料介助システムについては図1を参照願うとして、ヒューマン・ケア協会は障害をもつ当事者が、サービスの提供者となるという理念で発足した、アメリカのCILをモデルとするが、日本の風土に即したサービスをということで、いくつかの相違点がある。第1に、介助する側、される側ともに、ヒューマン・ケア協会の会員であり、介助を通して、雇用・被雇用という契約関係をとり交わすが、共にヒューマン・ケア脇会の構成メンバーとして、地域社会での助け合いのネットワーク作りへの参加という面が重視される。それは、不十分な金銭代価を、ボランティア精神の発露を強調することで、厳しい状況に即応していこうとの、現実主義的展開であるが、不十分な報酬は、ボランティア的関わりを超えにくいという問題点を伴っている。
図1
介助が時には生死にも関わる重要なサービスであるにも関わらず、1時間600円の金銭代価は支払う側の事情を優先することになり、いきおい、介助者の安定供給を難しくしている。ヒューマン・ケア協会の利用者、ケアスタッフの実数、その男女別内訳の数は表1、2のとおりである。
利用者(延べ) |
||||
単発 | 継続 | 中止 | 合計 | 依頼回数 |
35人 | 364人 | 21人 | 378人 | 2542回 |
定期の利用者(週1―3回) |
40人 |
||
内訳 |
障害者 |
31人 |
|
老人 |
9人 |
||
不定期の利用者 |
11人 |
||
内訳 |
障害者 |
8人 | |
老人 |
3人 | ||
計 |
51人 |
||
(うち62年度新規利用者 39人) |
登録人数 | 活動人数 | 稼働時間(延べ) |
95人 | 63人 | 6,814時間 |
(95人のうち62年度新規登録者53人) |
◆ケアスタッフの職業(53人中) |
|
主婦 | 24 |
学生 | 19 |
無職 | 7 |
会社員 | 2 |
自営業 | 2 |
◆ケアスタッフの年齢別男女別内訳 |
||
10代 | 6人 | (男2 女4) |
20代 | 15人 | (男8 女7) |
30代 | 4人 | (男0 女4) |
40代 | 10人 | (男0 女10) |
50代 | 3人 | (男1 女2) |
60代上 | 15人 | (男4 女11) |
計 |
53人 | (男15 女38) |
(62年度集計から) |
また第2に特徴的なこととして、ヒューマン・ケア協会の事務局の役割が、単に障害者とケアスタッフとの間に立って雇用関係の調整を行うということにとどまらないという点である。
アメリカのCILでは、(この場合特に、筆者が半年の研修を受けたバークレーを例とする)障害者、介助者の双方が、雇用関係という契約概念に、達和感をもたないという社会的背景があるためか、介助者、障害者ともに登録を行った後は、互いのインタビューは、CILを介さずに行われその中で生じた問題も、双方の問題としてのみ処理される。そこにCILが介入することはない。
ヒューマン・ケア協会の場合は、会員制の組織であるということと、契約概念の希薄さ、また相互扶助的な理念をもつが故に、ヒューマン・ケア協会のコーディネーターの親密な介助者、障害者双方への介入が期待されている。障害者への介入の仕方はいろいろあるが、この点について特にヒューマン・ケア協会の当事者主体の組織化の利点が、発揮されることとなる。1つには障害者自身の介助者雇用という新しい試みにたいするロールモデルとして、2つ目には問題が生じた場合に、ピア・カウンセリングという即応を可能にしたこと。3つ目に、障害者をケアスタッフとしても登録するという発想。これらは、単にサービス提供機関にとどまらぬ、動きを生み出すものである。つまり地域社会への自立障害者の登場をより容易にするという運動的側面や、単に介助し合おうという障害者同士の関係に、金銭代価を保証することで、障害者の職域を拡大している。
第3に、ケアスタッフ層の独自性があげられる。アメリカの場合、さまざまな人種問題、莫大な貧富の差、権利意識の自覚などを背景に、介助者にはさまざまな層からの参加が見られるが、ヒューマン・ケア協会に特徴的なことは専業主婦層の70%を越える登録率である(表2参照)。
これはヒューマン・ケア協会に限らず、日本の他の有料介助サービス機関にも見られる現象であるが、これは日本の先進国といわれる国々の中では類をみない女性に対するさまざまな差別を背景にしてのことと思われる。ここでその詳細を述べるには、問題の根は深すぎるといえるが、一言触れさせてもらえば、女性の労働内容に対する評価の低さが、1時間600円という低い金銭報酬にも、それほどの反発をひき起こさないこと、介助という仕事が特別な技術、経歴を必要とせず、その上で尚、人間の生命に向き合うという、有用感が主婦達に受けていること、ひるがえって言えば、主婦の自己実現への欲求が非常に限定された場しかないと言うこと、つまり介助という非常な重みをもつ仕事にきちんとした評価をしない社会を後追い的に利用し続けることを、差し迫った現実に対応するためにやむを得ないと言い切ってしまうのではなく、恒常化に歯止めをかける方策を常に再考していかなければならないだろう。
また第2点目で障害者側からの、ヒューマン・ケア協会利用の利点を述べたが、ケアスタッフ側の利点としても、コーディネーターが、女性であり主婦であるという点でケアスタッフへのピア・カウンセリングが適宜に行われているといえる。ケアスタッフとしての仕事をする主婦の多くは、コーディネーターとの共感や、人間関係の創出を通して、自らの仕事に一層の価値付けを得ているのである。
以上、実態の中から問題点や利点を挙げてきたが、今後の課題としてなお残るいくつかを列挙して、自立生活プログラムの紹介に移りたいと思う。
まず、多様な層からの多くのケアスタッフを得ていくために、これまでマスコミ、看板、ポスター、口コミを通じての宣伝や民生委員に対する働きかけ、各大学への情宣を展開してきたのだが、今後もさらに強力なアイデアと地道な努力が継続的に必要とされる。
2番目に1時間600円という代価の再検討である。これは支払う側の収入をどう引き上げるかという問題を抜きにしては語れない。障害者、老人の枠を越えて、社会生活を営む上ハンディをもつ者に対する、全国的な介助者制度の制定を進めていく取り組みにも注目していくと同時に、他機関とのバランス等も見ていかなければならない。それは仕事として介助を担おうとする層の要求に答えることになるだろう。
そして3番目に、コーディネーターの養成である。コーディネーターの役割の重要性はこのサービス全体の存続にも関わるものである。現在の実質2―3人という人数では、仕事量にも限界をきたしているし、コーディネーターとしての研修トレーニングも十分に行えないまま仕事をこなしている。このような状況に対しては早急に終止符を打たなければならない。
介助者紹介部門の設立を考えた時、介助者との人間関係をうまくきずいていける障害者、またそれ以前に、雇用という新しい形態のための金銭感覚や時間感覚をもった障害者がどれだけ存在するのかという素朴な疑問、不安からこの部門の必要性がおこってきた。
日本でも、もともとピア・カウンセリングということだけに限定していえば、障害者運動の中で仲間のさまざまな交流の中で、それは無意識的・意識的になされてきたといえる。それを、ピア・カウンセリングという言葉でいいあらわすには、立場性を枠組化させてしまいすぎるという、Judy Heumannの新しい提案を受けて、ピア・サポートといいかえればより明確化すると思うのだが、そうした試みは各地で営々と行われ続けてきていた。今年9月にヒューマン・ケア協会では、日本で初めてのピア・カウンセリング集中講座を開いたのだが、その時の参加者の感想に、ピア・カウンセリング、あるいはピア・サポートはどの地域でも日常的に行われていたのだという、驚きの声にみられるように、それは歴史的に仲間同士の支え合いという形で継承されてきていた。
しかし日本のそうした仲間内的な支え合いを一歩超えて、1970年代にアメリカにおこったピア・カウンセリングは、自立生活を始めようとする障害者達に総合的な援助システムの一環として、体系だったプログラムの提供を行ってきた。
ヒューマン・ケア協会のピア・カウンセリングも、日本的な仲間同士の助け合い的感覚を残しながらも、介助部門と同じく有料サービスの一つとして展開されてきた。冒頭で述べたように、有料介助システムを有効に機能させるためにも必然的に求められたのだが、内容としては次のようなものである(図2参照)。
図2 あなたにも自立生活は可能です。
このプログラムの目的は、重度障害者の自立生活能力を高めることにあります。 自立とは、被護された環境の中で、生活技術を、高めて行くことから始まり、次に、自分自身の家を持ち生活し、ついには、社会の中の一員として、重要な役割を果たすことです。 プログラムの内容は、 ①自己確立 ②お金の使い方 ③介助者との接し方 ④買物と献立・調理法 ⑤職業開発 ⑥SEXカウンセリング ⑦健康と医療 ⑧対人関係の作り方 ⑨時間の使い方 ⑩社会的資源の使い方 |
(1) 自立生活技術クラス
パンフレットによれば、10種目のテーマからなっているが、これが各期行われるわけではない。まず受講を希望する全員にインテークを行い、そこで受講者のニーズをさぐり、その期のメインテーマと、各回の内容について決定する。現在まで八王子で3ヵ月週1回のコースが3回行われてきたが、それぞれの内容は対人関係の作り方を基盤にしたものを中心に、フィールド・トップ、調理実習などの体験学習が多い(写真1)。(略)
写真1 駅にて (フィールド・トリップ) (略)
受講希望者はほとんど八王子市内の在宅障害者が主であるが、数名日野市、川崎市からの参加者も見られる。自立生活技術クラスに参加するという最初の意志決定から、本人の選択によって始まるので、行き帰りの交通手段ももちろん本人達自身の調整によってなされている。しかし選択肢の限られた状況の中、現実には受講者の足の問題から、ピア・カウンセリングが始まらざるをえない。本人自身の目標設定と、囲りの状況を見つめつつ個別のピア・カウンセリングを取り入れた対応を迫られている。
(2) 個別のピア・カウンセリング
これは特別に希望する障害者に対して、1時間500円の料金で行われている。原則的にしてもらうことを当然視してしまう意識に金銭代価を支払うことで、歯止めをかけるといった意味あいもあったのだが、現実には質の良いサービスを、買うことで得られるという積極的な認識が育っている。
以上、自立生活技術も一つのサービスとして金銭代価と交換に提供されるという、今までの障害者組織にはなかったありようを見てきたが、その他今後の可能性をいくつかまとめておく。
第1にピア・カウンセリングの啓蒙とその有効性についての社会的認識をさらに促すことである。当事者間の知識、技術の伝達によって自立生活運動が、アメリカでも、そして日本でも空前の広がりを見せてきたことの価値を、正しく認識することは社会的資源の活用の面からいっても重要なことである。そのために、ピア・カウンセリングの講座の開催、カウンセラーの養成など、定期的に各地で開いていかなければならないだろう。
箪2に自立生活を目指す障害者のためのサポートシステムの形成である。バークレーの自立生活技術クラスでは、直接の担当はCILのピア・カウンセラーであったが、地域のケース・ワーカーやドクター、施設の担当者までそろって、障害者が自立生活を形作れるよう連絡をとりあっていた。リハビリテーション全般に関わる人々が、一丸となって援助していくようなシステムが必要である。そのように自立生活技術クラスが全体化される時障害者の自立生活もまた一つ容易になることだろう。
本稿は、ヒューマン・ケア協会の理念を、CILのそれと比較しながら、日本での今後の可能性を考察した。紙数の関係上、また、現実が実践をこえて進むという、新しい組織の性格上不十分な点も多々あるが、今後の展開にも末長い注目を注いで欲しい。
*ヒューマン・ケア協会
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1989年2月(第58・59合併号)59頁~64頁