国連障害者の10年(1983―1992)における社会委員会の成果と課題

国連障害者の10年(1983―1992)における社会委員会の成果と課題

ACHIEVEMENTS AND FURTHER TASKS FOR THE SOCIAL COMMISSION DURING THE UNDECADE OF DISABLED PERSONS 1983―1992

Linnea Gardestrom


 今年は国連障害者の10年の6年目にあたる。障害者の10年を代表する記録は「障害者に関する世界行動計画」である。それは1982年12月3日、国連総会にて採択された。

 世界行動計画(WPA)は我々の考え方と障害問題のとらえ方に多大な影響を及ぼした。それはまた我々がどのように進んでゆくべきかを理解させる概念と原則をも示してくれたのである。

 障害に関連する次の3つの主要分野について簡単に検討してみたいと思う。

 予防

 リハビリテーション

 機会均等

 世界行動計画は3つの分野を次のように定義づけている。“予防”とは精神面、身体面および感覚面の機能障害の発生を防ぐための手だて(第1次予防)を意味する。または障害が起こった時点では、それがさらに身体的、心理的、社会的に悪い結果をまねくことを防ぐための手だてである。

 “リハビリテーション”とは目的を指向し、かつ制約された時間内でのプロセスであり、機能障害を負った人を最良の精神的、身体的社会的機能レベルにもってゆく手だてを意味する。よってその人に自分自身の生活を変える手段を提供するものである。その中には、ある機能の喪失もしくは制約を補うための手段(例えば補助具)もあるだろうし、また、社会適応、再適応を促すための手段も含まれるのであろう。

 “機会均等”とは、社会の一般的システム、例えば、物理的・文化的環境、住宅と交通、社会・保健サービス、教育と労働の機会、スポーツやレクリエーションの施設を含む文化的・社会的生活をすべての人々にとって利用可能にすることである。

 私は予防について論議するつもりはない。それが重要でないからではなく、この際すでに障害をもった人々に焦点をあてたいからである。予防はすべての人が関心を持つ地域保健の問題であり、対象者の大半は非障害者である。

 次に我々が今や機会均等という分野により注目しなければならないということについても指摘したい。これは障害を持つ人々もその地域、その国家の中で、一般の人が持つと同じようにあらゆる権利を持った普通の市民とみなされるべきだということである。障害をもっていても生活を楽しむ権利や家庭生活、地域生活に参加する権利があるし、同時に家庭や地域の一員としての責任をになう権利もあるといえる。その地域にて、他の何人とも同じ水準の生活を営む権利がある。

 障害を持った人にも均等に機会が与えられるべきであるというこの原則は、あらゆる種類の社会に適応される。開発途上国でも工業国でも同じである。農村でも都市でも同じである。しかしながら障害を持った人々は往々にして特別な注意と援助が必要であり、また地域で他の人々と同じレベルの生活を常むにはサービスも必要である。これは仲間である市民の社会連帯によって成り立つものである。

 この分野で働く我々にとっては、機会均等という概念の内容が国連世界行動計画の採択前にも知られていないわけではなかった。しかしながらその時には、少なくともその意味内容のいくらかが、我々がリハビリテーションと呼ぶものの中に含まれてしまっていたのである。我々は個々人のリハビリテーションを強調し、リハビリテーションもまた個人に向かっていた。社会構造全体が改善されるべきだという事実を十分認識していなかったのである。個人がうまく機能できないのは主に社会において彼が出会う社会的障壁のためだったのである。我々は社会が障害者を受け入れるように社会全体の状態を変えてゆくための適正な方法を取っていたとはいえない。むしろ我々は問題の所在を個人に見出し、その個人を援助する方法を採用し、その人をとりまく状況は度外視してしまっていたのである。

 「リハビリテーション規範(rehabilitation paradigm)」を研究してきたガーベン・デ・ジョングは次のように述べている。

 「リハビリテーション規範」において、「問題」は通常、ADLがうまく遂行できないこととか有給の職につくことができないこと、といった観点で定義づけられている。どちらにしても問題は個人の側にあるとされているわけである。変化すべきは個人である。自分の持つ問題を乗り越えるために障害を持つ個人は自らアドバイスや指導を医師やPT、OTまたは職業リハビリテーションカウンセラーに求めるべきものとされている。障害をもった個人は患者やクライエントの役割を演じなければならないわけである。リハビリテーションプロセスの目標は、身体機能を最大限に高めること、または有給の職につくこととされるが、リハビリテーションの成功いかんは、主にその患者またはクライエントが、指示された治療課程にきちんと従ったか否かではかられるのである。

 「リハビリテーション規範」のもつその他の特徴としてはそれが治療という部分に焦点をあてていることである。障害をもった人は、他に何をするより以前に治療すべきであると。しかし実際には、障害をもった人々は、それが治らなくとも価値のある市民として人々の中で生活できてしかるべきなのである。ただ、だからといって機能損傷(impairment)や能力障害(disability)を持った人が可能な限りすべてのリハ援助を受けることを否定しているわけではない。それはその人が最大限に機能を回復し、地域で生活することを応援するものである。

 我々がその視点を変えてきた大きな理由には障害者自身の当事者団体が育ってきたということがある。国際障害者年の間、障害をもつ人々はその声を集め、次のように宣言した。「今や機会均等の時代がやってきた。それは、個人の生活にあらゆる角度から影響を与える社会自体の問題にとりくもうとする、まさに新時代の到来である。」(Vox Nostra,DPI July 1977)。リハビリテーションは不可欠であるが、しかし、障害者一人ひとりにとって、リハビリテーションの開始点と終了点があるべきである。

 焦点は移りかわってきたが、誰もリハビリテーションを不必要とみなしているわけではない。リハビリテーションは世界行動計画の中にうたわれた3つの重要分野の1つであり、それが必要なすべての人にとどけられるべきものである。しかしながら、とうていそうはなり得ていないのが現状である。

 リハビリテーションの手法はもっとも効果的たるべきであり、またより多くの資源が確保されるべきである。世界行動計画が宣言したようにリハビリテーションは特別なことではなく、通常の社会システムの一部分としてあるべきである。誰にでも利用可能な保健サービス、職業訓練サービスの一部としてである。リハビリテーションは地域単位で行われるべきである。その良いモデルとしてWHOによって開発された地域リハビリテーションシステム(CBR System)がある。

 リハビリテーションの中で社会的側面は往々にして度外視されてきたが、それが我々の委員会で第1に興味を持っている部分なのである。社会委員会において我々は、社会リハビリテーションの概念を確立するため多くの討議を重ねてきた。フィンランドのトゥルクでの会議において我々は次の定義を採択した。

 「社会リハビリテーションは1つのプロセスであり、その目的は社会生活力(social functioning ability)を身につけることである。社会生活力とはさまざまな状況下で自分のニーズを満たし、社会参加によって最大限の豊かさを手にする権利を全うする力である。」

トゥルク会議で我々は関連用語の意味づけも検討・採択し、その中で今、的をしぼるべきは、社会リハビリテーションと社会的観点における機会均等であるとした。

 我々は機会均等を世界行動計画と同じように定義づけた。次にあげる2つの重要な原則が我々に道を示してくれるはずである。

1. 社会はすべての市民が完全参加できるように作られるべきである。もし障害をもった人々が、したいと望む活動に参加できないなら、それは社会のもつ障害とみるべきである。

2. 障害をもつ人々はリハビリテーションのゴールを自分達で決定できてしかるべきであり、またどんな環境や地域、人間関係の中に暮らしたいかということを他の人々と同じように選択できてよいはずである。

 世界行動計画のうち、第3の分野、「予防」についても我々はトゥルク会議にて簡単に話し合い、この分野に関して社会委員会がどのように行動すべきかについての決定は別の会議におくることで合意した。私はこの問題を委員会の次期の委員長にひきつぎたいと思う。

 私がここで定義づけたような社会リハビリテーションについては、私よりも他の人達の方がよくご存じと思うので、このリポートで私は機会均等という分野に焦点をあてたい。それは社会委員会の私達にとって大きな関心事でもあるからである。というのは障害の分野で働く他の人々と比べ我々はこの社会を動かす社会システムというものについてより経験豊かだからである。我々の任務は、障害をもつ人とその人の住む環境の間につながりを作ることであり、我々はよく政治家、行政官と協力し合い、また参加を可能にするシステムやルール作りを担う計画立案者らとも手を結んでいるからである。

 しかし、ここで強調されねばならないのは、この変化や適応の仕事が、障害者やその団体と密接に協力することなしに行われてはならないということである。すべての人がこの重要性には賛同してくれると信じているが、しかしそのためにとるべきうまい手段は、ということになると頭を悩ませてしまうのである。

 機会均等という概念のもとに働くということは、リハビリテーション概念のもとに働くことに比べるとより困難であり、かつ同様により容易でもある。

 どのような点が“困難”かというと、それはその範囲をハッキリと定めることができないところにある。つまり、人はこれが機会均等でこれは違うというように指摘することはできない。機会均等とは普通の生活であり、すべての人にとってごくあたり前のことである。誰も機会均等の教授にはなれない。ほとんどの人が障害をもつ人も普通の生活を送るべきと考えるが、しかしこのことが示す本当の意味を理解していないためにむつかしいのである。

 一方、機会均等の概念のもとで働くのが“容易”であるというのは、ただ普通で当たり前のライフスタイルに注目すればよいからである。障害者が必要とする介護や援助も一般のシステムの中に統合され、普通の生活から切り離されることなく、適正な状況下で扱われることになる。多額の費用がかかる施設を作る必要はない。例えば障害をもった子供も原則として普通校に入学する。よって今まで必要とされた特別のサービスは学校や家庭に移行するのである。

 機会均等に向けて働くのは容易である。なぜならその開発レベルがどうであれ、すべてのタイプの社会や国に適用できるからである。どんな国にもある種の社会システムは存在するが、多くの場合そのシステムは発達途上であり、まだ初歩的段階である。学校システムとなんらかの保健システムは存在する。しかしそういったシステムも必ず障害者をも含むという程には開発されていないのが現状である。もし、たった30%の子供しか学校に行かないという国であれば、障害をもった子供も同じ割合で学校に行かなければならない。障害をもった児童が特別のサービスを必要とするのは明らかである。例えば盲児向けの点字教材のように。しかしながら、もしその学校が点字教材を入手できなくとも、家にいるくらいなら村の普通学校へ行く方がましである。また移動障害を持つ子供を通常の学校へ入れることは、少々特別の援助や配慮を必要とするものの、大ていは可能である。

 工業国においては、学校やその他当局に対する要求は比べものにならない程大きい。障害を持った子供達も、他の児童と同等の機会に恵まれるべきとされる。もちろんそうした国では入学した盲児に対しては点字教材が、そして必要なら歩行訓練やその他必要な訓練が提供されなければならない。

 我々はまた、障害をもった人々の雇用の可能性についても比較することができる。多くの開発途上国では雇用されている人の割合自体が少ない。それでも障害をもった人々は、他の人と同じ割合で雇用されるべきである。雇用の場提供のために仕事を作り出したり、職業訓練のプログラムをたてるといったことが開発途上国ではよくみられるが、これらのものにも非障害者と同じく障害者を含むべきである。同じことが工業国にもいえるのであって、障害をもつ人々がそうでない人に比べて失業率が高いようであってはならない。

結論

以上私が表明した意見から、次のような行動が必要とされるであろう。障害者にとって以下のことが可能にならなければならない。

1.自分自身を養うこと。完全であれ、部分的であれ、仕事や自営によって自分を支えることが望ましい。もしそれが無理なら社会保障システムが障害者とその家族を援助すべきである。

2.障害者も利用可能な自分自身の家または住む場を持つこと。そしてそこでは必要な補助具が得られること。

3.自分自身の家族を持つこと。そして他の人に出会ったり友達を作る機会があり、他者から尊敬されて自分に自信を持てること。

4.通常の日常生活を全うできること。自分で服を着がえ、自分で衣類を買い、身辺の衛生管理を行えること。重度の障害者はそうした日常生活を遂行するために身辺介護をする人が必要である。

5.地域生活に参加すること。そこには社会生活への参加および文化活動、宗教活動への参加が含まれる。

6.社会リハビリテーションプログラムは障害をもった人々に社会生活力をつけさせることを目標とすべきである。その社会生活力があれば、私が述べたような機会均等の生活に向けて動くことができるのではないだろうか。

参考文献 略

* Ministry of Labour,Sweden


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1989年3月(第60号)22頁~25頁

menu