重度障害者の地域生活

重度障害者の地域生活

LIFE IN THE COMMUNITY FOR SEVERELY DISABLED PEOPLE

Tony Dalby

はじめに

 以下の記述は、英国において、筆者が知っている、あるいはソーシャルワーカーとして利用した諸サービスについてである。筆者は1987年3月に来日した。日本障害者リハビリテーション協会で働くかたわら、東京における精神障害者の一般的な状況について知る機会を得ている。また、障害者や専門家の人々と話をするために、私立、公立の病院を訪ねることができた。依頼により、精神衛生に関して英国と日本との主な相違点について簡単に述べる。

A―1.何故コミュニティ・ケアか?英国における精神障害を持つ人々の状況

 “コミュニティ・ケア”は英国において、障害を持つ人々が自らの家や地域に積極的な意味で戻るということとしてよく使われる言葉になってきている。

 1960年代後半から、長期にわたる入院の影響、特にかつて存在したいくつかの古い巨大な施設への入所、というのは結局のところ治療というよりは、むしろより一層の問題となると言われてきている。主な理由の一つとしては、施設収容が急速な施設内の制度への依存を導くこと、人格喪失がアイデンティティの喪失と無感動を生み、ついには、その人の機能的能力の名残りだけになってしまうということが挙げられる。そのような長期的な施設収容のあとには、“外の世界”に戻ることは恐ろしいことであろう。“治療”が時として名のみで結局のところ“封じ込め”になってしまう。

 それゆえに良いコミュニティ・ケアとは上記のようなことが起こらないということを意味するべきである。実際今日では、自らにあるいは他者に対して明らかに危険な兆候を表す人だけが長期体制で強制的に収容されている。しかしながら、精神障害者の大多数はまったく危険ではなく、単に混同されているにすぎない……それゆえ彼らが地域で暮らして当然ではないのか?コミュニティ・ケアについてもう一つの価値ある理由は、精神病を経験した人々自身が、必要な時に適切な援助さえ与えられれば長期の入院なしに精神病は克服、あるいは少なくともコントロールすることができるという生きた証明であるということである。家族、近隣の人々、地域がそれを経験した時、そしてその人が地域に再参加し、生産力を有する働き手になる時、不条理な汚名や無知により左右される恐怖は減少される。

 最後に挙げる主要な理由は、費用の点である。一人の人を1週間精神病院に収容することは納税者に数百ポンドを費やさせることになる。同じ人が、地域で社会保障を受けて生活する場合では政府にとってそれよりずっと費用が掛からなくて済む。不幸にして、これがコミュニティ・ケアは安上がりという考えを招くかもしれないが、これは真実ではない。施設ケアよりは安くとも効果的なコミュニティ・ケアには費用も掛かるのである。

 2.コミュニティ・ケア:英国における諸サービス

 コミュニティ・ケアは、低レベルから高レベルにわたり、各人の必要に応じて範囲の広い援助を行っている。ある人は数日、あるいは数週間で精神病院を退院し、その後その病気が許すかぎりの自立を達成するまでにさまざまなレベルの援助を経過する。家族とともに、ソーシャルワーカー、地域の精神科の看護婦、障害者再雇用担当官(職業リハビリテーション・カウンセラー)、ボランティアが、コミュニティ・ケアの過程において手をつなぐべきである。つぎに挙げる一覧は高レベルの援助から低レベルまでの諸サービスについてである。

a.精神科ディ・ホスピタル(通院型病院)

 通常、老齢のメンバー(年齢65歳以上)。平日の午前10時から午後4時の間。送迎、食事、そして社交的なプログラムが提供される。必要な時には、十分な医療/精神科の治療が受けられる。期間:6カ月まで。将来のより少ない形の援助に本人が対応していけるかどうか職員による評価が行われる。家族に日々の休息をあたえる。

b.精神科デイ・センター(通所型施設)

 18歳以上のあらゆる年齢が対象。時間帯は上と同じ。送迎、食事は一部負担で提供される。メンバーと職員とで毎日のプログラムや外出などについて話し合って決める。期間:必要に応じて。職員は必要があれば、メンバーを精神科医やソーシャルワーカーなどに移送することができる。ディ・ホスピタルよりは組織だっていないが、社会生活に必要な技術、ニーズについての援助を行っている。

c.治療共同体

 40人のメンバーまでの専門的共同体。通常対象は、情緒障害、人格異常の診断を受けている人、恐怖症、または食欲不振/巨食症歴などをもつ若い年齢層の人々(20歳から40歳代)。職員は制服を身につけることはせず、自身の“専門家としての肩書”をあえて忘れる―だれもが平等で名前でお互いを呼びあう。この平等であることによって、すべてのメンバーの間で、自分たちの状況について、率直で自由な議論が生まれてくる。通常、折衷主義の精神分析方式を使い、すべてのメンバーが、自分たちの問題を解決するために協力しあう。メンバーは自身の交通手段について責任を持ち、自分の食事は自分で準備する。アート・セラピー、ゲーム、スポーツ、ヨガ、その他メンバーにより決定された社交的プログラムが行われる。期間:2年まで(多様)。

d.精神科診療所

 外傷性の事故(自殺未遂、最近の流産など)のあとでカウンセリングが有効とみられる人を対象として。病院のソーシャルワーカーが、退院後すぐにその患者にそのような診療所を訪ねるように勧める。期間:最高12週まで、週1―2時間。精神科医と精神科のソーシャルワーカーが、精神医学的、実際的な地域援助(経済的、職業的援助や家族へのカウンセリングなど)を患者に提供するために協力して仕事を行う。患者は地域の中に住みながら援助をうけることができる。

e.自助グループ

 同じような問題を経験した人々が定期的に(通常週1回、夜)仲間と集まることを希望し、そこで共感からくる友情や援助を得るかもしれない。(例=X町広場恐怖症グループとかX市元精神障害者の会)。これには上記の他のプログラムに参加しながら関わることができる。これらのグループは自立組織で、経済的にも自立している。ソーシャルワーカーや地域の精神科の看護婦などがこれらのグループについての情報提供を行うし、またグループの雑誌や地域の図書館、電話帳などで調べることができる。精神科の入院は必要なことではない―事実これらのグループはいくつかのケースについて、不必要な入院を防ぐ援助を行っている。

f.ランチ・クラブ

 ランチ・クラブは10人から15人のメンバーからなり、家族や、精神病を経験したことのあるボランティアによって運営される。メンバーは、だいたい週に一度昼食の時間に集まる。食事はボランティアやメンバーにより用意される。形式ばらないお喋り、友情、悩みをわかちあう時間など、そして美味しい食事をくつろいだ雰囲気のなかで…

g.電話による援助団体

 全国ヘルプライン(サマリタン)や地方の自助グループが番号を広告し、人々はそこに電話し、問題について相談したり、励ましや、共感を得たりするかもしれない。電話した人の承諾を得て、より専門的な援助への移送が手配されることもある。

 3.民間の領域

 英国は福祉国家として有名であるが、氏間の領域(自身の職員とボランティアを雇用している民間の組織)が実際的なサービスの責任の多くを担い、よりよいサービスと、人権へより一層の注意を促すため陳情運動を行う非常に貴重な圧力団体としての役割を果たし、現行の制度における問題点を指摘している。また多くの団体が雑誌を発行し、時にはラジオやテレビ番組を通じて地域の精神障害者に対する受容を増進させている。

 全国組織の団体(全国精神分裂病財団、MACA―精神病アフターケア協会とリッチモンド財団、その他)もまた国の各所に、精神障害者が(時には家族も共に)数カ月にわたって、評価、社会技能訓練、職業リハビリテーション評価、そして職業紹介などのために滞在できる居住設備を持っている。そこで同時に、彼らは日毎に自身を取り巻く地域と関係を持つようになる。

 このような民間の組織は通常、精神障害者を持つ家族によって、より質の高い、幅の広いサービスが作られることに関心が寄せられることから始まった。政府のサービスが不十分であることを知り、家族そしてその他の関係者や団体(教会)は彼ら自身の制度を徐々に作り始めてきた。何年もの間に、それらが、上に挙げたような種類のサービスへと発達してきた。しかしこれらの組織のうちいくつかは、より一層の充実の必要性を求めてごく近年に創設されたものである。(例:全国精神分裂病財団は1970年に、一人のひとが彼の精神分裂病の息子に対してのサービスの不足を全国紙に訴えて手紙を書いたことから生まれた。彼は国中から何百もの彼の意見に同意する手紙を受け取り、そのような家族のために出来る限りのことをする決心をした。NSFは常に発展をしており、また非常に有効な成果をあげている)。

 4.携護に関する問題

 “MIND”(全国精神衛生協会)は、精神障害者のために声を大にしてきただけでなく、障害者自身が協力を得て自分たちを弁護出来るよう援助を行う民間および公的な領域の先頭に立ってきている。

 GPMH(“精神衛生に関する有効な事業”)擁護情報パックは英国において精神に問題を持つ人々が彼ら自身を弁護出来る能力を高めるためのさまざまな事業について概説している。また、非公式でもそうでなくても、既にケアや援助を提供している人々を制度のなかで、精神障害者自身が自分自身に責任を持つよう援助を再考するよう教育することも非常に重要である。この運動は、すでに合衆国で定着している擁護運動から影響を受けている―そこには、精神病は決して依存や無力を意味するのではないという新しい認識があるように思われる。患者や元患者や彼らのために過去に確立されたさまざまなケア制度が今、彼らが要求することも与えることも出来るケア制度の中でその役割を再考しはじめているという絶えず繰り返される証拠がある。

 これは“力の均衝”が精神障害者にむかってゆれ動きはじめていること(病人とか患者という代わりに“利用者”とか“消費者”として徐々に認識されるようになること)と、彼ら自身のケアについて、そしてお互いのケアについて声を大にする権利を意味している。これは素晴らしい前進である。

B.日本と英国―いくつかの相違点

 1.態度

 日本に着いてから筆者は3週間にわたって東京と日本の北部を旅し、家庭に滞在し、日本の習慣や生活などについて人々と話し合った。その間に、多くのホストに、日本における、そして彼ら自身の地域における障害者の状況について質問を行い、それに対して次のようなコメントを得た、“日本では人と違うということは良いことではないのです”“…わたしたちは障害者に慣れていないのです”“そのような人々については彼らの家族だけの関心事です……”

 また、筆者自身も障害者(軽度の脳性麻痺)で、筆者が旅行中に受けた人々の反応はそれらのコメントを証明しているようである。それに、筆者は路上で他の障害者をまったく見かけなかった。アクセスについては東京の一部の場所を除いては考慮されていないように見受けられた。

 もう一つ顕著なことは、東京においてですら車いすを利用している人にほとんど出会わなかったということである。これはアクセシブルな環境が十分でないためではないか、一体彼らは家から外に出られるのか?

 日本に2年滞在し、筆者はその間多くの人と話す機会を得てきた。重度の障害を持つ多くの人が指摘したのは、さまざまな福祉制度や法律にもかかわらず、彼らにとっての最も大きな障害はいまだ家族や近隣の人々の態度であるということだ。一人の女性は、彼女が年にたった2回ほど、ほんのわずかな時間、夏の太陽の光のもと、家の外に車いすで出るときの様子を語ってくれた。近所の人に出会うと、彼女と彼女の家族は、彼らを困惑させた事に対して、むやみに詫びをのべるそうだ。また、筆者は何人かの人が、アクセシブルな設備が無いこと、そしてそれを用意することは要求されていないことを理由に地方の大学への入学を拒否されたと聞いた。

 精神障害者は、より一層大きな問題に直面している。精神病院は30年以上も入院をしているような患者でパンクしそうだ。ほとんどの場合、もともとは家族によって入院させられた人達である。多くの病棟はいまだ鍵がかけられている。さまざまな日本の精神科医が筆者に述べたところによると、コミュニティ・ケアの理論は認識され始めつつあるが、精神障害についての社会の持つ不安ゆえに、それが実行されるには何年もかかるであろうということであった。一般的に、英国に比べ、偏見や無知が社会の態度において大きな部分をしめているようである。―英国自体もまだまだ道のりははるかだが……。

 英国では、人間が障害や皮膚の色などに関係なく一定の基本的権利を持つことがもっと認識されているようである。社会事業の機関における日常的な問題は、基本的な権利としてのサービスを増強させるための財政的援助を確保することのようである。日本では基本的人権それ自体がかなり新しい問題だが、英国では障害者とその家族がそれらの要求を行っている。

 日本人はその文化的背景の下に自らの状況を受けいれるように育てられ、彼ら自身のニーズはグループのそれの次にくる。これはグループに順応することを意味し、……そしてグループの中で他者と違っている人は声を大にして喋るべきでないとされている。

 2.ノーマライゼーション

 上記と関連しているのは“ノーマライゼーション”である。日本には精神病者やそのほかの問題を持つ人々のための小規模のグループホームのようなものはほとんどない。重症の場合は、病院が予想される行き先である。したがって、地域社会はめったに障害というものを経験することがないし、もしそのようなことがあっても、概してどのように反応してよいか分からない。

 かつて筆者が訪問した精神病院もまた、患者の“病気で依存的”な役割を強調しているようにみえた。病棟にはいつでも鍵が掛けられており、職員は鍵の外のガラスに飛び散り防止をほどこした病棟詰所にいる。職員は常に制服を着ている。職員と患者の間には、医療または監督上の処遇のため以外には、明らかなコミュニケーションがない。病院の利用者は自分が“病気で、近寄りがたい”という宣告を受け、自分が違っている、“異常”という感情を強く持ってしまう。英国のいくつかの病院においても未だこのようなこともある。しかし最近になって、病院のなかでも“受容することと正常であること”を考慮することが重要であるという認識が高まってきている。例えば精神病院の職員はしばしば患者と名前で呼びあう間柄で、制服は最小限度、そして患者は自分の服装や食べ物、近親者との接触、病棟でのことや作業療法に参加したりすることに関して日常的な決定を行う機会がより多く与えられている。

 地域のホームはまた、精神病の人でも多くの場合、普通の生活をすることができるということを土地の人々に分らせる貴重な手段である。英国では多くの民間組織(先にのべたような)が、地域にグループホーム建設の計画を発表して地域住民からの大きな圧力を受けた経験を持っている。しかし、設立後短期間の内に、地域自身が精神障害者は普通の人々であること、その地域で申し分なく生活できることを経験し、偏見と前もっての考えはくつがえされる。

 さらにグループホームそれ自体近隣の家と全く同じ外見で、窓に人目につくような柵や中の人々を隔てるような高い壁などはない……。なぜならば、そのようなものは必要ないからである。これは現在のところ日本の社会での意見とは正反対である。

 3.家族の役割

 英国では先に述べたようにさまざまなことについて一層の援助を求め請願や要求を行ってきたのはしばしば家族である。障害者もまたここ数年ますます彼ら自身の声を上げてきている。英国のソーシャルワーカーは、家族内で、そして家族単位で、一層の理解と援助を育てるために患者だけでなく家族に対しても多く働きかけを行う。

 日本では、もし家族の一員が精神(あるいは身体的な)障害者である時、未だ多く恥とか欠点とかの感情を持つ。これは第一に彼らが、援助を要求する事をそう簡単とは考えられないこと、援助の主たる案といえば入院であることを意味している。家族は彼らの家族の一員に対して戦略をもって援助することを期待されていないし、専門家も家族をどのように導いていくかということは教育されていないように見受けられる。もちろん今まで述べてきたように、家族や彼らの精神障害を持つ家族の一員を援助するための地域のサービスはほとんど存在しない。もしコミュニティ・ケアが日本で知的に同意される概念以上のものであるのなら、この状況は緊急に解決される必要がある。

結論

 わずかなぺ一ジで詳しく述べることは難しい。多くの日本の友人は、“どうぞ率直な意見を述べて下さい。厳しい意見でも”と筆者に言う。しかし厳しく聞こえる意見にもかかわらず、筆者は日本において変化が起こりつつあることを感じていると述べたいと思う、たとえそれが非常にゆっくりであろうとも。日本は世界のほかの人々に注目されていること、そして国民はその経済力にふさわしい社会福祉制度を持つに値することを実感し始めている。日本は地域における優れたケアを確立する土台のための経済力を有する数少ない国の1つである。筆者は、日本が英国の起こした過ち、すなわち、(筆者が思うところの)素晴らしいコミュニティ・ケアの理論ばかりを作り上げ、十分な地域設備を作ることをおろそかにし、一方で急速に古い巨大な病院を空にし閉鎖した点に注目してくれることを希望する。筆者はこの論文がただいくらかの反応だけではなく、行動をも引き起こすことを信じている。

* Social Worker,U.K.


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1989年3月(第60号)38頁~42頁

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