特集/第9回アジア・太平洋地域会議とアジアのリハビリテーション RIとアジア・太平洋地域

特集/第9回アジア・太平洋地域会議とアジアのリハビリテーション

RIとアジア・太平洋地域

―国連障害者の10年における成果―(抄訳)

Dr. the Hon. Harry S. Y. Fang

抄訳 中西由起子**

 アジア・太平洋地域は、過去20年にわたり積極的にRI(国際リハビリテーション協会)の国際的活動に参加してきた。世界的には60年代から障害者問題に関する啓蒙活動を成功させていた。70年代には「RI障害者の10年」を行い、80年代にはカナダのウイニペッグの第14回RI世界会議で採択された「80年代憲章」を公布した。この二つのRIの率先的行動は、国連の1981年の国際障害者年(IYDP)の布告に貢献し、さらに、1983年から1992年の国連障害者の10年の国連での宣言と全国連加盟国での実施を目的とした「世界行動計画」の採択に影響を与えた。

 最初の地域会議は汎太平洋リハビリテーション会議として1958年にオーストラリアのシドニーで、それ以降はマニラ(1962)、東京(1965)、香港(1968)、シンガポール(1975)、ソウル(1979)、クアラルンプール(1983)、ボンベイ(1986)でこのRI地域会議は開催されてきた。

1972年は、RIの地域のコーディネーションと組織構成のうえから転換期であった。オーストラリアのシドニーでの第12回RI世界会議に集った専門家が、RIアジア・太平洋地域委員会を結成した。それ以来広大なアジア・太平洋地域で、RIの活動は大いに刺激をあたえた。

 60年代、70年代の地域での活動づくりと強化の期間中に、この地域は世界的にも、活発な役割を担った。1978年のフィリピンの「第2回障害者の法律に関するRI世界会議」がその一例である。1988年には、日本が第16回RI世界会議を、韓国がパラリンピックを開催した。中国は今年11月に途上国の障害者問題国内調整委員会の役割と機能に関する国際会議を開催する。

 この地域における地域会議、国際会議のテーマをあげてみると、「リハビリテーションの新局面」、「実践的アプローチ」、「地域社会の新しいタレント」、「自立への門出」、「総合リハビリテーション―その現実的展開と将来展望」、そしてこの会議の「平等と参加」がある。テーマの流れは、基本的人権を認めていこうとの傾向を示している。

 地域の動きは、世界的レベルでのRIや国連の活動を補ってきた。障害予防、リハビリテーション、機会の平等化のための世界的行動においてパートナーとなれたことは、重要な成果である。

 1972年から1980年のRI地域委員会委員長、1980年から1984年のRI会長として、私は地域のRIのリーダーたちの努力をみてきた。彼らは1972年からRIの目的のためのネットワークづくりに献身した。

 あと2年で国連障害者の10年は終わる。この会議は、国連の10年の目的の達成度を評価する場を提供する。我々の関心は、終了年の1992年のみでなく、人類文明の3000年までの戦略と行動計画づくりの構想にも向けられるべきである。

 地域での国連の10年の3主要分野の発展に関して、私の意見を述べてみたい。

障害予防

 政府および民間の団体の努力により、伝染病の世界的免疫プログラムは多くの国で効果を上げた。低価格で適切な栄養プログラムと水道・下水衛生プログラムも障害の発生を減少させた。

 しかし、貧困、栄養不足、戦争、自然災害による障害減少の兆候はない。

 工業化され、都市化された都市では、交通事故、労働災害、環境汚染による障害は、増加の兆しにある。

 残念なことに、リハビリテーション・プログラムの拡充が障害者数の増加に追いつかないという現状は、国連の10年が開始された年から変っていない。

 先天的障害予防に最新の医療技術を取り入れた都市もある。遺伝相談のようなプログラムは、都市では増加傾向にさえある。胎児に重度障害があっても、その生きる権利を侵さないならば、現代技術が障害予防に使えるか否かの、欧米で熱心に討議されている問題にこの地域も直面せねばならないだろう。これは欧米では倫理論争にまでなり、結論は恒久的影響力を持つだろう。

 私個人としては、障害の有無にかかわらず人間は生まれかつ生きる権利を持つことを当然と考える。

リハビリテーション

 10年の間に、障害児の早期治療は多くの国で重要視されてきた。治療においては、障害児はハンディのみではなく、発育障害ももつことが理解されている。

 障害者にとって、矯正外科は身体的能力回復のために重要である。中国障害者連合が、50万人の視覚障害者に白内障手術を、30万人のポリオ障害者に矯正手術を、3万人の聴覚障害児に早期言語訓練をする5ヵ年計画を開始したことは、喜ばしい。そのような大規模なリハビリテーション事業は、中国のみならず、世界でも類をみない。事業初年度では、とくに後発開発地域においてすばらしい成功をおさめた。

 自立生活や生産的労働に最新技術や科学を採用することに、地域の関心は高まってきた。RI・ICTA委員会(国際アクセス・技術委員会)の共同研究センターとなるべく、1990年10月に香港のリハビリテーション工学センターが正式に開所したことは、歓迎すべきである。

 情報技術が多くの国で利用可能になり、リハビリテーション機器やサービスに関するコンピュータ情報センターが、先進国の都市に建設されてきた。将来センター間が衛星やケーブルで結ばれて機能を高め、後発開発国にとっても利用可能な距離に一つはセンターが作られることを期待する。

 しかし、技術の進歩や伝統的リハビリテーション・サービスの拡充にもかかわらず、障害者の急増とその85%以上の人々のリハビリテーション・サービスの利用の難しさという難問は、10年間未解決である。それ故、後発開発地帯の障害者が低価格で地域主導型のリハビリテーション・プログラムから恩恵を受けて欲しいと、地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)が導入された。CBRは1983年のクアラルンプールの第7回アジア・太平洋地域会議の議題であり、1988年の第16回RI世界会議のテーマ「総合リハビリテーションへの現実的展開」とほとんど同義である。10年間で、後発開発地帯のCBRプロジェクトは増えた。職業リハビリテーション、障害児の早期発見と訓練などにも、CBRは取り入れられてきた。伝統的リハビリテーションが主翼となっている都市においてさえ、地域の障害者や家族の生活の質を向上させる現実的手段として関心が高まっている。

 CBRの経験から、器材の経費や専門家の人件費がかからないことがその唯一の魅力であるとわかった。その他、地域のメンバーのケアとリハビリテーションや機会の平等化への主要なパートナーとしての地域の介入、及び地元の政治指導者や地域のリハビリテーション・ボランティア、近隣の人々、障害者、家族のつながりを深めるという利点もある。

 障害者の専門的治療の分野では、この地域は経験が少ない。それ故、専門的治療の可能性、限度、妥当性に対して、多分野提携のアプローチといわれる個人的、集団的な自由な評価ができる。ハンガリーで始まった集団指導療法(Conductive Education)は、導入、改良後、重複障害児者にすばらしい効果を及ぼした。障害児者は、学習に問題があると考え、指導者がついて教育、治療の結合プログラムに参加させることで解決をはかる。

機会の平等

 機会の平等化で、国連障害者の10年の実践具合が測られる。国連の定義では、この概念は一般的社会システムを皆が利用可能とするプロセスと考えられ、国連の人権宣言、精神薄弱者の権利宣言、障害者の権利宣言をもとに作られた。国連デクエヤル事務総長が述べたように、国連の10年の原則は、他の市民と同様の権利を持つ市民としての障害者の受容である。国連世界行動計画に明記された機会の平等化は、法律、物理的環境、所得保障と社会保障、教育と訓練、雇用、レクリエーション、文化、宗教、スポーツの側面を持つ。

 機会の平等化の過程で、法的手段と社会教育は主要要素である。

 障害者が他の市民と平等な機会を持てるよう法的に保障され始めた以外、過去10年に注目すべき進展はない。

 国及び地方のレベルで、物理的環境のアクセスに関する意識が向上した。数カ国では、全公共建築物を利用可能とさせる効果的方策も講じた。もし再開発を予定しているなら、アクセスの規定は物理的環境に影響を与えるのみでなく、完全参加と平等への社会的決意の表示でもある。

 雇用では、設備投資での出費をうめる雇用主への奨励金などの、障害者の一般企業での雇用推進のための法的措置が増えてきた。割当雇用制の立法化は議論のあるところだが、法制化を終えた国は増えている。一般企業での雇用の機会の平等化推進のためには、社会啓蒙や雇用推奨金のみに頼ってはいけないとの傾向が出てきた。総合的法制度を求める声は、大きくなってきた。2000年が近づいているので、具体的方策が期待される。

 何年もかけて大半の国で、全般的国内政策の中に総合的障害者政策を含めることが、一般化してきた。総合リハビリテーション政策の実施と見直しをする中央レベルの国内調整委員会も、多くの国で設置された。しかし、障害者政策と国の総合的社会経済開発プログラムの連携が困難な国もある。2つの注意せねばならない点は、政府の他の部局が総合リハビリテーション政策を口実として、障害者の平等な機会を保障するサービスに関与しなくなる事と、政府がもっと緊急な問題を扱う総合的政策を作るので、総合リハビリテーション政策への関心をなくす事である。今後数年の経済的不安定の中で、過去10年間の機運を維持するための困難な戦いを強いられるだろう。

 国の憲法や基本法の草案の中で、障害者の権利について言及しようとの努力は、喜ばしい兆候である。そのような試みは、権利擁護運動家の満足する結果には至っていないが、障害者の最大限の機会の平等化保障のための広義な法解釈に対する立方官や行政官の意識を高めた。

 法的措置は、行動する際の枠組みと基盤を提供するに過ぎない。法的措置の効果的実践は、一般の人々がそのような措置を支持するためにどの程度の情報を与えられ、決意があるのかにかかっている。それ故、進歩的な法的措置に着手しそれを支援して行くために、社会教育は重要な役割を負う。障害者の地域統合を促進するプログラムにより多くの時間とお金を使うマスコミが増えていることは、喜ばしい。10年後の成果として、一般の人々を対象とする良いマスコミのプログラムがもっとこの地域で作られることは、素晴らしい。

未来への挑戦

 問題があるところには、行動の機会があることを、私は強調したい。

 広く未来を予測してみると、この地域では、各国間の差異をなくすべく外交交渉や国際協力が紛争や武力侵略に取って変わるとの楽観論が増えるだろう。しかし、経済予測では楽観的な未来は望めない。

 障害者問題の予想は可能である。障害者数は、周知の理由により毎年増加する。リハビリテーション・サービスの需要と供給のギャップは広がりつつあり、障害者人口の85%、つまり4億以上はリハビリテーション・サービスへのアクセスがずっと難しいままである。

 21世紀には、人口の変化により高齢化に伴う障害者問題が増加する。障害のある高齢者は社会に貢献できる人としていまだ大きな可能性をもっていると同時に、特別なニードを持ち、特別なサービスを必要とする。

 50以上の国と地域があるアジア・太平洋は、世界人口の50%以上、地上の陸地の50%以上を有する広大な地域である。文化、言語、経済発展、社会的政治的体制、宗教の多様性にもかかわらず、近代的な情報通信のおかげで地域の人々は互いに近しくなっている。技術的進歩や活発化した経済活動や観光により、各国はより相互に依存しあってきた。

 国連障害者の10年の目標を共に承認し、世界行動計画実施への政治的意欲をあらわにして、強い一致感と団結心が地域に生まれた。この地域が見てきた人間の思考や行動の変化は促進され、現在や未来の問題に取り組む際の楽観主義は持ち続けるべきである。

 機会の平等化のプロセスにおいて政府や国民を啓蒙する大きな運動のパートナーとして、RI地域会議は努力を続けるべきである。

アビリンピック

 国連の代表者は、幾度も、一般大衆の国連の10年と世界行動計画への理解が少ないことへの憂慮と、NGOとともに国連障害者の10年を世界的行事で活気づけようとの意欲を表わしている。

 国連の要請に応えて、10年の目的に向けて第3回国際アビリンピックを1991年8月に香港で開催する。

 「能力のオリンピック」という意味でアビリンピックという言葉が作られた。第3回国際アビリンピックは、完全参加と平等の目的に向かって世界を啓蒙する基本的課題に取り組んでいる。障害のある人とない人のチームがレジャーや日常生活や雇用に関する技術で能力を示すとき、その能力に世界の注目が集ってくる。

 雇用問題に関する国際会議は、10年の目標実行の行動戦略づくりの場を提供する。

 香港全体、つまり550万人は第3回国際アビリンピックの主催に関与するだろう。

 世界中の参加者は、ギネスブックに載るような祭りの雰囲気と花火とパレードで歓迎される。人種、宗教、障害に関係なく大規模に人々が動員される事は、「完全参加と平等」の精神を真に反映した国際的行事として人類の歴史に残るだろう。

 地域の各国は、ぜひ香港のアビリンピックに参加していただきたい。

 1991年には、世界は国連IYDPの10周年を迎え、国際社会は21世紀を全人類の「完全参加と平等」とする決意を宣言するだろう。

 未来の挑戦に立ち向かう家族と地域社会の準備のため、紀元前約300年に生まれた中国の哲学者孟子の教えを披露したい。約2000年前の彼の教えは我々の世界にもあてはまる。

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(本稿は、「第9回アジア・太平洋地域リハビリテーション会議」での発表論文を抄訳したものである。)

元RI(国際リハビリテーション協会)会長
**障害者問題コンサルタント


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1991年6月(第68号)12頁~15頁

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