特集/第9回アジア・太平洋地域会議とアジアのリハビリテーション ベトナムのリハビリテーション

特集/第9回アジア・太平洋地域会議とアジアのリハビリテーション

ベトナムのリハビリテーション

丹羽勇**

国の概況

 ベトナム社会主義共和国は、ソ連、中国に次いで、世界で3番目に大きい共産主義国である。

 1954年のジュネーブ協定によって、フランスの植民地時代が終わり、北緯17度線を境に、南北ベトナムに分割された。南ベトナムは、その後アメリカ等の支援をうけ、国内の民族解放戦線(ベトコン)と北ベトナムに対決し、ベトナム戦争に発展するが、1975年4月のサイゴン(現在のホーチミン市)の陥落で終戦となる。

 南北が統一されたベトナムの国土は、総面積329,600km2で、日本全土から九州を除いた位の大きさである。総人口は、6,400万人(1989年)で、日本人口の約2分の1にあたる。国土は南北に細長く約2,000kmにおよび、山岳地帯が3分の2をしめ、住民は北部のレッド・リバー流域と南部のメコン・リバー流域に密集しており、その中心が北部の首都ハノイ市(人口300万)と、南部のホーチミン市(人口380万)である。住民の80%は農村地域に住み、約3,000万人の労働人口の72%が農業、13%が工業、15%がサービス産業等に従事している。サラリーマンの月収は平均約4,000円(30ドル)程度、失業率は20%を越えるという。初等教育の水準も北部では比較的高く、現在、人口の約20%が学校教育を受けており、15歳以上の人口の85%は読み書きが出来ると報告されている。

障害者の現況

 ベトナム全土の心身障害者の数は、保健省や労働・戦傷・社会省(Ministry of Labour,Invalids and Social Affairs-LISA)の報告によると、250万人から300万人と推定され、これを人口比にすると3.9%~4.7%となる。この数字は全国調査を行った結果ではなく、十数カ所の州(プロビンス)の調査に基づいて推定されたもので、例えば北部のタイビン州では2.4%、南部の12州では平均6.8%と非常に幅広く報告されている。調査の正確度は極めて疑わしいが、貧困と長い戦争を経験するベトナムの障害者問題が、他国に比して更に深刻であることは否定出来ない。30年を越える国内紛争と他国の介入による被爆によって、約100万人の戦争障害者を創出したが、その中30万人は重度障害者であり、その中7万3,000人は肢体不自由で、補装具を必要とする障害者となった。

 更に障害者の性別、年齢別統計を見ると、男性70%、女性30%であり、年齢1~15歳が全体の7%、16~30歳が32%、31~60歳が44%、61歳以上が17%となっている。障害児が比較的少ないのは、医療施設が不十分なため、死亡率が高いためかとも考えられるし、16~60歳の障害者が合わせて76%と非常に高いのは、傷痍軍人が多く含まれている結果と思われる。

 障害者を種類別にみると、次のとおりである。但しこの調査は、CBR(コミュニティ・ベースド・リハビリテーション)を行うため南部三州、北部二洲を選んで、家庭訪問調査を行った結果の推計である。

肢体障害 37.0%
聴覚・言語障害 19.6%
視覚障害 20.2%
知能障害 8.3%
情緒障害 9.5%
てんかん 3.9%
中枢障害 1.2%

99.7%

リハビリテーション医療

 ハノイ医科大学のNGHIENリハビリテーション部長は、障害者300万人の中、60万人が医学的リハビリテーションの対象者であるが、その大部分が、都会に集中している医療サービスから遠くはなれた農村や山岳地帯に住んでいるため、適切なリハビリテーションを受けることが出来ないでいると報告した。

 保健省は現在CBRを試験的に実施しているが、州レベルの医科高校でリハビリテーション技術者や看護婦の養成を行い、又地方(デストリクト)の病院に専門医やリハビリテーション技術者(単なるPTではなく、その他簡単なスピーチセラピーや視覚障害者の歩行訓練なども出来る専門職員)を配置して、彼らが農村や遠隔地を訪れ、障害者の治療を行う努力を試みている。

 CBRは現在、スエーデンのRadda Barnen協会の援助をうけ、ベトナムの南部のティエン・ジアン(Tien Giang)州の全地区と、ハノイに近いハイ・フン(Hai Hung)州、ビン・プウ(Vinh Phu)州の数地区、中部のフエ(Hue)市などで実施され、かなりの成果を上げている。これらのCBRを更に推進させるため、ハノイ市とホーチミン市にメディカル・リハビリテーション協会(Medical Rehabilitation Association)が設立され、1990~1995年の計画として次のような事業を考えている。

1.保健省はCBRを国の政策として推し進め、3,000~4,000の村を含む200地区(デストリクト)に拡張する。(現在、ベトナムには44州、550デストリクト、8000村がある)

2.CBRの手引書(マニュアル)を印刷し、医師、PTやその他のリハビリテーション職員の訓練をする。

3.州の病院にPT部を設ける。

4.リハビリテーションの専門職員(医師・PT・ST・OT)の海外研修を実施する。

5.外国のコンサルタントを招いてセミナーや研修コースを開催する。

6.医療機器の整備をはかる。

 これらの援助を、WHO、ILO、ハンディキャップ・インターナショナル(NGO)や、外国政府に要請する。

 保健省の医療リハビリテーションとは別に、労働・戦傷・社会省(LISA)は全国に10ヵ所、州レベルの肢体障害者機能回復リハビリテーション・センター(Centre for Orthopaedic and Functional Rehabilitation)を運営し、整形外科手術、治療、理学療法、機能回復訓練、補装具の製作と供給、その他の指導を行っている。ハノイ市には、これらのセンターを統轄する中央リハビリテーション研究所(Iistitute for Orthopaedic and Functional Rehabilitation)がLISAの直属として設置されている。

 LISAは1975年に南北ベトナムが統合されて以来、特に戦争障害者のリハビリテーションの責務を負って中心的な役割を演じて来た。現在は戦争障害者に重点を置きつつも、他の民間障害者(労働災害、交通事故、先天性障害、病気による後遺症など)の医療リハビリテーションも同時に行っている。

 10ヵ所にある各センターは年間、約1,000人の障害者を近隣地域から受け入れ、医療リハビリテーションを行っている。

補装具の製作と供給

 医療リハビリテーションの一環として行われている義肢や車椅子、その他の舗装具の製作は、主としてLISAのリハビリテーション・センターに附属された製作所で作られている。1984~1990に70,000の補装具が作られたが、そのうち50,000は戦争障害者に給与された。これらの供給は、まだまだ不十分で、特に民間の障害者にはほとんど供給されていないのが実情である。現在車椅子を必要としている障害者は60,000人と推定されているが、1980年以降3,000台の三輪手動車椅子と、5,000台の二輪車椅子が国内で生産され、約2,000台が輸入されたに過ぎない。これは需要の約20%弱である。現在50,000人の障害者が義肢を待っており、25,000人の障害者が車椅子(出来れば手動の三輪車)を必要としている。

外国からの援助

 現在LISAが外国から受けている技術援助を列記すると次のとおりである。

―国際赤十字委員会(スイス)―ホーチミン市のリハビリテーション・センターで義肢の部品の製作を援助している(Low-cost aids;100%原地の材料を使用)

―クエーカー・サービス(アメリカ)―キ・ホン市(Qui Nhon)のリハビリテーション・センターに援助。

―ワールド・ヴィジョン(アメリカ)―ダナン市(Da Nang)のリハビリテーション・センターで義肢製作の援助。

―テル・デ・ゾム(ドイツ)―ホーチミン市のリハビリテーション・センターで、栄養失調・孤児と小児マヒのリハビリテーションの援助。

―PRF(Prosthetic Research Foundation)(義肢研究所)(アメリカ)―CAD/CAMシステムのコンピュータを導入した義肢製作をハノイの中央リハビリテーション研究所との共同開発を試みている。

―ノルウェー政府―ハイ・フオン市(Hai Phong)のリハビリテーション・センターに技術援助。

―ドイツ政府(旧東ドイツ)―ハノイのバビー(Bavi)地区のリハビリテーション・センターの技術援助と車椅子の供給。

―ICCO(オランダ)―三輪手動車椅子の製作に技術協力。

―ハンディキャップ・インターナショナル(フランス)―Low-costの義肢の製作の援助

―インド政府―車椅子の供給。

―ユニセフ―CBRの農村地域への試みに援助。

障害児の教育

 教育省の推定によると、ろう、盲、精神薄弱などの重度の障害をもつ児童の数は、約400,000人、すなわち人口の0.6%を占めている。この数には軽度の障害児は含まれていない。重度障害児とは身体的、感覚的、知的、精神的に障害があるため、日常生活が困難で、普通の教育機関で教育をうけることが難しい子供をいう。

 現在ベトナム全土には、特殊学校・学級と呼ばれる障害児のための施設があり、その数は合わせて33、児童数は2,675と極めて少ない。これらの施設はすべて都市に集中している。例えばホーチミン市には障害児のために、学校が10、センターが3ヵ所ある。ハノイ市にもほぼ同数の施設があり、ろう、盲、精薄児の教育と、職業準備訓練を行っている。ベトナム盲人協会の調査によると、ベトナム全土には550,000人の盲人がいて、その中20,000は初等教育年齢にあるという。1982年にハノイ市に初めて出来た盲学校は、現在60人の盲児を収容し、1年生から8年生までの教育を行っている。

 このように、障害児の教育は極めて未開発の現状であり、今後の政府の政策と努力に期待せざるを得ない。教育省の方針としては、2000年までに500の特殊学校をつくり、各学校に100人の収容を考えて50,000人の障害児教育を考えている。これで障害児500,000人の10%をカバーすることになる。

 近年来、保健省がWHO、ユニセフ等と協力して進めているCBRでも農村に住む障害児の教育を考えているが、いずれにしても必要なことは、

1.障害児の教育の体系(SystemとStructure)と政策(Strategy)を国のレベルで確立すること。

2.障害児を扱える教員の養成をすること。

3.民間団体と地方公共団体の協力を得ること。

4.適切な職業活動に結びつけることである。

職業リハビリテーション

 障害者への国の援助は、1945年の北ベトナム憲法に、規定されており、また1960年のベトナム新憲法にも明記されている。障害者といえども、働く能力があるならば、適当な職を与えることは国の政策でもある。しかしながら、実際には極めて貧しい経済状況にあって、障害者は十分に機能を回復することも出来ず、補装具も給与されず、教育や訓練の機会も少なく、従って彼らにとって賃金労働の職をもつことはほとんど不可能といえる。

 従って、労働年齢にある障害者の大部分は、職をもつことが出来ず、たとえ就業しても極めて低い賃金で働かざるを得ないため、家族や社会の大きな重荷になっているのが現状である。

 職業リハビリテーションは、障害者の能力を見出し、訓練をして、社会の有用な一員として、経済社会に復帰させることを目的とした有意義なプロセスである。ベトナム労働・戦傷・社会省(LISA)は、1975年以来、この職業リハビリテーションを進めるため、かなりの努力を続けて来た。現在の活動を要約すると、次のとおりである。

1.LISAは国立職業訓練校を3ヵ所に設立し、年間に600人を訓練している。

2.地方職業訓練校を60ヵ所設立し、年間に1000人を訓練している。

3.北部のタイビン州(Thai Binh)に職業訓練クラス10ヵ所を設立し、年間200人を訓練している。

4.障害者生産工場60ヵ所に設立し、8,000人を雇用している。

5.共同組合を60ヵ所に設立し、現在6,000人が参加し、縫製作業、木工、プラスチック、皮製品、ラジオ、テレビ組立等の生産活動に従事している。

6.ソーシアル・ガーデン(Social Garden )が3,814ヵ所に設立され、78,516人(主として高齢障害者)が参加している。

7.ソーシアル・キャンプ(Social Camp)が40ヵ所に設立され重度障害者が、約3,500人保護の下に医薬植物の栽培やカートン箱づくり等の生産活動に参加している。

 これらの努力は、量的にも質的にも極めて限られたものではあるが、障害者が生産活動に参加するということは、彼ら自身にとってのみならず、家族と社会にも大きな貢献であり、精神的にも身体的にも安定を与えるものである。ベトナム政府、LISAは、それ故に、職業リハビリテーションの今後の政策として次のように考えている。

1.先ず障害者の実態を把握するために基礎調査(Baseline Survey)を行い、その結果をもとに短期、長期の医療リハビリテーションと職業リハビリテーションのプログラムを作成する。

2.障害者の福祉とリハビリテーション並びに雇用問題を総括した立法措置を検討する。

3.障害者自身の団体をつくり彼らの基本的権利を擁護するのみならず、彼ら自身の要求を国の政策に反映させる。(現在は盲人協会があるのみ)

4.労働・戦傷・社会省(LISA)は教育省と保健省と協力して障害者対策の役割を明確にすると共に、協調的なリハビリテーション施策の進展をはかる。そのために、先ず国のレベルで、民間団体の代表を含めた、障害者リハビリテーション審議会(National Council)を設立する。

5.障害者の生産活動を促進するため、障害者の働く企業に免税措置を適用する。

6.CBRの原則に従い、農村地域での障害者の雇用創出を図る。このために、一般住民の協力、共同組合の活用、適切な職員の養成を行う。

将来の課題

以上は現在のベトナムにおける障害者のリハビリテーションの状況を、1990年11月26~28日にハノイ市で開催された政府主催の第一回リハビリテーションセミナー(ILOとオーストラリア政府の後援による)のレポートを基に、まとめたものである。このセミナーは、ベトナムの最高機関であるState Councilの副大統領NGUYEN HUUTHO氏によって開会されたことによっても伺えるように極めて重大視され、政府の関係省の大臣、高官や実務担当者、それに多くの国際、政府、民間機関からの参加者を交えて開かれた。ベトナムのリハビリテーション史上、極めて有意義な一歩を踏み出したものと言える。

 ベトナムの現状は、日本が50年近く前に味わった第二次世界大戦中またその直後の状態に近いものである。障害者問題を含めた福祉対策には、リハビリテーション以前の数々の問題が山積している。貧困生活と栄養失調からの脱却、衛生管理と疾病予防、飲料水の供給、初等教育、雇用の創出等々である。

 しかし、これらの困難に打ち勝とうとする政府や人々の意気込みも大きい。ベトナムでは今急速な社会改革が進んでいる。ここ数年間に民主化が急速に進み、苦しい経済状況の中で、民間企業の活躍が登場して来た。今後は、障害者対策も、政府と民間が一緒になってやらなければならない時代である。外国からも、ここ数年間に多くのヨーロッパやアメリカの民間団体が援助の手を差しのべている。

 では、アジアの先進国、世界の経済大国としての日本ができることは何か。ここに二、三のことを提言したい。

 先ず第一に、セミナーの報告書が要請していることでもあるが、ベトナムのリハビリテーションの専門職員の養成に援助することである。具体的には、日本障害者リハビリテーション協会等が行っているリハビリテーション職員養成コースに、ベトナムからの参加を援助することである。

 第二に、ベトナムで今、作り育てようと計画されている障害者自身の団体(協会)に援助することである。これはリーダーシップの養成を含む技術と経済援助であり、日本やアジアのDPI(Disabled Peoples International)の協力が望ましい。

 第三に、希望することは、障害者の働く生産工場に技術援助と経済援助をすることである。具体例を上げると、ハノイ市のすぐ南に位置するハ・ソン・ビン州(Ha Son Binh)に障害者の職業訓練所と商業ベースの縫製工場がある。現在250人の作業員が働いているが、その60%は重度の障害者である。最初は州の援助をうけて設立されたが(1976)、今では独立した企業として生産活動を続けている。しかしながら、現在の厳しい経済情勢の下で、苦しい経営難と闘っている。短期のマネージメントの専門家を送るとか、工業用のミシン(20台)を寄贈するとか、原材料(布)の購入の援助をするとか、30,000ドル(約400万円)程度のプロジェクトを考えることは出来ないだろうか。

(1990.12.10)

本稿は、日本障害者リハビリテーション協会の国際委員会での報告の概要である。
**前ILO本部職業リハビリテーション部長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1991年6月(第68号)16頁~20頁

menu