特集/社会リハビリテーションの世界的動向 ドイツ統一がベルリンの障害をもつ市民に与えた影響(抄訳)

特集/社会リハビリテーションの世界的動向

ドイツ統一がベルリンの障害をもつ市民に与えた影響(抄訳)

The Impact of the Unification of Germany on the Disabled Citizens of Berlin

Prof. Dr. med. Ruth Mattheis

 ベルリンは45年間の長きにわたり、二つに引き裂かれてきた。東西の再統一は我々皆の夢であったが、その実現を信じたものはいなかった。しかし、その驚くべきことが事実となった。統合されてからまだ20ヵ月しか経っていないので、経済や社会政治システムの全く異なる2つの都市の統一には、まだ多くの時間と忍耐を要することが予想される。

 障害者援助を含む保健領域に関して両システムを比較してみよう(図1)。

図1
〈東〉
(旧)ドイツ民主共和国
〈西〉
(旧)ドイツ連邦共和国
国家による計画と財政の中央集権経済に於ける民間の主導性が殆どない。
個人の主導性少ない。
最少限の国家介入
民間主導型
個人の主導性大

 ベルリン市の人口は、東が120万人、西が210万人となっている。

 障害の発生とその原因に関しては両市の間に大きな違いはなかった。人口構成は若干異なっている(図2)。

図2
年齢 東ベルリン 西ベルリン
0―15歳 20% 13%
16―65歳 70% 70%
65歳―  10% 17%
外国人 20,000人 270,000人

 障害者の法律に関しては、形式的な法律では東と西とで大きな違いがない。東では満18歳以上の障害者の届け出が義務づけられていたが、西にはそのような義務はない。

 政策上、最も大きな違いは、統合か分離かということに関してである(図3)。

 

図3
<東>
(旧)ドイツ民主共和国
<西>
(旧)ドイツ連邦共和国
分離
権威者によるケア
受け身の援助
統合
自己決定
自助

統合と分離

 東ベルリンに住む母親のうち84%は週43時間のフルタイム・ワーカーである。しかしながら、障害児のためのデイ・ケアセンターが不足しているために、障害の重い子供は入所施設でのケアを受けることになる。一方、西ベルリンにおいては、できるだけ子供を家庭に置き、自助グループや、専門家の援助を受けながら、家庭外保育は1日数時間だけとしている。

 学童に関しては、西では、過去20年の間に、障害をもつ子供も教育を受ける権利が認められ、「教育不能」(uneducable)という言い方がなくなった。一方、東ではまだ同水準にまではなっていない。つまり、「教育不能」または「訓練可能児」(thetrainable)というカテゴリーがあり、彼らの大部分は入所施設で、訓練されるのがあたりまえとされている。特殊教育諸学校(肢体不自由、学習遅滞、盲、ろう等)の数は、西より東の方が多い。その多くは寄宿制になっており、月曜日から金曜日まで学校に泊り、週末だけ帰宅する。西では親たちの多くは、普通学級に適当に障害児が分散している統合された学校への入学を希望する。

 西より東が優れていると思われる点は、障害者年金に関してである。満18歳から、非熟練労働者の最低賃金を稼ぐことができない障害者には、金額は多くないが障害年金が支給される。そのための手続きは、西側のサービスに比べるとずっと簡単であり、東の市民の言葉によれば、ほとんど「自動的に受けられる」程である。

 東ドイツのすべての会社は、軽度障害者を雇用する義務を負い、重度障害者のために特別部門を設けている。最重度の障害者以外は仕事につくことができ、公式には失業者はいないことになっている。

 福祉作業所も少数ながら作られている。連邦共和国では、16人以上を雇用する企業では少なくとも1人の障害者を雇用しなければならないことになっている。この6%の法定雇用率を満たさない企業は納付金を払うことになっている。企業のうち約25%が雇用率に完全に達し、40%が部分的に達し、35%は納付金を払っている。福祉作業所は1,000人の人口に対して、1―2ヵ所の割合で置かれている。利用者の80%は精神障害者である。

住宅

 西ベルリンでは、インテグレーションのために、多くの費用をかけて、段差をなくし、障害者用のトイレをつけ、風呂場を改築し、家族と共に暮らせるようにしている。約800のアパートは車いすで利用できるように設計されている。一方、東ベルリンではその数は80程度である。

公共交通機関や公共建物へのアクセス

 両市とも立ち後れが目立つが、西側が少しだけ進んでいる。30年前に建てられたベルリンフイルハルモニアは、設計者の夫人が障害者であったということが関係してか、車いすで利用できる代表的な建物である。

問題点

一般的問題

 東の一般的な問題としては、40年間人々はやってもらうことに慣れてしまっていて個人努力が乏しいということがある。一方、西の問題は官僚機構の複雑さにあるとされる。サービスを受けるためには、複雑な手続きを経なければならない。東の人々は、法律が認めている権利を行使するためには、障害者自身がイニシアティブをとらなければならないことを徐々に学んでいかなければならないであろう。その際に、大切なのは自助グループの育成である。この種の自助グループは西ベルリンでは50、東ベルリンでは6つある。これらのグループが交流し、互いの経験を分け合うことが重要である。

特殊な問題

 労働市場に関して、ドイツ民主共和国では、かつて失業は考えられなかった。能力が制限されていても、職場は保障されていた。しかしながら、国家統制経済から自由市場経済への急激な移行は、多くの失業者を生み出した。失業率は東が14%、西は9%と言われる。障害者だけが失業しているわけではない。障害者の親の25%が失業中と言われている。これは、移行期の一時的な現象であるに違いない。しかし、近い将来の目標としては次のようなことが考えられる。

将来の目標

 1.ベルリン市のすべての障害者に、できる限りのインテグレーションを実現する。自助グループの活動を活発にし、種々のサービスを整備する。デイセンターや学校を組織し、住宅や公共建物や交通機関を障害者が利用しやすくする。何よりも、コミュニティのメンバーとして平等な権利を享受できるようにしなければならない。東ではインテグレーションがまだ十分に認識されていないので、今後やらなければならないことは多い。

 2.両市の間に平等の原則を実現するために、連帯が不可欠である。両市のサービスの水準はまだ大きく隔たっている。片方のスピードを少し下げて、もう一方が追いつけるようにすべきであろう。マクロな視点からの整備と政治的な決断が求められる。既に医療の領域で生じている「観光客」と呼ばれるような現象、すなわち、より質の高い施設やサービスを求めて、東から西に押しかけるということが起こってはならない。そうでないと、例えば、看護婦がより高い給料を得るために、東から西に流れて行き、その結果、東の立ち後れがますます深刻になるからである。

 3.近い将来に取り組まなければならないものの1つは、他の諸国と同様に、高齢者のリハビリテーションである。労働人口に向けられる職業リハビリテーションや、高齢者が自立した生活を送れるようになるための機能訓練なども重要な課題である。

 ベルリン市とドイツのこの特殊な状況は、全体として多くの課題と挑戦を含んでいる。しかし、もし我々が、最善を尽くすならば、キプリングの言葉は実現することができる。

 “東は東なり、西は西なり、されど我等は、この二人の間近な出会いをひたすら望む。”

(抄訳 春見静子)

旧東独在住、医師


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1992年4月(第71号)8頁~10頁

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