特集/社会リハビリテーションの世界的動向 イギリスにおける精神薄弱者の自立生活(抄訳)

特集/社会リハビリテーションの世界的動向

イギリスにおける精神薄弱者の自立生活(抄訳)

Independent Living for People with Mental Handicap

Mary Holland **

 かつて、英国において、精神薄弱者は「まったく顧みられない存在」であり、、彼らは社会の片隅に追いやられ、隔離されていた。精神薄弱者に対する教育、訓練、住宅や雇用に関するサービスは皆無であり、家族に対する経済的・物質的援助もなかった。

 しかし今日、様相は一変した。「教育不可能」(ineducable)の語はなくなり、長期滞在の施設は閉鎖され、精神薄弱者は地域で暮らし、地域に貢献できる人として認められるようになった。ここでは精神薄弱者のサービスの歴史を振り返って見る。

 1971年、政府は「精神薄弱者のためのより良いサービス」という報告書を出した。その中で、長期施設入所者の3万5,000名をコミュニティに戻すことを要求した。それと共に小規模の居住施設の整備と、個別サービスの充実、自治体、医療保健施設、民間団体、ボランティア等との協力によるサービスの開発の促進が必要であるとした。1979年、「精神薄弱者の看護とケアに関する調査委員会」では次の3原則を打ち出した。(1)コミュニティの中で普通の生活を営む権利。(2)個人として扱われる権利。(3)自分の住んでいるコミュニティから必要な援助を受ける権利。

 1981年、精神薄弱者自立発達協議会はそのサービスを明確に述べる一方政府は同年、「コミュニティにおけるケア」という報告書を出して、精神薄弱者を長期入院からコミュニティへ移すための財政計画を検討した。それは、1985年から下院のソーシャルサービス委員会に引き継がれることになった。しかし、その反面で、親と同居している成人の精神薄弱者の場合は、親が死んでからではなく、その生存中に適当な施設への入所を希望する場合もあり、そのための施設の数が決して十分でないということも指摘されている。

 学校教育

 障害をもつ児童や青少年にとって教育が必要であるということはよく知られているところであるが、「1981年教育法」は、メインストリーム・スクール(統合教育を積極的にすすめている普通学校)に精神薄弱児を入学させるための評価と措置についての規定を設けた。同時にメインストリーム・スクールでの教育効果を上げるためには、個別的なニーズに合った援助と専門家の提供が必要であるという認識が新たにされた。義務教育の期間は満19歳までである。

 社会教育

 19歳以上の青年のためには、成人用トレーニングセンターで特別プログラムが用意される。トレーニングセンターの数はまだ十分ではないが、このようなトレーニングセンターは、精神薄弱者のためだけのもので、分離されてもおり、それ故に、公共の施設を利用する機会をもっと増やし、より広い視野から義務教育終了後の社会教育を考えていくべきであるという意見が出されている。

 就労

 人が自立するために避けられないことの1つは、自分の身に危険を引き受けるということである。親や、時にはスタッフさえもが障害者に過保護になりがちとなる。それは、彼らの自立を妨げるばかりでなく、彼らの可能性に期待をしないことでもある。アランという青年の例を述べよう。

 アランは生活経験が乏しかったために極端な恥かしがり屋で、誰も彼とコミュニケーションをとることができなかった。彼は花屋で働いていたが、スタッフは彼を励まし、時々配達などを一緒に手伝ったので、彼は次第に新しい人と出会っても親しみやすい人間関係がもてるように変っていった。

 就労は自信と満足を与え、特に報酬が得られることが大きい動機となる。しかし、実際には精神薄弱者に十分な就労の機会が与えられていないのが事実である。1984年、「一般労働生活」についての報告書は次のように述べている。「彼らが働きたくないのだと我々が考えている限り、彼らに働く機会を与えることはできない。適切な援助が与えられれば、誰でもコミュニティに役立つ仕事をすることができ、自分を価値あるものとみなすことができる。」王立精神薄弱児・者協会の雇用サービス部門は、障害者の雇用の促進のために、様々な取り組みをしている。そこでは、一般就労のために次のようなステップを用意している。最初はテスト的に働き、次にフォスター・ワーカー(職親)の援助を得ながら働き、最後にフルタイム・ワーカーになるという具合である。精神薄弱者の労働について、同部門の専門家は次のように述べている。「彼らが、仕事をこなせるようになるには他の人よりも少し多くの時間を要するが、一旦良く訓練されれば、他の被用者と全く変らずに会社に貢献できる。」同部門は精神薄弱者の一般就労において80パーセントの成功率をあげている。

 その他、政府は、保護雇用計画(Sheltered Placement Scheme=SPS)により、能率が劣る被用者の賃金を補嗔するという制度を設けている。

自立生活が意味するもの

 28歳のメイソン嬢は、子供の頃から両親の元を離れ病院暮らしが長かったが、3年前からアパートのひとり暮らしを始めた。ホームヘルパーの援助を受けて毎週のスケジュール表をつくり、できる限り一人でこなしている。「朝起きてコーヒーを飲み、出勤前にその日のスケジュールを確認します。仕事に行かないときは絵をかきます。時々テレビを見たり、レコードをかけてダンスをします。給料をもらったら最初に切手を買います。ガス代や電気代や電話代も払います。1ポンドはミルク代としてとっておきます。新聞代も払い、その後買い物をして、もしお金が残れば貯金をします。でも物がどんどん高くなるので貯金はあまりできません。」

 ところで彼女と近隣との関係はどうであろうか。「一人暮らしのこのアパートはとても気に入っています。しかし、近所の人はあまり親切ではありません。私のことを少し嫌っているようです。私をばかにする人もいます。人とうまくやって行けないのは恥ずかしいことですが、私にはとても難しいのです。誰にも会わない日はどんなに長く感じられることでしょう。ジョン(彼女のボーイフレンド)は一緒に住みたいと言っていますが、皆は反対します。彼が私のお金を取り上げてしまうからです。」

 54歳のペイン氏には、母親が死んでからソーシャルサービスが開始された。彼は非常に孤立していた。家は修繕不可能で、取り壊しを余儀なくされた。彼は近くのアパートに引っ越した。日常の支援を受けながら、社会技能を習得するためにコミュニティカレッジに通うことになった。「ここでは何も良いことがありません。私は労働者で、荷物の積み下ろしをやっていました。ここでは仕事がないので退屈です。」彼がアパートに引っ越してきたばかりの時には、近所は彼をばかにした。ペイン氏は近所の誰とも付き合っていない。コミュニティカレッジではスタッフや学生の中に入るが、それ以外では友達がいない。ペイン氏は字が読めず、お金の管理もできない。日常生活では多くの支援を必要とする。

 以上の2ケースはコミュニティに暮らしていても社会的に孤立している例である。真のコミュニティケアには弱い人々に対する支援ネットワークと、近隣社会の受容と価値の転換が必要である。すべての個人の価値を認め、彼らが日常のコミュニティの生活に参加できるような配慮がなくてはならない。

 こうした支持と友情を得ているのは、ウイリアム嬢(45歳)である。彼女はソーシャルサービスを受けながら一人でアパート暮らしをしている。教会の活発なメンバーであり、2ヵ月に1度位、週末や休日をある家庭と共に過ごす。「日曜の朝と土曜日の夜は教会に行きます。教会では遠足に行ったり、会食やパーティもあります。メグという仲の良い友達がいましたが、引っ越してしまったので、今はペンフレンドとして付き合っています。すばらしい家族のもとで1週間位休暇を過ごすこともあります。その家の小さな娘さんは“ここにいて欲しいの、アパートには帰らないで”と言うのです。」

アドボカシーは個人の権利を促進させるか

 精神薄弱者のアドボカシーは、英国ではまだ比較的新しい概念である。アドボカシーには、セルフ・アドボカシー、シチズン・アドボカシー、リ―ガル・アドボカシー、クラス・アドボカシーなどがある。

 セルフ・アドボカシーの起源は1960年代の終わり頃のスウェーデンの運動に遡る。1970年スウェーデンで開かれた会議には50人の障害者が参加した。1972年同じような会議が英国で開催され、22人の精神薄弱者が参加した。

 1984年アメリカのシアトルのセルフ・アドボカシー指導者会議の後、「ロンドン・ピープル・ファースト」(People First of London)が結成され、それが1987年、イングランドとウェールズのセルフ・アドボカシーの会議を開催し、成功を収めた。この団体は、サービスを提供する機関でない。団体にはアドバイザーがいるが、どのようなサービスにも関係していない。P.F.L.のメンバーは専門家や親達の団体のために講演を頼まれることがよくある。しかしその一方で、活動や決定に関しては明確な責任をとらなければならない。英国のそれ以外のセルフ・アドボカシーグループは、たいてい半自立的で、部分的にサービスと関係している。障害者の輸送サービスの存続の運動などを展開して成功している。

 シチズン・アドボカシー計画は1981年、英国で開始された。アドボカシー連盟という名のもとに、5つの全国ボランティア団体が参加して結成された(現在は全国シチズン・アドボカシーとして知られている)。連盟はロンドンの南西にある3つの長期入所施設の居住者に対するパイロットスタディを開始した。すなわち、施設の居住者が選択できるようにボランティアは積極的に働きかけた。キットは彼がモリーにした援助を次のように述べている。

 「私はモリーに選択の仕方を教えた。彼女はそれまで選ぶということをして来なかった。着るもの、食べるもの、彼に付き添う人、環境について選択することができなかった。紅茶の代わりにコーヒーを、赤い服の代わりに青い服を選べるのはどんなにすばらしいことであろうか。」

 1984年同じようなシチズン・アドボカシー計画がシェフィールドでも始められた。ここでは施設入所者だけでなく、コミュニティで暮らす人々もその対象となった。

 シチズン・アドボカシーの中心的考え方をアメリカ合衆国のあるアドボケートは次のように述べている。「無報酬で、社会サービスからは独立している。社会から除外されがちな人々と関係を保ち、その利益を代表し、問題への対処の方法を一緒に模索する。パートナーとして長期的に係わることが重要である。引き受けるべき役割は、代弁者、道案内、情報提供者、経済問題の助言者、友人、同伴者、文化と民族の同一視のためのモデル、支援者である。

 リーガル・アドボカシーは、弁護士や法的な訓練を受けた人がこれを行い、権利の行使を援助したり、権利の擁護のために働くものである。内容としては、ケースワーク、交渉、法律や規則の調査、サービス要件の評価、行政裁判以前の不服の申し立て、クライエントの権利に関する法律や規則の監視等に及んでいる。

 英国では、シチズン・アドボカシーが、彼のクライエントのために不服の申し立てをしたり、その人のために社会保障を申請することができる。

 クラス・アドボカシーは、その効果が1人の人を超える範囲に及ぶような内容に係わるものである。

 「1986年障害者法」(サービス、コンサルテーション、代理に関する法)の1―2章は、障害者の相談にのったり、その権利を代弁したり、サービス提供者への発言を行うための、公認の代理人を任命する権利を規定した。しかし、政府は、1991年3月、この法律の1―2章の実施をしないと発表した。そのために40以上の障害者団体が法の完全実施を求めて立ち上がった。1991年7月8日付の首相にあてた団体からのメッセージは次のように述べている。「政府の推定では、650万人中の14万4,000人の障害者がこの法律による法定代理人をもつことにより利益が得られるとされている。そのための費用は、一人の法定代理人の費用が40ポンドであるとしても、年額600万ポンドにもならない額である。権利を守ることが最も困難な人のために支払われる金額として、これが高過ぎるという人が果たしているだろうか」と。

 最後に、障害者と障害者団体は一致して差別禁止の法律の制定を求めている。精神薄弱をもつ人々が自立して、自由に自分の生活を選択すべきであるとすれば、不公平な取り扱いや差別に対して、法的な保護が加えられるのは当然であるに違いない。

(抄訳 春見静子)

知的に障害をもった人々のことを“学習困難者”、“学習障害者”などとする議論もあるが、この論文はすベて“知的障害をもつ人々(people with mental handicap=精神薄弱者)”として論じることとする。
**王立障害者リハビリテーション協会障害者援助部副部長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1992年4月(第71号)25頁~28頁

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