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講座

●WHO国際障害分類試案・4

WHO国際障害分類試案への批判と修正動向

佐藤久夫

 「試案」の普及・活用にともない数々の批判も生まれ、WHOはようやく修正作業を開始した。今回はこうした批判と修正の動きを整理したい。なお、わが国の上田敏氏による批判は次回にまとめて紹介する。

1.障害と環境の関係

 「試案」の構造モデルには環境(障壁)因子が位置づけられておらず、ハンディキャップの原因をもっぱらインペアメントやディスアビリティに求めているとして批判されている。この批判は、ハンディキャップを含む障害の全体の原因を病気に求め、その結果として治療に主要な価値がおかれるという意味では医学モデルだという批判であり、環境因子が無視されもっぱらその個人の内部に問題の原因が求められるという意味では個人還元主義だとの批判であり、病気→インペアメント→ディスアビリティ→ハンディキャップという構造図の形の面では線型モデルだとの批判である。

 環境は「病気の諸帰結」ではないので、これらの批判は的外れといえなくもない。しかし「障害」特にハンディキャップは、単なる「病気の諸帰結」ではないところに大事な特徴があるのである。

 「試案」を医学モデルだとして最も強く批判してきたのが障害者インターナショナル(DPI)で、その規約に書かれている定義は次のとおりである(DPI 1985)。

 ディスアビリティ:身体的・精神的・感覚的インペアメントによって生じた個人内部の機能制限。

 ハンディキャップ:物理的・社会的障壁によって生じた、地域社会での通常の生活に他の人々と平等に参加する機会の喪失または制限。

 しかしこのように描くことによっては「障害」の枠組みが消失してしまい、貧困問題や失業問題などの社会問題一般との区別がつかなくなってしまう。この点をDPIの世界評議員のひとりであるイギリスのフィンケルシュタインが、次のような定義(Finkelstein V 1989)で補っている。ただしディスアビリティの中に不利益や活動の制限、すなわち「試案」の定義でのハンディキャップやディスアビリティにほぼ相当するものを含めている。彼は、例えば移動という活動の能力が飛行機の発明で飛躍的に向上したように、人間の肉体的限界は技術の発展で補われるものだ。したがって身体の欠陥を補う配慮のなさが活動の制限を生み出すのであり、ディスアビリティも環境の産物であるとする。

 インペアメント:四肢の一部または全部の欠損、あるいは四肢・器官・身体機構の欠陥。

 ディスアビリティ:身体的なインペアメントをもつ人のことを全くあるいはほとんど考慮せず、したがってこれらの人を社会活動の主流から閉め出している社会の仕組みによって生み出される不利益や活動の制限。

 スエーデンのセダー(Soder M 1988)は、「試案」でもハンディキャップは個人と環境とのかかわりだという指摘はなされているが、強調されているのは個人の方であり、個人が可変的で環境が固定的なものとみなされているとする。一方スエーデンのモデルでは、個人は前提で環境が可変的だとされ、したがって環境の改革、必要な資源の配置という政策が促されるのだとしている。

 これらに対して「試案」の著者のウッズは、「医学モデル」を弁護したり、「試案」は環境も重視していると反論したりしてきたが、最近の論文では単純な線型モデルでは現状を説明できないとし、ハンディキャップの発生に関してインペアメントやディスアビリティと共に、物理的環境、利用可能な資源、社会的状況などの因子が関与するとして、新しいモデルを提案するに至っている(Wood PHN & Badley E 1988)。

2.ハンディキャップからはじまる系列

 スエーデンのノルデンフェルト(Nordenfelt L 1988)は、病気、インペアメント、ディスアビリティ、ハンディキャップに、状況とゴール(目標)を加えた6つの要素からなる構造モデルを提案し、以下のように表現する。

 A氏は状況Sの中で目標Gを実現できない場合、Sの中でGに関するハンディキャップHをもつ。

 A氏は、もしその実現のために基礎的アクションBが不可欠であるような目標Gをもっており、かつ状況Sの中でBを遂行できない場合、Sの中でBに関するディスアビリティDをもつ。

 A氏の中に生理学的または心理学的な状態Iがあり、A氏が目標Gをもち状況Sの中で暮らしている場合、その状態IがSの中でのGに関するハンディキャップHを生み出しがちな場合、A氏はインペアメントIをもっている。

 このモデルは問題点も多いが、障害者が最も問題としているハンディキャップを中心にして組み立てられており、非常に理解しやすいこと、そして特定の状況(環境)の中で目標が実現できないことがハンディキャップであるとすることなど、本人の要求や目標が中心に据えられ実践的にも有効なモデルではないかと思われる。またインペアメント等の前提にハンディキャップを据え、この点で次回に紹介する上田理論と似ている。

3.ハンデイキャップ発生プロセス

 1988年に設立された「国際障害分類に関するカナダ協会」では1991年、いわゆるカナダモデルを発表した。これは図のように環境因子とインペアメント・ディスアビリティとの相互作用がハンディキャップを生み出すとするものである。

 このモデルのもう1つの大きな特徴は「肯定的アプローチ」と呼ばれるもので、正常なもの(例えば身体機構、能力など)の特殊な状態がインペアメント等であるとし、分類リストもこれら正常なものの分類となっている。

図 カナダモデル:ハンディキャップ発生プロセス

図 カナダモデル:ハンディキャップ発生プロセス

(CSICIDH & QCICIDH 1991)

4.インペアメントとディスアビリティ

 心理・言語などの分野ではインペアメントはディスアビリティによって、つまりなにかができないということによって初めてインペアメントが知られる。したがって、インペアメントとディスアビリティとの区別が可能なのか、可能だとしても実践的に働きかけは結局は同一であり、両者を区別することにどのような意義があるのか、という批判がある(Nordenfelt L 1988)。

 クラーレ(Claire LS 1989)も精神発達遅滞をとりあげて、「試案」はIQ70以下を精神遅滞としてインペアメントの中にいれているが、はたして知能テストの得点によって生物学的・病理学的な状態であるはずのインペアメントを確定できるのかという。ここにはインペアメントを評価するのに能力というレベルを測定していることへの疑問と、統計的な異常で病理を見ようとしていることへの疑問とが含まれている。

5.ディスアビリティとハンディキャップの関係

 「試案」での2つの定義の差は分かりやすいが、分類リストの差は曖昧である。例えば社会統合のハンディキャップは「社会統合とは、通常の社会的関係に参加し、関係を維持して行く能力である」とした上で、ほとんど関係におけるディスアビリティの程度によってハンディキャップの程度が決められるようにリストが用意されている。

 実際、スペインの調査(Rodriguez PG 1989)では、オリエンテーション、身体自立、移動性の3つのハンディキャップについては、補助具や介助によってのみできる人をハンディキャップをもつ人と定義したが、これはほとんどディスアビリティを調べたに等しい。

 さらにウィルスマは、ディスアビリティとハンディキャップは価値評価という点で異なるといわれるが、結婚相手との愛情ある関係をつくる能力とか、家庭内の活動に参加する能力などは価値評価を含んでいるではないか、という。さらにハンディキャップはいくつかのインペアメントとディスアビリティの要約にすぎず、その評価にあたってはインペアメントとディスアビリティ以外の情報は必要ない、ともいう(Wiersma D 1991)。

6.インペアメントの概念と分類

 スペインの調査(Rodriguez PG 1989)でのディスアビリティはインペアメントに基づくものという限定がつけられ、その結果例えば老化にともなう心身の機能低下によるディスアビリティは除かれた。調査結果を見る限りでは年齢とともにディスアビリティの出現率が急上昇しているのであるが、これは関節炎や高血圧症などの病気による「真の」インペアメントの増大を反映したものであって、「正常な老化にともなう」機能の低下によるものは除かれている。

 「試案」のインペアメントの「定義」では原因を問わず心身の機能の喪失・異常はすべてインペアメントとされている。しかしインペアメントの「特徴」では、病理的状態の表面化したものとされており、このあたりの「試案」の曖昧さが問題であろう。筆者もかつて、「試案」のインペアメントのリストに「妊娠中」があげられていることとインペアメントは病気から生まれてくるとしていることと矛盾すると述べた(佐藤久夫1982)。

 上田はリハビリテーション医学の実践的立場からとりあえず骨格系の機能障害分類を検討し、分類には目的により多様なものがありえるとしつつも、「試案」では「有痛性運動制限」(慢性関節リウマチ)・「低運動症」(パーキンソン症候群)等の疾患に特徴的な機能障害が表現できないこと、などを指摘している(上田敏 1984)。

7.ディスアビリティと個人的・社会的背景

 バトラーら(Butler A et.al. 1983)は、身体医学でも共通するがとくに精神科領域で重要なのは、人々の行動を広く社会的文脈で理解することだとして、1日に40回も手を洗うのは外科医であれば異常ではないが、銀行員であれば異常であるという例をあげている。バトラーらはとくに「試案」のディスアビリティの定義を批判しているわけではないが、「試案」によればディスアビリティとは「人間として正常とみなされる方法や範囲で活動していく能力の何らかの制限や喪失」であり、その人の職業はおろか性別や年齢すらも問わず、「人間の正常な活動」や「人間の正常な能力」が前提されている。バトラーらは言外にこの定義の非現実性を指摘している。

 同様に前述のスペインの調査の経験からロドリゲスは、非常に高齢な人に対して走ることのディスアビリティを質問することはどういう意味があるのかと、素朴で痛烈な批判をなげかけている。

8.「試案」の修正動向

 「試案」修正のためのWHOの主催による国際会議は、ようやく1990年11月にフランスで第1回が、1992年3月にオランダで第2回が開かれた。その要因として前述のような批判が出されてきたことがあげられるが、さらに重要な要因として(一見矛盾するように見えるが)WHOが「試案」は基本的に有効であると判断したことがあげられる。出版以降の10年間の普及と活用の実績から、「試案」ではなく「国際疾病分類」と並ぶような「国際障害分類」として正式に決定しようという方針を、WHOの少なくとも事務局サイドでは固めたのではないかと思われる。

 第1回の会議には、国際障害分類に関するフランス・オランダのWHO協力センター、CE、国連、国際障害分類に関するカナダ協会などの代表をはじめとする関係者が参加し、修正すべき事項、修正素案の作成担当者、そして修正スケジュールが決定された。第2回にはWHO疾病・健康関連分類に関する北米協力センターの代表も加わり、素案に基づく論議がなされるとともに、「試案」の実績について正式にWHO理事会・総会に報告することも決められた。

 会議の報告(WCC 1991、1992)によれば、確認された主要点は次のとおりである。

 (1)3つのレベルの用語と概念・定義、各分類リストの最初のケタ(大分類)は変更しない。

 (2)環境因子の重要性を明記する。しかし第4の分類として体系の中に含めはしない。

 (3)3つの分類リストの一部修正をする。

 (4)1994~95年に修正版を出版する。部分的な修正は次回リプリント時にも行う。

 以上のように、定義や分類リストの基本的部分は少なくとも第1回目の修正では手をつけないと決定されたわけであり、抜本的な修正を期待していた者にとっては失望を与えるものである。

 この点についてWHOは、近年「試案」への関心が高まり活用が急速に広がってきているので、そのさなかに「試案」の基本的部分を変更すると大きな混乱が生じる。したがって少なくとも今回の修正は必要最低限にとどめたい、とする。

 しかし実際には前記4点にとらわれず、かなり基本的論議がなされているようであり、今年から来年にかけてのとりくみに期待が寄せられる。なにしろ「試案」の出版までに10年弱、第1回修正まで15年弱がかかるのだから、今回の修正を逃すと、今世紀中の大幅修正は不可能となる。

 すでにわが国は国際疾病分類の定期的修正作業には大いに貢献してきた実績もあるので、国際障害分類に関しても厚生省や障害者団体を含む関係者からの積極的提案が欲しいところである。

文献 略

日本社会事業大学助教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1992年10月(第73号)34頁~37頁