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報告

車椅子バスケットボールが文化として発展するための一考察

中川一彦

猪塚康広**

1.はじめに

 身体障害者スポーツは、1888年にベルリンで聴覚障害者のスポーツクラブができたのを組織的な始まりとして、長い年月をかけ、現在では国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee)を中心にまとまり活動している。

 国内の身体障害者スポーツは、東京パラリンピック(1964年)の頃から盛んになり、現在では、様々なスポーツが定期的に全国大会レベルで行われるようになっている。組織的には、1990年11月、京都障害者スポーツ振興会が京都府体育協会に加盟し、日本身体障害者スポーツ協会も日本体育協会加盟のための働きかけを始めている。

 車椅子バスケットボールは、1945年、イギリスのグッドマン博士がリハビリテーションの一手段として車椅子使用者にバスケットボールをさせたことに始まり、世界的にはアメリカを初めとして急速に発展し、現在では、国際バスケットボール連盟に車椅子バスケットボールの活動に関する部門が設置(1986年)されており、定期的に世界大会が行われている。

 日本国内の車椅子バスケットボールは、東京パラリンピック前の1962年頃に紹介され、東京パラリンピック後徐々に盛んになり、1975年に日本車椅子バスケットボール連盟が結成された。1990年現在、連盟には89チーム、1,077人が登録し、連盟の医療部門で選手の障害分類等を管理し、定期的に競技会を行うまでに発展している。

 しかし、日本車椅子バスケットボール連盟と日本バスケットボール協会には、1986年、国際バスケットボール連盟に車椅子バスケットボールの運営委員会が設置されたような公的な交流はなく、世界的な活動の流れからは遅れていると言わざるを得ない。

 1981年の国際障害者年のテーマは“完全参加と平等”であり、インテグレーションをはかることである。

 わが国の車椅子バスケットボールについていうならば、健常者と身体障害者が共存し、この共存した主体者が車椅子バスケットボールを行うようには、今だ、なっていないと考えられる。

 車椅子バスケットボールは一般のスポーツと同様に、既存の文化に内在する諸価値を獲得することによって、自己の能力を向上させるとともに、既存の文化そのものを変容・変革していくような主客の関係にある文化、つまり「体系としての文化」として認められ発展したとき、真に文化としてのスポーツになったといえるのではないかと考えられるのである。

 そこで「国連・障害者の十年」最終年をむかえるに当たり、わが国の車椅子バスケットボールが、文化として発展するための方法、いいかえれば、インテグレーションをはかるための方法を求めてみたので報告する。

2.研究方法

 全国の車椅子バスケットボールチーム89チーム、1,077人と一流選手の集団であるT大学男女バスケットボール部員78人を対象にアンケート調査を行い、バスケットボールに対する意識等を知ることに努めた。調査期間は、前者が1990年7月10日から同年8月10日まで、後者が1990年10月30日であった。

3.結果と考察

 車椅子バスケットボール選手からの回答は、413人(38.3%)、健常者バスケットボール選手からの回答は、76人(97.4%)であった。

(1)車椅子バスケットボール集団の発達

 車椅子バスケットボールが発展していく一つの要因として、車椅子バスケットボールの集団を形成する各個人が、車椅子バスケットボールと健常者バスケットボールの関係についてどう考えているかがあげられる。車椅子バスケットボールと健常者バスケットボールの関係については、前者の選手の40.7%が、後者の選手の33.3%が同じバスケットボールであると考えていた。そして、車椅子バスケットボール選手の85.3%が、一般社会の中で、もっと車椅子バスケットボールが認められて欲しいと考えていた(表1)。

表1 BBに対する意識

表1 BBに対する意識

 集団状況の発達を考えた場合、まず、身体障害者に差し伸べられた援助によって集団状況が成立し、発達する。現在、車椅子バスケットボール集団の発達段階をみると、形成の段階にあると考えられるのである。我々は、さらに集団を発展させるために集団の内部を改善・強化し、健常者バスケットボールの集団に対し積極的に働きかけていかなければならない。そして将来的には、バスケットボールという大きな傘の下に二つの集団が統合され、選手、審判、用具、戦術、ルール、そして科学的研究等を媒体として接在的運動を展開し、集団を拡大していこうとするような集団状況をつくることが望まれる。

 具体的には、車椅子バスケットボール集団の内部問題を解決していくことである。未成熟な部分を発展させ、集団構造を大きくし、強化していくことにより、積極的な内接運動が行えるようになれば、車椅子バスケットボールがバスケットボールの一部分として認められるようになるであろう。

 もう一つは、車椅子バスケットボールの集団から健常者バスケットボールの集団に対し積極的に働きかけ、正式な連絡機関を発足させ、早急に交流を始めることである。最も望まれることは、車椅子バスケットボール連盟と日本バスケットボール協会がひとつになり、車椅子バスケットボールの組織が、日本バスケットボール協会の一部門として位置づけられることと考えられるからである(図1、2)。

図1 障害者のスポーツ集団状況の発達段階
(中川 1983年)

図1 障害者のスポーツ集団状況の発達段階

図2 将来望まれる二つのバスケットボール集団の集団状況

図2 将来望まれる二つのバスケットボール集団の集団状況

(2)文化としての車椅子バスケットボール

 車椅子バスケットボールは、身体障害者によって分有され継承されているスポーツであり、ひとつの文化である。それは、身体障害者の全員もしくは特定の成員によって共有される「型としての文化」であり、身体障害者の歴史を進歩させ、身体障害者の構成する社会を発展させる原動力となる「価値としての文化」、身体障害者がスポーツを行うこと自体に意義を見い出す「過程としての文化」である。

 ところで、主客の関係における「体系としての文化」の観点からいうならば、車椅子バスケットボールは「所与としての文化」として存在し、身体障害者が形成する集団が「活動としての文化」として行い、「所産としての文化」として成果を得ているのである(図3)。

図3 主客の関係における「体系としての文化」
(岩崎 1978年)

図3 主客の関係における「体系としての文化」

 実際、車椅子バスケットボールを始めとして、身体障害者スポーツは新しい価値を生み出し、身体障害者が構成する社会の発展に大いに貢献している。しかし、健常者の立場から車椅子バスケットボールの文化性を見た場合、それはどうであろうか。「体系としての文化」として捕らえた場合、現行のルールは、健常者が主体として存在していないのである。この状況は、健常者が車椅子バスケットボールという文化を摂取し、享受、継承することができない。つまり、車椅子バスケットボールは、文化として成立していないのである。

 主客の関係からいうならば、主体の側に健常者も存在させること、具体的には、健常者が車椅子バスケットボールに参加できるようにし、先に述べた同じ傘の下に選手を置くのである。ルールを改善し、持ち点制度を再考することが、今後の車椅子バスケットボールの発展にとって非常に重要な課題である。

 このように改善することで、身体障害者と健常者で形成される主体により、「体系としての文化」として車椅子バスケットボールを成立させ、健常者に対し、現状よりもなお一層の「価値としての文化」、「過程としての文化」としての認知を求めるようにならなければならないのである。

 主客の関係では、主体の側は健常者と身体障害者が一緒になった状態が望ましいと述べたが、車椅子バスケットボールが「身体障害者スポーツ」としてではなく、「みんなのスポーツ」として広く社会の中で行われることが大切なのである。

 車椅子バスケットボールと健常者バスケットボールの新しい関係、身体障害者と健常者の新しい関係を創り出すことこそ、これからの身体障害者スポーツの発展に影響を及ぼすものとなるであろうし、真の「完全参加と平等」のためにもそうならねばならないのである。

4.まとめ

 本研究の結果、車椅子バスケットボールが今後さらに発展するための課題として、次のことがらが提言された。

 1)車椅子バスケットボールの抱えている施設・設備の整備、車椅子の研究・改善、選手・指導者・審判の育成、科学的研究の促進といった問題点を改善し、車椅子バスケットボール集団の内部を改善・強化すること。

 2)車椅子バスケットボール集団から健常者バスケットボール集団に対して積極的に働きかけ、二つの集団を転換、統合、拡大すること。

 3)車椅子バスケットボールに健常者の参加を認め、健常者が車椅子バスケットボールを「体系としての文化」として摂取、享受、継承できるようにすること。

参考文献 略

筑波大学
**日本電装株式会社


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1992年10月(第73号)38頁~41頁