講座 わが国における研究と活用

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WHO国際障害分類試案・5

わが国における研究と活用

佐藤久夫*

 「障害の階層的構造」についてのわが国の「理解」の水準はかなり高いのではないかと思われる。もちろん厳密な国際比較はできないが、障害者にかかわる各種専門家の多くが障害の3つのレベルの基本的な意味の違いを理解している点で、わが国は「先進国」に属する。社会福祉士の国家試験にはほぼ毎年出題されるテーマともなっている。

 しかし、その「活用」となると、第3回でみたような諸外国の取り組みに比べて遅れているように思われる。とくに統計的調査や政策面(政策立案や政策批判)ではほとんど活用されていない。ただ個別援助実践の面では、障害者のかかえる問題を整理して認識するための枠組みとして、とくに医学的リハの領域での活用はかなり進んできた。

 わが国での研究と活用の推進に中心的な役割を果たしてきたのが上田敏氏である。

1.上田敏氏の「疾患と障害の構造」の理論

 上田氏はすでに1971年に、患者・障害者の抱える諸問題の「重層的な構造」(上田敏 1971)を指摘し、「障害を核とした不幸の複合体」という表現も使った(上田敏 1973)。75年には障害を構成する3レベル(段層)として、Impairment(機能障害):生物学的レベルでとらえた障害、Disability(能力障害):人間個体のレベルでとらえた障害、Handicap(不利):社会的レベルでとらえた障害、の区分を示し、重い機能障害でも不利を軽くし得ると述べた(上田敏 1975)。

 さらに、その後の70年代後半のいくつかの論文を含めて氏は、障害を3つのレベル(生物、人間個体、社会)からなる階層構造として規定し、それぞれに機能障害、能力障害、不利という名称(訳語)を当て、それらの関係を相対的独立性をもつものとして特徴づけ、それぞれに対応する異なった評価とアプローチの方法を提起していた。そしてこれはリハ医学会の合意となった(日本リハビリテーション医学会 1979)。

 さらに81年には「体験としての障害」という側面が位置づけられ、(概念図の完成やその他の理論的考察もあわせて)上田理論が完成したといえる(上田敏 1981等)。これは83年の「リハビリテーションを考える」(上田敏 1983A)で詳しく紹介されている。

 まず、障害の概念や構造に関する理論的検討が必要とされる問題状況があげられる。それは法制度上の障害者範囲の狭さ、重度概念の不合理、リハの実施のあり方や障害者運動の方針をめぐる混乱などの解決に不可決であり、さらに総合的なリハビリテーションの科学と技術の基礎となるとする。この指摘は、「試案」の大きな目的が行政のために「障害」の量的把握を行うことにあるとされていると対比してながめると興味深い。

 ついで、概念図で疾患と障害の構造の全体が示される。「疾患によって起こった生活上の困難・不自由・不利益」が障害であり、これは3つの客観的レベルと1つの主観的側面(体験としての障害)に分けられる。矢印は継時関係ではなく論理的因果関係であり、病気の後遺症で固定したものだけが障害であるとする理解の誤りを指摘する。

 さらに、各構成要素の定義が示される(表)。

図 疾患と障害の構造(上田敏1983A)

図 疾患と障害の構造(上田敏1983A)

表 客観的障害の3つのレベルと体験としての障害の定義(上田敏 1983A)
機能・形態障害 障害の一次的レベルであり、直接疾患(外傷を含む)から生じてくる。生物学的レベルでとらえた障害である。能力障害または社会的不利の原因となる、またはその可能性のある、機能(身体的または精神的な)または形態のなんらかの異常をいう。
能力障害 障害の二次的レベルであり、機能・形態障害から生じてくる。人間個人のレベルでとらえた障害である。与えられた地域的・文化的条件下で通常当然行なうことができると考えられる行為を実用性をもって行なう能力の制限あるいは喪失をいう。
社会的不利 障害の三次的レベルであり、疾患、機能・形態障害あるいは能力障害から生じてくる。社会的存在としての人間のレベルでとらえた障害である。疾患の結果として、かつて有していた、あるいは当然保障されるべき基本的人権の行使が制約または妨げられ、正当な社会的役割を果たすことができないことをいう。
体験としての障害(主観的障害) 実存のレベル(主観的な体験として、自尊心・価値観・人生の目的などに関するレベル)で捉えた障害(上田敏 1992)。

 機能障害(機能・形態障害)は、「試案」と異なり、能力障害や社会的不利の原因となるかその可能性があるものとされ、疾患との差が明示される。

 能力障害には「地域的・文化的条件」という要素が組み込まれ、「試案」の「正常な方法や範囲」でなく「実用性」が使われている。日本では正座不可=能力障害だが、欧米では椅子に座れれば問題ないこと、また足で字を書いても実用的であれば字を書く能力の障害はないとすべきであることなど、氏の定義の方が実践的に優れている。(これは万国共通の能力障害分類リストをつくろうとするWHOとの目的意識の違いでもある。)

 社会的不利は最も重要な障害であるとされ、「基本的人権」や「正当な社会的役割」という表現でその克服・軽減の権利性を強調する。

 「体験としての障害」は客観的障害に直面した本人が、それらの障害をもつ自分自身に付与するマイナスの価値評価であり、その解決・克服は価値観(感)の転換・拡大を通じてなされる「あきらめでも居直りでもない真の障害の受容」であるとする。なお92年の文献(上田敏 1992)では、図の「患者本人の主観への反映」は端的に「主観的障害」と表現されている。なお4つの側面の関係については、環境の関与も含めて、実際は図よりも複雑だとする。

 さらに、氏の強調点のひとつは「相対的独立性」論である。これは能力障害は機能障害によって完全に決められてしまうものではなく、社会的不利も能力障害によって完全に決められてしまうものではない、しかし、また、完全に独立しているのではなく、その独立性はあくまでも相対的である、というものである。この関係は体験として障害と客観的障害の側面との間にも見られるとし、これらのことが豊富な具体例で説明される。

 最後に総合的アプローチ論がある。それによれば、4つの側面・レベルは異なった基本的アプローチを必要としており、それぞれ治療的、代償的、環境改善的および心理的アプローチが対応するとする。この総合的対応により、機能障害の治療にばかり目を向ける「治療主義」、本人の「やる気のなさ」のみを責める「悪しき心理主義」、逆にこれらへの機械的反発から機能障害や能力障害の改善の余地があるのにその取り組みを放棄する傾向など、実践、運動、政策の面での一面性から免れることができるのではないかとしている。

 その後氏は、4つの側面にわたって障害(マイナス)を減らすことと能力等(プラス)を増やすことの両面をもつリハの性格(上田敏 1987)、障害の構造と生の構造とQOLの構造の関係(上田敏 1992)、リハ医学の主要な構成部分の一つとしての障害学体系(上田敏 1984A)、高次脳機能障害(上田敏 1983B)・慢性関節リウマチ(大川弥生ら 1985、1986)・ハイリスク;体力消耗状態(大川弥生ら 1989、1991)・慢性疾患患者(上田敏 1991)・脳卒中(大川弥生ら 1990)などの疾患別障害構造の分析とリハへの活用、目標志向的アプローチやディスアビリティ重視のアプローチなど方法論への障害構造論の適用(大川弥生ら 1989、1991、上田敏 1991、上田敏ら 1991)などの分野での新たな研究がなされ、その主要点は「リハビリテーション医学の世界」(上田敏 1992)でも紹介されている。

2.その他の諸氏の研究

 上田氏以外にも、障害の構造的理解をめぐって多くの人々が検討・研究を蓄積してきている。これらを総論的・総合的なものと疾患や機能障害の種類別のもの(各論的なもの)とに区分してみた。

 前者ではまず大泉が、障害児のライフサイクルにおける3つの危機と障害の3つのレベルの対応を関係を興味深く論じている(大泉溥 1981)。砂原は、「試案」に対する豊かな考察に加えて、環境やリハを含めた独自のモデル図を示した(砂原茂一 1984)。大川は、機能・形態障害の中に第1次障害と第2次障害とを区分するなどの考察を行っている(大川嗣雄 198))。竹内は、リハのゴールとの関係で(竹内孝仁 1989)、嶋田は、理学療法評価との関係で(鳴田智明 1989)3つのレベルを論じた。

 さらに、高橋(高橋芳樹 1991)は、障害年金の等級認定基準を検討し、狭い日常生活能力のみに「障害」を限定していることの問題点を指摘した。その他政策制度の検討に関するものでは、笛木俊一(1981)、安藤徳彦ら(1984)、木下博(1986)、初山泰弘(1988)などがとくに重要と思われる。

 また、筆者はWHOの「試案」、カナダモデル、上田理論の3者をとりあげて障害構造論をめぐる国際的動向を検討した(佐藤久夫 1992)。

 後者の各論的な研究では、運動障害の医学的リハ領域ですでに中村が、反射・反応・運動-インペアメント、動作-ディスアビリティ、行為-ハンディキャップとの対応を指摘していた(中村隆一1977)。進藤らは、冬の寒冷積雪は能力障害よりも機能障害や社会的不利により大きな影響を及ぼすことを脊髄損傷者について調査した(進藤伸一ら 1986)。金子は、機能障害が改善されたが失業した脳卒中患者の例から作業療法の在り方を論じた(金子翼 1986)。古田らは、上肢を使用するADLと筋力・ROMなどの間にリーチ・にぎる・はさむなど「基本動作」というレベルを設けて分析した(古田恒輔ら 1982)。大川は、運動障害の場合の機能障害について、力源・てこなどの区分を用いて分かりやすく説明した(大川嗣雄 1984)。この他、脳性麻痺(岩谷力ら 1987B)、脳卒中(才藤栄一ら 1989、二木立 1983A、1983B)などで障害の構造という考え方が活用されている。

 運動障害・肢体不自由分野についで、精神障害分野でかなり活発な検討がなされていることに注目される。それは蜂矢による提起(蜂矢英彦 1986)、台の機能障害・生活障害・社会障害の区分(台弘 1991)、見浦(見浦康文1983)の能力障害の3区分、大島(大島巌 1992)による精神障害者の各種社会機能評価法の検討、精神障害者と年金をめぐっての山口らの分析(山口多希代ら 1989)などである。筆者も、ソーシャルワークの専門家による25例の慢性分裂病者への援助事例報告に基づいて、これらの障害者の場合にも症状・機能障害、能力障害、社会的不利、体験としての障害、環境という5つの要素で見ることの有効性を報告した(佐藤久夫 1991)。岡田(岡田靖雄 1992)は、3階層の障害論は大きな意義があるとしながらも、実は病気そのものが生物・心理・社会過程であり、疾患と障害を対立させるのでなく疾患論の基礎の上に障害論を組み立てるべしとする。

 精神薄弱の概念とその障害の構造に関して高橋(高橋智 1991)が繊細な文献検討を行っている。「発達障害」領域で白石(白石正久 1989)が、疾患と能力障害の間に「発達障害」を、機能障害とは異なる要素として位置づけた。

 木塚は、教育・訓練関係者の中にも視覚障害者の日常生活行動上の問題の原因をすべて目のせいにしてしまう者が多いとし、機能障害と能力障害との区別をすべきだとする(木塚泰弘 1988)。視覚障害分野ではさらに山田らが、3つの障害のレベルとアプローチを整理した(山田ら 1989)。

 てんかんについては八木が、発作時以外にも能力障害のあることなど、その障害の構造を論じた(八木和一 1991)。痴呆老人(江藤文夫 1991)、血友病(岩谷力ら 1987A)などへの適用、老人の能力の諸段階を分析した古谷野亘ら(1986)の研究にも注目される。

 これらの研究の交流と蓄積が期待される。92年12月には「障害の概念・障害者の法的定義」をテーマにした「国民会議・第1セッション」がもたれ、政策分野でも交流が本格化しつつある。

 92年中に行われるWHO国際障害分類試案の増し刷り版では、「試案」(for trial purposes)という表示が消され、さらに国際疾病分類(ICD-10)から同性愛が除かれた(病気ではないとされた)ことを受けて、分類リストからも同性愛が除外される予定である。94または95年の修正に向けて本格的な動きが始まったといえる。

文献 略

*日本社会事業大学教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1993年1月(第74号)33頁~37頁

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