特集/アフリカの社会リハビリテーション 特集によせて

特集/アフリカの社会リハビリテーション

特集によせて

―アフリカ理解の視角と社会委員会・決議の背景―

小島蓉子

 日本にとってのアフリカは地理的、経済的、人種的にも、特徴を全く異にする大陸の故に、日本人には野性動物の天国といったイメージこそあれ、地元の人々の福祉やリハビリテーションの実際の姿などはほとんど紹介されていなかったことは事実である。

 アフリカ大陸は赤道をはさんで、南北約8,000km、東西約7,500kmのひろがりに、53の独立国があり、ケニアはその中東部のインド洋に面する国の1つである。

 そのケニアの首都、ナイロビにおいて、国際リハビリテーション協会(RI)の第17回世界会議が1992年9月に開催された。わが国を委員長国とする社会リハビリテーション専門委員会は、ケニア郊外のウィンザー・ホテルにおいてセミナーを開催したので、そのハイライトとなった論文をまとめて特集とすることとなった。あまり知られていない大陸の情報は、わが国の研究者や実践家には新しい刺激を与えてくれるに違いない。

 ところで、わが国で、アフリカというと、とかく全部、貧困な土着の人々による国と簡単にイメージされてしまいやすい。しかし、アフリカこそ言語は800とも、2000ともいわれるほど、種族の多様性があり、かつその国々がかつてどこのヨーロッパの国の植民になっていたかによってフランコ・フォーン(仏語圏)かアングロ・フォーン(英語圏)かに分れており、土着民と移住者の文化とが複雑に混り合っての固有の文化が形成されている。そのうえ、人間の生活は、赤道をはさんで南北に帯状に変化する気候、自然によって大きな影響を受けてもいる。赤道直下のコンゴ盆地からギニア湾岸にかけては赤道雨林気候で高温多湿、植物はよく繁茂するが、人間は伝染病の猛威にさらされるなど苛酷である。雨林地帯の南北両側は熱帯サバンナ気候に覆われる。少ない降水量で、乾期と雨期が定期的に交替する。ひどい乾期が長びく年には、人も動物も水不足で植物は成育せず家畜はやせて人は餓死する。反対に雨期に河川が氾濫すれば、水害で人はまた生存を怯やかされる。こうしたサバンナの外側に北回帰線に沿ってはサハラ大砂漠地帯があり、南回帰線に沿ってはカラハリ砂漠がひろがる。熱砂の砂漠はいうまでもなく生命ある者を容易に寄せつけないきびしい自然である。砂漠を越えた南北の彼方だけが、比較的人間にやさしい亜熱帯気候である。

 アフリカ大陸の北部で地中海に面して、チュニジアやアルジェリアがあり、大陸の南北端の国々のみが亜熱帯に属する。

 特に南アフリカには、ダイヤモンド、金、ウラニウムの鉱脈があり、1488年ポルトガルの航海者、バーソロミュー・ディアスが希望峰を発見して以来、欧・英先進国の魅力ある植民地となって近代化されて来た。文明をもって入植した白人が支配的となる中で、いまわしいアパルトヘイト策が生まれ、それゆえに、南アフリカは世界の人道主義国の攻撃の的となったが、1991年6月についに黒人差別法は全廃された。このようにアフリカ各国は地理的環境、歴史、人口構成等の諸要素の影響を受けて、政治的安定性も社会基盤(インフラストラクチュアー)整備の程度も、住民の教育・保健・福祉のレベルもかなりの相異を示しているものである。

 このように、アフリカ大陸といっても、すべての国が貧困であるとは限らないが、国連のGNP統計によれば、南アフリカを除く、サハラ以南の国々にLLDC(least less developed countries=最後発発展途上国)が多いとされている。

 それらの国々に対して国際連合はもとより、NGO(非政府国際援助機関)が援助に立ち上がっている。第2次世界大戦以前の世界では、先進国が発展途上国を援助するとの名目で、その国の人々に代わっての先進技術を使って開拓し、その国を植民地として収奪した。それらの国々は開拓の代償としての富を自国に吸い取り、その残リを地元民に与えるという帝国主義的な政策でアフリカ各国にせまっていった。

 第2次大戦及びそれ以前の歴史的反省に立つ国際連合は一国一票、国家内政無干渉主義の立場から「開発」の概念を再検討した。

 国際社会のルールとして、たとえ今は疲弊している国であっても、その国の復興は、当事国の人々の努力によってしか行えない。もし他国が協力できるとすれば、当事国の草の根の人々の自発性を刺激し、自ら立ち上がる力を育て、当事者の意志と計画の実行に役立つ人的・技術的・財的資源があるならば、それを提供して地元民の管理下で活用せしめ、リーダーシップを当事国にゆだねるという方針こそが当事国を尊重する開発援助の考え方とされるようになった。

 このたびの社会リハビリテーション・セミナーは、これまで、国際会議に出ていく旅費もないまま、世界の同志に触発・刺激される機会が閉ざされていたアフリカの同志とひとつになって、障害者の社会参加の意味と、それを拒むアフリカ社会の壁がどこにあるかを多く語り合った。そこでは、「国連・障害者の10年」の最終年を迎える世界の中で、社会経済の低迷が人間の生存に未だ苛酷な適者生存の原理を温存させているケニア社会の現実が明らかにされた。弱者が自然に淘汰されるような習慣が温存され、福祉が未発達の故に、個々の家族のみが障害者扶養、介助の重荷を引きうけねばならないために、障害児を生んだ母親が周囲の人々の誹謗の的となった、女性差別とも重複して障害女児の人権は全く無視されている。また優れた障害者が選挙で勝利しても“障害者は議員になれない”という歪んだ規則をもち出して、障害者の権利を踏みにじる事実など、幾多の人権侵害状況が明らかにされた。

 このたびのセミナーは「南北のパートナーシップ」がテーマであった。われわれはケニアで正しいことを社会に対して公言していく同志を支え、国際世論が仲間の背後にあることを、行政や地域住民や障害者自身にも知ってもらうために、また社会意識の改革のテコとしても、RI社会委員会として初めての決議(以下、参照のこと)をセミナー最後のセッションで決議したのだった。これは未だ社会リハビリテーションに目覚めていない社会の中で覚醒した障害者や関係者が社会の反福祉的態度に挑戦していく時の無形の武器をパートナー同士の力で初めて作りあげたこととして、世界の社会リハビリテーションの歴史に書き残されるべき成果の1つとなったのである。

第17回リハビリテーション世界会議

社会リハビリテーションセミナー決議

1992年9月3日

A.我われは次の事柄を認識している。すなわち障害をもつ人々は、

・社会の成員でありながら、その社会にあって未だ完全に統合された人々ではないこと。

・それゆえに、自分自身の生活を左右する権利と参加の機会を未だ十分にもっていない。

・直面している共通の問題と課題とを集団で論議する機会をもたないため、権利の行使が時に不可能となっている。

  そこで次の事柄を決議する。

1.コミュニティは、障害をもつ人々の性表現を含む人間共通のニーズと、向上心のあることを認知すべきである。

2.障害をもつ人々による権利擁護グループの概念を理解し、進展させる。

3.専門家および介助者は、権利擁護グループ(障害者自身による)の設置を促進すべきである。

4.権利擁護グループ(障害者自身による)設立のため、財源を利用可能にするべきである。

5.障害をもつ人々に援助を提供する組織は、その運営に当たる理事会に障害者代表を加えるべきである。

6.物理的環境における建築学的障壁をなくすために法律的措置を講ずるべきである。

7.障害をもつ人々が公務員など公職につくことを妨げるような法・規制があるならば、それは廃されるべきである。

B.次の措置を講ずることにより、障害をもつ人々の機会均等へのニーズを考慮に入れなくてはならない。それらは、

1.障害問題にかかわる国家政策を講じなければならない。

2.国はその政策を実施に移すための財政を用意するべきである。

3.次のことを含んだリハビリテーションの国家政策をもつべきである。

①各国の文化は尊重されねばならないが、しかし伝統的医療の補助的手段として現代医療も尊重されるべきである。

②家族支援策(ファミリー・サポート・プログラム)を含む障害の早期発見と介入を行うこと。

③障害をもつ人々の自立を促進するために、障害をもつ人々と共に働く職員の訓練を行うこと。

④障害をもつ女性と障害をもつ児童のケアに当たる女性に関する問題に、格別の関心を払うべきである。

(小島蓉子 訳)

日本女子大学教授、RI社会委員会前委員長、本誌編集委員、Yoko Kojima, PhD


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1993年3月(第75号)2頁~4頁

menu