特集/アフリカの社会リハビリテーション 伝統的なアフリカ部族民の障害者観

特集/アフリカの社会リハビリテーション

伝統的なアフリカ部族民の障害者観

―リハビリテーションへの影響要素―(抄訳)

Traditional African Practices on Rehabilitation

Wanjiku M. Chege

はじめに

 肯定的にしろ否定的にしろ、人々の態度は福祉と実践に科学を与える。なぜなら、その信念や態度というものは行動を相当程度拘束するからである。態度はまた、偏見が焦点づけられる目的物または人間に対する他者の行動に、偏見や歪みを増幅させることにもなる。

 障害をもつ人々が地域によって異なった見方をされるのは、障害をもった人に必要とされる、または欠如しているものを補うリハビリテーションのやリ方に対して、地域がどの程度認識しているかによる。昔、多くの人々は障害をもつ人々は部族にとっての重荷であると考えた。ことに自らの基本的なニーズを自分で充足しえず、生きるために他者に完全に依存しなければならない場合は、必ずそう思われた。障害をもつ人々は依存しなければ生きられないので家族に束縛されたが、家族員としても、それによって、最終的には怒りを覚え、負担に耐えかねて共に生活することを拒否したのである。こうして障害児の親たちは、障害児をもったことを不幸と感じ、親の最初の反応は拒否と罪悪感となるのである。

 アフリカの風習や行動は、これらの感情が中心となり、何らかの障害をもった児童を拒否し、無視するという傾向を生んだ。

 障害に起因する誹謗(言葉による差別)の際、よくいわれたことは、「障害児の親や親戚に、持参金を満額納めなかった人がいるからだ」という。通常アフリカの人々は障害児を含むすべての子どもたちに、面倒見のよい態度をとるものである。拡大家族の成員すべてが、子どもの躾の責任を取り、一部族の責任としても彼らを養うものである。それ故、親が子どもの世話をすると同じように、相当長期間にわたって子どもが祖父母、叔父、叔母のもとで養われることはよく行われることである。障害児の場合は、生みの親に育てられる機会はあまりない。親が遠隔地に住む親戚に預けて、障害児の存在を隠すということをする。預かった知人は、近所の人々がその障害児が、彼らの家に生まれた子どもでないことを知っていてくれるので、より気楽に障害児を養育することができるのである。こうした他人養育が、両親の愛と保育を必要とする幼児期からなされると、障害児が生みの親の家にいた時よりも不幸になる場合もある。

 年長の障害児は幼児よりも異なった環境に早く適応する。なぜなら年長児は何のためらいもなく同年齢の他の子どもたちと早く交わり始めるからである。一方親戚や知人は、自身に何の罪の意識ももたないため、預かった障害児が、自分の子どもたちと自由な交流を許すのである。それ故に、他人養育は同年齢の障害児と非障害児とが社会的交流を達成させる上での、より良い環境ともなりうるのである。

 この論文は、アフリカの異なるコミュニティにおける伝統的思考が、障害児・者のリハビリテーションに関して、異なる行動に影響するということを明らかにするために企画された。ヒアリングの対象となった部族は次のものである。

  •  1.ケニア、カカメゲのルーヤ族
  •  2.ウガンダのジョパドホール族
  •  3.ケニアのルオ族
  •  4.ケニアのキクユウ族

調査の方法

 各地域の25歳から55歳までの年齢層にわたる高齢者(1)を男女2人ずつ選び、インタビュー方式により聞き取りをした。

 両性とも聞き取りの対象がより多い方が分析が正確になると考えられたが、サンプルが少ないのがこの調査の限界である。被調査者の社会―経済的背景はさまざまである。

 ルーヤ族でインタビューに応じてくれた男性は障害者団体のリーダーであり、女性は精神障害児学校の教諭である。

 ウガンダ地域での男性は大学講師であり、女性は職業をもつ母親である。

 ルオ族の情報はろう教育に関心をもつ大学講師と、自営業を営む女性から寄せられた。

 キクユウ族の情報は定年退職をした女性と、理学療法士の男性による。

 共通になされた質問は、次のとおりである。

1.その地域で一般に行われている育児法はどのようなものであるか

2.その部族にとっての障害の概念とリハビリテーションの実践は何を意味するか

調査結果

(1)ルーヤ地方

 リハビリテーションの意味を、オックスフォード大辞典で引いてみると「再訓練によって普通の生活を回復させること」とされている。しかし、ルーヤ族は、病気、事故その他で障害を負う身になった人々を、一般社会に組み入れるという意味でのリハビリテーションはほとんど行われていない。障害原因にまつわる誹謗(悪口)は、「父、叔父または兄弟に、何らかの犯罪があったからだ」という。ある種の医学的リハビリテーションは行われている。それらは、例えば、歩行に障害がある人に整骨士が歩行訓練を行い、その不自由に対応するために伝統的な整形外科的方法を応用している。例えば、機能しなくなった足に4本の木を添えて補強するというようなことである。また病後、現職に復帰させるために帰宅した患者をフォローする家庭介助人もいる。

 しかし、障害者につけられた烙印が彼らにとって、必要な家族愛を受ける際の障壁となる場合がある。そういわれるのは主に次のような理由からである。障害は普通「呪い(curse)」または「悪霊」と深く関係しあっており、また、もし人々が、呪われている人と接近した場合、その同じ呪いにあずかるのではないかと人々は恐れるからである。この呪いを取り除くために、家族は普通、魔術師(witch doctor)に相談する。魔術師は悪霊を追い払う力をもっているからである。例えば、障害をもつ人を清めるために黒いにわとりを殺し、その血を障害者に頭から注ぐといった具合である。障害をもつ子どもたちはまた、過度に保護される。障害児は他の子どもたちのように何かをすることができないと思われているために、なすべき仕事を与えられない。ある所では「障害は伝染する」と考えるために、彼らが他の普通児と自由に接触させないのである。障害児と健常児との間の自由な遊びの制限は、障害児が仲間の刺激から隔離されることをも意味する。

 ルーヤでは若い障害者も他の青年たちと同じように割礼を受けるが、障害青年が普通の青年と一緒に割礼祭に出ることは許されない。障害青年の親たちが、地域の他の青年たちに障害青年がいることを知られることを望まず、障害青年と交わることに当惑している地域の人々への配慮も、その理由の一部となっている。

 障害者が家庭を形成できるとは考えられないので、障害者の結婚は許されていない。儀式の場合、障害者は参加を許されず、そのような公共の場に障害児を見ることは、居心地の悪いことだと親もまた考えている。障害者が家の外に出ることは、何もできない家族員が存在することをさらけ出すことになるので物ごい行為は禁止されている。

(2)ジョパドホール地域―ウガンダ

 バンツー族(Bantu)(2)によって包囲されているものの、そこにはルオ族(Luo)に多大の影響を受けている小さなコミュニティがある。この地域は、障害を自然現象として理解し、呪いとしてそれを非難することはしない。ただ稀なケースにあっては、彼らは親の行動と子の障害とを結びつけて考える。

 障害児童のリハビリテーションのために組織立てられたプログラムをもつこともない代わり、地域内の行事に障害者が参加することを制限するという積極的な否定もしない。ただ障害が重度すぎて対等な参加ができない場合にのみ、障害者は除外されている。事実、そこには、障害者の能力や才能を祭りのときに公開するという計画的な努力も見られる。例えば、障害者が踊ることができるとは考えていなかった多くの人々に対して、伝統舞踊にある種の障害児を参加させるという計画的な努力も行われている。彼らは、遊びの中に障害児も非障害児も交流させるということを完全に受け入れている人々である。

 ジョパドホールでは結婚もまた、障害者に許されている。普通障害者を非障害者と結婚させ、配偶者が日々の活動で障害者を援助するようにしている。その目的は、障害者の自己充足を援助し、満足な人生に導くことである。

 そこの農村には障害者の物ごいはいない。なぜなら、障害者は受け入れられ、援助され、自分のことは自分でやって生きるからである。この地方の障害者はまた、綿花栽培による収穫物による個人営業から収入を得ている。彼らは雇用上の何の差別も受けてはいない。あるケースでは、障害の程度に応じて提供される仕事に喜んで従事しているのである。

(3)ルオ族の地域

 先に述べたとおり、障害原因には多くの解釈が与えられるが、そのことは、障害者のケアに至る人々の行動に影響を与える。ある解釈によれば、障害児は「妊娠中のセックス過剰によって生まれた」ともいわれる。ルオ族コミュニティの一部では、未だ世に生を受けていない胎児は、妊娠中でも過度に継続的なセックスによって影響されると考え、それ故にこれから子をもとうとする夫婦は節度あるセックス様式を維持すべきであると要請されている。

 ある種の食物や虫を食べることも、また別な障害発生の可能性につながると考える。例えば、言語障害の児童は、卵を食べた母親から生まれるといわれる。このような迷信は一般に流布されており、「悪霊のたたり」とすることは稀ではない。原因を断定することができない場合、「神の仕業」であると解釈する場合もある。

 リハビリテーションが計画的に行われることはなく、障害者と非障害者の間の交流に厳密な制限は存在しない。

(4)キクユウ族の地域

 ルーヤ族と同じように、キクユウ族は、障害者に何らかの医学的リハビリテーションを提供している。例えば、もし歩行障害者が歩こうとする場合、足を真っすぐに保つように、長い棒を足にくくりつける。

 キクユウ族は、障害は「先祖または不幸な両親の呪い」によるとするところから、障害児の存在を隠そうとする傾向がある。例えば、「不十分な持参金で嫁いだ母親側の呪いが原因で、障害児が生まれる」といわれることがある。家族員はその呪いから解き放たれるために魔術師に相談に行く。生薬(Herbal medicine)が普通治療に用いられ、時に、ヤギを殺して内臓の廃物を病人に塗るということもする。

 「双子は、自然に反するできごと」として受け入れられていない。それ故に双子を自然死させるために遺棄するか、放置するかする。筆者の口頭発表によれば、男・女児の双子の場合、男児のみを残し、女児を木にくくりつけて放置することもあると伝えられる。

 盲人は正常な生活が営めるために晴眼者と普通結婚をしている。ろう者は普通に働くことができるので、職業上最も安易にリハビリテートされている。そして彼らは、簡単な手話でコミュニケーションを保っている。両親は魔術師に相談し続け、多くのヤギのと畜を繰り返しても障害を除去できない場合、人間の説明できない理由を「神の仕業」という以外に道はないと考える。

 精神薄弱児は群れる家畜のように見られるので、大切な人間活動からは排除されている。

結論

 アフリカのコミュニティにおける伝統的対応が明らかにするように、障害原因に関する迷信はまちまちで、それも地域によって異なる障害者への態度に反映している。これらの伝統思想は新しい障害に関する知識が現れる現在でも、未だに現実の障害者処遇に大きな影響力をもっている。ある地域は近代的な医学的リハビリテーションを取り入れている。どの方法(伝統的な方法か科学的な方法か)を選ぶかは、試行錯誤による科学的なフォローアップによってしか決められない。

 この論文を準備する中での最大の不利は、資料が少ないことであったのだが、この分析におけるリサーチのニーズはいかに高いかが明らかにされた。この論文のための調査はアフリカ地域社会で行われている伝統的な取り扱いが、科学的なリハビリテーションに対して、未だ屈辱的な態度を障害者に対してもっていることを明らかにしたのである。

(抄訳 小島蓉子)

〈注釈〉
(1)ケニアでは平均寿命が50歳のため20~55歳でも高齢者と見られる。
(2)Bantuとはアフリカの中部・南部に住む黒人の総称

ナイロビ大学心理学科講師


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1993年3月(第75号)5頁~8頁

menu