樋口恵子*
アジアの中に位置する日本の障害者福祉は家族制度を基盤とし、家族の中で障害者は保護されてきました。そして親の高齢化に伴い施設へと生活の拠点が移行していきます。
この過程の中で障害者自身は受動的で与えられる人生を生きるしかないと思わされていたのです。
私たち障害者は最初に出[逢]う愛深き人々・家族を悲しませてきました。そして医療や教育機関では障害児というレッテルをはられ、生活の中にどんどん規制が入りこみ、本来的な障害がわからなくなるほど社会的障害を背負うことになります。
家族の悲しみや苦悩の中から、両親にとって自分は残念な存在だということ。隔離された特殊教育の中で、他の子どもとは違う存在だということを学びます。そして健常者をお手本として近づくための努力を一生しなくてはいけないのです。
みにくい身体をもち、人より何かが劣っていていつも課題を与えられ、それに向かって努力しなくてはならない。そんな自分に対して積極的なイメージをもち、自分を好きになることができるのでしょうか?
無力感にとりこまれあきらめの生活から、一人の人間としての権利を敏感に感じとった障害者たちが少しずつ自己主張を始めました。これまで家庭の中でかくされてきた障害者は、街や公共交通機関をはじめ私たちを拒否してきた社会へと出ていきました。家族と決別し障害者たちは地域で一人暮らしをはじめたのです。
今日本の障害者運動のうねりは自立生活へと広がってきています。日常生活に人の援助を得なければならない重度の障害者は、介助をしてくれるボランティア捜しに苦労しながら一日一日をすごしてきました。
所得保障の要求運動の成果として障害基礎年金の制度ができました。一方で生活に介助を必要とする四肢まひ者は介助料要求運動を展開しました。施設でのケアにかける人件費と同じ額を地域で生活する障害者の介助費用として地域にまわせば、地域福祉はもっと多様なサービスが展開できるのです。
運動の成果はまだ一部の地域ですが、少しずつ介助料が公的に保障されるようになってきています。
重度障害者の多くは年金や福祉手当だけでは生活が困難なので、生活保護を受けて生活しています。
生活保護の中には介助料に関する現金給付がありますが、福祉事務所の担当窓口が知らないような、公表されていないものもあります。障害者同士が情報を伝えあい、これらの制度を自分たちの生活に生かせるよう連帯してきました。
私たちが権利獲得運動の経験を具体化し、プログラム化したものが自立生活センターとして機能しはじめました。アメリカではじまった自立生活センターに、情報ノウハウを得て、福祉サービスの提供と権利拡大運動とを実施する団体です。
現在、日本には27ヵ所の自立生活センターが活動しています。障害者による障害者のための当事者の自助組織として位置づいてきました。自立生活運動は、障害者をあわれみの福祉、与えられる対象から、福祉サービスへの担い手へと変えました。
昨年の秋に発足した全国自立生活センター協議会(Japan Council Independent Living Center=JIL)は自立生活センターのガイドラインを次のように設定しました。
それに加えて権利要求活動をしていることと定義しています。これらのことがらは障害をもって生きてきた過程の中に、本来権利としてあるべきものだからです。
介助が必要な障害者にとって、介助者を自分で選び、コントロールして生活を作っていくのは最も基本的な権利です。また、幼い時から自己否定感を脱して障害をもった自分に誇りをもち、新たな障害観を創りだすにはピア・カウンセリングが重要です。
障害の違いや地域的な違いはあっても、障害ゆえに受けてきた社会的抑圧は共通しています。ピア・カウンセリングを通じて深い傷をいやし、セルフイメージをマイナスから積極的なものに変革し、自己信頼をとり戻すその程度で連帯が育ってきます。一人ひとりが地域の中で、いきいきと生活すること、これは社会にとって衝撃を与えます。社会を巻き込み、社会を変えるエネルギーとなります。
教育の場も隔離されて育ってきた障害者は、あまりにも制約が多い生活を送ってきました。しかし、お金を管理し、日課をつくり、人との関係をつくりながら、自分の人生の主人公として自己コントロールをしていかなければなりません。障害をもち、地域で自立生活を実践するピア・カウンセラーをロールモデルとして情報やノウハウの伝達をしながら、実践的に学ぶ場が自立生活プログラムです。
自立生活センターは、障害者の労働観に新たな視点を生んでいます。これまで障害者はできるだけ障害をカバーし、企業や職場の要求に合せることで対価を得てきました。自立生活センターでは障害をもった自分を最大限に発揮することが労働しての価値をもつのです。“エンジョイ自立生活”を目標に、地域にできるだけ多様な自立生活モデルを創っていく中で、日本のスピード優先、生産性優先の社会を変革していきたいと思っています。
最後に自立生活運動の中で明らかになったことは、次のようなことがらです。
社会が見過ごしていることに反応し、いろいろな状況の人たちと共有できる社会に変える力が私たちの中にあるということです。
そのためになすべきことは、
です。
現状の差を文化、習慣、国の違いにしないで、彼らにできることは自分たちにもできるという確信をもって歩むことです。
*町田ヒューマンネットワーク事務局長、Keiko Higuchi
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1993年3月(第75号)19頁~21頁