特集/世界の特殊教育 イギリスにおける肢体不自由児のインテグレーション

イギリスにおける肢体不自由児のインテグレーション

―インテグレーションのケース・スタディ―

小鴨英夫

 

はじめに

 現在の英国の特殊教育制度は、1981年教育法の体系のもとに運営されている。この法律は1978年のウォーノック委員会報告で提示された数多くの勧告のうち、実現に当たって立法措置が必要なものについて定めたものであり、英国の教育に関する基本的な法律である1944年制定教育法の障害児教育に関する部分を大幅に改めたものである。この法律の要点の一つとして、いくつかの条件を付して統合教育の原則を宣言している。

 既に、教育法(1976年)第10条において、教育法(1944年)第32条2項(障害児は原則として、特殊学校で教育する旨を定めた項)を改正し、特別な教育を必要とする生徒の教育は、公立学校または私立公営学校で行うことを定めた。しかし、これが未施行であったため、1981年制定教育法で、統合教育の原則を確認し、地方教育当局の責務を明確にした。

 地方教育当局が判定書の作成を受けもっている特別な教育的ニーズを有する生徒に、普通学校での教育を保障する義務を有するものは、①そうすることが親の意見に沿ったものであり、かつ、生徒が必要とする特別な教育措置を実現することになること、②その生徒といっしょに教育を受けることとなる生徒のための効果的な教育が妨げられないこと、③財源の有効な利用が阻害されないこと、の3つの条件が満たされたときである。

 これから紹介するのは、英国の主な地方教育当局で実施されている重度肢体不自由児の統合教育プログラムである。

 この地域で、小学校段階は児童は学区内もしくは近隣の学校へ通学し、中学校段階では指定された統合制中学校へ小グループで割りあてられている。

 プログラムは目下、15の小学校に20人、中学校5校に6人の生徒が在学している。さらに、中度の障害児30人が普通学校に在学している。

1.歴史的概況

 この教育当局は大きな農村地帯にあり、住民は人の行き来が困難な丘陵の地形に分散している。人口の大半はこの地域の一端に集中している。

 ここには国の平均の4倍近い発生率を示す二分脊椎の肢体不自由児がいる。重度肢体不自由児は、以前は伝統的に遠く離れた都会の寄宿制の学校へ入学していたが、1960年代半ば以降は、地方の当局間に設けられた特殊学校へ行くようになった。

 しかし、この当局には特殊学校は設置されておらず、ずっと離れた寄宿制の学校に措置され、そのために生徒は、近隣の学校とは接触できなかった。やがて、医療担当者が親の希望に応え、肢体不自由児を普通学校に通学措置するための努力が実を結び、病院内の就学前センターの働きかけによってつくられた環境が用意されるようになった。このセンターは1974年に設置され、長年の間、脳性まひユニットのサービスが実施されていたものである。ここは、一般病院に付属した通園センターであり、元来年齢は16歳までとされた。

 1960年代半ばにいくつかの特殊学校が開設されるようになり、その対象に変化が生じ、後には能力の高い肢体不自由児が措置される気運となった。そこで、家族のつながりを強め、就学前教育の準備に集中することが決められた。小児科医は、「1950年代の当時でさえ、寄宿制の措置には反対していた」といわれた。また、就学前センターは、脳性まひを他に移し、外科的進歩により幼児期を生きのびてきた二分脊椎の多くの者の受け入れを広げた。家族と専門家との間に強い結びつきを作ることが強調され、家庭的環境の中で子どもの毎日の基礎となる医学的、治療的、教育的立場からの専門的療育計画が作られた。

 また、幼児が病院を退院してすぐに開始される家庭訪問プログラムには医療担当者が参加し、二分脊椎児の家庭と病院との密接な接触が維持されてきた。医療担当者は子どもが学齢に達した際に、家庭から離れることは不適切であることを確信し、寄宿制措置についての不安を強調してきた。そして、両親もこれに同意し、特殊学校措置以外の可能性を考慮するような動きとなった。しかし、これらは、すべて試行的なものであった。

 1969年のことであった。メアリは二分脊椎の重度肢体不自由児であったが、頭が良く、特殊学校への措置を、両親は受け入れようとしなかった。そして彼女を受け入れるのに賛成してくれた学校区内の幼児学校の校長にアプローチした。その後は、そこから普通学校へ進学し、卒業年齢まで教育を受けた。これが前例となって、少数ではあったが普通学校へ、選ばれた子が措置されるケースがみられるようになった。これはかなり成功的な事例であり、両親が普通学校への措置に熱心であったケースである。

 この両親はその理由として、寄宿制措置へ子どもを預けることの不本意、特殊学校の教育的準備への不満などをあげ、他の2人の子どもの両親もそこから子どもを退学させたりしている。このような時間的な経過を経て、教育当局も重度のケースでさえ、彼らが教育的遅滞でない限り、普通学校へ出席することをごく当たり前のこととして実行するようになってきた。事実、この地域から最近、特殊学校へ措置される肢体不自由児は少数であり、非常に重度児か、寄宿制措置を必要とする社会的、情緒的な理由を持つ子どもたちに限られた。

 この統合教育プログラムは、個人主導的な両親の活動を通して比較的断片的なやり方で発展してきたのである。地方教育当局も多くの場合、要求された措置をとり、建物への必要な補助的援助や改造への準備に対してすぐ同意を表した。

 地方教育当局の専門委員会は、1979年11月に、原則としてすべての近隣中学校で、特別な専門的施設設備を持たないすべての学校に対し、障害児にアクセスをもつべきであり、学校のすべての地域に通学を可能にするよう検討していると発表した。この計画実施にあたって、輸送の必要条件を満たし、必要な特別施設が準備されている2つの中学校がモデル校となった。

2.組織と目的

 この規定は個人主導を基礎として出発している。すなわち、子どもは学区内の小学校に措置されているか、それが不適当な場合は理由の如何を問わず近隣の学校に措置された。最初は自動的に学区内の学校が選ばれるが、物理的に建物の改造箇所が多いため対応できず、例外的に他の学校の職員が受け入れを考慮してくれて、そこへ入学できたなどの事例もある。

 最初の頃は、医療職員は学校の教職員と一体となって適合性を評価し、措置を監督していたが、時が経つにつれてこれらの役割は教育職員によって独占されるようになった。

 学校は早い時期から、医療分野のニーズへの対応を考慮し、その技術を取り入れるために組織的手続きとして、次のような段階を経ている。

(a) 医療担当者と特殊教育アドバイザーおよび幼児教育関係者は、校長と共に試行的措置の可能性について討議するため、共同で学校訪問を行った。彼らは詳細に子どもの状態や管理について記録し、学校の物理的な特徴を調査し、例えばトイレの適合、傾斜などのほか、補助的援助の必要についても検討した。

(b) 校長はこの問題について職員と討議の準備を行った。

(c) 校長と受け入れの学級担任は、病院通園センターを訪問し、子どもと会い、センターで何が出来るかを観察した。

(d) もし合意がされるならば、補助的援助と建物の改造を約束し、教育長から形式的勧告がなされた。

 これは理想的な手続きで、実際には必ずしもこのようなケース通りにはいっていない。

 特に、初めの段階は省略されるか、十分に実行されず多くの学校は彼らが知らせた措置と最初になされた準備(取り決め)とにかなり不満足であることが報告されていた。この数年、教育心理学者が途中から参加している。幼児学校と中学校から次の教育段階への移行は、常に教育職員が重要な責任を負っている。

 近隣の学校へ出席することと個人的統合教育とは、両者を同時に成り立たせることは困難であることが証明された。中学校の中にユニットをつくることは統合の目的に反するかもしれないという不安があり、近隣の学校に出席することは個人統合の理想が破られるのではないかという心配があった。このことが生徒を輸送するという発展的な準備の動きとなった。

 この準備の目的は、肢体不自由児、青年を彼らの家族と共に生活させることを可能にすることであり、彼らの健常な仲間と普通学校の教育に同じ手段をもつことである。

 寄宿制措置に対しては、寄宿教育は情緒的な障害を悪化させるものであるというのが、医療担当者の意見であった。寄宿教育は、しばしば地域社会の中で孤立に導き、学校から独立成人生活の形式への移行を困難にする。

 統合プログラムの主要な目的は、孤立、依存そして情緒的未成熟による不利益を避けることである。そして家族および地域社会へ所属して生活上の情緒的安定と社会的な承認を障害青年に保障することである。関連する目的としては、両親の重荷を楽にすることであり、子どもの障害をよりよく理解するよう援助することである。

3.生徒

 このプログラムは、当局内の肢体不自由生徒の全てに拡大された。もちろん、すべての肢体不自由生徒が含まれてはいないが、誰を入れるべきか、除くべきかについて種々の意見があった。最初から関わってきた医療担当者は、障害の問題は主として管理の問題であり、普通学校からの移転は必要としないという過激な姿勢を示した。

 心理学者の関心は、学問上その子が対処できるかどうかであった。ある心理学者はIQが80以下の場合、その子どもは教室環境で社会的に対処してうまくやっていけるかどうかを問題とした。また、もし子どもの学習困難がSEN(M)(中度の教育的遅滞児童)であるならば、子どもは統合の候補者とはならなかった。

 PT(理学療法士)は長い間肢体不自由児に密接に関わってきた。調査では、二分脊椎とCP(脳性まひ)の多くのケースでは、普通学校へ行くことができたが、理学療法の必要に基づいて特殊学校か普通学校かの線を引くことを確認している。すなわち、もし彼らの状態がしばしば毎日特別の理学療法を必要とするならば、普通学校へ行くべきでないとしている。

 これらの子どもたちのすべては、出生時から上級臨床医療担当者によって観察が行われ、定期的な家庭接触がなされている。学校の措置も彼らによって開始されるか、学校心理士により子どもの情報を収集し、評価を実施する。

 この段階では学区域学校の調査が平行して行われる。そして就学に関する正式な推薦が教育長によりなされる。

 1979~80年度に当局内で普通学校に通う89人の肢体不自由児のうち、小学校レベル20、中学校レベル6は重度と記述されている。さらに、小学校24、中学校6はそれぞれ中度と記述された。重度障害グループは、二分脊椎の9例、CP4例、筋ジス2例、その他骨障害、事故、そして心臓障害などであった。これらの多くは失禁と移動に関して問題をもっていた。

 車いすや歩行の補助具を有する26人の生徒のうち、14ケースは重度と記述され、建造物の手直し(修正)がなされるべきであった。(建造物の修正はまた中度障害グループの10人に対しても必要であった)。

 生徒の多くは、教師によって平均的知能と記述された。5段階(1:優秀、5:非常に劣る)計画では、次のような分布が重度グループにみられた。

スケール
程度 16

4.職員

 この個別統合プログラムは、既存の普通学級の教室で行われるもので、介護職員とPTを除いては主要な職員の配慮はなされていない。

(a) 補助的職員

 地方教育当局の計画では補助的職員の準備が主要なこととされていた。そして全ての生徒に専任もしくはパートタイムの福祉的補助サービスがなされた。

 補助的職員はこの種の準備では明らかにキーパーソンである。生徒たちは失禁があったり、トイレの補助を必要としている。多くの学校は、最初、重度障害児をとることを嫌い、地方教育当局が提供する援助の具体的内容の提示が求められた。

 福祉補助が指定される役割と義務はかなり多様化して実施された。それらは、基礎的な身体的ケアと移動、水泳の監督と歩行などの練習、理学療法プログラムの実施、機器と身体状況の観察、教室での援助、指導に参加する、障害とは関係のない一般的義務などである。

 彼らの主要な仕事は、生徒の身体的ニーズの世話をすることである。タクシーから子どもを受け取り、車いすに移す。校庭内の移動、トイレの世話、学校周辺の輸送、食事動作の援助、帰宅の際のタクシーの用意などである。

 補助の役割で不満な面としては、適切な訓練が欠けているということである。地方教育当局の中には、教室補助がNNEB(社会福祉指導者)の資格をもつことを要望しているところもある。補助者の中には病院就学前センターでアドバイスを受けたり、両親や医療担当者と接触しいろいろな情報を得るようにしている人たちもいる。

 最近、看護助手が特別のコースをつくりあげた。このなかには放課後、週1回10時間のコースで、言語療法、遊び、音楽そして運動などの関連問題の研修が含まれていた。現在、肢体不自由児の援助資格の可能性について討議がなされている。

(b) 理学療法士(PT)

 インテグレーション(個別統合プログラム)の計画がスタートして多くの年数が経過したが、学校では理学療法を利用していない。PTは特殊学校に限られ、普通学校に通う生徒は理学療法を受けていない。親は自分の子どもが病院にいる間はPTの配置について熱心であったが、退院後の理学療法の継続的な重要性については気付いていなかった。これはこの統合プログラムの重大な弱点であり、生徒のトイレの訓練、身体的活動そして設備の維持等のニーズへの対応については、結果として不十分であった。

 1978年9月に巡回PTサービスがつくられ、3人のPTが指名され、統合プログラムへの委託がなされたが、身分はパートタイムとして特殊学校に配置された。実地研究35時間のうち、それぞれ24、18そして22時間過ごした。1年間に、普通学校で肢体不自由児59名をみた。

 PTの役割は、生徒個人の取り扱い、補助者の訓練と仕事、そして機器の監視などである。実際に学級および学校の情況(階段、トイレ、運動場、体育館など)を観察し、授業に参加し、種々のアドバイスを行う。巡回PTサービスは、統合プログラムとして、かなり多様な対応がなされているのは事実である。

 また、生徒の利益を示すかどうかは別として、教師と補助者の両者は、生徒の身体的ニーズや装具についての詳しい知識をもたないので、よりよく生徒を理解し、取り扱い技術を磨く手助けになっている。

(c) その他の職員

 この種のプログラムに参加する各分野の専門家として、ケア職員とPTのほかに教師、医療担当者、教育心理学者そして特殊教育アドバイサーなどがあげられる。

5.カリキュラム

 この統合プログラムの主要な目的は、健常児と同じ普通教育へのアクセスを肢体不自由児にも与えることである。従って子どもは幼児学校の普通クラスに入り、出来るところはどこでも教育活動に参加する。当初彼らは管理的な目的のために退学させられてきた。すなわち、トイレ、車いすの輸送などの理由からである。

 多くの子どもは、身体状況、限られた学習経験その他の理由によって学習困難がもたらされている。健常児で同じ困難をもつものに対するのと同じ方法でこれらの困難から生じるニーズを満足させることが目的である。

 ある上級小学校(7~11歳)では、肢体不自由児3人のうち、2人は、治療グループで多くを過ごし、1人はよく出来る子どもで普通学級に所属している。普通学級の中にいる場合生徒は個別プログラムの時間割に従う。多くの生徒は、病気とか入院のため、授業を欠席することが多く、同年齢の生徒より1年くらいの遅れがみられる。

 小学校段階では、教師は普通のカリキュラムに生徒をのせるのにさほど困難はない。微細運動のコントロールの欠如や書写が苦手なため、ある場合には制限を受けるが、他の点では生徒は仲間たちのそばで指導を受け、よい進歩を示している。

 多くの生徒がうまくいっている一方、彼らのカリキュラムへのアクセスが、教師側の専門的知識の不足から制限されている。専門家としての準備、技術の認識不足から、過度の期待は出来ないことは明らかである。

 中学校段階で、4年目を迎えるある女子生徒の例では、1、2年の時は仲間と同じカリキュラムに従っていたが、3年目に料理、タイプ、それに歩行訓練に時間をとられ理科と地理を落としてしまった。彼女はこれらの教科が苦手であったが、4年目には英文学を落として、そのためカリキュラムは軽い負担のないものに変えられ、身体機能に応じて料理や手芸を指導させた。

 成人生活への準備にまだ経験的段階であるが、生活技術の習熟に焦点が当てられている。

 校長は、肢体不自由児のために効果的な職業準備が提供できるならば、学校職業部門の既存のリソースを拡大する必要があろうと考えている。

6.要約

 肢体不自由生徒への教育措置は、10年以上にわたる試験的取り組みから、多くの地方教育当局に肢体不自由児のための最初の教育的ルートである基点を築き上げた。

 その発展は遅く、断続的であり、特に適切な専門的意見の不足から苦しんできた。そして、教育が医療保健分野と同じ意気込みで冒険に参加するまでに長い時間を要した。そのインテグレーションの計画に対して両親の熱意も彼らの子どもの意気込みも疑いなかった。

 同様に多くの関係教師もその効果と適切さを認めている。子どもは仲間と同じカリキュラムに従い、社会的発達に関して確かな前進を示した。

 このプログラムの一層の発展は、次の5つの問題に答えることにかかっている。

① 中学校レベルで、専門的職業訓練と普通カリキュラムに加えて、成人生活への準備をいかに提供するか。必要な専門スタッフが指名できるか、そしてどこにどのように彼らを配置するのか。既存の生活指導システムのような学校リソースができるか。指定中学校の中での集中的措置は、彼ら自身の社会と生徒のつながりを弱めることはないのか。

② 組織的、包括的方法で、監視的措置がなされているのか。もし、ここの障害児の教育効果の把握が困難な場合にどのような援助が利用できるのか。

③ 教師や補助者の訓練のニーズとか、専門家へアプローチしにくいニーズを表明するにはどのようにしたらよいのか。公式的なコースか、巡回専門家か、中学校専門家の弾力的な展開か。学校保健サービスおよび教育心理学サービスの中で、教師は利用できるリソースについてももっとよく知ることができるのか。

④ 最初に行われる措置において、異なった機関が参加できるのか。別の言葉で言うと生徒の実際の教育に焦点を当てた異なった専門分野にまたがった活動が期待できるのか。

⑤ 多くの生徒が分散した地域から1つの場所へやってくるような、中学校レベルの新しい場面で予想される輸送の困難さを、解決できるか。

⑥ 近隣に通学制の特殊学校措置の開設の可能性がある場合、新しい特殊学校の開設により(個別統合プログラム)計画がどう影響されるのか。

<原書>

Seamus Hegarty and Keith Pockling ton with Dorothy Lucas: Integration in Action

 ―Case Studies in the Integration of Pupils with Special Needs―

NFER-Nelson1892

淑徳大学教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1996年1月(第84号)22頁~27頁

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