リハビリテーション研究(第95号) NO.4 リハビリテーション思想と介護

■特集■

 

リハビリテーション思想と介護

獨協医科大学リハビリテーション科学教室教授 江藤 文夫

 

はじめに

 「リハ思想と介護」という表題で原稿を依頼されたが、「リハ」とはリハビリテーションのことである。「更生」という訳語の人気が乏しく、片仮名では長過ぎるので「鍼」の逆読みがイメージされる短縮語が使用されているものと、思われる。
 「リハ」は我が国に受け皿のない外来語の典型かもしれない。鍼灸に代表される物理療法と機能回復訓練を指すものと理解されているようである。本来的には「人間としての権利の回復」という広い意味を有し、「犯罪者の更生、社会復帰」という意味で使用される。医療の中で使用され始めたのは20世紀前半のことであり、近代医療と医学の展開を背景として理解される用語である。我が国におけるリハビリテーションの一般的理解においては、カテゴリー・ミステイク(category mistake)の例を想起させる。そこでリバ思想というよりは介護との関連も含めて、こうしたものを生み出した西洋近代医学・医療の一端を考察してみたい。
 医療の歴史は人類の文化の歴史と等しく太古に測ることができる。そして今も時間の流れの中で展開し続けている。我々がここで論じている医療は、キリスト教文化圏、とくに中世キリスト教社会で芽生え、近世に至り急速に拡大し、地球規模で圧倒的優位に立ったかにみえる近代科学に付随して行われている形態である。科学は日常生活と密接で、日常性の中で生まれ日常性の中で展開するが、学問としては形而上学的様式をとることがしばしばある。用語の概念には人工的に操作されたものもあるが、基本用語は日常性、すなわちその社会の生活文化を背景にしている。学位称号の最上位にPhD(Doctor of Philosophy)が位置付けられてきたことへの理解はこの国では希薄のように思われる。いまだ理解し難いことではないかと危倶されないでもない。今日では我が国でも介護を科学的に議論することが強調されてはいる。
 

医学・医療と経済

 19世紀後半から20世紀にかけて。医学の専門分化が拡大し、健康介護(health care)領域でも多数の専門職種が生まれ、今日でもその種類は増加し続けている。合衆国における考察では、1910年代には医師、看護婦、介護助手の3つのメンバーからなっていた健康介護チームは1970年代までには500以上の保健関連職種を生じるに至ったとされる。それは科学の専門性の展開による必然としても説明されるが、健康介護サービス受給者のニーズ拡大に伴う市場原理に基づくものとしても説明される(文献2)
 医療は経済活動の中で論じられることが認識されている。科学としての経済学の古典の一つは1776年に刊行されたAdam Smith(スミス)の国富論(その正式書名は、“An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations")であろう。Nationという語は一つの邦(あるいは地域)の中に住んで、生活している人々の総体を指すもので、一つの統治機構を意味するStateとは異なるそうである。
 スミスの縦済学的思索には、フランスの医師で経済学の始祖ともされ経済表を作成したFrancois Quensnay(ケネー)の影響が大とされる。ケネーは経済を人間の肉体にたとえて、経済の循環のメカニズムを図式化して経済表(1758年)に集約したといわれる。その100年以上以前に英国のWilliam Harvey(ハーヴェイ)は心臓をポンプと考える血液循環説を発表した(1628年)。近代医学の始祖とされるハーヴェイのこの学説に注目したデカルトは、これを「方法序説」(1637年)で紹介した。ポンプは17世紀には既に鉱山や河川で一般的に使用されていたという。ハーヴェイ自身の医療行動は近代医学とは程遠いものであり、魔女裁判の鑑定人として少なからぬ数の女性を魔女と判断したことでも知られている(文献4)。もっとも現代医療においても似たような事象は観察されるかもしれない。
 第1次世界大戦の戦勝国による戦後処理を「平和の経済的帰結」を著して批判したJohn Maynard Keynes(ケインズ)は、第2次世界大戦の戦後処理において国際通貨基金と国際復興開発銀行の創設などに関与することで多大な影響を与えた。その影響は世界銀行だけでなく国際連合や世界保健機関(World Health Organization:WHO)の思想にも及んでいると考えるべきである。今日の保健医療に関して我が国で取り上げられる介護の領域の用語にケアマネジャーがある。そこでは、医療サービスの受給者であるかつての患者は福祉の対象としてクライエント(依頼人)と呼ばれた時代を経てコンシューマ(消費者)と呼ぶように変化している。
 スミスの原点は「道徳感情論」にあり、同感(sympathy)という概念を導入して論じられた近代市民社会における人間性の尊重にある。人間的感情を素直に、自由に表現することのできる社会を願い、その感情とは個々に特有な側面もあろうが、互いに分かち合うことのできる、すなわち同感の可能性を有することを仮定したもので、人間存在の社会性を表現したものである。そこにはDavid Hume(ヒューム)の影響があり、教会からの激しい非難からFrancis Hutcheson(ハチソン)を大学をあげて守ったグラスゴー大学の当時の空気が感じられる(文献5) 及び (文献9)
 市民革命を経て形成されてきた近代市民社会は同感に支えられた社会的存在としての市民を前提として、市民の基本的権利の概念は拡大されてきたわけで、各人が健康にして快適な生活を営むことができるという生活権の思想に至っている。そのためには各人が自ら判断して選択を決定し、自ら選択した行動には責任をもつことも必要とされる。自己決定は権利でもあり義務でもある。その中で、権利としての健康であることに関しては「健康(health)」をいかに定義するかが、今日の重大な問題となりつつある。
 

健康権と医学・医療

 1946年の国際保健会議の最終日に採択された世界保健機関憲章で、健康とは「単に病気や虚弱の欠如ではなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態である」と定義された。加えて、「到達可能な限り、最高水準の健康を享有することは人間の基本的な権利の一つである」ことが宣言された。50年を経て、今日の医学・医療の展開に合わせて、WHOではこの健康の定義について再考する必要性が議論されている。
 健康を保障するには、まず病気に対する医療の普及と水準の向上が必要とされる。したがって、新しい技術の開発と、その知識や技術の医療への導入に期待される。しかし、新しい技術を人間に適用して有効であることを証明するためには、予め人間において実験する必要がある。ここで人間性を無視した人体実験が許容されていたことが、第2次世界大戦後の国際連合による軍事法廷において起訴された。人体実験についての判断基準が過去に存在しなかったことから、「ニュルンベルク綱領」が作成された。これに対して、条件が画一的で厳し過ぎるという批判が生まれ、1964年に世界医師会はヒトにおける生物医学的研究に携わる医師のための勧告として「ヘルシンキ宣言」を策定、採択した。これは逆行であるとして最近その経緯が考察されている(文献7)。molecular medicineの時代にあらためて人体実験実施についての判断基準が問題となっている。
 健康権を保障するためには、近代医学の洗練と高度化だけでは達成できないことにも気づかれてきた。現代医学は健康改善にまったく役立っていないばかりか、むしろ病人づくりに手を貸し、人々をひたすら医療に依存させるだけであるとの批判も生まれた。平均寿命の延長に寄与したのは医学の進歩よりは環境や栄養の改善のほうが大であるという主張もある。この間に、医療のための社会的支出は急速に増大し始め、その割に健康水準はあまり改善しないことが各国の政策担当者たちの問題となってきた。
 一方、国際的には開発途上国の保健の向上が取り上げられ、健康権を保障するための政策の議論と合わせてWHOで検討された。その原則は1978年にアルマアタ宣言としてまとめられ、プライマリヘルスケアの必要性の強調と、自助と自決の精神、すなわち個人ならびに集団の主体性と参加が重視された。このことは、病気が不慮の災難であって、自らは対処できないものという消極的な行動様式ではなく、病人、病む可能性のある人(あるいは障害者、障害を負う可能性のある人)が主役となり、自らの生活習慣を修正しつつ健康にも責任をもつべきであるという主体的な人間中心の市民社会の積極的思想を反映したものと考えることができる。
 

病気のとらえ方と病院

 年をとると衰えること、死は人間にとって避けることのできないもの、死に至る病は突然に訪れる超自然現象、すなわち悪魔か神のなせる業により死がもたらされるとかつては考えられた。どんなに平和が続いても避けられない。太古の昔から存在するこの恐怖の現象に対処するために、まず魔術的行動が生まれた。悪魔である病を退散させる手技が医術であった。米語でmedicine manとは北米土人の呪い師のことである。
 一方、キリスト教の普及に伴い、慈善活動として病院の前身(ホスピタル、ホスピス、ホステル、ホテルなど)が生まれ、そこでは貧窮者、病人、身体障害者、孤児、老人たちを収容し、食べ物とベッドを与えた。慈善は当然与えるものの救済、満足のためであり、その恩恵を受けるものは神に感謝するため祈りを捧げることが義務づけられた。病気になり、貧窮することは犯罪のもとにもなることから、一部犯罪者も、その対象に含まれたようである。こうした病院は、旅行者(かつての巡礼集団)のための宿泊施設や、ルネッサンス期を経て科学の発達とともに進歩していく医術の供給場所へと分化してきた。
 illは悪であり、古くは罪悪の意味を有した。すなわち、罪人である病人は病院に収容され、神に許されると軽快して退院(discharge)する。このことは、近代法体系で刑期を終えて刑務所から出所(discharge)するのと同等の意味を有していたようである。リハビリテーションはもっぱら後者の意味で使われてきたが、悪魔あるいは異端とされたものが、教会よりその人間性を認められて権利と名誉が回復されることである。我が国にはこうした病院の歴史はなく、本来貧民のための施設のイメージであった病院は、逆に入院することは近代文明の最先端を享受する富裕階級のステータスを満足させるものとして受け入れられた。
 病院が制度的に確立されることと平行して人体のしくみや病気の原因が科学的に記載されるようになると、それまで病んだ人間を看てきた医師はその根底にある病気を診ることに精力を注ぐようになった。近代医学の発足は、ホスピタルが宿泊収容施設から医療を行う場所へと変貌し始め、パリにおいて「病気をみよ、病人をみるな」という言葉の流行したフランス革命以後と考えることができる。あいまいな病人といった概念ではなく、同じ病気には同じ治療法で対処できるようになることこそが、真に病人を病気から解放することになると気づかれたからである。このことは、総合的な医療者から、医師と看護・介護者の分離をもたらした。ニードに基づく市場の拡大としてみることもできる。
 病気に集中した医学は、遂に死の管理をその照準の中に収めつつある。今日の医療における先端技術の開発競争は目覚ましいものである。その一方で、社会、経済、心理、行動などの領域にも科学の方法論が確立されるに伴い、病人を総合的にとらえることが可能になりつつある。
 その結果、19世紀末から20世紀にかけて医師が関わるべき医療の本来の目的を「現代の医学は単に生命に年数を加えるだけではなく、生活を加えるべきものである」として、生活の質(Quality of Life)が論じられるようになった。また、病気に重点をおく医学は人体を機械に見立て各部品である臓器別の医学を発展させ、医師の臓器別専門分化をもたらしたが、同時に全人的に患者を診る専門のニーズを生み出すことになる。さらに、病気の診断と治療技術の飛躍的な発達により、多くの急性疾患が救命されるようになった。これは、医療が対象とする疾病構造の変化も伴うことになる。救命されたが、社会生活への復帰が困難で退院できないものや、継続的に医療との関わりを必要とする人口の増加がみられる。
 

障害のとらえ方とリハビリテーション

 医学の中でリハビリテーションという用語が用いられるようになったのは、第1次世界大戦の前後の合衆国においてであった。近代医学と医療の変革は戦争を契機としたものが目立つ。さらに巨大な戦傷者を生み出した第2次世界大戦を機にリハビリテーション医学は確立され、今日リハビリテーションの定義として最もよく引用される「リハビリテーションとは障害者をして身体的、精神的、社会的、職業的ならびに経済的に能うる限りの有用性を発揮し得るように回復せしめることである」が、1943年米国リハビリテーション評議会により表明された。
 一方、産業革命以後の工業をはじめとする経済の拡大を支えた鉱山労働者の加齢に伴う呼吸器疾患の増大は、社会的補償の必要性を明確に意識させた。具体的な補償の実施に関して医学的に障害重症度の議論が活発になされる間に、impairment(機能形態障害)とdisability(能力低下)とhandicap(社会的不利)が明確に区別されるべきことが明らかにされた。さらに老齢人口の増加は慢性疾患の相対的増加という疾病構造の変化をもたらし、医療の対応としてやはりdisabilityとhandicapの区別が意識されるようになった。
 病気について理解が深まると病気の治癒のメカニズムも理解され、それを促進する技術は進歩する。その究極の方向は遺伝子の制御と、一方で有害要因の除去、すなわち病気にならないようにする予防医学にあろう。しかし、救命され病気は治癒しても症状が残存していると、患者にとっては治った気になれない。遺伝子により規定されている大半の病気が発病した後は、医学的管理を継続する必要がある。社会生活を送る人間としてみると、病人の問題は継続的医学管理と病気の結果生じた現象の日常生活に対する影響である。これらが障害であり、場合によってはそのために退院することが困難になる。
 障害は、機能形態障害、能力低下(障害)、社会的不利(ハンディキャップ)に分けるべきことが提唱され、広く受け入れられている。脳卒中を例にして考えてみる。血管が閉塞したにせよ破綻して出血したにせよ、その時点で疾患は完結していることが多い。病理学的拡大が管理され、壊死組織が吸収されたり血腫が除去された段階で病気は治ったものとみなされる。
 しかし破壊された神経細胞は再生せず、軸索の再生にも限界がある。救命された患者には片麻痺、失語、失行、失認などの症状が残存することが多い。これは生物学的レベル(body level)の問題として機能形態障害に位置づけられる。その結果、患者は歩行困難であったり、自分で服が着れなかったり、コミュニケーションが困難であったりする。これらは個体レベル(person level)での問題として個人の能力低下(障害)に位置づけられる。さらにそれら障害の結果として、職業や学業の継続が妨げられ、経済活動や社会活動に不利益を生じる。脳卒中という病気の社会的知識の故に罹患した事実だけでもその個人に社会的不利益をもたらすことがある。障害という言葉を差別用語として意識させるような疾患や機能形態障害そのものに対する社会の否定的対応がある。これらは社会的レベル(Society level)での問題として社会的不利(ハンディキャップ)に位置づけられる。
 以上は、1975年に提案された障害の3層構造モデルを基盤として、1980年に国際障害分類(ICIDH:international classification of inpairments, disabilities, and handicaps)としてWHOにより刊行された試案に基づく概念の解説である。ICIDHは、国際疾病分類(ICD:international classification of diseases)と補完的に対応して保健医療サービスの対象を分類し、コード化する作業の表れである。ICDと同様に実際に使用する過程で医学・医療の発展に合わせて改訂されるべきものである。単語の有するニュアンスは同じ英語圏でも若干異なり、概念も含めて重大な批判も提起されてきた。用語は操作的に定義せざるをえない側面もあるが、第2版に向けてdisabilityをactivity limitation(活動の制限)、handicapをrestriction of participation(社会参加の制約)と置き換えることが議論されている。現代の医学・医療の目的が疾病指向性から病む人、病む可能性のある人を指向する方向へと変移する流れの中で障害の分類と構造の解明は健康の定義の見直しとともに重要な課題として認識されるべきものである。
 

介護

 介護の英語対訳としてリハビリテーション医学用語集ではcareを当てている。広辞苑(第3版)を開くと介護とは「病人などを介抱し介護すること」と記されている。看護はnursing、介抱はcare、mrsingの訳語が対応すると思われる。一方、最近の使われ方では看護のニュアンスを薄めて介助と保護を意味する合成語としても説明される。いずれにしても「お世話」される側にとっては受動的な意味合いが大である。しかし、WHOにみられる保健医療サービスの対象としての障害の分類を踏まえた今日的意味合いでは、介護される個人の自己決定権を尊重し、主体的行動の実現を援助するための取り扱い、あるいは処遇(トリートメント)も含まれている。
 貧窮者、病人、身体障害者、孤児、老人たちの収容施設は、近代医学・医療の展開の中で疾病、とくに急性期の医療に集中する病院と、その他の多様な施設へと分化してきた。老人を対象としてみると、紀元前からキリスト教社会とは関係なくどこでもケアの対象とされてきた。人々が恩寵を受けるためには、その対象となるべきものが必要とされたからでもあろう。身近には、東京市養育院の職員に対する心得として渋沢栄一は「忠恕(収容されている窮民を社会の落伍者、敗残者としてこれに同情するということ)は則ち人の歩むべき道にして立身の基礎、つまりはその人の幸運を把握することになるのである」と述べたことが伝えられている。
 英国では1601年に救貧法が制定され、働くことのできない身体障害者、老人あるいは盲人たちが救済の対象として救貧院で保護されることになった。すなわち病院とは異なる収容所の設立と普及である。その後、近代市民社会の展開とともに今日の在宅介護の実現が模索されるようになる。また、この間の近代的病院の展開に伴う医療に関して過渡期には、ロンドンにおける例として、既に教育病院として確立されたセント・トマス病院が老人患者の治療を嫌ったことから老人患者を診療するためにカイズ病院が設立されたように、老人の医療は医師にも看護婦にも歓迎されなかった。そのカイズ病院も急速に教育病院へと変身していったわけで、老年医学の確立されつつある近年になって両者の病院が一体化されたこと(United Medical and Dental Schools of Guy's and St Thomas' Hospitals:UMDS)は200年以上かけた当然の成り行きでもあろう。医療サービスの分業化の表われである。一方で、人間としての病者(患者)の市民権を保障するためには収容施設だけでなく、さまざまな医療あるいは福祉サービスの必要性が認識されてきた。
 

おわりに

 英国でリハビリテーション医学会(British Society of Rehabilitation Medicine)が正式誕生したのは、我が国より遅れて1990年のことである。しかし、医療におけるリハビリテーションの実践においては、いまだ我が国は英国にはるかに及ばないと筆者は感じている。したがって、介護に関しても我が国では中身よりはまず制度を先行させねばならないのは当然の成り行きであろう。Abbeyfield SocietyのFoster Murphyは「未来の老年者介護:9つの挑戦」(表)と題した提言の第3に“The Grass Roots Challenge"をあげている(文献3)。いわゆる「草の根運動」のことである。老人のケアを各自の問題として意識し、等しく有効な市民(Citizens)の連携を創出することが政策者や介護サービス産業に対する挑戦の鍵となるものであろう。リハビリテーションの思想を生み出す土壌に共通する発想と思われる。
 介護についてリハビリテーション医学を生み出した近代保健医療の思想に拠って考えると、第一に非介護者(その多くは生きていれば誰でもがなる老人)の欲求と主体的行動とに基づく人間性を尊重したものでなければならない。
 

表.未来の老年者介護―9の挑戦
  1. 社会統計上の圧力(2020年には全人口の25%が65歳以上)を跳ね返す。
  2. 財政面―年金制度の整備。
  3. 草の根運動―女性問題、自助努力、弱小集団。
  4. 在宅ケアの役割の理解。
  5. 施設ケアの見直し―30年前の病院ケアはナーシングホームケアに代わり、今また24時間医学的ケアのニーズの浮上。
  6. 最低3つのサービスの連携―健康(保健)、家屋、社会福祉。
  7. 地域性への配慮。
  8. 老人自身の希望に耳を傾ける。
  9. 介護者としての自分自身の価値を認識する。(William Beveridgeは1940年代に社会的巨悪を略述した。すなわち、無知、困窮、卑賎、疾病、怠惰。これらは教育、社会保障、住宅、健康、雇用を全員に入手しうることを確立することで打倒することができると述べた。)
  • Murphy F:The Future Care of Older People:Nine Challenges.(http//www.aahsa.com/iahsa/fchal.htmより)

 

<文献>

(1)江藤文夫:ケアマネジメントの歴史的背景を探る-高齢者、身障者について-、OTジャーナル、31:785-789.1997.
(2)Gritzer G. Arluke A:The Making of Rehabilitation. Univ California Press, Berkeley, 1985.(本文へ戻る)
(3)Murphy F:The Future Care of Older People:Nine Challenges.(http//www.aahsa.com/iahsa/fcha1.htmより)(本文へ戻る)
(4)中川米造:NHK市民大学、医療の文明史、日本放送出版会、東京、1988.(本文へ戻る)
(5)坂井素思:経済文明論、放送大学教育振興会、東京、1994.(本文へ戻る)
(6)Saracci R:The World Health Organisation needs to reconsider its definition of health. BMJ 314:1409-1410,1997.
(7)Shuster E:The Nuremberg Code:Hippocratic ethics and human rights. Lancet 351:974-977,1998.(本文へ戻る)
(8)Travers AF:Carers. BMJ 313:482-486, 1996.
(9)宇沢仏文:経済学の考え方、岩波新書、1989.(本文へ戻る)


主題・副題:

リハビリテーション研究 第95号
 

掲載雑誌名:

ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第95号」
 

発行者・出版社:

財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
 

号数・頁数:

95号 8~13頁
 

発行月日:

西暦 1998年7月8日
 

文献に関する問い合わせ:

財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

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