リハビリテーション研究(第95号) NO.5 障害者介護論における介護保険制度との接点と課題は何か

■特集■

 

障害者介護論における
介護保険制度との接点と課題は何か

淑徳短期大学助教授 亀山 幸吉

 

1.はじめに

 介護保険制度が、2000年度からスタートしようとしている。障害者介護にかかわってきた一人として深い関心をもたざるをえない。
 障害者施設に介護保障を求めてくる障害者の多くは、家族や地域のもとで暮らしたいと願いながらも、家族介護の崩壊から施設介護を求めてくるケースがいまだに多い。そのような実態を考えた時、私的介護保障は限界状況と理解すべきであり、社会的介護保障の確立は要介護者や家族にとって、基本的ニーズに立脚しているといえる。またそのような危機管理的介護保障のみならず、施設ではなくて、地域、在宅において、介護支援のもとに自立生活を積極的に営む障害者も拡大しつつある。そのような状況も踏まえて、社会的介護保障は必然的な課題にむけた権利性を伴っているものといえよう。
 障害者介護の基本は人権保障であり、ノーマライゼーションの理念の具現化をベースにした介護理論の構築段階にあり、そのような実践と理論過程を通して、我が国が社会的介護保障として採用した介護保険制度を論究してみたい。
 

2.障害者介護論における理論的現段階

(1) 障害者介護の現状から障害者介護論のめざすべきもの

 介護保険を論ずる前に、障害者介護の現実を踏まえた実践と理論の構築過程を検証しつつ、いま、求められている障害者介護に対して、介護保険制度が実態に見合うものかどうかを考察してみたい。
 障害者介護論のめぎすべき基本理念は、1981年の国際障害者年に提起された障害者の、「完全参加と平等」にみることができる。そこでは「完全参加」とは障害者がその住んでいる社会において社会生活と社会の発展に自由でかつ十分に参加できることであり、「平等」とは障害者が他の市民と同様な生活ができるような社会的、経済的、文化的発展の成果を公平に受けることを意味している。言い換えれば、障害者が障害をもたない同世代の市民と同じような社会生活を実現することである。
 このような考え方は、1975年の「障害者の権利宣言」にうたわれている「障害者は人間としての尊厳が尊重される生まれながらの権利を有している」という考えに基づいている。世界には約5億の障害者が生活しているといわれる。それらの要因は、戦争、貧困、保健、医療の欠如、事故、災害等によるとされている。日本では545万人(1997年)と推計されている。最近の障害者の傾向として、高齢化、重度化、重症化、障害原因の多様化、中途障害の増大等があげられている。障害者の就労の場が保障されず、されても低賃金であり、生活保護受給率が高く、要介護者が増え、進学、結婚、自立生活、住宅問題、施設に入りたくとも入れない等、障害者の生活は「権利宣言」にうたわれている概念とは程遠い現実にある。相も変わらず障害者を巻き込んだ心中事件は後を絶たない。最近も年老いた母が重度の障害者の介護に悲嘆して心中事件が起きたが、僅かに地元ローカル紙が取り上げたに過ぎない。
 障害者施設として療護施設は急増しているが、利用者の高齢化、重度化、重症化傾向のなかで、それに見合う専門的ケアスタッフの人的配置や生活保障としての個室の実現などは厳しい状況にあり、プライバシーの確保などの人権保障やノーマライゼーションの理念の具現化は困難を極めていると見るべきであろう。
 在宅、地域においても、一方で「自立生活」を創造的に展開している障害者もいるが、まだ多くの障害者は「障害」ゆえに、家族の庇護のもとに生活させられている現実があり、在宅における障害者問題は家庭問題であり、生活問題であり、社会的問題としての認識が必要である。
 障害者介護を論ずる際に「自立と介護」に関する実践に関してふれておく必要があろう。療護施設において例を紹介すると身辺的自立は重度化傾向が進み、精神的障害を呈する利用者や痴呆化傾向も増加している。風邪などで長期間、ベッドに横たわっているうちに全面介助に移行するケースすらある。経済的自立に関しても障害者基礎年金へ移行し、費用徴収制度が導入されている。金銭管理をめぐって利用者から職員の対応への非難もないわけではない。家族の介入もあり、自立の妨げ的存在も見かけられる。社会的自立にむけては外出・表現の自由の保障や教育、就労(作業)の保障問題に関して、現実にはさまざまな問題状況を呈している。
 施設や在宅で生活している障害者の中には、障害を自己受容し、介護職(者)の援助のもと、自らの残存機能を生かし、社会的人間として自立生活を展開している人も多い。そしてそこにかかわる人々に介護を通し、共に生きる存在感を与えずにはおかない。
 しかし、そのような自己実現の輝きをもつ人ばかりではない。「お前らに俺のことなどわかるか!俺の人生だ!俺の勝手だろ。お前ら、幸せな連中に何がわかる!偉そうなこというんじゃねえ」ヒステリーと診断され、アルコール依存症の脳性マヒの障害者。同じ障害者の女性と結婚して、そして離婚……外出の自由は酒屋へ行く自由でもある。
 ミラーは「……一般社会でり明確な社会的立場を与える何らかの、目に見える役割、或いは目に見えない役割でもいい、それがないということは、社会的にも死んだも同然。施設に収容されることは、社会の構成月として、その存在は抹消されながらも肉体はまだ、死んでいないという、いわば生と死の中間施設」と規定し、さらに「社会が課した任務というのは…….社会的な死を経て肉体的な死に売るまでの間、社会的に死んだ者たちの面倒をみよ」というのである。
 「障害」を克服できず、生活障害、社会的障害状況の中で生きる意欲を喪失しさまよっている障害者も多い。そのような人々にどのようにかかわっていけばよいのか。介護職(者)と施設総体の介護の質が試される。そのかかわり方によっては生きる力(生活力)ともなり、全く逆の状況も考えられるのである。障害者介護の実践は、人間の生命の尊厳と生活、そして自他を脅かすものを排除し、人権思想によるヒューマニズムに基づき、社会や施設の社会的障壁を取り除く。そうした変革を通じて人間性の復権をめぎす援助論として化学化するところの理論化の視点を置き、障害者介護論の確立を図らなければならないのではなかろうか。
 

(2) 障害者介護論における概念規定をめぐって

 介護は単なる技術論ではなく、より生活問題に視点をあて人権保障の実現にむけて援助が展開されなければならない。そのような前提のもとに、介護とは何か、その概念が形成されるべきであろう。この視点に基づいて考えた時、「介護とは、介肋行為によって利用者の日常生活を支え、本人の生活力を明日につなげる活動、援助をめぎし、利用者のニーズに基づき、生活や人格を理解し、その個人の社会的生活を保障し、自立にむけた援助行為(活動)であり、そのための食事、入浴、排泄、移動(外出)、就寝などの介肋を通じて社会的人間として活動する上で必要な部分を補完、代行、接肋すること」と一般概念を規定し、障害者介護は、その身体障害による機能、能力障害によって生活障害に陥っている部分を補完し、社会的人間として日常生活が支障なく営めるように援助する活動(労働)であろう。
 そして、その活動の内容は、起床、洗面、食事、排泄、衣服の着脱等身辺自立に必要な介助と、外出、手紙書き等の行動、表現の自由等、社会生活に必要な補助的、代行的労働、投薬や通院付き添い等の生命、健康維持活動の介助、さらに居室の整理などの家庭家事的生活に必要な部分の介助など多様な内容をもつものである。
 このような日常生活の維持、再生産を通じて、生命の維持、社会的人間としての生活を保障する役割が介護なのであろう。家庭においても、施設においても、食事、排泄、睡眠、医療等の生命的、生理的要求を保障することは、まさに生存権の保障であり、介護の目的は、自立困難な障害者の日常生活、生命的活動の再生産を保障することによって、生存権、生活権を保障し、人権を保障することである。そして、そこには医療的保障も考慮されるべきであり、必要な医療、医師を選ぶ権利、「選択権」もあわせて保障されるべきであろう。障害者のさまぎまな要求と諸権利の関連性について考察してみたい。

要求 保障 権利
起床、洗面、食事、排泄など 生命的生理的保障 生存権
教科学習、生活学習など 能力の育成、発達 教育権他
労働、作業など 技能の発達、労働 労働権
外出、言論、表現など 社会性の維持他 自由権

 これらの諸権利の実現も社会的自立生活に見合うものとして、バランスよく実現されるべきであろう。先程も若干ふれたが、「自由権」や「選択権」を考えた処遇を展開するには、施設が個としての自律生活より築周の優位性を唱え「日課」として利用者を強制的に作業させたりするようなことは本来克服されなければならない。また、選択権を保障することは主体性や創造件を尊重することであり、自己の意思や意欲の獲得でもあり、このことによって自己決定権を保障し、たとえ障害があっても、人間としての可能性、自己実現への道を切り開くことになるであろう。
 

(3) 障害者介護論における対象をめぐって

 介護の対象は、障害によって自立困難に陥っている援助課題である。そこでの障害者について、1993年に改定された障害者基本法では、障害者を「身体障害、精神薄弱又は精神障害があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」と定義づけた。国際連合における「障害者の権利宣言」では、「障害者という言葉は、先天的か否かにかかわらず、身体的または精神的能力の不全のために、通常の個人ならぴに社会生活に必要なことを確保することが、自分自身では完全にまたは部分的にできない人のことを意味する」とした。また、国際障害者年に国連が発表した「障害者に関する世界行動計画」における「定義」で、WHOは保健分野の関連において、損傷、能力不全、不利を次のように区分している。

  • 損傷(Impairment)心理的、生理的もしくは解剖学的構造ないしは機能の喪失または異状。
  • 能力不全(Disability)人間として普通とみなされている方法ないし範囲内で活動を遂行する能力が(損傷の結果として)制約され、または欠けること。
  • 不利(Handicap)損傷または能力不全によってもたらされる特定の個人に不利益で、その個人の年齢、性別、社会的ならびに文化的要素に従って普通とされる役割の充足を限定または妨げられること。

 障害者であっても、損傷だけでなく、能力不全や社会的不利な状況があって生活障害、社会的障害がもたらされ、それらの状況に応じて介護サービスが展開されなければならない。介護の対象は、単に障害者であるからというのでなく、それら障害者が担わされているところの生活障害、社会的障害であり、援助、代行、媒介することによってEl常生汚や社会的人間として、その生活が保障されうるところの課題である。
 また障害児を中心に考えた場合は、生活の場面を通してリハビリテーションなどの展開によっては、単なる自立保障、生活保障に限らず、知的発達等を中核に、全面的な発達保障の視点も対象課題として捉えるべきではなかろうか。
 

3.障害者介護論における介護保険制度との接点と課題

(1) 「自立」支援をめぐる障書者介護の論点

 障害者の自立困難な課題は画一的なものではなく、それぞれ個別的かつ多面的であり複雑である。高齢障害者、精神(的)障害者、中途障害者、全身性(先天的)障害者、難病者、また重複、重症心身障害児者などの障害の特性や疾病によってもたらされる心身の状態、さらに生活史や環境、家庭状況等によっても、その人固有の生活や人格、障害があることを理解し、介護サービスを提供しなければならない。その点で、今回の介護保険制度が自立支援を最大の支援目標に設定しながら、対象の状態の個別性を客観的、科学的に評価しようとした点は、評価されよう。介護の最大の支援目標を「自立」に置いたことは、自立とは何かという概念形成に関する理論的、実践的課題が浮上している。
 介護現場では、時に対象者の介護サービスに関するケア計画作成に関連するケースカンファレンス等で議論になるのは、自立に関する理解が混迷していることが指摘される。ある介護職は、身辺自立論に力点を置き、ある介護職は、精神的自立(自律)論に重きを置き、ある介護職は社会的活動や労働=自立論を重視する場合がある。
 また、介護福祉士法第2条では、食事、排泄、入浴等の介護業務を介護の定義として採用していたり、ホームヘルパーの研修テキストには、介護の定義に関連して、ナイチンゲールなどの看護の原理論をもって、介護論に紹介しているために、介護論を家庭看護論として理論化し、身辺自立=機能回復、医療的、生命的維持や回復を介護論として重視する立場もある。勿論、対象によっては、健康や生命維持、機能回復が自立のテーマとして、サービス援助計画として浮上する対象者もいることは想定できるが、そこだけにウェートを置いた場合は、前段で触れたような生活障害や自立に関連する社会的存在としての人間を総体的に理解することは困難になってくる。
 障害者介護論で論じてきたように、介護そのものは、どのような障害があろうとも、その人の求める生活を保障することにある。
 その点で、介護保険制度における認定システムの介護度の内容は身体的障害や機能や能力障害、日常生活動作、知的、精神的障害などが一次調査の対象になっているが、介護度のランクは、ケアの量が重視されている。このような介護評価も成り立つが、介護(職)者が、最も困難なテーマは、例えば、精神的、知的障害や痴呆の状態の場合に、どのようなケア、いわば「目に見えないケア」ではなかろうか。そのような点で、勿論、寝たきり状態のような生命的ケアや身体的ケアが重介護度にランクされる点を全面否定する立場にはないが、虚弱といわれても「立位」や「歩行」が可能であるから、軽介護度と評価されていいとは思えない。結局、「目に見えないケア」や、ケアの質がもっと重視され、また個別的状態も重視しつつ、ケアの質が評価されるとともに、社会的な生活状況もより客観的に総合的に評価しうる介護度やそれに伴う「社会的自立生活」の保障としてのアセスメント方式やサービス計画が採用きれることが求められるのではなかろうか。
 

(2) 障害者介護援助方法論構築における人権保障をめぐって

 障害者介護論で実践的、理論的に重視してきたのは、人権保障である。その点で今回の介護保険制度が、本人の意思を尊重し、選択権を保障するとした点は、極めて評価すべきであろう。しかし、現実には、いまだに人権侵害は施設、地域において問題化しており、介護保険制度が実際的に意識変革も含めて、この問題を克服しうることを期待したい。また、オンプズマン制度の採用によって、一層、介護が人権の一つとして行使され、介護を含めた人権保障とともに、生活権としての実質的保障が展開されるべきであろう。
 保険制度では、意思が尊重されるとあるが、知的障害や痴呆状態の場合は、制度的に後見人制度などの活用も検討されるべきである。さらに、自己決定権を保障するということは、「エンパワーメント」という自分自身が問題解決の主体者であり、自己実現にむけた援助に関する方法論が考えられている。また、80年代のアメリカを中心にして知的障害における人権保障として、「自由最大化状況」(The Least Restrictive Alternative)が、我が国にも紹介されているが、「説明と同意」としてのインフォームド・コンセントや「選択権」としてのインフォームド・チョイスや「処遇拒否権」などが提起されている。つまり処遇や援助は、最小の制約で最大の自由が保障されることを主張している。それらも含めて、自由意思を尊重することが、人格を尊重することであり、人間の尊厳ある生を認めることにつながることであろう。
 そのような意味で、介護保険制度が、介護問題のみを表出するのではなく、本人の意思、ニーズに立脚しつつ、本人が求めている生活実現にむけたケアマネジメントとしての援助方法論として展開されるべきではなかろうか。
 

4.おわりに

 今回、筆者は主に障害者介護の実践的理論的構築過程から、介護保険制度を論じてみた。よって、介護保険制度論を全般的に論究したわけではない。制度論全体からは、既に高齢者介護を対象にしており、障害者介護は主たる対象にしていないという保険制度を我が国は採用しているので、そのこと自体を問題にすることもあるが、恐らく国は、まず、高齢者を保険化し、軌道に乗った時点で、障害者を現保険制度に包括するという二段構えなのではなかろうか(このことは筆者の推測にすぎない)。
 国は障害者を現保険制度の対象にしなかったのは、「障害者プラン」の計画こおいて、障害者介護の制度的、ハード面の社会的保障を考えていると言明しているが、その点では、障害者プランの実行化を期待したい。「障害者計画」は、地方自治体が作成し、障害者のサービスの具体化を図ることになっているが、計画作成自治体は2割前後という実態であり、国による指導が一層期待される。
 筆者が療護施設に在職中、脳性マヒの最重度身体障害者から、夜学の神学校にいき、学びたいという要求が出されたことがあった。
 最初は単純に、施設では夜間の外出対応は困難であると斬ったのであるが、人権やノーマライゼーションの視点で考えると、施設だから、職員がいないからというだけで断っていいのだろうかという疑問が沸いてきた。もし彼が健常者や地域生活者であれば、当然社会的に保障されていただろう。人権やノーマライゼーションに照らし、本人の要求をベースに職員会議で検討し、反発はあったが、駅までの送りや就寝介助を施設側が対応し、神学校への送迎付き添いと介助はボランティア、帰りは福祉タクシーの活用によって、2年程、そのようなサービスを実現したことがある。
 障害者である前に「一人の人間」として、その社会的有村生を受けとめ、日常的生活の再生産を保障し、自立支援の実現にむけて介護を展開しなければならない。
 単なる生命保障に限定せず、居住している地域や施設において、求めている生活実現を保障するためには、社会的障壁の除去も障害になっている。そのような社会的障害が一層、身体的、知的障害の重度化、重症化に負荷している場合が多い。そのような社会的介護問題を克服する上で、介護保険制度が介護問題を社会化し、高齢者にとっても障害者にとっても、個性豊かに、人間としての可能性を追求できる社会のシステムの実現にむけて、介護が展開されることを期待したい。


主題・副題:

リハビリテーション研究 第95号
 

掲載雑誌名:

ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第95号」
 

発行者・出版社:

財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
 

号数・頁数:

95号 14~18頁
 

発行月日:

西暦 1998年7月8日
 

文献に関する問い合わせ:

財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

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